4章1話 別荘、そして少年の帰りを待つ少女たち



 1週間後――、

 ロイの別荘にリビングにて――、


「ロイくん……、そろそろ帰ってくる、よね?」


 と、シーリーンがソファの上で体育座りをしながら、ポツリと寂しく呟いた。

 大規模戦闘の予定日時はそれに参加する騎士、あるいは魔術師の家族には予め通達されていた。無論、ロイの場合はイヴとマリアにも。


 そして2人はここに集まったロイのことを好いている女の子たちなら伝えても大丈夫、ということで、実際に伝えることにしたのだが……、

 ……もう、その予定日から1週間も過ぎていた。


「帰ってくるわよ、絶対に。ここにいる全員と、ロイは約束したんだから……っ」


 アリスはソファに座り、抱えた膝に頭をうずめている隣のシーリーンの髪を優しく撫でながら、たとえ自分も彼女と同じぐらい不安でも、言い聞かせるようにそう呟く。

 だが、そのようにアリスがここの雰囲気を明るくしようとしても、イヴはショボン……としているし、マリアはずっと窓の外を見ているし、リタはこの間からほとんど喋らないし、ティナに至っては目で見てわかるほど不安で寝不足らしかった。そんな彼女たちに、メイドたるクリスティーナは心が落ち着く紅茶を淹れてあげることしか最近はできていない。


 数分後、ティーカップに紅茶を淹れ終えると、クリスティーナはそれを配給する。

 まずは自分の主人であるイヴとマリアに配り、その次にロイの恋人であるシーリーンとアリス、最後にリタとティナという順番で。


「ありがとうございます、クリスさん」


 アリスは礼を述べたあとに紅茶に口を付けるも、正直、味なんてなにもわからなかった。

 いや、味は確かにあったが、かなり美味しいはずなのに、それが心底どうでもいいと思えてしまった。


「み、っ、みなさま、差し出がましいことでございますが、折角のクリスティーナお手製のお紅茶が冷めてしまいますよ? とっても上手く淹れることができましたので、ぜひぜひ、温かいうちにご賞味くださいませ……っ」


 努めて明るく言うクリスティーナ。親しみやすく、朗らかに、そして作り物とはいえ笑顔で。しかし、その声はどこか震えていた。

 アリス以外、シーリーンもイヴも、リタとティナも無反応だった。これではマズイと察し、遅ればせながらも、マリアが紅茶に一口、口を付けた。


「――本当に美味しいですね。イヴちゃんも飲んでみたらどうですか? とっても美味しいですよ?」

「……、……うん」


 魔王軍の手先との戦いでは凄まじい魔術の技量を魅せたイヴだったが、今ではこうして『アレ』が鳴りを潜めている。むしろ、今のイヴはあの時のイヴとは性格が正反対の別人と、そう言われても信じられるほど、どこか弱々しい感じだった。

 現に、うんと口にしても紅茶を飲む気配はない。


 と、その時だった。


 コン、コン、コン、と。

 ドアを繰り返し3回ノックする音が別荘に響く。そしてそこに集まっていた全員が、一斉に顔を上げた。


 来客に応じるのはメイドたるクリスティーナの役目のはずだったが、今に限って言えば全員でドアに駆け寄り、その中でも一番急くような感じのシーリーンがドアを開ける。

 が――、


「ロイく……、っ」

「――――」


 シーリーンがロイの名前を呼びかけるも、そこにいたのはロイではなく、七星団の制服を身にまとっている伝令兵と思しき男性だった。

 ゆっくり、静かに、しかし確実に、イヤな予感というものがその場に浸透していく。


 シーリーンは怯えるような顔をして伝令兵を見上げて、翻りアリスは真剣さで人を傷付けられそうなほど鋭い目をしている。リタは不機嫌そうに無口なままで、ティナはそんなリタの背中に隠れていた。そしてクリスティーナは全力で平然を装って、成り行きを見守ろうとする。

 そんな健気な女の子たちを見やって、正直、心苦しかったが、七星団の男性はついに口を開いた。


「初めまして、私は七星団の一員の者です。ロイ・モルゲンロート様の姉君であらせられる、マリア・モルゲンロート様、並びに妹君であらせられるイヴ・モルゲンロート様はどなたでありますでしょうか?」


「わたし、だよ……」

「わたしがマリアです」


 7人の中で一番前に立っていたシーリーンとアリスが身体を譲ると、イヴとマリアが不安そうに男性の前に立つ。

 流石は最年長ということで、マリアはしっかりとイヴの手を握ってあげ、みんなを代表して彼に視線で要件を語ることを促した。


「――――ご愁傷様です。ロイ・モルゲンロート様は此度の戦争で殉死いたしました。葬儀の予定はこちらの便箋の中に入れておきました」

「えっ……?」


 と、シーリーンの呆けたような声が静かに響く。

 それを言われた瞬間、シーリーンはもちろん、他の6人もなにを言われたのか、まるで理解することができなかった。


 耳は正常に動いていて、きちんと音を拾っている。

 しかし、耳は正常でも頭が現実を受け入れることを拒み、七星団の彼の発言に、どうにもこうにもリアリティが一切帯びない。7人、全員が全員、少なからずそのような状態に陥ってしまっていた。


 対して、七星団の彼は苦渋を表情に呈しながら、断腸の思いで言葉を続ける。



「…………っっ、お気持ちはお察しいたします。しかし……ロイ・モルゲンロート様は此度の大規模戦闘におかれまして、魔王軍の幹部の1人を討つことに成功しました。これは本当に素晴らしいことで…………ッッ」

「~~~~っ、帰って、よ……」


 本気でその男性はロイの死をいたんでいた。そのことは声音の端々から察して余りある。恐らく、ロイの方が年下でも、彼はロイのことを尊敬していた可能性さえある。

 その上、魔王軍の幹部を討ったことは彼の言うとおり、勲章をもらえるぐらい本当に素晴らしいことだった。その事実を伝え、彼はロイのことを好いている女の子たちに必死に慰めの言葉をかけようと試みる。


 しかし、イヴは八つ当たりとわかっていても、この人は悪くないと理解していても――、


「ッッ、帰って、って言ってるんだよ!」


 ――と、あまりにも悲痛で、普通ならば耳にもしたくないほどヒステリックな声を上げる。


「…………わかりました。この度は本当にご愁傷様でした。失礼いたします」


 流石に、今のイヴの対応は年相応ではあったものの、七星団の彼には理不尽すぎた。

 しかし、そのようなイヴの失礼をシーリーンやアリスはもちろん、姉であるマリアでさえ咎めることができない。みな一様に、イヴのように言葉にしなかっただけで、彼女と似たような心境だったのだから。


 七星団の彼だって、理不尽なことを言われた自覚はあったが、わざわざそれに不快感を示すようなことはない。

 そして、七星団の男性が便箋を近くにあった花瓶を置くための棚に置き、きびすを返して帰ってしまうと、その場は少しの間だけ静寂に包まれた。


 だがそれは当然、図書館のように心地よい静けさではない。深海のさらに深海さえ連想させるほど孤独を感じるような無音だった。

 特にシーリーンとアリスは結婚の約束さえした相手を失ったわけである。まさに半身を引き裂かれるような想いだった。


「この便箋――」


 ふと、クリスティーナは七星団の男性が置いていった便箋に手を伸ばす。

 イヴはもちろん、マリアだって家族の訃報を聞いた直後なのだ。まともにやり取りできる状態ではない。極めて失礼に値するが(お嬢様……、申し訳ございません……)と心の中で呟いて、彼女はその便箋を開けて中に入っていた手紙を読む。


(――葬式の日程と埋葬の日程、そして故人とはいえども勲章授与式のお知らせでございますか。これを今のお嬢様方に見せるのは、こくでございますね)


 すると、ひとまずクリスティーナはその手紙を便箋に戻し、自分のメイド服のポケットの中にしまう。

 つらいことしか書かれていなかった手紙だが、燃やすわけにもいかないし、かといって、みんなの目に見えるところに置いておくわけにもいかなかった。


 そして――、

 数十分後――、


 シーリーンは口元を手で押さえているも、嗚咽を漏らしながら床にへたり込んでしまっていた。七星団の男性が帰った時から、どこにも移動していない。

 一方で、アリスはロイのためになにもできなかった自分を心の中で酷く罵り、奥歯を軋ませて両手を爪が食い込んで流血するぐらい強く握る。


 イヴはわんわん大泣きして、そんな妹のことをマリアは目じりに雫を浮かばせながら、強く抱きしめてあげていた。

 リタは神妙な顔をして、ティナは自分の感情を整理できず階段を上って二階か三階に行ってしまっている。


 そして最後に、あまりにショックな出来事になにも感じていなかったが、数分の時が経ち、ようやく自分でも無意識で涙を流すクリスティーナ。

 冷静であることに努めていたが、それは結局、事実を聞くのと、それを理解するのにタイムラグがあっただけだ、と、彼女は心底思い知る。


 そう、数十分という時間をかけて、ここにいる全員がロイの死を理解した。

 だが、それは理解しただけであって、受け入れられたという意味では断じてなかった。


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