2章10話 国王、そしてワイン(2)



「以前、ヴィクトリアの護衛は死んだ。その役職に、余は君を据えている。つまり、君を命の危険に晒しているということだ」

「――――」


「どうした?」

「――すみません、なにか返事をしようと思ったのですが、なにも言葉にするべきことが、頭に浮かんでこなかったので」


「そうか、君は変わっているな。普通はもっと、声を荒らげたりはしないかもしれないが、狼狽が滲み出るものだ。静かに、しかし確かに。まるで、そうまるで、あくまでも仮にだが――一度本当に死んで命に関する観念が変わってしまわない限り、そのような反応は、まず、できない」


 今度こそロイの頭の中が真っ白になった。

 翻ってアルバートは双眸を妖しくギラつかせ、口元を獣のように吊り上げる。


 戦慄するロイ、嗚呼、これが国を統べる者なのか、と。

 あくまでも仮定の話と前置きしていながら、しかしアルバートは間違いなく確信している。完璧にロイの背景を見透かしていた。


 ロイの前世について知っている者は、確かに彼の周囲には存在する。

 しかし忘れてはいけないのは、シーリーンとクリスティーナ以外、アリスにしても、イヴとマリアにしても、リタとティナにしても、ロイ自身からみんなに喋ったという形だった、ということだ。


 特に家族であるイヴとマリアですら、ロイは自分から告白した時まで、隠しとおせてきた。

 しかも――、


(まだ初対面から片手で数えるぐらいしか会っていないのに……!?)


 ――加えて、その片手で数えるぐらいの機会でも、ほんの10分近くで終了している。


 と、その時だった。

 ヴィクトリアの護衛の危険性の話をしている時よりも、今の話の方がより狼狽しているロイ。彼にニッ、と快活に破顔一笑して、アルバートは会話を本題に戻した。


「さて、話を本題に戻そう――君も薄々気付いているとは思うが、余の娘、ヴィクトリアは少々、いや、かなり平均的な人間からいろいろと、特に感性や、それに基づく言動がズレている」


「それは、その……言葉を濁させていただきます」


「だが、決して悪い子というわけではない。ヴィクトリアの父親として、それは絶対に約束しよう。ただあれは、他人とのコミュニケーションが上手くわからないだけなのだよ」


 ふと、ロイは前世のインターネットでスラングとして言われているコミュ障ではなく、軽度とはいえども、本質的なコミュ障がヴィクトリアなのだろう、と、暫定的に内心で答えを出す。


 恐らく、ヴィクトリアは会話する人間がほとんど変動しないのだろう。

 ロイの前世でたとえるならば、ニートが家族としか会話せず、新しい会話の相手が増えないように。だからこそ、ヴィクトリアは人と接するのがアレなのかもしれない。


 ゆえに――、

 そこまで理解してしまったロイは――、


「お言葉ですが――」


「なにかね?」


「その責任の一端は、国王陛下にもあると存じます」


 唇を動かした瞬間、ロイの背中には戦闘でも覚えたことのない恐怖が走る。

 ジェレミアやレナードやアリエル、それどころか、本気で殺し合いをしたリザードマンを相手にした時でさえ、ここまでロイは恐怖を覚えなかった。


 まるで真冬に薄着で表に放り出されたかのように、今にもガクガクと震え出してしまいそうだ。

 そしてその震えは、一度始まったら並大抵の安心では止まらないだろう。


 だが、と、それでもロイはアルバートの目を見てそう言ったのだった。

 そして、アルバートの方もそのロイの思考回路を理解している。


「そうだな――、余は、人の親として失格かもしれない」


 決してアルバートは自分が気に食わないから、という不当な理由で、仮に不当ではないにしても自分を基準にした理由で、王の意志に背く者を罪に被せるような男ではない。


 アルバートは人は補完し合う生き物、そう考えている。

 自分で足りないところは他人に補ってもらい、他人の足りないところは自分が補う。そうやって相互作用を起こしながら、人の世は巡っていく。


 その結果が、国家というものだ。それを他ならぬ国王であるアルバートが否定してはいけない。

 その真理を肯定するからこそ、アルバートは王であることを傲慢の理由にせず、ロイの批判を素直に受け止めた。


「だからこそ、君の批判を逆手に取るようなことをして申し訳ないが、改めて、ヴィクトリアをよろしく頼む」


 アルバートが頭を下げる。


「国王陛下……」

「余は、ヴィクトリアの父親失格だ。国のため、そこに暮らす民のため、そして国と民の将来、ますますの発展のため、国王であることを尽くしてきた。その自負は紛うことなく、余の心にある。だが――そこにヴィクトリアの父親としての自負があったかといえば、否だ」


「――――」

「言い訳には変わりないが……有り体に言えば、職務が忙しかったのだ。幼き頃から今に至るまで、ヴィクトリアとなかなか遊んでやることが叶わなかった。接してやることが叶わなかった。遊んでやれずとも、接してやらずとも、心で通じ合っていると言い張れればよかったのだが、それも叶わない。余がヴィクトリアに寂しい思いをさせているのが、その証明だ」


「――――」

「余には1人の正室と、2人の側室がいた。正室との間にできた子どもが2人。1人目の側室との間にできたのも2人。そして、もう1人の側室の間にできた娘が、ヴィクトリアだ」


「それは、グーテランドの国民として知っております」


 正室との間にできた子ども、第1位王位継承者、タイト王子。

 そして第2位王位継承者、フィリエル王子。


 側室との間にできた子どもは、ハクア王女とポーラ王女。

 そして、最後にヴィクトリア。


 この5人の名前を知らない王国民など、赤子以外にはいないだろう。


「タイトとフィリエルは母親に育てられ、今はもう25歳を超えていて、地方都市の政治を任せている。ハクアとポーラも母親に育てられ、もう20歳を超えていて、いずれ、なるべく早くタイトとフィリエルと同じように地方都市を任せる予定だ。しかし、ヴィクトリアは――」


「ヴィキーの母親は確か……」

「ああ、当時は大々的に新聞に載ったよ。レミィ王妃おうひ、出産の際に死亡、と」


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