1章7話 キスのあとで、挑発を――(2)



「君たちは、アリスの友達かな?」

「は、はい」


 アリエルは問う。5人を代表してそれに答えたのは、ロイの次にアリスと仲がいいシーリーンだった。追従するようにイヴとマリアも揃って頷く。

 しかしロイだけが、唇を噛み、爪が皮膚に食い込むぐらい両手を握りしめて、己の無力を噛みしめていた。


「私はアリエル・エルフ・ル・ドーラ・ヴァレンシュタイン。アリスの父親だ。いつも娘と仲良くしてやってくれて、本当にありがとう」


 ロイは意外だった。

 アリエルは優しげな低音の声で、感慨深そうにアリスの友達である自分たちに頭を下げた。アリスからは悪印象なことばかり伝わってきたが、流石に、貴族だからといってジェレミアのようなクズではなかった、ということだろう。


 ロイは正直、偏見を持っていたことを認める。むしろアリスの件さえなければ、アリエルを見てもいい印象しかなかった。

 初対面ではあるが、娘と仲良くしてくれて感謝している、そういう雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。たとえ初対面でも人柄というのは顔に出るものだ。例のごとくジェレミアとは違い、彼が貴族としてやっていけているのにも頷ける。


「アリスさんのパパが、なんの用なのよ?」


 イヴにしては珍しく、声のボリュームを下げてアリエルに訊く。友達の父親とはいえ貴族だからだろうが、彼女の声はとても穏やかな感じだった。

 そしてその問いにアリエルは淡々と答える。まるで事務連絡のように、事実だけを端的に。


「アリスは結婚するのだよ。今日は、君たちにとっては急だろうが、アリスを結婚式に連れていくために迎えにきた」


 抑えられるわけがなかった。

 イヴとマリアは「えっ!?」「結婚!?」と驚愕を露わにする。


 事情を知っていたシーリーンでさえ「……っ」と俯く。

 改めて現実を突き付けられて、アリスの方から目を逸らした。


 だが3人とも、すぐに次のことを思う。

 シーリーンもイヴもマリアも、ハッ、と、アリスの恋人ということになっているロイに視線を向けた。そして同じようにアリスも、3人と同じように、ロイに期待と不安がない混ぜになった瞳で見つめる。


「君はまさか、ロイ・モルゲンロート君か?」


 自分以外の4人がロイに視線を送っているのだ。

 それに気付いたアリエルも視線を辿り、ロイを見てハッとした。そして内心で静かに驚きながらも、噂では聞いていた聖剣使いに名前をたずねる。


 ロイは以前、新聞にも顔写真付きで載ったことがある。

 アリエルがロイの顔を知っていても、別に不思議ではないだろう。


「お初にお目にかかります、エルフ・ル・ドーラ侯爵。ロイ・モルゲンロートです。アリスさんには、日頃からお世話になっております」


 こうして挨拶をしている間にも、ロイはアリスからの視線を感じていた。


 縋るような、しかしそれに応えないで、と言わんばかりの視線。

 助けを求めるような、しかしそれを無理と諦めているような瞳。

 別れを惜しむような、しかしそれを受け入れらない表情かお


 二律背反の中、アリスは数多の正反対なモノを一緒くたにして、最終的には切なそうに、涙を流す一歩手前の雰囲気で……アリエルにはなにも言えずに黙り続けた。


「噂はかねがね聞いている。君も、アリスの友達なのだね?」

「お言葉ですが――」


「?」

「ボクとアリスは友達ではありません」


 あまりに無礼な発言に、シーリーンもイヴもマリアも、ウソ偽りなく、本当に心臓が止まりそうになった。

 今のロイの発言は無礼とか非常識とか、そういうレベルを超えている。相手を不愉快にするために、わかっていてあえて非常識なこと言った。そう言われても仕方がない発言である。

「ほう? それはいったい――」

「ボクとアリスは、友達ではなく、恋人です」


 さも当然と言わんばかりに、ロイは貴族でもあるし、その上、恋人の父親本人であるアリエルに言ってのけた。

 流石にアリエルも、この発言には目を見開く。


 翻って、アリスは密やかに、胸を高鳴らせた。


 ロイは約束した。

 約束したのだ、アリスと。


 ボクは最後まで、キミの恋人であり続ける――と。


 それを、たった1つしかない約束を、本人の父親が現れたからといって曲げることは許されない。

 たとえ世界中の全ての人が許そうと、ロイ自身が、約束を曲げることを良しとしない。


 失礼であることは百も承知。

 その上で、ロイは約束を守るために覚悟を決めてきた。


 もし約束を破ることを許してしまえば、ロイは自分自身を許せなくなってしまいそうだった。貫けもしないこと誓ったことをなんて、アリスを裏切ることと同義である。

 そう、今はまだ、約束の言葉にあった『最後』ではないのだ。


(だったら、父親の前でも、恋人役を貫かないとね)


 無言のまま、ロイとアリエルは互い互いを睨み続けた。

 身長の関係で、ロイがアリエルを見上げて、アリエルがロイを見下す形だった。


 だが、いかに威圧的に感じても、ロイはアリエルから決して視線を逸らさない。

 逸らしたら負けだ。


 おのが双眸に、ロイは確固たる意志を込める。臆しても怯えてもいないことを見せつけるために、目の前の貴族を強く見据えた。

 対してアリエルの方は真意を察することなど不可能なほど、なにも伝わってこない鋭い双眸で、なにも事情を知らないはずの子どもを睨むばかり。


「ボクはアリスさんが結婚することを知っていました」

「それで?」


 アリエルは文字通り上から目線で、ロイに続きを促す。

 しかし、ロイがそれに怯むことはなかった。


「その上で、ボクはアリスさんとキスをしました」


 ロイの口から突拍子もなく、とんでもない発言が飛び出した。思わずマリア卒倒しそうになって、後方に倒れかけてしまう。そんな彼女を近くにいたシーリーンが支えて、光属性の魔術適性がカンストのイヴがヒーリングしてあげる。


 だが、それに意を介さず、ロイはなおもアリエルに真正面から視線をぶつける。


 これは挑発で、挑戦だ。

 父親に対して、嫁入り前の娘のファーストキスを奪ったと宣言したのだ。これでムカつかない父親などいるわけがなかった。


「君は――」

「はい」


「――覚悟ぐらい、できているな」

「でなければ、わざわざ侯爵様の前で、このようなことは言いません」


 毅然とロイは言い放つ。

 彼に引く気はないようだった。


 翻ってアリエルは「……ふぅ」と一度溜め息を吐く。

 貴族に対してこの発言、これは普通ならば不敬に値する。


 だがしかし、当然ながら不敬の基準はそれぞれの貴族、各々の感じ方にってしまう。

 そこでアリエルの場合はどうかというと、彼は(これを不敬罪としたら、私の貴族、そして子の親としての底が知れる)と考えた。


 それに、見ろ。

 アリエルは真意を隠した目で、先刻からこちらをずっと見据えているロイの目を一瞥した。


 この少年は、いい目をしている。

 これに応えなければ、自分は貴族として一生、先代や先々代に顔向けできない。


 ゆえに、ロイをどうするかなど、自明なことだ。


「よろしい、ならば決闘だ」



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