3章5話 23時00分 ヴィクトリア、自分なりの戦い方を覚えようとする。



 星下せいか王礼宮おうれいきゅうじょうの自室にて、すでにヴィクトリアは目を覚ましていた。

 腰かけるベッドの近くには、身分が違うから立ったままとはいえ、クリスティーナが付き添ってくれていて、凄惨な現実が外に広がっている窓にはカーテンが閉められている。


 この非常事態だ。

 先刻までは取り乱してしまい、クリスティーナの安眠の魔術(本来、ご主人様を快適な睡眠に導くための魔術)で眠りに落ちていたとはいえ、今さら、もう一度眠ることなんて許されない。


 確かに、自分には戦うためのチカラはない。

 嗜み程度にしか剣を振れないし、魔術も使えない。


 そしてロイがここを飛び出していった理由も、クリスティーナから聞いた。

 ならば自分だけのうのうと過ごしているなんてダメだろう。


 死神がアリシアによって王都の外へ弾き飛ばされたからと言って、すでに大規模に広がっている火の手が瞬間的に止まるわけではない。

 せめて、窓の外でゴミクズみたいに国民が死んでいるとしても、怖さのあまりカーテンを閉めることになっても、ロイと、シーリーンと、アリスと、イヴと、マリアの帰りを不眠不休で待っていなければいけないのだ。


「――11時で、ございますね」


 と、振り子式置き時計を一瞥して、クリスティーナが静かに呟く。

 流石に、無言のままだとヴィクトリアに気まずい思いをさせると考えたからだ。メイドである自分はともかく、ヴィクトリアは今、自分の一族の敷地内で、そこに住む人たちを燃やされている状態なのだ。少しでも、使用人である自分のモノでもいいから、誰かの声を聞かせてあげた方がいいと、クリスティーナは判断する。


「あと1時間で、日付も変わりますわね……」


 一方で、ヴィクトリアも、クリスティーナの呟きに反応すべきと考えていた。率直に言って、今の自分の精神状態はとても安定しているなんて呼べる状態ではない。むしろ安定とは対極に位置する精神状態だ。

 ゆえに、情けないことこの上ないが、それを充分自覚しているが、少しでも、誰かとコミュニケーションを取っていたかった。繋がりを確かめておきたかった。


 が、ただ1回きりの会話のきっかけ。それは次の瞬間に台無しなってしまう。

 そう、次の瞬間、窓の外から聞き覚えがある声で、聞き覚えがない咆哮が聞こえたのだから。


……ッ、ゥゥ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…………オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ………………オオオオオオオオオオ……………………ッッッ!!!!!」


 それはまるでゾンビ化した古竜さえ連想するような心底おぞましい絶叫だった。

 耳にしただけで全身に鳥肌が立ち、鼓膜の表面がヘドロで穢されたかのような感覚。なのにどこか痛々しくて、悲しそうで、苦しそうで、なぜか救ってあげなくては、と、そう思ってしまうような声音でもある。


 強いて言うなら、神に仕える天使が堕天して、完璧に邪悪と暗黒に染まる前に、誰か息の根を止めてくれ――と、そう号泣しながら哀願しているような感じの悲鳴。

 それを聞いた瞬間、まさかとは思いつつも、ヴィクトリアは勢いよく立ち上がった。


「クリス様……っ、今の絶叫はまさか!?」

「お待ちくださいませ、王女殿下! カーテンを開けるのでございますか!?」

「…………ッッ」


 ヴィクトリアが窓に駆け寄ろうとしたのとほぼ同時に、察していたのだろう。クリスティーナがヴィクトリアの行く手を阻む。

 メイドとして、身分が下の者として、まさか王族の進路を塞ぐなんて、言語道断にも限度がある。


 だが、それを理解した上で、クリスティーナは脚を震えさせながらも、首を刎ねられるのを覚悟して、ヴィクトリアの進路を阻んだのだ。

 全ては、王女殿下本人のために。


「――――っっ、カーテンを開けた先には、非常におつらい現実が待ちかまえているはずでございます。さらにそれに加えて、今の、わたくしたちのよく知る人の声に酷似している悲鳴。非常に……っ、非常に恐縮ですが、僭越ながら率直に申し上げます………ッッ! 王女殿下に、ご覚悟はおありでございますか?」


「――――」

「一応、申しておきますが、ご用命いただければ、すぐにもわたくしが王女殿下には窓の外が見えないように、現実を確認してまいります」


「――――」

「それでも……っ、王女殿下はご自身で直接、現実を直視するのでございますか?」


 ヴィクトリアは自問する。

 自分はみんなの中で一番偉いというだけで、戦力的にも、精神的にも、別に強いというわけではない。むしろ最弱だ。


 こちらは王族だから、模擬戦をした時、相手は手加減してくれるだろうが……それを抜きにしたら、間違いなくヴィクトリアはシーリーンにさえ負ける。

 否、そもそも手加減できるということは、それ自体が彼我の実力差の乖離を意味しているのだ。恐らく、やはりシーリーンにも手加減されて終わりだろう。


 そして心の強さでも、ヴィクトリアは弱いというわけではないが、転生と死者蘇生を一度ずつ行って人間の一生に対する価値観が凄絶なロイや、特務十二星座部隊の面々はもちろん、命のやり取りを前提に七星団に入団している国民と比較したら、彼女は王族にも拘わらず、ごくごく普通の強度をしていた。

 正常な10代後半の、普通の女の子の、弱すぎるわけでもなければ、物怖じしない性格のおかげで多少は強いが、殺人に慣れているとかそういうレベルで強すぎるわけでもない、そんな精神。


 そして次に、ヴィクトリアは自答する。

 前回、ロイが死んで現実に打ちのめされた時、自分はレナードの手によって立ち上がった。


 なのに今度も、誰かに手を引っ張ってもらうのか?

 冗談ではない。同じところで足踏みすることは、決して進歩とは呼ばないのだから。


 ゆえに――、

 ――ヴィクトリアは覚悟を決める。


「………っ、大丈夫ですわ。道を、開けてくださいまし」


「――――、かしこまりました。出過ぎた真似をしたこと、どうか謝罪させてください」

「いえ、嬉しかったですわ。上と下の関係ではなく、時にはそれさえも壊せる絆、それを、なんていいますか、確かめられた気がしましたから」


「ですが王女殿下、わたくしとしてもすごく嬉しいですが、次の瞬間、目の前に広がるのは地獄でございます。では、往きますよ?」

「はい!」


 勢いよく、クリスティーナはカーテンを開けた。

 そこで魔獣のように、自我を喪失して、異形の左腕を振るい、闇属性の魔術で王都に破壊の限りを尽くしていたのは――、


「……っ、…………ッッ! やはり、ロイ様の悲鳴でしたのね!」


 信じられない、そんな言葉がヴィクトリアとクリスティーナの喉元まで出かかった。

 ロイの性格を少しでも知っていれば、彼が自分の住む街を破壊するような人間には思えない、という意味でも。そしてもう一つ、感覚的な話だが、以前のロイより、今の暴走状態の彼の方が、圧倒的に強くなっている、という意味でも。


 民家を壊し、街灯を歪め、地面を抉り、そしてその規模は決して小さくない。

 むしろ竜巻や数十回分の落雷、あるいはかなり強い地震さえ彷彿とさせて、今までのロイからは想定できない大きさの反逆だった。


 それを静かに、しかし内心激しく認めて、ヴィクトリアは窓の外に背を向けて、ドアの方に歩き始めた。


「王女殿下、どちらへ?」

「――対策を打ちますわ。恐らく、お父様もすでに動いているとは思いますが、お父様にはできない、わたくしなりのやり方で」


 苛立ち混じりに、ヴィクトリアは奥歯を強く軋ませる。

 確かに自分は武器を持てないし、魔術も使えない。だがそれは決して戦えない理由にも戦わない言い訳にもならない。


 好きな男の子が苦しんでいるのだ。親友たちが命を賭して戦っているのだ。

 だからこそ、ヴィクトリアは覚悟したのだ。王女だろうがなんだろうが、自分だって戦ってみせる、と。


「もう、守ってもらうだけはけっこうなんですの。わたくしだって、わたくしのなりのやり方で戦えますわ!」

「では、僭越ながらこのクリスティーナ・ブラウニー・リーゼンフェルト、王女殿下の影として尽力させていただく所存でございます」


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