4章5話 10時21分 シーリーン、心が壊れ、る……?(2)



 が、【魔弾】は真上にではなく、かなり遠く離れた地面に向かっていた。

 そこにはシーリーンが詠唱零砕した【光り瞬く白き円盾】が空間に固定されていて、結果、跳弾。さらに跳弾した先にも、やはり【光り瞬く白き円盾】が空間に固定されていて、再度、跳弾。それをさらに、最後に追加でもう1回繰り返す。


 これで最終的に、ジェレミアからすれば、シーリーンとはかなり離れた地点から、【魔弾】が射出されたように見えたはずだろう。

 どこかに隠れるなら、相手が油断してくれている今のうちだった。


「時間を稼いで、逃げなきゃ……っ! 今、ここにロイくんはいないから……、せめて、捕まらないようにしなきゃ……っ! でも…………ッッ」


 シーリーンは自分自身に言い聞かせる、まるで自分自身を洗脳するように。

 しかし、それをいったいいつまで続ける? と、自分自身に対する洗脳まがいの安心さえ、自分自身の理性がぶち壊してしまう始末だ。


 髪を振り乱すように、頭を抱えながら肉体強化を使って、凄まじい速さで山を登るシーリーン。

 ほんの3秒前まで遠くにあった木々や岩が、隕石のように轟々と迫力をみなぎらせて迫ってきて、自分のすぐ真横を勢いよく通りすぎると、以降は逆に、同じく隕石のように轟ッッ――と、離れていく。


 景色が刹那のうちに変わっていく様子は、まるで蒸気機関車に乗っているかのようだった。


 しかし残酷なことに、速さだけは魔術のおかげで目を見張るモノがあったが、正直、その姿は非常に無様だった。

 何回も転びそうになり、かなりの速度で移動しているのにまともに前を見ていないせいか、後ろばかり気にしているせいか、何度も木々に身体が当たりそうになって、直撃を免れても肩とかをぶつけまくる。


 そして一番致命的なのは、過度な不快感、緊張感に支配されて、混乱していまい、魔力のペース配分がグチャグチャになっていることだ。

 このままでは本来そこそこ長い時間発動できる肉体強化であっても、かなり早い段階で魔力切れを起こしてしまうだろう。


「きゃ……っ」


 ドサ――ッッ! と、重く低い擦れたような音を出し、山の斜面が急になり始めたあたりで、可愛らしい悲鳴を上げ、ついにシーリーンは本格的に転んでしまった。

 肉体強化を使えば誰でも簡単に速く走れる。だからこそ、普通に走るよりも圧倒的に精密な注意が必要なのに、いかなる理由であっても、それを怠った必然の結果だった。


 脚は先刻よりも強く激しく震え、ガチガチ音を鳴らす歯が噛み合わない。

 そして起き上がろうにも、ほんの少しずつしか腕、手に力が入らなかった。


 嗚呼、本当はわかっていた。

 変えたかっただけで、最初からわかっていた。


 自分はロイがいなければ、なにもできないことなんて。


 保健室登校の時、周りには頼りになるロイがいた。風紀に厳しいアリスがいた。

 怖いもの知らずでジェレミアにも立ち向かえたはずのイヴだっていたし、年上のマリアさえいたのだ。


 結局、だからだろう。

 だからあの時はジェレミアに対して、他人から見たら弱気ではあったが、1人の時の自分と比較したら、それなりになにかを物申せた。


 ロイがジェレミアの【魔弾】を喰らって自分のせいにされそうになった時、たとえオドオドしていても、「な、なにを……、だってジェレミアさんが魔術で……」と反論できたりとか――。


 ロイとジェレミアが決闘して、シーリーンやアリスたちがロイだけを応援していた時、なぜオレを応援しないのか、と、そう訊かれて、たとえ泣きそうになっていても、「勝ってほしい方を応援するんです!」と主張できたりとか――。


 シーリーンにとって、そもそも口答えできる状態は奇跡だった。

 そして残酷なことに奇跡とは常に、再現性がないモノのこと言う。


 ゆえに――、


(無理だよぉ……。変わりたいのにぃ、変わらなくちゃいけないのにぃ、~~~~ッッ、なんで変わらせてくれない相手がシィの前に立ちはだかるの!?)


 ステージの攻撃は観客席に流れない。

 観客席からはステージに飛び出られない。


 今はそんな安全が確約されている、互いに手出しができない決闘場のステージと観客席にいるわけではない。

 ここは紛うことなく戦場で、今は戦闘テストの最中で、つまり敵を容赦なく傷付ける血生臭い世界なのだ。


 ジェレミアはこの戦場を治外法権の領域と言ったが、少なくともその点に関して言えば、シーリーンよりも彼の方が正しかった。


 嗚呼……、


 メッキが剥がれる。

 付け焼刃の勇気が折れる。


 所詮、自分は周りに味方がいなければこの程度だった。


 まだ1回も魔術を撃ち合っていない。なのにギブアップ寸前。

 ロイと会ってから今までが特別だっただけで、これが本来のシーリーンなのだろう。


 ここ最近はロイと常に一緒だったから露呈しなかったが、それが災いしたか……。

 誰も、シーリーンの弱さに気付けなかった。


(でも……立ち向かうのも怖いけど、ジェレミア卿に犯されるのはもっと嫌……っ)


 殴られた。蹴られた。

 教科書にラクガキされた。靴を隠された。


 恐喝されて何回も財布の中身を空にされた。

 弁当を地面に捨てられて、それを食べるように命じられ、事実、それを食べたこともあった。


 それをロイに救われるまで我慢してきたが、しかし、今の自分には大好きな男の子がいるのだ。犯されるのだけは我慢できない。できるわけがない。

 そうやって気を確かにできた瞬間、ようやく手に力が入り初めて、シーリーンはゆっくり、なんとか立ち上がることができた。


 そして前を向いた。

 その時、上からだった――、


「とうっ」

「…………ッッっ!!?」


 上空から唐突に、跳躍してきたジェレミアが現れる。

 肉体を強化しているのだ。この程度はシーリーンだろうと造作もない。


 だが、とにかく、これでシーリーンはジェレミアに追い付かれてしまったことになる。

 着地するとジェレミアは気取った感じで振り返って、ついにこの刹那、因縁の2人は相対した。


「バカだねぇ! 索敵魔術があるんだ! 跳弾かなにかを利用した位置情報のフェイクなんて、簡単に看破できるに決まっているじゃないか! アヒィ! アッハハハハッハアハハ――ッッ!」


 ジェレミアは今、ほんの数秒とはいえ喋り、そして哄笑した。

 が、それに聞く耳さえ持たず、シーリーンは隙をいて即行で逃げようと、脚に力を入れて地を蹴った。


 速度を上げて山を下るのは危険?

 だが、それを理解していても、今の彼女にとっては目の前の絶望から逃げる方が大切だった。


 しかし――、


「おっと、【魔弾】」

「…………キャアアアアアアアアアアッッ! ~~~~ッッ! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……ッッッ!」


 耳を覆いたくなるような金切り声。

 太ももを撃たれ、シーリーンはそれを叫びながら転んでしまう。


 そしてその絶叫が山全体に残酷なほど木霊した。

 赤ちゃんのように白い肌に穴が空いて、そこから鮮やかな赤色がドプドプと零れ始める。


 否、血だけではない。

 シーリーンの瞳は絶望的に潤み、頬には豪雨のごとき涙が流れ続けて、顔は恐怖でクシャクシャに歪んでいた


 全身のガクガクとした強い震えを抑えられない。

 身体の一部に穴が空いたのだ。ヒーリングすればもとに戻るとはいえ、痛みまでなかったことにできるわけではない。ロイがおかしいだけで、シーリーンがどれだけなりなくても難しいだけで、これが至って普通な、健全な反応だった。


「いけないねぇ、他人ひとの話を最後まで聞かないなんて……。そんなんだから穴が増えるんだぞ? あっ、そうだ。穴が増えたんだ。キミぃ、なんで喜んでいないんだい?」

「えっぐ……、ひぅ……っ」


「どのように足掻こうと結局、これからキミはオレの奴隷になるんだ。抗ったとしても、この空間ならいくらでも脅迫のネタを作り放題。それはつまり、すでにオレはキミのご主人様ってことだろう? なら、ご主人様の言葉は最後の一言まできちんキチンと聞くこと。これがオレという主人――いや、神様からの最初の命令だ」

「…………うぅ、スンっ」


 恐怖で顔を歪ませながら、涙を流してジェレミアを見上げるシーリーン。

 ジェレミアは満足だった、〈終曲なき永遠の処女ハイリッヒ・メートヒェン・ベライッヒ〉なんて呼ばれる美少女が、自分の目の前で大泣きしながら転んでいることが。


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