遊戯皇

 最後に打ち込んだゲームはソシャゲだが、それだって四年前の話だ。


 どうにも学生に菜って以降、電源を入れることすら億劫で、ゲームとは距離ができた。



 元々はのめり込む性質だ。小学校一年生後期に初めて親からもらったポケモンに熱中し、前期は左右1.5あった視力をコンマいくつにまで下げた。


 それから大学受験を始めるまでは種々のものをやった。そのなかで最も記憶に残っているのを聞かれると、中学二年生のときのポケモンを挙げられる。



 その時期、心を割いたのは部活である。初心者歓迎との文言でもって誘われたのに、入ってみると校内の部活動でもトップクラスの厳しさであった。



 皮田は部活終わりに帰ってやるゲームを心の支えにして練習に耐えたのか、いや、そういう話ではない。


 皮田は動機の二人と練習をサボっていた。三人はそういう根性なしだから、親にばれるのを恐れた。


 真っ直ぐ帰ると帰宅時間の辻褄が合わないので、学校でゲームをやってから帰るようになった。それがポケモンだった。



 平然と「学校で」と書きはしたが、もちろん校則に引っ掛かるので、まず場所の確保が懸念事項である。



 最初は校内の食堂でやっていたのだが、放課後にどこの部活にも行かず溜まるには三人でいるのは浮きすぎて、一度何者かから担任に報告が行き、変更を余儀なくされる。



 次いでトイレの個室に移る。これ以上ない密室だが中学生さん人を収納するには狭い。環境が悪いほど気分が変に高揚するもので、三人はしきりに小声を越えた声量で談笑する。


 結果、普通に見つかった。



 難民が最後にたどり着いたのは、別館にある特別教室だった。通常授業を行う教室がある棟とは別に、補習授業や外人教師の英会話授業のときのみ利用される別館がある。


 そこはほとんど人がおらず、なぜ始めからそうしなかったのかと思うほど、おあつらえむきの空間だった。



 総人口3人ののパレスチナは安住の地だった。声量を押さえる必要はほとんどなく、たまに人が通りかかってきても閑散としたリノリウムの廊下は足音を明確に響かせたので、事前に察知して気配を殺すのは、それもまたゲームじみた程よい緊張感を与えてくれる。



 そのなかで3人は、やはりこれも校則違反のケータイを使用して、攻略サイトを実ながらストーリーを進めていく。各々がすでにクリア済みのタイトルをやり直しているだけなので、アンチョコ頼りに気兼ねはなかった。



 結局、一ヶ月ばかり腑抜けた放課後を過ごしたあと、部活に復帰し嘘のように打ち込んだが、卒業後に会うと3人は必ずこの話をするので、あの矮小な世界の難民ごっこは強烈に残っているのだ。



 思えばこのときから独りではゲームができなくなった。アクションゲームは行き詰まると平気で一年以上放り投げることもしばしば。


 その一方で修学旅行のときは、なんの興味もなかった流行りのソフトを同部屋の仲間とするためだけに買って、帰ってきたら、やはりホコリを被せた。



 ゲームは陰気者の独り遊びのように言われ、外で友達と遊べと言われる時代。しかし、ゲームはみんなでやるものだ。


 集まって隠れて、やるべきことを忘れて。



 みんなで渡る赤信号。轢かれるやも知れないスリルを繋いだ手から伝わる鼓動で共有する。


 そういう身体に悪いサッカリンのような悪甘さが、無菌な少年時代に悪事への免疫をつけさせるのである。

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