『…それはまるで宝石。』のくだりから、結局『汚い』に行きつく。
単語の連なりが文章になるように、ポジティヴな側面を持つものはその裏にネガティヴが張り付いていて、言葉を上手く操れるようになればなるほど、その巧妙さにがんじがらめにされる。
自由の行きつく先が不自由で。
不自由の行きつく先が幸福で。
幸福の行きつく先が不幸だというように。
その一瞬、一瞬、ただの一瞬に喜び悲しめばいいのに、その先のものが見えてしまうと、喜びは悲しみに変じ、悲しみは喜びに変じる。
これは作家の苦悩であると同時に、大人になると言うことの虚しさを描いているのかなあと思いました。
『どこか知らない場所で、沢山の鱗を包む水の色…』
彼氏は、とても優しい。とても。だからその優しさが、自分以外の誰かを無作為に包み込むのが「汚い」。
せめて目の前で作為的に他の誰かを抱いて見せてよ。そうすれば、私の綺麗な言葉が、あなたを殺すわ。
というサブストーリーが頭によぎって、その状態で読んでしまったので、彼の優しさがすべて嘘のように思えました。これが瞳さんの意図するところなら、凄いなあ。と思います。逆にそんなことを全然意図していなかったのならすみません。無理に合わせず、解釈違いだと、仰ってくださいね。
作者からの返信
詩一@シーチさん
コメントありがとうございます。
そうですね。このお話は作家の苦しみを書きましたが、それはやはり以前より自由に書けるとか、動けるようになったからこその苦しみだと思います。こういうのは、知れば知るほど苦しい事が纏わり付くものかと思います。
それは面白い解釈ですね。実際主人公から見て、彼は汚い所が見えないように描写しています。なのでそこに彼の人間としての違和感を持って頂けたならすごく嬉しいですし、また見破られた…という感じですね笑
編集済
書き手として痛みを共感できました。書いているご本人も同じ状況だというのもわかります。でも渦中にあると充分に状況を把握できないため描写しきれない部分もでてきますし、そのために説得力が失われたり、納得いく作品にならなかったりします。
立ち止まって休むのもひとつの方法ですし、ひたすら書き続けるのもひとつの方法です。私自身は正解がわかっている場合は休んで自分を見直すのもよいと思います。
たとえば”特定”の公募の賞の受賞を目指すならある程度正しい答えはわかります。編集部あるいは編集長、選考委員、下読みさんの傾向がそれです。正解を考えずに応募する人も多いですが。詳しくは私の投稿時代のエッセイに書きました。
そうでない場合は書き続けるしかないと個人的に考えています。正解がない以上、正解を作らなければならないからです。書くことでしか見つけられないと個人的には考えています。なお、”特定”の賞への固執がなく、受賞しデビューできればよい場合も同様です。
余談ですが、この掌編に似たシーンを書いたことがあります(大正地獄浪漫1巻126ページ)。ひたすら手を洗うのって怖いですよね。
作者からの返信
一田和樹さん
コメントありがとうございます!
なるほど、とても参考になります。私の場合、毎年決まった時期しか書けないので(何故かは分からないのですが)、しばらくは悶々としながら書くのだと思います。
そういう特性なので、受賞を目指す方やプロの方は本当に尊敬します。「書かなければならない」という事に多分耐えられないので。でも正解を作らなければならないというのは非常に納得しました。私自身、それが時間なのかな、と。
お話的には頭がまともに働いていない状況を再現する事にかなり時間を割いたので、作り手ならではの不安に共感して下さったなら嬉しいです!
そうなんですか!最近は時間があるので、是非読ませて頂きます。
詩一様の紹介文で瞳様を知り、初めて読んだ文がこちらでした
衝撃的…まさにディープインパクト級
続きを心待ちにさせて頂きます
作者からの返信
海野ぴゅうさん
コメントありがとうございます。
そうだったんですね。こういうのは合わない方も多いようなので、そんな風に言って頂けるとすごく嬉しいです!今後の励みにします。