ヒットエンドラン①

 新天地は皮田にとってありがたいものではなかった。生まれも育ちも百万都市。遊びたい盛りを満たしてくれた都会の明かりは遠い彼方に消えた。


 駅前のドンキホーテまで20分と聞いたが、車で20分とは…。カッペどもは駅前に溜まる場所すらねえのか。



 最寄り駅は在来線が30分に一本。初めて乗るとき、電子マネーが使えなくて戸惑っていたら出発を2分待ってくれた。車内に入ると高校生くらいのが二人、自転車をもって座っていたのには常識の違いを痛感したもんだ。



 県庁の最寄りのJRも30分に一本。さすがにさばけねえだろ、舐めてんのかと思った。だけど良くできたもんで、丁度30分で車内が可もなく不可もなくな乗車率になる。休日だというのに。



 編み目からスイカが溢れそうな交通網だから、どうしても移動手段は車になる。繰り返すが百万都市で生まれ育ったもんで、免許証は身分証にしか使ってこなかった。


 だから不馴れな運転で事故を起こしても、俺はちっとも悪くない。



 営業の外回りをざっと済ませちまって、会社近くのコンビニで一時間くらいボケーっとするのが日課だ。


 その日も日課をこなして午後四時に会社に戻る。会社の固定電話は基本的に事務の姉ちゃんがとるけど、二人ではさばききれないこともあって、序列最下位の俺もよく対応させられる。



 見慣れない番号からのをとると、


「○○西警察署です」


 ん?お巡り?ディスプレイを見直すと下3桁が110だ。


「午後3時過ぎに○○マート○○店の駐車場で車をぶつけられたという通報がありまして、ナンバーを調べたところこちらの会社のものだとわかりました。心当たりのある方に話をうかがいたいのですが」


 さっきまで俺がぐだってたコンビニじゃねえか。


「あ、恐らく私です…」


「そうなんですか。そしたら至急、署までその車で来てください」


 さすがにバッくれられねえ。即刻上司に相談。


「お前それ、当て逃げってことか?どうすんだおい!」


 どやされながら上司と車体の確認。普段しこたま横っ腹にキスマークを作ってやってるから、どれがどこでどうした傷だかわからん。



 とりあえず上司と件の署に向かった。車中で普段の行いを、署で駐車するときにドライビングテクニックをしこたま怒られてから、電話をくれた署員を尋ねる。


 なんだなんだ。俺がコンビニの駐車場から出るときに車体が隣の車のホイールにかすった程度。ちゃっちい傷跡だな。


「こりゃ気づかんわけだ。今回は運転中不注意扱いで、罰金も減点もなしだね。この書類を書き終わったら帰っていいよ」


 お咎めなし!内心飛び上がりたくなったけど、さすがに態度には出せない。表面上は神妙なツラ構えで返事をした。



 帰りの車中、上司から「これじゃ怒るに怒れねえじゃねえか!」と怒られた。


 そんなもんはどうでもいいや。皮田の心中は"クビ"の文字がキレイさっぱりなくなって多少のことは気にもならん。入社3か月目にしてやってきた退職タイムアタックは更新しなくて済んだんだ。だから社内での腫れ物扱いもどんとこいだね。



 ちょっとして上司が被害者のとこへ詫びの電話を入れる。


 んー?なんだか様子が変じゃないか?



「おい皮田、こりゃやっちまったな」


「どういうことですか?」


「相手、保険屋だぞ」


「はぁ…」


「普段向こうが仕事で客にやられてることをお前にしてくるんだよ」


「それはつまりどんなんになるんですか?」


「ビックリして振り返って、クビの筋を痛めたってよ。あさって先方の会社まで謝りにいくけど、迂闊を言うと自動車保険じゃなくてお前の責任になるぞ」



 心は"クビ"の代わりに"損害賠償"で満たされた。

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