4章2話 シーリーン、そしてアリス
同日の夜、シーリーンとアリスは同じベッドの中で、手を繋いで寝転がっていた。
とはいえ、ベッドに入っていると言っても互いに寝られるような心境ではなかった。
ロイが徴兵された翌日から、この部屋と、この部屋のベッドはシーリーンとアリスで使っていたわけだが、今夜ほど2人が寂しさを覚えた夜はない。
シーリーンはアリスと、アリスはシーリーンと、手を繋いでなければ互いに自分がどこかへ行ってしまいそうだった。
たとえば雪の降る森の奥、たとえば王国の領土内とはいえ夜の街の路地裏、そういう感じで自暴自棄になりそうな時に云ってはならない場所に。
だから――2人ともこの手を放すわけにはいかなかった。
酷い話だと自覚していたが、相手に自分を見張ってもらう必要があったのだ。
「ねぇ、シィ」
「なに、アリス?」
「なんで……っ、ロイは帰ってこないのかなぁ……」
意外にも、2人きりになって先に弱音を漏らしたのはアリスの方だった。
いや、もう今では意外でもなんでもないのだろう。アリスは確かにシーリーンより戦闘は強いが、心の強さではシーリーンより弱い。ジェレミアにイジメられていた時、シーリーンはアリスに守られているだけだったのに、いつの間にか、心の強さが逆転していたのである。
そんな今にも心が壊れそうなアリスに、シーリーンは優しく言った。
恋のライバルだとしても、自分たちは親友だったのだから。
「ロイくんは……帰りたくても帰れないだけだよ」
「ふざけないでよ……、帰りたいなら帰ってくればいいじゃない……ッ」
シーリーンと繋がっている手とは逆の方の腕で、アリスは目元を隠した。
が、それでも、枕に落ちる水滴は止まることを知らない。
自分の涙声を聞きつけたら、ロイは戻ってきてくれるのだろうか。
そんな無意味で情けないことを思い、恥も外聞もなく、アリスは涙声特有のぐずった感じを抑えようとは思わなかった。
「――帰るべき場所はここにある。――でもね? 帰るための道がロイくんには用意されていないの」
「~~~~…………ッッ」
声にならない声を呟き、音になりそこなった音を漏らすアリス。続いて、彼女はシーリーンの手を握る手にさらに強い力を込めた。
まるでシーリーンに、自分にはまだこれだけ力を込められる元気があると強がっているように。
いや、本当は強がりでさえなかった。
アリスは力を込めることで自分には余力があると、元気があると他ならぬ自分自身にそう言い聞かせようとしたのだろう。
しかしシーリーンは(寂しいんだね――)と、たとえ少し痛くても、手のひらにある2人分の温もりを1人分にしようとは思わなかった。
アリスの手を、売り解こうとは思わなかった。
「グズ……えぐ……、シィ、は……、……、なんでそんなに……心が強いのよ……?」
「――――」
「ロイが……死んだのに……、もう、ロイとは……、喋れないのに……。うぅ……、っ」
普段の凛としているアリスはどこかに消えて、今、シーリーンの目の前にいるのはただの迷子だった。
ロイと自分でも知らないうちに決定的に離れてしまい、事後報告で君は迷子なんだと突き付けられたようなもので、その上、再会が叶う道理はどこにもない。そんなアリスを、シーリーンは一度手をほどいて、優しく抱きしめてあげた。
「シィの心が強いのは、強い心を教えてもらったからだよ」
「……ッ、ヒック、だ、誰に?」
「他ならぬ、ロイくんに」
言うと、シーリーンはアリスの目の周りを隠す腕をどかして、彼女の泣き顔に微笑んだ。
しかし、その微笑みを構成する目じりにも、アリスと同じように、また、わずかとはいえ涙が浮かんでいた。
「知っていると思うけど、今日の昼間、シィはたくさん泣いたよ? きっと、アリスよりもわんわん泣いたと思う。でもね? シィは泣いている途中に、ロイくんとジェレミアの決闘を思い出したんだ」
「…………ぐす」
「――もしかしたら、あの時、ロイくんが戦っている最中に思っていたことと、今、シィが言おうとしていることは、違うのかもしれない。けど、シィはあの戦いを思い出して思ったの。誰かのために戦うことが、心の強さなんじゃないか、って」
「シィ――」
「本当に死んじゃうまで頑張ったロイくんの戦いと比べたら、あまりにも小さい戦いかもしれない。けど、シィは今、アリスのために、泣きたい泣きたい、って、心の中でわがままを言っている自分の弱さと戦うよ。だからね、アリス? シィが泣いちゃう前に、いっぱいシィに泣き付いていいんだよ? シィが泣き始めたら、互いに互いを慰められる状況じゃなくなっちゃうし、ねっ」
目じりに涙を浮かばせながら、シーリーンは少しおちゃらけて言ってみせた。
もしかしたら、ロイを抜かしてシーリーン、アリス、イヴ、マリアの中で、それとおまけでレナードの中で、一番成長したのは彼女かもしれなかった。
ほんの数ヶ月前まではイジメの対象だったのに、いつの間にか、傷付いた誰かを癒せるぐらいにまで、彼女の心は変わっている。
それも、これも、きっと――、
(全部、ロイくんのおかげなんだよね――)
そうして、シーリーンの頭によぎるのは、ロイと過ごしたこの数ヶ月間のことだった。そして彼女は(ロイくんも、最期にシィたちのことを、心に浮かべてくれたよね――?)と、本人以外に答えを知らないことを切なく願う。
一方で、アリスは――、
「シィ……っ」
「うん、うん、なぁに?」
「私……っ、なにも成長していない……っ」
「そんなことないよ、アリス。アリスは、きちんと前に進んでいる」
「…………ッッ、そんなことないわけない……っ! シィはロイとジェレミアの決闘を見て、確かにッ、ロイから教えてもらったことがあるのに! 私はロイとお父様の決闘を見て、でもッ、政略結婚しなくてよかった、って。ロイと結ばれて嬉しい、って。その程度の頭お花畑なことしか思えなかった! ~~~~ッ、それを! よりにもよってロイの死を知ったあとに自覚した! こんなの……ロイに対して恥ずかしすぎる! 顔向けできない!」
「そうだね――、でも、アリス――、大丈夫だから――、大丈夫、だから――」
シーリーンは優しくアリスの頭を撫でてあげた。
そんな彼女に抱きしめられて、アリスはみっともなく涙を流し、情けなく嗚咽を漏らし、カッコ悪く顔を悲しみで歪ませる。
だが、みっともなさも、情けなさも、カッコ悪さも、その全てをバカにする誰かなんて、シーリーンとアリス、2人だけの空間にはいるはずもなかった。
2人だけの世界。その中で唯一の自分以外の存在であるシーリーン、彼女はただ、アリスのことを、自分のことを、癒してくれる。
「――――ッ、ロイは確かに、この世界に自分が生きた爪痕を残せた。それは、シィの成長っていうのが、最たる例だと思う……っ! でも! ――っ、私が成長していないっていうのなら! ロイのこの世界に生きた爪痕を減らしてしまったということだと思うのよ! それも! ロイ本人じゃなくて、私の落ち度で!」
「――――アリス」
「私……っ、私……っ、ロイの前世のことを知っていたのに! 他ならぬロイ自身から、教えてもらっていたのに! なのに、なのにぃ……、ただの私の思い込みかもしれないけど……っ、ロイは知らないと思うけど……っ、私ッ、ロイの生きた証に泥を塗った!」
「――――」
もう、シーリーンは言葉を使わなかった。
今アリスに必要なのは言葉ではない。ただの純粋な優しさで、それ以上でも以下でもない。
ゆえに、シーリーンはベッドの中でアリスを抱きしめる。
せめてロイの代わりになればいいなと思って。
「えぐ……っ、ひ、っく……っ、わ、私だって自覚している! 普通はこういう時! もっと……グズ……もっと別な理由で悲しむっていうことぐらい! ぐす……、スン……、す、っ、好きな人が死んだんだから、んっ、えぐ……、もっと単純に好きな人の死を悲しむべきだ、って!」
「――――」
「ひっく……っ、ひっ、く……っ、でも――ロイの生きた証に泥を塗ったなんて……っ、ロイにとっては侮辱だと思うから! 他の人は違うとしても、ロイにとっては――っ、ロイだけにとっては――っ、酷いことをしちゃった! ロイはなによりも、前世のこともあるから、生きた証を残すために努力していたのに!」
「――――」
「もっとちゃんと成長するべきだった! ロイとお父様の決闘を見て、誰かのために立ち上がれる心の強さを知るべきだった! そうすれば……ッ、そうすれば……ッ」
結局、アリスの言いたいことは次の発言に要約できる。
ロイの生きた証に泥を塗った、とか。それがロイにとっての侮辱、とか。ロイの前世を踏まえたら、彼にとっては自分の生きた爪痕を残すことが大切、とか。
それらはきっと、アリスの本心であることには変わりないが、それでもどこか理知的な本心だ。
ならば、アリスの理知的ではない剥き出しの本心がどのように想っているのかというと――、
「――――っ、後悔なんて、しなかったのに!」
「――――」
「後悔しないために、私も彼の後を追って七星団に入るって決断が、絶対にできたはずなのに!」
それから、アリスは明け方までずっとシーリーンの胸の中で泣きじゃくり続けた。
そして泣き疲れるとついに寝息を立て始めてしまい、一方で、シーリーンは――、
「ロイくん――、アリスの前では強がったけど、自分の弱さと戦い続けたけど、もう、泣いてもいいよね――?」
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