番外編 母親が子供タカシを助ける話

3分で爆発する爆弾が残り1秒で止まる、映画やアニメならスリルがあって面白いのかもしれない。けどまさかこんなことが、こんなことが現実で起きてしまうなんて。たまったもんじゃない。


『タカシ!』


川の上の橋にいた女性が叫んだ。数秒後、バシャっと何かが水面に叩きつけられた音が響く。


『誰か!私の子供を、タカシを助けてください!』


見ると、まだ幼稚園児くらいであろう子供が川で流されて溺れていた。


母親はパニックで回転しながら、回らぬ呂律で必死に叫ぶ。


『誰か!助けてください!うちのタカシは、水中で40秒しか息が続かないんです!』


只事ではない母親の取り乱し方に、野次馬は続々と集まってくる。彼らは橋の上から川を見下ろして口々に言った。


『ううむ、しかしこの川は流れも激しいし、助けに行ったところでワシたちまで溺れてしまうじゃろう』


『それに、川までの高さも20メートルくらいあるわ。下手したら、着水の衝撃だけで四肢がもげてしまうのよ』


濁流のせいでタカシの四肢がもげているかは確認出来ないが、この橋から落ちた時点で、体が五体満足の可能性すら低いらしい。


『それはもう、ボーリングで両隣のレーンのボールが同時に自分のレーンに飛んでくるくらい低い可能性なのよ』


『そこを、なんとかっ!』


母親の叫び虚しく、助けに行ってくれる野次馬は1人もいない。それもそうだ。流石に、見知らぬ他人の為に自分の命を迷うことなく賭けられる善人のスペシャリストは、此処には居なかったのだ。


彼らにも家族がいて、友がいる。自分が死ねば悲しむ人もいる。″見知らぬタカシくんを助けられる可能性″は、それらを下回ったのだろう。


何より飛び降りるだけで四肢がもげるらしき川だ。見知らぬタカシくんの為に四肢がもげてもいいという人間なんて、この場にいるのだろうか。


もう此処に、タカシくんを助けられる人間は・・・。


『・・・いや、いるわ。1人だけ』


母親は自らの拳を力強く握った。


『私が、助けるのよ』


母親は、大事そうに着ていた分厚いコートを地面に投げ捨てる。


既にタカシが溺れてから35秒が経過している。タカシは40秒しか息を止められないので、タイムリミットはたったの5秒しかなかった。


『・・・十分よ』



母親は橋からジャンプして勢いよく川に飛び込む。


『タカシーーー!』


飛び降りた母親を見て、橋の上の野次馬たちが騒めく。


『あの母親飛び降りたぞ!』


『救急車!いや、葬儀屋を呼ばないと!』


『何やってんだ!自殺行為だ!生命保険降りないぞ!』


そう口々に言う彼らに、橋の下を見た1人の野次馬が言う。


『おいおい、あの母親、凄いぞ!』


『何だって!?』


野次馬たちは我先にと川を見下ろすとを、先程飛び降りた母親は、五体満足で荒れ狂う川を見事に一直線にタカシの方へと泳ぎ続けていた。


『すげえ…』



そして母親は、タカシが溺れてから39秒後にタカシを抱え上げ、無事助けることができた。あと1秒遅かったらタカシの息が続かず手遅れだっただろう。


タカシを抱えた母親が、ボロボロになりながらも岸に上がると、先程の野次馬たちが集まっていた。


彼らは、拍手をしながら口々に言う。


『あんたすごいよ』


『すごい』


『すごい』


こうして、タカシは無事助かった。

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