ヒットエンドラン②
例の事故(わざとじゃなくて不注意だから"事件"じゃないのは警察からのお墨付き)の二日後、上司と被害者の職場である保険屋のビルへと向かう。
事故が起きたのは、先方の勤務時間中ということで、先方宅でなく職場に来いとのこと。
途中、菓子屋で菓子折のセットを購める。さすがに領収書を切る勇気はなかった。
道中、ドラレコの起動を確認してから発進しろという内容の説教を食らい続ける。これは事故の時の状況を知るためにドラレコを提出したところ発生時には起動してなかったという失態を犯したからだ。
事故についてなんの情報も得られず、しかも運転中に皮田が高らかにアニソンを歌ったり愚痴を垂れ流すのは記録されていたという、輪をかけて踏んだり蹴ったりだ。
そうこうしてるうちに敵の城に着き、応接間に通される。若い女と50絡みの男がいた。
被害者は女の方で名前は石井さやか。一度電話でやり取りをした印象通り、落ち着いた雰囲気。眼鏡の奥の瞳は二重でパッチリ。身体つきは少しポッチャリしているが、枕営業のときはいい商材になるんじゃなかろうか。
「どうもこの度はご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ございませんでした。こんなもの寝お詫びになるとは思いませんが、どうかこちらを受け取ってください」
事前の打ち合わせ通り、形ばかりの謝罪をして菓子折を渡す。下手なことを言うと言葉尻をとられそうなので、以後皮田は極力大人しくしろと言われている。
「これはどうもご丁寧に。私は石井の上司の島田と申します。どうぞお掛けください」とは男の方から。
「皮田の上司です。部下がご迷惑をお掛けして済みませんでした。石井さまのお体の具合はいかがでしょうか?」
「ええ、大きな怪我はないんですが、やはり首の筋の調子が少し…」
「そうですか。重ねてお詫び申し上げます」
上司に倣い再度頭を下げる。さあ帰るか、とはならんがこっからは地蔵になっていいので幾分か気が楽だ。
「今日は石井のことでわざわざお越しいただいてすみません。皮田さん」
「いえいえ、直接お詫び申し上げるのがせめてもの誠意ですから」
「とりあえず今回のことは自動車保険の方と進めていきますので、そういう方向でよろしくお願いします」
「そうですか。ええ、承知致しました」
「ところでお二人の会社はどういう業務をされているんでしょうか」
そこからはしばし雑談のようなのが上司と島田の間で行われる。
なんだ、どってことねえな。ホッとすると腹が減ってきた。早く帰りたい。
あれ、さやかちゃんから良い匂いがする。こいつ、これ怪我人がつける香水の匂いじゃねえぞ。ケバいな。誘ってんのか?ベッドでさやかちゃんの身体をいやすためにいやらしいことしたいな。
皮田は舐めきっていた。帰って石井を妄想に使って抜くために、身体を舐め回すように見ていた。
「そしたら御社に営業に伺いたいんですよ」
は?島田よ、いまなんつった?
「どうやら多少危険と隣り合わせなところのある職場でいらっしゃるようですし、これも一つのご縁ですから。なぁ、石井」
「そうですね、是非伺わせてもらえれば」
おいおい
「うちの営業所ですと、皮田以外で若いのは四人ですね。それと申し訳ないんですが、私は何年も前に生命保険には加入済みで…」
お前、身内がハシゴ外してどうすんだ
「そしたら皮田さん。後日都合のよろしい日が分かり次第ご連絡ください」
「あ、っす…」
「では、今回はそういうことで。今後ともよろしくお願いします」
島田にそう言われ、皮田と上司は改めて頭を下げて駐車場に向かった。
「今日は私が頭下げるのに付き合っていただいて、ありがとうございました」
「本当だよ。まぁいいや。しかし、クソ。そういうやり口ね」
「なんか…連中がそのうち来るんですか」
「はぁ…。ったく、これはこれでダルいことになったな」
「スミマセン」
「でもさぁ、まぁ君にとっては良い機会だったんじゃない?」
「はぁ…」
「保険なんて早いうちに入った方が楽だし。石井さん?可愛かったし」
「あ、はぁ」
「っ!なんだよその返事!」
「スミマセン!」
そんな具合で全くもって敗走であった。
家に帰ってからさやかの番号をSNSで調べる。どうせ会社用の番号だろうと思ったが、意外に彼女のアカウントが見つかる。しかし石井ではなかった。アイコンにガキと旦那らしきものが写ってる。
ざけんなよ!子持ちが営業?さっさと寿退社して二人目作りやがれってんだ!子持ちがあんなムラムラする香水してたってのか!
すこぶる気分が害されたんで、さくっと飲んで寝た。
後日聞いた話で、さやかはレントゲンには写らない首筋の異常で、自動車保険会社から三ヶ月も治療費を搾り取っていたらしい。痛みにこらえてうちに営業に来ていたのか、感動した!クソが。
一方で俺はというと、運転技術を評価されて"イニシャルK"と呼ばれるようになった。笑い話で済んでよかった、と思うことにしている。
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