応援コメント

第11話ある日、飯が食えなくなった」への応援コメント

  • 涙が出そうになるのを堪えて読みました。

    自分のために書かれた感がある作品を創るのが上手いなと毎回思います。(いや実際私とは精神が繋がってるのでしょう)

    これは料理以外にも言えることですよね。
    小説もつまらなくなって投げ捨ててしまいたくなることがある。
    こうなった原因は……そう考えたとき家族が真っ先に思い浮かぶのは、多分まだ甘えていたいからなんだろうなって思います。

    最後、塩おにぎりがおいしいと思えたのは、どこかで父を認めたからでしょうか。それとも母のことを諦められたからでしょうか。
    語られなかった。けれどでも多分深層の中でなにかが動いた。
    いやもしかしたら最初から父のことは認めていてそれを認めると母を否定するような気になってしまうから、認めないようにしていたのかも。幼い頃塩おにぎりだけが食べられたのは「これならまだマシ」ではなく素直に「おいしい」と思ったから食べられたのかも。でもそれを認めると料理の上手い母のことを否定してしまうから。おいしいと思わないことに理由を作って否定していたのかもしれない。
    夢を叶えて腕前の天井を突いたとき、新たなる扉を開くためには生まれ変わる必要がある。母のために父を否定する子ではなく、父が作ってくれたご飯に対して素直に感謝する人へ。あの「いただきます」は過去へ放たれた言葉かもしれませんね。
    この作品は考えるほどに父母への思いへとシフトしていきますね。

    明日からまたきっと自分が作ったご飯をおいしいと思って食べられるでしょうね。良かった。

    作者からの返信

    詩一さん

    コメントありがとうございます!
    詩一さんにまたそう思って頂けたなら、きっとこの作品は成功です(何に?笑)

    そうですね。このお話も元は料理の話ではありませんでした。原因を外に求める時は大概自分に問題があるものですよね。

    そして最後の塩おにぎりについてですが、そこまで文章にして考察して下さる詩一さんはやはり只者ではありませんね笑
    「塩おにぎりを認める」ということは仰る通り父を認める、母を諦めるとか、自分自身の過去や未来を受け入れる、あるいは突き放すような行為です。

    自分自身のこと、そして父母のこと、色んな方面から読んで頂けたら書いた甲斐があったと思います。

    今回も深い考察をありがとうございました!

  • うまい
    旨い

    文章が上手い。


    この人にとって美味しいとはいったい何だったんでしょうね。
    愛情に付属されるものなのかなあ。

    作者からの返信

    きつねのなにかさん

    コメントありがとうございます!
    きつねさんに褒められた…!!嬉しい…!笑

    私もいつも「旨い旨い」と言っていますが、この人にとってはきつねさんが仰る通り「美味い」そのものなのだと思います。

  • 結局、料理も思い出と共にあるものなのだと気付かされるような作品でした。

    記憶とも言い換えられるし、感情とも言い換えられますね。

    ともあれ、味覚だけが味ではないのだと。

    作者からの返信

    飛鳥休暇さん

    コメントありがとうございます!
    そこを感じ取って頂けて嬉しいです。

    毎日普通に食べている料理ですが、主人公はまさに飛鳥さんの仰る「それ以上の何か」に押しつぶされたのではないかなと考えています。(私が書いたんですけどね笑)