3章13話 回想、そして覚醒(1)
一応、心臓は動いている。だが、それが災いだった。
心臓は血管に血液を循環させるポンプだ。左腕を噛まれて、そこからグールの細菌が血液に混じった以上、心臓の鼓動により、細菌はロイの全身を巡り、刻々とその身体を蝕み始める。
「ガァ……ァ……」
全身に激痛が走る。
神経は身体中に張り巡らされた糸のようなものだが、その糸そのものが、まるで燃えるように、灼けるように、発熱している感じがした。
そう、神経が痛みを伝えるのではなく、神経そのものが痛い。
発狂も一周回れば、白けてしまい、要は正気に戻るも、狂気を一周した分の激痛が消える道理はない。ある意味では狂人に堕ちるよりも残酷なことに、ロイは正気のまま、発狂モノの激痛に身体を灼き続ける。
まるで体内で火災が起きているような激痛だった。
実際に火達磨になっているわけではないのに、兎にも角にも全身が燃えるように熱い。
『あの』ロイですら少しだけ、もう殺してほしいと、神に祈るぐらいである。
だがしかし――、
(ふざ……ッ、けるなァァ……ッッ!)
刹那、ロイは以前、シャーリーとした会話を思い出す。
◇ ◆ ◇ ◆
「最後――モルゲンロート様に大切なことを言い忘れそうになった」
「大切なこと?」
そして、ロイが服を着てシャーリーの自室からそろそろ出ようとすると、唐突にも背中越しに、シャーリーは真剣な口調で彼のことを少しだけ止める。
何気なくロイが振り返ると、シャーリーはまだ裸だったものの、心底悲しそうな声音で――、
「前提――今から伝えることは貴方様の戦いに対する覚悟、スタンスに始まり、剣を振り魔術を使うその全て、戦いの最中に頭に浮かべる全ての思考、そして戦場で生き残る可能性や、最終的には逆に死ぬ可能性にまで言及することになる」
「えっ――?」
「結論――貴方様は生き物として終わっている」
間違いなく、シャーリーはロイに向かってそう言った。意味不明でかなり失礼な発言だが、それはロイの耳に確かに残っているし、数秒だけ待つも、シャーリーが撤回しそうな雰囲気はない。
流石に言葉に詰まるロイ。しかし彼が反論するよりも早く――、
「確認――念のため訊いておくが、貴方様はエリザベス・キューブラー・ロスを存じていますか?」
「…………っ!? し、知っています。むしろ、ボクはシャーリーさんが彼女を知っていることに驚きです。本当にボクの前世を知ったんですね」
「説明――エリザベス・キューブラー・ロス。向こうの年号で、西暦1926年に生まれて、2004年に亡くなられた。世界的に有名な精神科医で、有名な学説『キューブラー・ロスモデル』という人間の死に関する考えを提唱した女性」
「……えぇ、ボクは病気で入院生活が長かったんで、本格的にではなく、あくまでも中学生が理解できる範囲でですけど、彼女の人間の死に対する考えを調べましたよ」
「復習――人間は医者か誰かに余命を宣告された場合、『否認・隔離』から始まり、次に『怒り』、続いて『取引』、そして『抑うつ』、最後に『受容』という、心理的な一連の流れを見せる傾向にある」
「――――」
「詳細――否認・隔離とは、自分が死ぬのはなにかの冗談だ、と、自分が死ぬことを疑ってしまう段階。怒りとは、なぜ自分が死ぬんだ! と、自分の人生が終わることに憤りを覚える段階。取引とは、一例として、なんとか死なないように神に祈る段階。要は相手が医者でも神様でも、カルト宗教でも悪徳業者でも、自分が死なないためなら本当になんでも対価にする段階。そして抑うつとは、死ぬことに絶望してなにもできなくなる状態。最期に受容とは――」
「――っ、最終的に自分が死ぬことを受け入れる段階」
いつもは温厚なロイも、流石にかなり嫌そうな
苛立ってはいないが苦しかったことを思い出してつらそうな目になり、シャーリーに言われるよりも前に、自分で続きを説明する。
「謝罪――イヤなことを思い出させてゴメンなさい。でも、この説明は必要なこと」
「いえ……それで、ボクが生き物として終わっている、って、どういう意味ですか?」
「確認――貴方様は一度死んでこの世界に転生したが、前世で死んでしまうより少し前の数日間、キューブラー・ロスモデルでいうところの受容の段階にありましたか? その感覚を自分でも覚えていますか?」
「…………えぇ、一応」
すると、シャーリーは可愛らしく小さな手を、女性らしい口元に添える。
そして得心がいったのか、ロイと真剣に視線を合わせて――、
「確信――キューブラー・ロスモデルが100%正しいというわけではないだろうが、少なくとも、ロイ・モルゲンロートの前世の死に際に、受容の傾向が見て取れたと仮定すると――」
「すると?」
「貴方様は受容状態のまま転生して、受容状態が治っていないまま、この世界で何回も戦っていることになる。それは本当に致命的」
「――――は?」
「自明――
ジェレミア・シェルツ・フォン・ベルクヴァインとの決闘を思い出してほしい。決闘だから、百歩譲って身体がボロボロになることは見逃すにしても、幻覚だろうと普通は繰り返される拷問、何十回にも及ぶ殺害と復活に耐えられるわけがない。
アリエル・エルフ・ル・ドーラ・ヴァレンシュタインとの決闘を思い出してほしい。常識的に考えて、敵の攻撃がくる! なにがくるかわかっているなら、たった一回、我慢すればいい! 我慢は事実上の攻撃無効化だ! なんて、どこも常識的ではない。
レナード・ローゼンヴェークとの昇進試験を思い出してほしい。本来なら、説明するまでもない当たり前のことだけど、なんとかして先輩の隙を作りたい! なら片腕を囮としてワザと斬り落とさせれば、一瞬とはいえ先輩は無防備になるはず! なんて、バカでも実行しない。
そしてやはり、本当に死にかけて私めが救出したガクトとの殺し合いを思い出してほしい。失明して? 身体の内部に魔術防壁を埋め込んで? 剣を持てないほど手を痺れさせて? 右足を挫いて? その十数秒後には魔術で左足を撃たれて? そして追い付かれ剣を向けられ? でも――最終的には勝利する? 確かにそれは生き残るために必死で、命を大切にした行動だが、精神的に人間であることを辞めている。人間は普通、そこまで追い詰められたら、それこそ受容する。
思い返せばわかること。貴方様の戦いには、心のどこかで自分が死ぬことを受け入れている節がある。事実と言えば間違いなく事実だけど、人はいつか必ず死ぬと完璧に受け入れている節がある。ローゼンヴェーク様は貴方様の戦い方を脳筋と評価したが、恐らく実際には人としての常識――いや――人だろうと動物としての本能が正しく作用していないだけ」
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