4章9話 同じ『病室』で、違う『景色』を――



 昇進試験の翌日――、

 ロイは王都の病院の個室にいた。


 一応、切断された右腕は魔術で肩にキチンとくっ付いていたが、流石にギブスと包帯は外せていない。なかなか珍しい肩に付けるギブスである。

 ロイからしたら身体を動かしづらくてたまったものではなかったが……。


 病室の窓から、ロイは、あるいは昔、心臓の病に侵されていた少年は、外の景色をボ~っと眺める。


 どこまでも続く青い空、そこに浮かぶ白い雲。

 麗らかなお日様の光が窓から差し込んで、思わずロイは目を細めた。


 遠くには何本も立派な塔が連なっている大聖堂に、大図書館や美術館、そして王族が住んでいる星下せいか王礼宮おうれいきゅうじょうがよく見える。

 ふと改めて思えば、その窓のフレームに収まる光景はまさに、剣と魔法のファンタジー世界そのものだった。


 とても冒険心をくすぐるような景色で、とても美しい。

 その時、なぜか、ロイの目から涙が零れた。


「ハハ、病室にいるのに、こんなに清々しい気持ちは初めてだ――」


 嗚呼、なんだ――、と。

 ロイは自らの人生に折り合いを付けられた。


 暗い気分でみんなに心配されながら、静かに、なにかから隠れるように眠りに就くのと、目一杯に身体を動かして、疲れ果てて眠る子どもように病室に運ばれるの。

 同じ入院でもこんなに世界が違って見えるのか。と、ロイは内心で呟いてそのクオリアを嚙み締める。


 いつも彼が見ていた、病室の窓からの景色。

 前世ではなにもかもが灰色に見えていた。目に見える光景が死んでいるようだった。


 それが今はどうだ、と、ロイは自分で自分に問いかける。

 世界はこんなにも色彩いろに溢れていて、こんなにも素晴らしい。


 モノクロな世界から、ようやくその少年はカラフルな世界に転生できた気がした。


 確かに、転生は最初からしていただろう。

 だが、その事実をこの時ようやく、彼は自分でも前向きに捉えることができたのだ。


「そう、だよね」


 生きる世界が変わったところで、自分が変わらなければ前世と同じ日常に埋没するだけだ。

 変わるべきは世界ではなくて自分。それを言葉ではなく感覚的に理解して、ロイはこの日、本当の意味で生まれ変わったのである。


「ロイ、失礼するぞ」

「あっ、はい!」


 そして数秒後、少しだけ急にロイの病室の引き戸が開いた。

 そこから現れたのは、荷物を持ったエルヴィスだった。彼はロイが身体を休めるベッドの横にあった椅子に座って語り出す。


「まずは、そうだな――」


「――――」

「エルフ・ル・ドーラ侯爵の件、周りに迷惑をかけすぎだ」


「す、っ、すみませんでした!」

「だが、それとは別に――」


「はい」

「――おめでとう、ロイ・モルゲンロート」


 祝福の言葉に、言葉を失ってしまうロイ。

 エルヴィスはそんな彼に、一拍置いてから言葉を続けた。


「今日からお前も、ルーンナイトの一員だ」

「あっ――ぁ――」


 ロイは言葉にならない声を漏らす。

 実感なんて全然湧かない。だというのに、心はこれでもかと言うぐらい感極まっていた。


「そしてこれが、ルーンナイトに昇進した証の盾だ」


 エルヴィスが荷物――カバンの中から1箱の入れ物をロイに、ゆっくりと、大切に、渡したということを確かめるように渡す。

 それを受け取ったロイが中身を確かめると、それはクリスタルように綺麗で透明な盾だった。


 そしてそれには銅の板が埋め込まれてあり、そこには『ルーンナイトの証 ロイ・モルゲンロート殿』と刻まれている。

 これがクルセイダーになると板がシルバーになり、キングダムセイバーになると板がゴールドになるとのことだ。


「どうだ、ルーンナイトになった感想は?」

「――なんて、言えばいいんでしょうか。いろいろ、言えることがあるはずなんですけど――」


「あぁ、ゆっくりでいいぞ」

「いろいろありすぎて、想いがパンクしそうで、言葉が出てこないんです。といいますか、言葉にできないぐらい、嬉しいんだと思います」


「ふっ、そうか」


 ロイはやわらかく、控えめに微笑んだ。

 それを見て、エルヴィスも満足そうに頷いてみせる。


「なぁ、ロイ」

「? はい?」


「本当は今日、それを渡しにくるのは別のヤツで、オレとロイが会うことはなかったんだ」

「そうだったんですか? わざわざ、ボクのためにありがとうございます」


「で、だ。なぜオレがお前に会いにきたかというと――」

「いうと?」


「――やはり、オレの目に間違いはなかった」

「えっ?」


「初めてオレとお前が会った時と比べて、今のお前は間違いなく成長している」

「――――っ」


「肉体的な話でもなく、騎士としての技術的な話でもない。ただ人として大きくなっている。オレはそれを確認しにきたんだ」


 呆然と、ロイはその言葉を反芻はんすうする。

 そうか、他人ひとの目から見ても、自分は変われたのだ、と、ロイは口元を少しだけ上に動かした。


 それに騎士としても、最初は駆け出しの『ナイト』で、『ロードナイト』をすっ飛ばして、今この瞬間、『ルーンナイト』に昇進できたのだ。

 上は残すところ『クルセイダー』と『キングダムセイバー』だけだから、昇進倍率を考慮しなければ、もう折り返し地点である。


 それがしっくりきたのだろう。ようやくロイの盾を持つ左手に力が入った。

 そして、そうだ、ボクはルーンナイトになったんだ、と。心の成長なんて目に見えないけれど、だからこれが目に見える証になるのだ、と。ロイは心の中で、穏やかに唱える。


「さて、ロイ、ルーンナイトになったということは、もう王国はお前を立派な戦力として数えてくる。戦時中は10代でも最前線に送り出されることがあるが、それで最も多いのがルーンナイトだ」


「は、はい!」

「近年、魔王軍が少しずつだが動き始めているからな。もしかしたら、望むにしろ望まないにしろ、ロイも戦争に巻き込まれるかもしれない」


 思わず生唾を飲むロイ。


「死ぬんじゃないぞ。お前は戦争なんかで死んでいいヤツじゃない」

「エルヴィスさん――」


「そもそも、戦争で死んでいいヤツなんて誰ひとりいないんだ」

「はい」


「まぁ、戦いを終わらせるためには終わるまで戦うしかないなんて、皮肉だな」


 事実だった。

 戦いたくないのなら、戦うしかない。


 ルーンナイトに昇進したことで、ロイは否応なしにその世界に巻き込まれていく。

 彼の戦いが、影響が、世界にどのように響き渡るのか。今はまだ、本人でさえなにも知らなかった。


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