夢のハンドル

雪本歩

夢のハンドル

 僕は今、アラビアの旅人だ。フタコブラクダの背に乗って、長い綱を手にしている。

 夜の海の色をした空には、数えきれないほどの星が光っている。白い三日月が今さっき、僕の頭の上を通っていった。砂の鳴る音と、時々吹く風の音は最高の子守唄だ。


「昼間は大変でしたね」


 前を向いたまま、ラクダのサッティヤジットが言った。


「うん、危機一髪だったね。君のおかげで助かったよ、ありがとう」


「とんでもない、ご主人様がお強いからでしょう」


 労いを込めて首筋を叩くと、彼は嬉しそうに鼻を鳴らす。


 * * *


 昼の話だ。

 僕らは小さな村に居た。そこは運悪く、盗賊に目を付けられ、毎日のように襲われてい居た。ただでさえオアシスからも遠い村なのに、あろうことか、山賊たちは水と食料を要求していたのだ。

 差し出さなければ女子供を誘拐するぞ、そう言って。


「我々は飢えか渇きで死んでしまう」


 村の大人たちは困った顔をしていたが、解決策はない。

 そこに偶然、僕らが通りかかったのだ。

 事情を聞き一肌脱ぐことにした。困っている人を見捨てる事なんてできない。

 だけど僕がまだ小さな子供だからか、村の人たちは驚いて口々に騒ぎ立てた。


「あまりにも危険すぎます!」


「奴らは大人数なんだ、子供一人では無理に決まっている!」


 老人、おばさん、猫に犬まで、僕を見て口々に言いたいことを言う。サッティヤジットなんか耳を塞ぐ始末だ。

 僕はできるだけ全員に聞こえるように、サッティヤジットの背に乗って叫んだ。


「ひとつ、皆さんに協力してほしいことがあります! 危険な事ではありません、僕が今から言う物を作っていただきたいんです」


 不思議そうに互いの顔を見合った後、村の人たちは僕の話に耳を傾けた。




 月明かりが僕とサッティヤジット、そして僕らの後ろに並んだ白いシーツを優しく照らす。村の広場は昼の活気を潜め、しんっと静まりかえっている。


「本当に大丈夫なんですよね、ご主人様」


 声を潜め、心配そうな顔をしたサッティヤジットが尋ねた。


「まぁ、なんとかなるよ」


 その問いに笑いながら答えると、彼は一度だけ不安げに首を振り、それから何も言わなくなった。

 遠くの方から地響きが聞こえてくる。ひとつ、二つ、四つと数はどんどん増えていき、最終的に二十一人の屈強な男たちが、僕らの前に立ち並んだ。


「ボウズ、この村の奴じゃねぇな……他の連中はどうした」


 一番先頭を走ってきたひげもじゃの男が野太い声で叫んだ。

 彼らは目と鼻の先に居ると言ってもいい、なのに彼のバカでかい声は、僕の耳をビリビリと揺らす。

 サッティヤジットを後ろに下がらせ、僕も負けないように声を張り上げた。


「村の方々は今日、大事なお祈りがあるので出てこれません。だから村の人に代わって、おもてなしをさせていただきます」


 そう言いながら、僕は後ろのシーツを取り払う。

 シーツの下から湯気が立ち上る。少し大きめの鶏肉、まだ形を留めているじゃがいも。ほんの少し残った熔けた玉ねぎに、地平線に沈む太陽のように真っ赤な人参。アツアツのカレーが鍋の中で泡にもまれながら、晩餐が始まるのを待っていた。

 僕は焦げないように――見せつけるように、一度木の匙でぐるりとかき混ぜた。サッティヤジットが素早く人数分のお皿を用意する。


「これは村の人々から心ばかりにと。いつもの物もご用意してますが、まずはどうぞ、こちらが冷めないうちに」


 盗賊たちは突然の申し出に戸惑い顔を見合わせていたが、強い香りに誘われて一人、また一人とお皿を受け取っていく。


「おい、毒を盛っているんじゃなかろうな」


 最後まで残ったひげもじゃの男が、ナイフを突きつけ僕に言った。


「とんでもない! そんなことはありませんよ」


 僕はほんの少しカレーを掬い、ペロッと舐めて見せた。もちろん何ともない。

 それを見て安全だとわかったのか、彼も皿を受け取り食べ始めた。


「おい、こっちにおかわりをくれ!」


「何言ってんだ、こっちが先だ!」


 盗賊たちはよく食べた。それこそ、ガツガツと音が聞こえるほど。


「ねぇ……ご主人様」


 サッティヤジットがおかわりの皿を片手に僕に囁く。


「本当にこんな事で盗賊たちを退治できるんですか?」


「それは見てのお楽しみだよ、もうじきだからね」


 僕はそれだけ伝えると、おかわりの怒鳴り声へ飛んで行った。

 次第に盗賊たちの顔が赤くなる。


「おい……ちょっと、水をくれ」


 雨に濡れたように汗を流しながら、下っ端だろう男が言う。でも食べる手を止める様子はない。

 その一言を皮切りに、盗賊たちはあちこちで悲鳴を上げ始める。


「待て、その水はオレのもんだぞ」


「口がヒリヒリする! だが美味い、やめられん!」


 カレーを口にかき込んで、残り少ない水を飲み、彼らは食べ続ける。だんだんと飲む水の量がは増えていく。二十一人もの男たちがそろって飲めば、用意しておいた水桶もあっという間だ。


「おい小僧! 水は、水はもうないのか!?」


 ひげもじゃの男が唇を真っ赤にして迫ってくる。


「ありません」


 僕は心底残念だという顔をして、彼に言った。


「今飲んだ水で本当に、本当に最後だったんです。貴方たちが日々盗んでいったので、この村にはもう一滴も残っていないんですよ」


 その言葉にショックを受けたのか、彼らはその場に座り込んだ。そんなことをしても無駄なのに、喉をかきむしり呻き声を上げ始める。


「水、水くれよぉ」


「喉が、口中がヒリヒリする!」


「暑くてたまらん、クラクラする」


 砂漠の夜でも、今の彼らには無意味なのだろう。僕とサッティヤジットの毛を揺らす心地良い風が盗賊たちを冷やすことはない。

 僕はその様子を一望し、彼らに向かって言った。


「暑いですか? 喉が渇きますか? 貴方たちが今感じている苦痛は、この村の人々に与えた苦痛と同じです。村の人たちも今、貴方たちと同じ渇きに耐えているんですよ」


 汗を流し続ける二十一の顔が、ずらりと揃い僕らを見る。

 その顔をもう一度見てから、僕は皮の水筒を取り出し言う。


「ここに、僕の水筒があります。少しだけ水も入ってます」


 二十一の双眸がギラッと光った。


「ここにあるのは一人分の水です。僕が飲んだら無くなるでしょう」


 四十二本の手が縋るように伸びてくる。


「早く、早くよこせ!」


「何が欲しい! 金か、宝石か? それとも馬か!」


 彼らは目の色を変え、思い思いに大声で叫ぶ。その間も顔からオアシスのように、汗が溢れ出している。

 とても辛そうだ。

 僕は口元だけでニッと笑い、水筒を掲げ大声で言った。


「ひとつ、約束をしてもらいましょう」


 盗賊たちはパッと静まりかえる。


「この村にもう来ない、盗賊もやめてください。それを約束してくれれば、この水はみなさんに差し上げましょう」


 突然の申し出に、盗賊たちは迷うように顔を見合わせた。互いに探り合う視線が辺りを包むも、返事はかえってこない。

 しょうがない、と僕は追い打ちをかけるため、水筒の蓋を開けた。


「約束できないならしょうがないですね。そういえば、動き回って喉が渇いたな……」


「ご主人様、私にも少し分けてください」


 離れて見ていたサッティヤジットが飛んできた。彼も喉が渇いていたんだろう、舌をだらりと出した状態だ。

 さぁ飲むぞ、と水筒を傾けたその時だ。


「わかった、約束する! だからその水をわけてくれ!」


 二十一人のハーモニーが、村中に響き渡ったのだ。




 その後、彼らがどうしたのか僕は知らない。すぐに村の人たちに引き渡し「あとはお好きにどうぞ」と言って立ち去ってきたのだ。何かお礼を言われたけど、僕らはほんの少しの水と食料を譲ってもらい、それ以上は断った。

 僕はただ、正しいことをしただけだ。

 サッティヤジットの背で揺られながら、僕は遠い海の向こうを夢見る。


「そろそろ砂漠にも飽きてきたし、今度は海の方へ行こうか」


 サッティヤジットは鼻を鳴らして


「どこまでもついていきます」


 とだけ言った。

 空にはまだ、静かに月が上っていた。


 * * *


「……よーし、今度は海賊ごっこやろう!」


「お父さんもう疲れたよ。ユウ君、大きくなったんだからもうやめない?」


 僕の提案に父さんはバタン! と倒れ、手足を伸ばして言った。

 僕の手には縄跳びとお気に入りの本。僕が父さんと遊ぶ時に使う、僕だけのハンドルだ。

 これさえあれば、僕はどこにでも行ける、本があれば何にでもなれる。

 でもそろそろ、父さんの背中は卒業かな?


おしまい


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