「足元で常に、何かしらの言葉の残骸が、言葉に付随する彼女の哀しい感覚が、砕けていく。会話が弾むにつれて、その音は段々激しくなって、私はその煩さで自分の現在地を見失う。
私は彼女の空間に囚われることや、そこに激しくのめり込むことを、学校の帰り道、密かに楽しみにしていた。」
この文章がとても好きです。
主人公のことは一切語られていないのですが、ここで「あ、この人は今現状に満足しておらず、友達もおらず、なんならやりたことなんかも見つかっていない人なんだな」と想像できました。全く見当違いだったら申し訳ありません。
「その散らかり方が、また、私は好きだった。」
という文章も好きです。
センスを感じます。このように書けたなら、と思います。
「そう言ってしまったら、私は師匠の作品を誰より傷付ける、もはや、犯罪者になってしまいそうだし。」
そうなんですよね。作品を見てないって、とらえられてしまうかも知れないですし。「師匠の文章」が「好き」というのは、仮に誰か別の人が全く同じ文章を書いたとしたら嫌いってことになりそうですし。
作者からの返信
詩一@シーチさん
コメントありがとうございます。
いつも作品拝見しております。詩一さんから文章を好きと言っていただけてすごく嬉しいです!
主人公や師匠を取り巻く環境はまさに仰る通りで、明言していないですが何となく、寂しい雰囲気を纏っていると思います。
自分にも実際に物書きで尊敬している人がいますが、それがどういう「好き」なのか、難しいところですよね。
はじめまして。文章にはその人の人生そのものが映し出されますね。そんな素敵な師匠がいるとはなんともうらやましい。
作者からの返信
ポンポコさん
はじめまして。コメントありがとうございます!
私にも文章の師匠はいるのですが、実はこのお話に出てくる師匠は架空のものなので、こんな感情を実際の師匠に抱いた事はないんです。
こんな師匠がいたら素敵だなと、私自身も思います…!