2章12話 21時45分 ロイ、チカラを与えられる。(3)



「…………ッッ! ハッキリ言って、ボクたち王国側は、あなたたち魔王軍の目的をほとんど看破できていない。だが、その世界の秩序を乱すヤツらに、そんなことを言われたくもない!」


 余程許せない言葉だったのだろう。

 本来は殺し合うはずの敵同士ということを考慮してもなお、自分でもありえないと思うほどの憤りを胸に、ロイはゲハイムニスを睨み声を荒らげた。


「お前は今、シィたちが戦死したらどうだなんて訊いてきたけど……みんなを守り抜いた上で魔王を倒して、それで世界を平和にするのが理想のはずだし! 根本的に、お前らさえ戦争を起こさなかったらこんな仮定の話さえ成立しなかっただろ!」

「認識が甘いな。理想論で現実が変わるモノか。願っただけで理想が叶う現実なら、誰も苦労なんてしないというのに」


 ロイを相手に辟易としたのか、ゲハイムニスは深い溜息を吐く。

 それがロイの神経を逆撫でしたのは言うまでもない。


「お前にボクのなにがわかる!?」

「貴様の5人に対する愛がわかる。それもう、胸に迫るほどに、な。喜べよ。共感、理解、肯定、賛美してやる。貴様の5人に対する恋愛感情、そして家族愛は本物だ。最愛の人たちと世界自体、その2つを天秤に載せた時、世界の方に傾くだろうと察しているだけで、俺は決して、貴様のシーリーン、アリス、イヴ、マリア、ヴィクトリアに対する想いを偽物だと断じているわけではない」


「なん……、だと……ッ」

「そして、愛は世界を救うとよく言うが、俺はその言葉に感銘を受けた身なのだよ。ゆえに、その救世の要素を5つも宿す貴様を時に羨ましく、時に妬ましく思うのも必然、必定、道理だろう? まことに、救世と、それに対しての現状の認識不足だけが至極残念だ」


 魔王軍の軍人が『愛は世界を救う』という言葉に感銘を受けた?

 ロイからすれば、冗談もほどほどにしてほしかった。こちらの戦力を何万人も殺してきて、現在進行形で王都に死神を放置している連中の1人が、愛による救世を欲するなど、矛盾、論理破綻もいいところである。


 正直、バカにされているようにしか思えない。

 しかし、ゲハイムニスの語る愛には、どこか敵であるロイでさえ反論を口に出せないような本気があった。


「――――嗚呼、残酷にして崇高な二者択一、端的に言えばジレンマだ。業と言っても差し支えないだろう。貴様は世界を愛している。ゆえに、シーリーン、アリス、イヴ、マリア、ヴィクトリアに対する愛は世界への愛を前に1段劣るか。あるいは5人を愛しているだけで、世界は5人を愛するためのフィールドだから守らざるを得ないだけか。中身、本質を大切にするか、器、形式を大切にするか。まぁ、どちらにせよ皮肉だな。愛を尊く思っているがゆえに、泣きたくなってくるよ。誰かを、なにかを愛するということは、また別の誰かを、なにかを比較的、相対的に愛さないことなんて」


「なにを言って……」


「なぁ、ロイ。もののついでだ。もう1つ質問に答えてほしい。貴様は愛が世界を救うと思うか?」


 すると、ゲハイムニスはロイに一歩近付く。そして、もう一歩、もう一歩。

 魔王軍の軍靴ぐんかが、カツ、カツ、と、石畳の地面を鳴らした。


「…………ッッ!?」


 流石にロイも戦略的撤退をしようとしたのだが、しかし、いつの間にか身体が動かなくなっている。

 そして、ついにゲハイムニスはロイの目の前に立って――、


「――――流石に抽象的過ぎただろうし、具体的に言おう。シャーリーと【土葬のサトゥルヌス】の死闘を見て実力不足を痛感しているところだろうが、あいつらのように強くなりたいか?」


 驚愕するロイ。なぜゲハイムニスがシャーリー対【土葬のサトゥルヌス】のことを知っているのか意味不明だった。あの殺し合いは時の流れが止まった世界で行われたことだというのに――。

 ゲハイムニスの口ぶりはどこからどう聞いても、あの戦闘を見ていたことをほのめかしている。


 ロイの眼、瞳孔には、もうゲハイムニスが不審者のようには映っていない。

 今、ロイの瞳には、ゲハイムニスが得体の知れないバケモノのようにしか映らなかった。


 だが、確かに、強くなりたい。それはウソ偽りなくロイという少年の願望――否――渇望であり、つまるところ本心であった。

 だからこそ、不思議なことに、ゲハイムニスの言葉には正体不明の甘美な響きがあったのだ。


「…………今は、戦争中だ。…………強くなれるのなら、それに越したことはない」

「あぁ――そう、だな。俺もそう思うし、それに、こちらにはこちらの都合、計画がある。俺としても、貴様には強くなってもらわないと困るところだったんだ。貴様には貴様の想いがあるように、俺には俺の悲願、成就すべき愛があるのだから」

「…………ッッッ!」


 言うと、ゲハイムニスの左手がロイの左腕を掴んだ。

 そう、前回の大規模戦闘で汚染されて、今なお、アリシアの包帯で闇が暴走しないようにしている例の左腕だ。


 次の刹那、ロイの左腕に抑え込まれていた闇がうごめき、ざわめき、暴走を開始した。

 もう、アリシアの包帯では制御が効かない。


「ガ……ッ! ァ、ア…………ッッ!?」

「率直に言って――今の貴様は弱い、弱すぎる。ゆえにチカラを授けてやろう。感動し、受け入れて、呑み込んで、チカラを手に入れた幸福で前が見えなくなるほどの涙を流すがいい」


 ゲハイムニスが言うと、さらにロイの中の闇が暴走を加速させる。

 服を脱がなくても自覚できる。今、この瞬間、ロイの全身には魔術的な意味を込めた紋様のような、色濃いあざが拡大していた。左腕から始まり、左肩、胸部、右腕と腹部、首と下半身、そして最後に顔面。


 眼球は血走り口元から血液を垂れ流して、全身から闇の魔力を噴出させた。

 一言で言うならば、己が身体に眠っていた闇の浸食。


「ァ……ッッ、アァ…………ッッッ!? ガ、ァ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッッッッッ!?」


 そして21時45分、ロイは暴走を開始する。

 自我は消滅した。闇により、彼の意思は剥奪された。


 騎士としての矜持、純血ではないとはいえ王族としての誇り、そして男としての意地を全て虚無に還して、ロイはゲハイムニスの左手を振り払うと、普段の彼からは想像もできない魔獣のような咆哮、雄叫びを上げて、高く、高く、高く跳躍し王都の夜に消えてしまった。


 そしてゲハイムニスがいずれやるべきだったことを今、無事終わらせて静かに瞑目すると――、


「 GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!! 」


 見ずともわかる。ロイが衝動に身を任せて破壊活動を開始したのだ。

 建造物が崩壊する轟音、ロイが生まれて初めて発動した闇属性の魔術の爆音。そして逃げ惑う人々の悲鳴。


 それを耳にしてゲハイムニスは――、


「――――安心しろ、ロイ。必ず上手くいく。いかせてみせる。ここまでは、俺の計算通りだ」


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