3章2話 花嫁の控え室で、幸せな夢を見るために――(1)



 それから数時間後――、

 アリスは1人で花嫁の控え室にいた。


 世界中の乙女の憧れである、純白のウェディングドレス。

 きめ細やかなレースとフリルが可愛らしくて、しかも同時に淑やかで清らかな印象を受ける、一切の穢れを知らない純情可憐な花嫁の衣装である。


 アリスはエルフなので華奢で、ウエストが細かった。それをドレスのコルセットの部分で締めているので、より一層、背中や腰のラインが綺麗な曲線を描いている。

 ウェディングドレスのバストの部分はブライダル用の少し強めなワイヤーを使っているので、ストラップ(ビキニで言うところの紐の部分)がなく胸元が少し開いていて、胸の谷間を強調するように、下から持ち上げられる形になっていた。


 今のアリスはウソ偽りなく、花も恥じらうぐらい純真な姿をしていた。


 まだ10代の女の子としての可愛らしさ。そしてもう嫁に出る淑女としての美しさ。アリスは今、その両方を兼ね備えている。

 が、しかし、その表情にはわずかな陰りが窺えた。


「ロイ――今頃、なにしているのかな?」


 もうすぐ自分は結婚する。

 だというのにアリスの心の中はその相手との未来ではなく、ロイのことでいっぱいだった。


 嗚呼、ロイは今頃、なにをしているのだろう? 流石にもう、気絶から目が覚めているはずである。

 自分のことを心配してくれているのだろうか。自分のことを、まだ諦めていなかったり、別の方法を考えていたりするのだろうか。


 父との決闘に敗れた自分を責めているのだろうか。同じくように、自分の実力不足を悔やんでいるんだろうか。

 そして今の自分と同じように、2人で過ごしてきた毎日を思い返して、もしかしたら泣いているのだろうか。


 考えるのはロイのことばかりだった。

 まるで、別れて初めて、相手の大切さに気付けたように。


「あぁ、なんだ――」


 人は、そしてエルフも、『想定』が『現実』にならないと、自分の本当の気持ちに気付けない生き物である。


 もし夢が叶ってキングダムセイバーになれたらどうするとか。

 逆に、もし明日、事故に巻き込まれて動けない身体になったどうするとか。


 想像していろいろ言うことはできても、それが実際に当たる可能性は微妙なモノだ。

 そしてなにより、その想定どおりのことが起きたとしても、そこからの展開さえ当たっていたとしても、その時覚える感情、クオリアまでは本当の意味でわからないはずである。


 だからアリスも、結婚という現実を目の前にして、初めて自分の本当の気持ちに気が付いたのだ。

 別れなかったら気付くこともなく、別れた以上は諦めなければならない、その想いに。



「――今さら、遅いわよね。こんなタイミングで、自分の気持ちに気付くなんて」



 自嘲するように、アリスは無気力に「ハハ……」と笑った。まるで、諦観しているようだった。まるで、この状況で笑う以外になにをすればいい、と、自分自身に問いかけているようだ。

 そしてアリスの瞳が本格的に潤み始めて、目尻から頬に、ついに一筋の涙が伝い始める。



「――私、ロイのことが好きだったんだ」



 よく考えれば、当たり前のことだった。

 聖剣使いとか、ゴスペルホルダーとか、そういうのを抜きにしても、ロイは優しかった。人として尊敬できたし、一緒にいて、楽しかったのだ。


 確かにドラマチックなラブストーリーを展開する小説や演劇ならば、アリスがロイに惚れる過程で、そのキッカケとなるイベントがあるのかもしれない。


 だが、実際のロイとアリスにそのようなモノはない。

 2人に関して言えば、よく一緒にいて、よく喋って、よく笑い合っていたということがほとんどである。


 ゆえに、アリスは自分の想いに早々に気付けて、早々に告白できたシーリーンを羨ましく思った。

 恋愛なんて、好きという気持ちを抱く前から、互いにそれなりに親しい関係であり、そこから徐々に、想いが成長していくものだ。



「クス、もっと、早く気付ければよかったなぁ――」



 全てを諦めたような微笑みで、アリスは窓枠の外の青い空を見上げる。

 そこでは仲睦まじく、2羽の小鳥が羽をはためかせてどこかに向かって飛んでいた。


 比翼連理というのはどれほどまでに幸せなのだろうか? アリスはそう考えずにはいられなかった。

 アリス『には』ロイを好きになるキッカケはなかったが、アリス『が』ロイを好きになるキッカケは確かに存在していた。恐らく、ロイはそれに見当さえ付いていないだろうが――、



「――私は、私だけに優しいからロイを好きになったんじゃない。誰にでも優しくて、誰にでも笑顔だから、私はロイを好きになったんだ」



 1人で呟くと、アリスは胸の前にそっと、自分の片手を添える。

 そこでは切なくも確かに、自分の胸が、鼓動が、トクントクンと高鳴っていた。



「そして、誰かを特別扱いしないロイを好きになって、好きになったから、ロイに特別扱いされる1人になりたかった。ホント、勉強ができるだけで、バカで、ワガママだったのね、私って」



 あぁ、もう、シィがホントに羨ましいわね。

 と、悲しみには似つかない軽口を叩くように、アリスは心の中で苦笑した。


 本当に、本当に、もっと早く気付けばよかった。

 やはり人にしろ、エルフにしろ、こういうことは別れたあとに初めて気付くのだろう。


 そもそもの話をするなら、いくら親しいとはいえ、ただの友達に自分のファーストキスを捧げるなんてありえない。

 ロイもロイで、唐変木というわけではなく、強いて言えばバカ真面目だが、この時点でロイも本人もアリスの気持ちを察しないなんて、初心な恋にもほどがある。


 どれほど自分は素直でなく、自分の気持ちにさえ鈍感な女の子なのだろう。

 アリスは内心でそう言葉を零しながら、桜色で、まるで花の蕾のようにいとけない自らの唇を人差し指でなぞる。



「この感触があれば、もう、きっと、大丈夫」



 初めてキスした記憶。気付けなかっただけで、初めて好きになった男の子とのキスの感触。

 今でもハッキリと思い出せる。きっと、一生忘れない。



「――――」



 ふと、アリスはもう一度窓の外を眺めた。

 晴れ渡る澄み切った冬の青い空が眩しい。そこに浮かぶ風に吹かれる白い雲は、どこまでも自由だった。


 もしも、奇跡が起きて、結婚の相手がロイになっていたら――。

 そんな来るはずがない儚い未来と、叶うはずがない淡い恋心を胸に、アリスは静かに目を閉じた、そしてせめて、迎えがくるまでに、ほんのわずかな時間でも、儚くて、淡くて、だけど幸せな夢を見ようとする。


 願わくは、それが現実になりますように、と。


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