4章3話 イヴ、そしてマリア
同時刻、イヴとマリアの寝室にて――、
「イヴちゃん……っ、もう、日の出ですからね? 少しでも寝ないと体力的にも精神的にも、その……、疲れが……。だから、ほんの数分でいいから寝ましょう? ねっ?」
「…………っん、すん……、そう言うんなら……グズ、わたしにかまってないで、お姉ちゃんも寝た方がいいと思うんだよ」
2人とも日の出の時刻までずっと起きていた。
東の彼方に顔を出し始めた朝日の光が窓から差し込んできて、イヴもマリアも、思わずその眩しさに一瞬だけ目を細める。
最愛の家族の死を聞いた翌朝とは思えないほど、信じられないほど清々しい朝だった。
そして、ロイが死んだのになぜここまで空は晴れ渡っているのか、と。天気が神様の心を表しているというのなら、なぜ神様はここまで清々しい気分になっているのか、と。
イヴもマリアも無駄なことに、天気にさえ苛立ちを覚えざるを得なかった。
「――、わたしは、まだ寝るわけにはいきませんからね――」
マリアは寂しそうに、小さくポツリとそう呟いた。
続いて、隣のベッドで体育座りをして、膝に頭をうずめているイヴを抱きしめるために移動して、事実、彼女は最愛の妹のことを抱きしめる。
女の子の中でも小さいイヴの身体は華奢で、ほんの少しでも強く抱きしめたら壊れてしまうんじゃないかと思うほど、身体も、そして雰囲気から伝わる心も脆い気がした。
そしてイヴがなにも言わないことを察すると、マリアは続ける。
「わたしは、まだ寝るわけにはいきません。弟くんが旅立った今、イヴちゃんを抱きしめてあげるのはわたしだけですからね」
「――――」
「弟くんの代わりになれないことぐらい、わかっています。それでも、わたしは弟を失った姉で、イヴちゃんは兄を失った妹。こういう時、妹を抱きしめてあげるのは、姉を置いて他にいませんから、ね」
「~~~~ッ」
マリアが言い終えると、イヴは自分に抱き付いていた姉の身体を、ベッドの上で器用にも身じろぎして、そして強く振り払う。
続いてそのまま、マリアのことをベッドに押し倒した。
イヴの流水のようにさらさらな黒の長髪が、マリアの顔の隣に落ちる。
だが、マリアはそのようなこと気にしない。他に気にするべきことがあったから。
即ち――、
「イヴちゃん――」
「…………ッ」
イヴの透明な涙がマリアの頬に落ちた。涙が落ちたその部分から、イヴの熱がマリアに伝わる。
だが、この一連のやり取りに驚いたのは、実の妹に押し倒され、熱を宿した雫を頬に落とされたマリアではなく、その彼女に優しく、愛おしそうに名前を呼ばれて、そして頬に手を添えられたイヴの方だった。
「お兄ちゃん、は……」
真正面からマリアに慈しまれるように見つめられながら、イヴはゆっくりと、語り始めようとした。花の蕾のような桜色の唇がわずかに開き、しかしどこか震えている。
そして、そんなどこか怖がっている感じに近い様子のイヴを、マリアは急かそうなんて思わない。ただ、彼女は自分の妹が言葉を紡ぎ始めるのを静かに待つだけだった。
「……お兄ちゃん、は、まだ生きているはず、なんだよ……!!」
「――――」
「……お兄ちゃんは……、必ず。帰ってくるはず……、なんだよ……、ッッ」
ポツ、ポツ、ポツ、と、繰り返した数を忘れるほど、マリアの頬にイヴの涙が落ちる。
簡単な話だ。たとえばアリスはロイの死を受け入れてはいないものの理解はしていて、そしてシーリーンに慰められた。
しかし、イヴはそもそもロイの死を理解していない。みんなが、世界が、自分にウソを吐いているとさえ思っているだろう。だからアリスの場合はシーリーンに彼女を癒すことが求められたが、イヴの場合、マリアに求められることは癒しではない。
それは厳しさだった。
たとえつらい現実でも、イヴに兄は死んだと理解させる厳しさが、今、マリアには求められていて、事実、彼女本人もそれを理解していた。
だから――、
「イヴちゃんッ、ゆっくりでいい……っ! 少しずつでいい……っ! だから、いつか現実と向き合ってくださいね……ッッ!」
「なに言ってるの、お姉ちゃん……?」
涙を流しながら、マリアの発言に下唇を強く噛むイヴ。
そんな妹のことを、マリアは抱きしめるようにしてベッドに倒れている自分の方に引き寄せた。
そしてマリアは心の中で自分のことをなじる。罵る。悪く言う。
仮に本当に、イヴに正体不明の神様の加護らしきモノが宿っていても、まだ彼女は11歳だ。死という概念を理解しているだろうが、まだ、家族が死んだ時の気持ちの整理の仕方を感覚的に知っているとは到底思えない。
(そんなイヴちゃんに対して、わたしはなんで、他に言い方が思い付かなかったんですかねぇ……ッッ!)
自己嫌悪の念に心のスペースの全てを支配されるマリア。
そして再度、自分の弱さから目を背けるように、イヴのことを強く、強く、孤独を埋めるほどの体温を求めるように抱きしめた。
「お姉ちゃん……、お兄ちゃんはすぐに、また、帰ってくるよね……?」
寂しそうにイヴが訊く。
これに対する完璧な答えなんて上等なものが、もし、世界のどこかに存在するなら、マリアは今すぐ、自分のところに持ってきてほしかった。
イヴの無垢な質問が、心に鋭い痛みを走らせる。
彼女の純粋な願いを否定する言葉を口にすると思うと、心に重い罪悪感がのしかかる。だが、それが自分まで現実逃避する理由にはならない。
ゆえにマリアはイヴを抱きしめながら――、
「……っ、イヴちゃん……、弟くんは、っ、死んだんです……っ」
「っ、ウソだよ」
「本当です……っ、ウソじゃないですからね……っ」
「――なら、なら、っっ、なんでお姉ちゃんは、わたしよりも自分に言い聞かせるように言うの?」
ハッ、と、するマリア。イヴよりも自分に言い聞かせている? そう指摘されたことにより、マリアの中に、言葉にできなくてもどかしいナニカが芽生える。
だが、たとえそのナニカの正体がわからなくても、それから導かれる事実だけは、マリア本人はもちろん、イヴにだってわかっていた。
「100歩譲ってお兄ちゃんがいなくなったとして……っ、わたしよりも自分に言い聞かせているってことは……っ、わたしと同じぐらい! お姉ちゃんもお兄ちゃんがいなくなっていない、って本心は思っているんだと思うよ……っ?」
「…………っ」
すかさず反論するべきだった。
だが、マリアはそのように思っただけで反論できなかった。図星を、それも、イヴに図星を指されたのだから当たり前だろう。
そしてそれを自覚するとそれがキッカケと言わんばかりに、マリアはどんどん自分でも気付けるようになった、自覚できるようになった、広がりを見せる自分の本当の感情を知る。
自分はイヴと同じだ。いや、姉だからという理由で強がっている以上、表層と心のギャップはイヴよりも酷い。
いわゆる本当の自分というモノに対して、大人ぶっていただけ。冷静ぶっていただけ。物分かりがいい年上を演じていただけ。頭がいい理知的な姉、あるいは先輩を装っていただけ。
だが――、
――嗚呼、もうマリアは理解した。してしまった。昨日の昼から今まで自分を騙していただけで、その実、本当は自分もロイの死をウソだと思っているということに。
大人ぶっていた分、今、自分を幼稚だと思い、
冷静ぶっていた分、今、自分をダサく思い、
物分かりがいいと見せていた分、今、自分を愚鈍と思い、
理知的なお姉さんと演じていた分、今、自分を感情的と思い、
今まで演じていた自分の全てがブーメランみたいに返ってきても――、
しかし、マリアは自分の腕の中で涙を零すイヴを見て――、
(でも、ッッ、それでも! わたしはわたしにウソを吐くことをやめない……ッ!)
覚悟すると、マリアはゆっくりと、イヴの身体ごとベッドから上体を起こした。兄、あるいは弟を失った妹と姉は、朝日の光が窓から差し込むベッドの上で、真剣に見つめ合う。
そして数秒だけ静寂が2人の間を支配すると、それを破るようにマリアは喋り始めた。
「~~~~ッ、イヴちゃん……、わたしは……っ、わたしは……っ、弟くんが帰ってくるなんて、…………ッ、絶対に言いませんからね……ッ?」
「お姉ちゃん…………」
流石に、ロイの死を認められていないイヴでも、自分の姉がよほどの覚悟で今の発言をしたことぐらい理解した。
つまるところの自己犠牲。たとえ自分にウソを吐いてでも、自分自身、心のどこかの無意識でロイが帰ってくることを望んでいても、しかし、イヴの前では大人っぽくって、冷静で、物分かりが良くて、理知的な雰囲気の、『理想のお姉ちゃん』であることに努める。
それを心の中で確認すると、思わず、マリアは自嘲気味に口元を緩めた。
現実問題、マリアはそこまで大人びているわけではないし、冷静というわけでもないし、物分かりは悪くはないが普通だし、理知的とは少しとはいえ違う。
なのになぜそのようなお姉ちゃんでいることを努めようと思ったのかというと、結局、イヴではなく、自分が自分に課している、望んでいる理想のお姉ちゃん像がそういう感じだからだ。
妹の前では、きちんとした姉でいたい。
それも、イヴに求められたからではなく、自分でそうありたいと思ったから。
せめて、ロイが、最愛の弟くんが、天国からイヴを見て、ボクが面倒を見なくても大丈夫。姉さんがいるから安心。と、心から安らげるように。
だからマリアは――、
――今日、イヴが生まれてから一番、彼女に厳しい現実を突き付けたのかもしれなかった。
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