2章11話 21時18分 ロイ、事態が悪化する。(1)



 自分の家が火事になって絶望しない人間は恐らくほとんどいない。

 そして村長にとって村は我が家同然で、市長にとっての市もまた然り。ならば必然、王都が炎上して涙を流さない姫も、いるわけがなかった。


「ロイ様……っ、王都が! 王都がァァ!」

「ヴィキーッッ! 外を見ちゃダメだ!」


 ロイの自室にて、涙を流し、声を震わせて、なかば錯乱状態で、遊びにきていたヴィクトリアは窓から業火に侵される王都を見てしまった。


 見たモノが正しければ、炎上しているのは職人居住区画だ。

 そこには七星団の騎士のために剣を鍛えてくれた豪快に笑うドワーフのおじさんの工房がある。魔術師見習いの子どもたちのために、魔術を使いやすくなる杖を作っている面倒見がいいエルフのお姉さんの工房だってある。王族に高級な陶器を献上してくださった気さくな陶芸家の工房だってあったし、いつも真面目な機織はたおり職人の仕事場だってあった。


 まるで夕日が地上に落ちたかのような赤一色の光景。

 王都に住まう民草の生活は今、完膚なきまでに燃えていた。


 幸いにも星下王礼宮城まで火の手は回ってきていないが、それでも、泣くなという方が無理だった。落ち着けという方が無理だった。

 年齢は関係ない。王女であるヴィクトリアにとって、国民や彼らの生活は守るべきモノなのだから。自分の何不自由ない暮らしには、国を率いるという王族ゆえの責任があったのだから。


 ロイが強引に窓から引き剥がしたが……しかし、ヴィクトリアは彼が抱きしめていないと今にも再度、窓に近付いて状況を確認しようとして、自分から心に傷を負わせるような真似をしそうだった。

 むせび泣き、自分の腕から逃れようと暴れるヴィクトリアを抱きしめて、背中をさすりながら、一応、ロイも視線を少し動かして、窓の外を確認する。


 凄絶にして凄絶。

 熾烈にしてさらに熾烈。

 激越にして、重ねるように激越。


 誇張表現でもなく、比喩表現でもなく、ただの事実として、世界の終焉を見ているような感覚だった。

 間違いなく、どこからどう考えても、あそこで大量に人が燃えて死んでいる。


「ご主人様! 王女殿下! ご無事でございますか!?」


 ノックもなしに、取り乱した様子でクリスティーナが入室してくる。

 彼女にしては珍しく礼儀に欠ける入室だったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「クリス! 安眠の魔術をヴィキーに!」

「えっ!? えっ!?」


「イヤですわ! えぐっ、ひぐっ、イヤですわ!」

「早く!」


 いつも温厚な感じを全て捨てて、ロイは大声で自らのメイドに指示を飛ばす。

 それだけ、彼も彼でどうしようもない焦燥感に駆られているのだ。


 で、指示されたとおり、クリスティーナは周囲のことが一切見えておらず、自分の入室にも気付かなかった狂乱しているヴィクトリアに、安眠の魔術を施した。

 瞬間、まるで糸が切れた操り人形のようにヴィクトリアは意識を失ってしまう。


 そんな彼女をお姫様抱っこでベッドに運ぶと、ロイは改めて、窓の外に広がるカタストロフィに視線をやった。


 無論、この状況で『アレ』に目を向けないなんてありえない。

 クリスティーナも自分の主人と同様に、代名詞を使わないと絶望の度合いが大きすぎて、正しく現実を表現できないような『アレ』を視界に入れる。


「魔王軍の敵襲……でございますよね?」


 不安げにクリスティーナがロイに伺う。王女であるヴィクトリアほど錯乱していなかったが、彼女もまた、確実に人が死ぬ規模の敵襲を恐れていた。

 いや、恐れてはいるが、まともな会話が成立する程度には冷静さを保っている。そう見るべきか――と、ロイはクリスティーナについて、前向きに考えることにした。


「間違いなく敵襲だね……っ、炎の上に、死神が浮かんでいるし……っ」

「やはり、ご主人様の目から見ましても、あれは死神でございますか……」


 確かによくわからないが、死神との距離が上手く測れない。

 死神を目視すると、距離感が、脳みそがバグるような感覚がするのだ。


 だが、死神に対して遠近感が発動しないというだけで、火災については当然、普通と同じく遠近感が適応される。

 結果、死神が鎌を振るっている方向、そして死神の目線の先、それらを鑑みて、なんとか死神は炎の上にいる、という憶測が成立した。


「あっ、ご主人様! あれを!」

「あれは……魔術防壁!?」


 2人にはイヴが展開した防壁とはわからなかったが、それでも、その極光の層を確認できた。ロイの自室が星下王礼宮城の高い階にあり、見晴らしがよかったおかげである。

 それはともかく、その極光の層、あるいは膜は、確かに洗練されていて、目を見張るようなモノではあったが……しかし、どうにもこうにも至るところがヒビ割れている。砕け散ろうとしている。


「……っ、長くはもたない、よね?」

「そうでございますね……っ」


「あの魔術防壁はだいぶ高度なモノだけど、死神が起こしていると推測される炎の方が強力だ。いずれ破壊される。ボクのような新兵でも、見ただけでわかるレベルだし」


 ロイはまるで苦虫を噛み潰したような表情かお――否――苦虫を巣ごと咀嚼しているような表情かおで、思わず歯軋りしてしまう。

 続いて、苛立ち交じりに窓ガラスに拳を叩き付けてしまった。


 しかし――、

 ――ここまではまだ、ロイにとって幸いだった。多少とはいえ救いがあった。


 クリスティーナの次の発言で、ロイはこの惨劇さえも余裕で超越する混乱を知ることになる。

 即ち――、


「それもございますが……あのままではファラリスの雄牛でございますね」

「……………………は? ファラリスの、雄牛?」


 クリスティーナの方に振り返るロイ。そして彼はそのまま、彼女のことを凝視した。

 そしてこんな状況にも拘わらず、ロイは気が抜けて呆けたように、ファラリスの雄牛という言葉、2つの単語の組み合わせを復唱する。


 それが、それこそが、状況をさらなる混乱に導く言葉だった。

 しかし、クリスティーナはロイがその単語を呆気に取られたように復唱したので、ご存じではない言葉でございましたかね? と、勘違いしてしまう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る