3章3話 21時58分 エルヴィス、ゲハイムニスと殺し合う。(1)



「さて――相変わらず、アリシアはバケモノだな」


 本来敵であるはずのロイにチカラを与えて暴走させたあと。

 ゲハイムニスは見晴らしがいい大聖堂の屋根の上で、アリシア対死神の様子を観戦していた。


 もう先刻のように顔は歓喜に染まっていない。

 口元が緩むことも、目尻が下がることもなく、今はただ、やはり死人のような顔付きをしていた。瞳には光が差さっておらず、声音には抑揚がない。


「見付けたぞ、お前で相違ないな?」


 ふと、ゲハイムニスの背後から男性の声がかかった。

 老人のごとき白い髪、そして魔王軍の制服の裾を風に揺らしながら彼が振り向くと、そこには――、


「ハッ――そちらこそ、【獅子】のエルヴィスで相違ないか?」

「愚問だな」


 悠然とポケットに両手を突っ込み、嘲るようにゲハイムニスが問う。

 対して、すでに顕現させていた聖剣を月光に煌めかせ、エルヴィスは吐き捨てるように応えた。


「――ならばこちらも答えよう。それが戦場の作法、死闘に興じる者の礼節というモノだ。俺は魔王軍最上層部、純血遵守派閥、黒天蓋こくてんがいの序列第6位、【霧】のゲハイムニスで相違ない。で、どうする? 殺し合うか?」

「それも愚問だ。残念極まりないが、ここはもう戦場だろう?」


「俺としては遠慮願いたいところだ。多くの国民の命は計画に必要ないが、エルヴィス、お前の存在は俺の計画に必要なんだ」

「その都合、オレの知ったことではない……ッッ!」


 刹那、ゲハイムニスと同じく大聖堂の屋根の上に立っていたエルヴィス、彼の姿がその場から掻き消えると、まさに瞬動とも言うべき体術でゲハイムニスの背後に着地して、いざ尋常に、その場で聖剣、デュランダルを構えた。


 一撃目から疾風怒涛の全力であり、一撃目から狙うは一撃必殺の終戦だった。

 エルヴィスは敵兵とはいえ人を殺すのに微塵も躊躇いがない双眸をすると、少し息を吸って、吐いて、そして咆哮を轟かせる。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア…………ッッッ!!!!!」


 音速を超越えた切っ先が轟々と大気を唸らせながら、刹那にも満たない極限の刹那とも呼ぶべき、その人間の動体視力を呆気もなく凌駕するほんのわずかな時間のあと、今ここに、エルヴィスの聖剣がゲハイムニスの首に撃ち込まれた。

 瞬間、まるで軌道がなにかの事情で重なり、人間の身長はもちろん、古竜の体躯の何千何万倍も体積、重量がある惑星同士が激突したかのごとき、神域の衝撃音が王国全域に轟いた。


 普通なら首に撃ち込んだのに、余波で攻撃対象の全身が血煙と化すような一撃である。

 が、しかし――、


「どうした、傷ひとつ付いていないぞ?」


 ――多少吹き飛んだだけで、ゲハイムニスは空中で体勢を整え、特に疲れた様子もなく気軽に着地する。まるで、石に躓いたから体勢を戻したと、そう言わんばかりの気軽さで。

 表情が死滅していて察しづらいが、もはや若干の呆れさえ覚えていた可能性がある。


 対してエルヴィスは――――狼狽。

 開戦早々、彼の額には一筋の汗が滲んだ。


 敵の戦力を完璧に見誤った。

 どのような魔術、あるいはどのようなスキル、どれをどのように使い、いかなる条理で渾身の斬撃を無傷で終わらせたのか、今の彼に知る由はない。だがしかし、確信を持って彼が一驚するべきことといえば――、


「お前……ッッ! バケモノか!? 今のは戦略級聖剣術、星面波動を使う時とまったく同じ腕力で放った一撃だというのにィ……ッッ!」

「なるほど、知ってはいたが、実際に喰らうのは初めてだ。これが星面波動の威力か」


 戦略級聖剣術、星面波動――それは【獅子】のエルヴィスが持つ最強の剣技であり、本来ならばたった一撃で数千人の敵兵を埋葬させて、空から見下ろした大陸の表面を変化させ、惑星の寿命を豪快に削るような渾身の一撃必殺である。

 そう、前回の大規模戦闘でエルヴィス師団を勝利に導いたアレだった。


 普通に考えて理解不能、意味不明と言わざるを得ない。


 敵軍の実力者とはいえ、惑星の表面を変形させるほどの威力でも首を切断できない?

 控えめに言って、普通の人間なら現実を脳が処理できなくて、頭がおかしくなり廃人になること必至だ。エルヴィスでさえ、少し瞠目せざるを得ない。


 だが、歴戦の猛者である【獅子】は呼吸一つで冷静さを取り戻してみせる。

 続いて、敵の戦力を再定義した上で、なのに好戦的に睨み付けてみせた。怯えることもなく、臆することもなく、この程度、困難にも値しない、と、言外にそう伝えるように。


「まぁ、いい」

「ほぅ?」


「決して倒せないわけじゃないことはわかった」

「――――」


 流石に訝しむゲハイムニス。

 彼も軍事力を持つ組織の頂点の一人として、かなり観察眼には自信があったのだが、今、眼前のエルヴィスは己の発言にウソ偽りない本物の自信を持っている。本人が自覚しているように、わずかすら怯えても、臆してもいない。となると、彼の言葉は真に虚言ではないのだろう。


 ゆえに、ゲハイムニスが(だからこそ、お前は俺の計画に必要なのだ)と、内心、嗤ってしまったその瞬間だった。

 彼の身体が「……ッッ!?」と、1mmも動かなくなってしまったのは。


「馬鹿め、エルヴィスは囮だ」

「――今度は【人馬】のフィルか」

「残念だったな。殺すことと束縛することは同義ではない。このまま、お前には拷問を受けてもらう」


 すると、ゲハイムニスは静かに瞑目する。

 だがそこには諦観の気配など微塵もない。

 そして開眼すると、彼は児戯に等しいと言わんばかりに嘲った。


「わずかに息苦しいな。なるほど、【絶対領域のヘルシャフト・支配者がゆえにフォン・支配的錬成】ヘルシャフト――つまり一定領域内の流体操作を可能とする錬金術を使ったのか」


「お前……、いったいどこで私の錬金術を……」

「おおかた、大気中に存在する砂や埃、それを【絶対領域の支配者がゆえに支配的錬成】によって操作可能となった気体で固定したか。体積の小ささや重量の軽さは関係ない。空間に存在する数千や数万など下らない数多くの点が、ただ動かなければ、それだけで俺はどの方向になにを動かそうとしても、その障害物に当たってしまうのだから。そして、領域内全てが同一の条件下だとすると、自分の機動力の激減を恐れて、術者本人は領域の外、と」


「率直な感想として、見事な洞察力だ。それで、そのあとはどうする?」

「自明だろう。この領域を飽和状態にして破裂させる」


 刹那、どこからともなく【魔術大砲】ヘクセレイ・カノーナが飛来する。

 速度は蒸気機関車に匹敵して、規模と形状は半径10mにも及ぶ球体。それを、エルヴィス本人、フィル本人、そしてゲハイムニスの少しに隣に合計3つ着弾させるつもりだったのだろう。


 エルヴィスは聖剣を横一線に振り払い、まさに塵芥を片付けるようにそれを斬り、フィルは【人体錬成メンシュアルヒミー零式】ヌルトで無事にそれを回避した…………のだが、実はすでに、ゲハイムニスの一手は終了していた。

 おのが失態に気付いたフィルは着地と同時に、エルヴィスに強く警告する。


「すまない! 恐らく、ヤツは君の背後だ!」

「なっ!?」


 警告とほぼ同時、エルヴィスは振り向きざまに相当な腕力で聖剣を撃ち込むと、やはりそれとほぼ同時に甲高い金属音が鳴り響き、あたり一帯にその衝撃波が当たり散らされた。

 そして、敵の姿を見て、あのエルヴィスでさえ生唾を呑む。


「お前、聖剣を相手に手刀で火花を散らせるって、どういうことだ……っ!?」

「――フィルは自分の失態にすぐに気付くだろうから、警告される前にエルヴィスを無力化しようとしたが、流石にそこまで甘くない、というわけか。ハッ、流石は特務十二星座部隊だ」


 心底賞賛するゲハイムニス。

 それを隙と断定して、エルヴィスはおのが大木のような剛脚に、火山の噴火が起きても揺るがぬほど踏ん張りを利かせ、同時、岩石のような剛腕に、大陸を割る気概の万力を込め、ゲハイムニスの手刀を豪快に弾いた。瞬間、再度火花は煌々と花弁のように散って、衝撃によって暴風が荒れ狂う。


 ここまでして無表情の敵の最上層部の一員を睨み、いざ、エルヴィスは剣戟を挑む。

 対して、ゲハイムニスはやはり感情が死滅したような表情で、エルヴィスの死闘に一時的とはいえ付き合うことを決めた。


 互いに音速に迫るほどの斬撃を撃ち放ち続ける2人。

 片や伝説の聖剣、片や厳密には剣でもなんでもない2つの手刀。

 殺人なんて至極簡単な本物の刃を交わす回数は、実に1秒間に10回を超えていた。


「フィルの失態だと!?」


「簡単なことだ。フィルは以前、【魔術大砲】ではなく【魔弾】ヘクセレイ・クーゲルを使ってだが、ツァールトクヴェレの森で、ロイに同じ方法で【絶対領域の支配者がゆえに支配的錬成】を破裂させられているんだよ。簡単に言うと、100しか入らない風船に101の水を溜めたらどうなるか、って話だ」


「…………っ、初見でそこまでの理解を……ッッ!」


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