1章6話 キスのあとで、挑発を――(1)



 それから、ロイとアリスはウソ偽りなく本物の恋人のように振る舞い始めた。


 昼休みにはシーリーンも交えて3人でランチを楽しんだ。

 しかもそのランチはシーリーンとアリスの手作りだった。


 放課後にはイヴとマリアも合流し、5人で仲良く、茜色に染まる帰り道を喋りながら歩いた。

 寄宿舎とアリスの住む屋敷との分かれ道に着くと、ロイは寄宿舎ではなく屋敷の方に進み、彼女を家の近くまで送り届けた。


 そして――、


「ロイ、キス、して?」


「で、でも……ボクたちは本物の恋人じゃないし、アリスには相手が……」

「だからよ。その相手にファーストキスを捧げるのはイヤだけど、でも、ロイになら、捧げてもいいって思えるから――」


「っっ」

「それに、学院での最後の思い出を作りたいの。シィには、しょうがないなぁ、なんて笑われたけど」


「――――」

「あれ? ロイ?」


「アリス、目、瞑って」

「――――んっ」


 放課後、窓から西日が差す学院の講義室で、アリスはロイにファーストキスを捧げた。

 講義室には今、ロイとアリスの2人しかいない。他には誰もない。誰も邪魔することのできない、2人だけの世界だった。


 花の蕾のように可憐で桜色なアリスの唇は、わずかに震えていた。

 少しだけ怖くて、緊張もしているのだろう。アリスはロイの肩にしがみ付きながら、彼に言われたとおり目を瞑り続ける。


 唇はやわらかくて、とても瑞々しい。

 女の子特有の長いまつげは震えていて、ロイの肩を掴む手には、少々力が込められている。


 それでも懸命に、愛おしいほどに、まだやめないでと言わんばかりに、アリスはまだまだキスをせがむ。


(まさか私が――講義室でキスしちゃうなんて)


 頭が蕩けそうで、胸が切なくなって、全身が火照ってくるのに、イヤではない。

 互いに互いの唇を塞いで息苦しいはずなのに、それが全然イヤではなく、その状態がむしろ心地よかった。


 ずっとこの時間が続いてほしい。

 このまま時が止まってほしい。


 胸が切なくて、苦しくて、締め付けられるようで、なのにそれを、もっと、もっと、と、ねだりたくなる不思議な時間。アリスはこの瞬間が永遠に続くことを願いながらも、息を止められる限界まで、初めてのキスの感触を必死に心に灼き付けた。


(本人が望んでいるから……これでいい、はずなんだ)


 そして、自分たちが何秒繋がっていたかもわからなくなった時――、

 不意にアリスは「ふはぁ……」と、熱っぽく瞳を潤ませてロイから自分の唇を離した。


 さらにそして、アリスは自分の白くて細い人差し指で、自分の唇を、蕩けた表情かおで優しくなぞる。

 事情はどうあれ、今ここで、ファーストキスを捧げたのだ。ハッピーエンドは待っておらず、悲劇的ではあるが、まるで物語のヒロインのようで感慨深いモノがあるのだろう。


 だがしかし――、

 ――幸せな時間だろうと、始まった以上はいつか必ず終わってしまうものだった。


「アリス」

「お父様」


 数日後の放課後、学院の正門の前には1台の馬車が待機していた。

 そして馬車の前には1人の男性が立っている。


 その男性はアリスのことを呼び捨てで呼び、アリスは彼のことをお父様と呼んだ。

 つまるところ彼こそがアリスの父親、アリエル・エルフ・ル・ドーラ・ヴァレンシュタイン侯爵であった。


 髪はアリスと同じく金色の短髪で、蒼の双眸からは娘が父に逆らうことを決して許さない、そういう親としての強い意思が窺えた。

 よく言えば子どもに対して過保護な父親、悪く言えば子どもに自由を与えない親の典型のようにロイには見えた。


 ロイの前世でいうところの外国人よりも、羨ましいぐらい鼻が高い。

 身にまとっているフォーマルな装いと相まって、同じくロイの前世でいうところの英国紳士という感じそのものだった。


「察しているな?」

「――はい」


 幸いにも、学院の正門前にあまり生徒はいなかった。

 アリスとアリエルの他にはいるのは、彼女と一緒に途中まで帰ろうと考えていたシーリーン、イヴ、マリアの3人と、表面上はその3人に同調していたが、こうなることを、信じたくはないが知っていたロイだけだった。例外は学院の警備員の男性2人ぐらいなもので、他の生徒たちは一瞥だけしてすぐに通りすぎて行ってしまう。


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