3章6話 シャーリー、そして現代知識(3)



「愉悦――向こうの世界では量子力学がかなり進んでいるようで羨ましい」


 ――言わずもがな、ロイの前世での記憶、その全てだ。

 特にロイが前世で量子力学を多少とはいえかじっていたのはシャーリーにとって僥倖ぎょうこうだった。神様からの贈り物とさえ思え、それを知った時、感動で身体が震えたほどである。


 そして、シャーリーは初めて使う魔術の手順を確認するために思い返す。

 今までの自分にはなかった発想だが、時間の流れには、馬車が道を走るように、過去から未来に進むのではなく、底が浅い川で立ち尽くして水が勝手に後方に流れていくように、未来が自分に向かってやってくる、という逆因果と呼ばれる考え方もあるらしい。


 また、x軸、y軸、z軸には対称性があるのに時間軸に対称性がない問題のことを、ロイの前世では不可逆性問題と言われていたが――、

 ――それに対して、シャーリーは魔術師として、タイムリープを何回か行ったことのある経験者として考える。


 観測による波束の収縮によって量子の状態が確定するのなら、時間の矢の向きもその時に決まるのではないか、と。

 要するに、マクロレベルで時間に可逆性がないことを訝しむことは、一度確定した量子の状態を訝しむことと同義ではないか、と。


 惜しい、本当に惜しい、と、シャーリーは嘆く。

 ロイが前世で死ぬ少し前、最後にこのことについて彼が調べた段階では、やはりまだまだ量子力学は研究途中の理論だった。


 だからシャーリーも――、

 完全に科学と魔術を組み合わせることは不可能だったが――、


「独白――モルゲンロート様。貴方様は正直なところ、現代知識で俺THUEEEEEEEEEEEEEE! が、したかったようですね。でも多少、時々それができたとしても、満足はできなかったでしょう。ゆえに――」


 シャーリーは笑う。

 そしてその身体から時属性の魔力を轟々と放ちながら告げるのだった。




「詠唱追憶! 【世界改変、来たれ私の望む未来】コム・ドゥ・ジィーヅァ・トーデストンデ!」




 瞬間、唐突にも戦闘の最中に大規模な地震が発生した。否、それは厳密には惑星のプレートが動いて発生した正常な地震ではない。

 まるで突拍子もなく、現実味もなく、世界、惑星、大陸、丁度よく真上で殺し合いが行われていた地面が、特に理由もなく崩壊、地割れを起こす。


 エルヴィスも先刻、地形を変えるほどの剣技を放ったが、シャーリーの新しい魔術はそれ以上に凄絶だった。


 空から見た星の表面を変える魔術は世界の終焉さえ連想させるほどの轟音を唸らせて、しかしそれで満足することはなく、刻々と敵に悉く、自分は死ぬんだ、という絶望と諦観を振り撒き続けた。


 敵を殺すのではない。敵軍を殺すのだ、と。一を葬るのではない。全を葬るのだ、と。全ては国王陛下に捧げる勝利のために、と。

 内心でそう呟き、シャーリーはたった一撃、一度の魔術で敵軍の9割を奈落の底へ落とすことに成功する。


 敵と味方が入り混じっている最前線だけ、自軍の騎士が巻き添えを喰らわないように、敵にとっての安全地帯にした。

 しかし見方を変えれば、それは最前線で戦っていた敵の退路を断ったのと同義だ。彼らにとっては絶望的なことに、後方が奈落と化した瞬間、、前方からはシャーリー師団の騎士たちが迫りくる。


「満足――貴方様の代わりに私めが実際にしてみた。確かに、記憶を覗いた時から興味はあったが、これはなかなかに清々しい。なろう系? という物を、私めも実際に読んでみたかった」


 シャーリーはもはや、この魔術で快感さえ覚えそうになる。

 だが、誰も指摘できる人はいなかったが、ここで褒めるべきは知識を持ち込んだロイではなく、彼の知識を戦争で実用化したシャーリーの方だろう。


 ロイの記憶を参考にするという反則技を使ったとはいえ、シャーリーはそれらを一瞬で暗記したわけではない。ロイが目を覚ますまでの間、彼の記憶という特殊な方法でしか読めない教科書を、必死に読んだだけなのである。

 ゆえに、ロイの事情と知識を他の誰よりも理解していることと、彼とまったく同じ情報を自らのコピーしていることは、似て非なることだった。


 そもそもロイの世界でも少ししか解明されていたかった量子力学をシャーリーが理解して、あまつさえ、科学を魔術、それも超々難易度が高い魔術に組み込むなんて――彼女が天才でなければまず間違いなく不可能だっただろう。


 たとえばこの世界の大学の教授。たとえば有名な魔術の書物の著者。たとえば魔術の研究に必要な物のほとんどが上級以上の品質で揃っている研究所のリーダー。

 そんな連中が10年間、100人集まって研究したとしても、この魔術は完成したか否か怪しいところである。


 それをシャーリーは事もなげに、急ピッチで、まともな研究資材さえないまま完成させて、まだ1回とはいえ実戦で効果的に使ってみせたのだ。


「微笑――過去は変えられないが未来は変えられる、とは、よく言ったもの」


 悠然と、シャーリーは滞空したまま、自分が魔術で変えた地形を眺めて微笑む。


 実際、当然と言えば当然だが、シャーリーよりもロイの方が、ロイの前世の知識、情報、常識に詳しい。実体験だからだ。

 だが、仮にロイが騎士ではなく魔術師、それもかなり才能がある魔術師だったとしても、今日のシャーリーのように【真の時流を解明、その暁の過去改変ならぬ未来改変、即ち、世界の理想化】、あるいはそれに少しでも、わずかでも準じる魔術は完成させられなかったはずである。


 今回、確かにシャーリーは敵軍にとって圧倒的な攻撃を魅せた。

 けれど彼女の学者、研究者としての才能は、それ以上に魅せるモノがあった。


 なぜならば当然――、

 ――普通に考えて望む未来を創れる魔術なんて発明できるわけがないのだから。


 その事実、自分が天才であることについて、自分の匂いが自分ではわからないようなものなのか、シャーリーは特別に自覚することもなく、再度、その魔術を世界に対して発動する。




「――詠唱追憶、【世界改変、来たれ私の望む未来】――」




 完了すると同時、シャーリーは地形だけを元に戻す。奈落に落とした敵はそのまま潰されて、地面の一部となるように。

 その比喩表現を一切使わない本物の神技を前に、師団の団員たちは勝鬨かちどきを吼える。


 そして、幻想種とはいえ自分がかなり魔力を使ったことを実感し――、

 ――(自覚――この魔術は1回の戦闘で2回、自爆を覚悟しても3回しか使えないみたい)と、シャーリーは息を吐いた。


 幻想種――それは厳密には生物ではない。生物と言うよりも、剥き出しの生命と言った方が正しいだろう。

 何回も前述しているが、魔力場が波を立てると魔力になり、そして以前、ロイとレナードがアリエルと決闘した時、アリエルの魔術の原理をレナードが見破った。簡単にまとめると、自然界に予め存在する術式を集めているだけだ、と。


 幻想種はそれをさらに長期化、複雑化させただけで、根底に広がる事象は同じだった。

 世界には保水の魔術がある。保温の魔術がある。炭素や亜鉛などに干渉できる魔術がある。たとえばゴーレムなんかには、魔術師の手によって一般的に自由意思と呼ばれているモノを持たせる魔術がある。そしてそれこそ死霊術のように、魂を操る魔術がある。


 全ての生き物、彼らの意識と肉体は日光や海水、海底火山の噴火など、原始の惑星から続く想像を絶する有機物化合の果てにあるモノであり、そしてその惑星に使われている物質もまた、宇宙が始まったその刹那まで遡れる。

 幻想種もその点は生物と同じで、この世界に命、意識が生じるという天文学的な確率でしか起きない事象まで、気が遠くなるような時間と試行回数で、科学的、物理的にではなく、魔術的、現象的に到達したのが幻想種だった。


 端的に言えば――、

 ――意識がある物質ではなく、意識がある現象こそが幻想種なのだ。


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