2章12話 21時18分 ロイ、事態が悪化する。(2)



「確か……ほら! 究極的には術式次第ではございますが、魔術防壁は固体攻撃を防ぐ一方、伝熱を防ぐことは難しいではございませんか! 結果、防壁内部を炙り焼きにするのが、ファラリスの雄牛でございます!」

「…………ッッ!」


「ご主人、様?」

「……ま、待ってよ…………」


「えっ?」

「待ってよ! ボクはこの世界にきて、絶対に! 一度も! ファラリスの雄牛という言葉を使ったことはない! 断言する! どこでその言葉を聞いたんだ!」


「ご、ご主人様!? い、痛いです!」


 鬼の形相でロイはクリスティーナの肩を両手で掴んだ。

 クリスティーナはロイがこんなにも苛立っているところを見たことがない。ゆえに少しだけ痛かったが、主人とはいえ肩の解放を求める前に自然と答えが口から零れた。


「…………ッッ、お嬢様、イヴ様でございます。ツァールトクヴェレでわたくしたちが魔王軍の刺客に襲われた時、イヴ様がこの言葉をお使いになられました……」


 確かにその第2部中編4章1話、ロイは別荘にいなかった。

 その時、ロイはガクトと殺し合っていたのだから。


「そんな……、なんでイヴが……」

「別荘に広範囲の炎属性の魔術を撃たれたのでございますが……その際、わたくしが全方位の魔術防壁を展開されたところ、このままだと、ファラリスの雄牛と一緒だよ、と」


 クリスティーナを解放してロイは、膝から崩れ落ちた。

 そんなロイに、クリスティーナは自らも膝を付き、優しく背中をさすってあげる。


「ご主人様……、その、ファラリスの雄牛とはなんなのですか?」


「…………なんてことはない、ただの処刑器具だよ」


「はぁ……」


 クリスティーナは意味がわからなかった。

 なぜただの処刑器具を口に出したところで、いつも常識的なロイが、ここまで狼狽するのか。


 確かに物騒な単語であまり上品ではないが、クリスティーナはただ、状況を的確に比喩表現するために、処刑器具ということを知らずにファラリスの雄牛という単語を使っただけなのに。

 しかし、ロイの次の一言が、彼本人だけではなく、クリスティーナにも混乱を引き寄せた。


「問題なのは、ファラリスの雄牛が処刑器具であることじゃない。そもそも、イヴがファラリスという人の名前と雄牛という単語を組み合わせた時、なにを意味するかを知っていることなんだ……っ」


「た、確かに、ご家族が処刑器具について詳しければ、少しイヤかもしれませんが……」


「違う!」


 大きな声を出して、ロイは勢いよく立ち上がった。

 そして未だ膝を付いているクリスティーナに向かって――、


「ファラリスの雄牛っていうのは! この世界には存在しないはずのモノなんだ!」


「は? …………、あっ! そ、それって、まさか……ッッ」


「ボクの前世にしか存在しない処刑器具、つまり、異世界知識なんだよ!」


 すると、ロイは慌てて自室の本棚に近寄る。そしてその中から辞典を取り出した。

 そしてそんな彼に触発されて、転びそうになりながらも、クリスティーナも本棚の前へ。


「たとえばエクスカリバー、その語源をクリスは知っている?」


 と、辞典をめくりながらロイは訊く。

 その指は強く震えていて、なかなかスムーズにページをめくることが叶わない。


「確か……鋼という意味の、今はもう廃れてしまいましたが、エクスカリバーが誕生したと語り継がれている地域の言語、でございますよね?」

「そう。で、ボクの前世でもエクスカリバーは存在していて、そっちも中世ラテン語で鋼という意味を持つカブリスという単語、その影響を多大に受けていたと伝わっていた」


「つまり?」

「ボクの前世のエクスカリバーと、今のボクが持っているエクスカリバーは別物だけど、どちらも鋼が語源ということ。言葉には互換性がある、ということ」


「互換性……でございますか」

「実際、ボクはもうノータイムで前世の言語をグーテランドの言語に翻訳できるようになったけど……本当は前世のエクスカリバーとこの世界のエクスカリバーは、発音が違うし。前世に限定したとしても、ボクが今持っているこれだって、日本語では『ホン』って言うけど、英語では『ブック』って言ったし」


「1つの事物に対する名称は数多くある。だから国や大陸、果ては世界が違っても翻訳、通訳することは可能、ということでございますね?」

「ただし……っ、それには例外がある」


「と、申しますと?」

「その事物が、キチンと特定の地域に存在していることだ。存在しないモノを翻訳することはできない。以前、馬車の中でゲームって単語を使っても、シィたちはチェスとかしか連想できなかったし……っ」


 その第3部承1章5話のことを思い出しつつ、そこで、ロイの辞書をめくる手が止まった。

 クリスティーナもその開かれたページを覗かせてもらうと――、


「…………ッッ、流石に予想通りだ。少なくともグーテランドに、ファラリスの雄牛という言葉は存在していない」


「そんな……っ、なんで……? エクスカリバーの場合、本当は発音が違っても、向こうの世界に酷似している聖剣が存在しているのでございますよね!?」

「クリスの言うとおり、ボクの前世と今の世界、その両方に鋼という概念があるから、2つの世界で、鋼という単語が語源となったエクスカリバーという名称の聖剣は存在する。でも……ッッ」


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