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「また旅行に行ったり、美味しいものを食べたりしようね♡」

 後頭部を木刀でぶん殴られるが同然の衝撃を見舞われた。家のポストを改めると一枚のハガキ。父宛のそれにはでかでかと女特有の柔らかくしな・・のある字で、そう書かれていたのだ。


 同じ屋根の下で起居する母を、わざわざこんなものの差出人候補として考慮する必要はない。

 あの誠実が行き過ぎて堅物の父に2号がいたとは…。愕然とさせられる。


 それにしてもなんというタイミングなのだろう。父は2年前に定年を迎え、そして昨年には大病が見つかった。薬で進行を遅らせて、まあ、あと数年は持つだろうという、そこそこの長さのロウソクの灯である。

 しかしまさかここにきて一花を咲かせていたというのか。


 それにしても皮田わたしの頭に血を登らせてくれるのが女の字だ。書き手の、このようなあて付じみた行動をしてくる無遠慮さを裏打ちするような字体である。自分がいかに可愛いか、どうすればよく見られるかという自分本位で外面だけ良くしようという魂胆が、洋菓子の表面にまぶされる粉砂糖のごとく、吐き気を催す甘ったるさでもって主張してきやがる。


 眼前が虹色のネビュラに埋め尽くされる。根っからの憤慨体質な皮田にとってこれは余りにも、余りにものことである。

 知らず手に力が入り、ハガキが軽くひしゃげた。


 こんな仕打ちがあっていいのだろうか。大なり小なり二人のケンカを目にしてきたが、お互いに生真面目なところゆえの不器用な摩擦が原因のものである、不義理の心配だけははなから持ち合わせたことはなかった。それが父の人生に終わりが見えてきたところで、2号の方から大暴露。

 なるほど、父も鼻の下を伸ばしはしたのだろう。それ自体は責められるべきものではあるのだろう。

 だが、だがしかし、それはこの期に及んで受けなくてはならないものなのか。死に際にそれまでの行いをすべて帳消しにされてまで、食らわなければならないものなのだろうか。


 皮田は決断した。このハガキは塵芥になるまでこの手で引き裂き、さらにその塵芥でさえ痕跡一つ残らなくなるまで燃やしてしまおう、と。

 それがこの不出来な息子が成し得る、人生最大の孝行なのであると、信じて疑わなかった。


 さて、ハガキに極刑を与える前に、送り付けてきやがった不届き千万なアバズレの忌み名を確かめてやろうと裏面に返す。そこに記されるは、我が母の名。

 しばらく白痴のように半端に口を開けて呆然と固まってしまった。


 急いで母に詰め寄った。なんでもいい夫婦の日のキャンペーンだとかで某百貨店で一定額以上を購入すると、パートナー宛のメッセージを書いた手紙を用意してくれるのだという。

 問題はそれが届くのが1年後で、書いたのが1年前の今日だった。

 母の方もそんなものはとっくに頭の外にやってしまっていて、皮田に問いただされて思い出したようだ。

「自分の家に自分で手紙を出すやつがいるか!いい夫婦の日だ?いい年こいての日に変えろ、このババア!」と吐き捨ててやったが、それで溜飲が下がるわけもない気苦労を、まったく遣わせさせられたもんだ。


 あれから5年。私は家を出たが、節目節目の折に帰省している。

 父も1号も、まあ、それなりにやっているようで、これからも皮田は大孝行の決断のときを戦々恐々と待つ必要もなさそうである。

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