4章6話 茜色に染まる西洋風の川の岸で、感情が限界を――(1)



 アリスは1人になれる時間がほしくて、王都を横断するように流れるフリーデンナハト川の岸にきていた。

 川沿いにはランニングボンドのレンガの道が続いていて、その途中にあるアーチ橋の欄干に、アリスは肘をかけて黄昏ている。


「――――」


 心にポッカリと穴が開いたような空虚感にさらされながら、なにもできずに時を無駄にするアリス。

 遥か西の空の彼方には、思わず溜息を吐きそうになるほど感傷的で、綺麗な茜色の夕日が浮かんでいる。その逆、遠く果てない東の空の向こうには、青と紫を混ぜたような終わりのない、どこまでも、本当にどこまでも続くような夜空が広がっていた。


 そしてその中間には、言葉を失うほど美しい、茜色と青と紫のグラデーションが広がっていた。

 まさにマジックアワーと言うべき時間帯で、それに相応しい風景である。しかしだからこそ、王都の夕空は空っぽだったアリスの心にとにかくみた。


 王都の街並みが少し切なげに赤らんで、ノスタルジックにガス燈に明かりが灯り始める。

 影は音もなく静かに広がり、アリスだって本来、帰宅すべき時間が近付いていた。


「私……どうしたらいいんだろう?」


 目の前の景色は本当に美しかった。

 そしてそのような光景、世界を落ち込んでいる時に見てしまうと、思わず人は、そしてエルフは涙ぐんでしまう。


 少なくともアリスはそうだったようで、薄っすらと、彼女の目尻にはすでに涙が浮かんでいる。

 自分は今まで貴族としての恩恵を受けてきた。だから貴族にありがちな政略結婚から逃げてはいけない。頭では理解していても、つらくて、心細くて、悲しい。ゆえにアリスの雫が一滴、頬から手の甲に落ちようとした――その時だった。


「アリス!」

「!? ――あっ、ロイ?」


 アリスのもとに、息を切らしたロイがやってきた。

 恐らく、どこかでアリスを見失ってしまったが、それでも、見付けてあげるために、全力で走ってやってきてくれたのだろう。


 ロイに泣いているところを見られたくない。

 アリスは意地を張るように、そして、泣いていません、と、言葉ではなく態度で主張するように、目尻を強く手の甲で拭った。


「どうしたのよ、そんなに急いで?」

「――っ、ボクはアリスが大切だ」


「ふぇ!?」

「こっちにきてから初めての友達なんだ。大切じゃないわけがない」


「むっ……それで?」

「その大切な友達が、すごくつらそうで、今にも泣きそうな表情かおで帰って行っちゃったんだ。追いかけるに決まっているじゃないか」


「ちょ、っ、ロ、ロイ!?」


 ロイはアリスに歩み寄って、彼女の手を強く握った。

 ロイの顔は真剣そのもので、彼に見つめられて、アリスは頬を赤くして顔を逸らした。


 自分は今、赤面しているだろうけど、それは夕日のせい。

 という、誰に言っても納得されない言い訳を心の中で呟いて、彼女は自分を納得させる。


 だとしても、アリスはロイに手を握られて、全然イヤな感じはしなかった。この世界にどれほどのウソが溢れていようと、感性だけはウソを吐けないし、一度抱いたクオリアをなかったことにはできない。

 それだけはたとえアリスでも、誤魔化しようがなかった。


 むしろ、もしも叶うのなら、アリスはもっと、ずっとこうして、ロイに手を握っていてほしかった。

 心が休まり、温まり、癒され、自分は独りじゃないと安心できたのだから。


「ねぇ、アリス」

「な、なによ?」


「本当は政略結婚なんて、したくないんだよね?」

「っっ」


「いや、最初からそう言っていたのは、キチンと覚えている。だから、なんて言うか……割り切れているような口振りでも、本当は割り切れてなんて、いないんだよね? 今まで気丈に振る舞っていたけど、素直になれる相手が、いなかっただけなんだよね?」

「~~~~っ」


 嗚呼、そうか。

 なんで今まで、自分は心のどこかで泣きそうになっていたのか。


 その答えを、アリスはついに知る。

 確かに、望んでもいない異性との結婚を父親に強制されたから、という理由もある。


 ただそれ以上に、シンプルに、不安を吐き出せる相手がいなかったのだ。

 話を聞いてもらって、共感してもらって、慰めてもらったり励ましてもらったりすることが、話題のせいでできなかったからだ。


 アリスはロイに気付かれないように、顔を俯かせて自嘲する。


 当たり前だろう、そんなの、と。

 政略結婚についてのいろいろを、どのような形でも知られるのがイヤだった。だからロイとシーリーンにしか当てはまらないが、バレてしまった相手には「頭では理解しているから文句はないです」と強がった。だというのに、強がりを見破って、本当の自分に気付いて優しくしてほしいなど、ただの矛盾だ。


 ただの「ホントはイヤだ」って気持ちに折り合いが付けられず、レナードにウソを吐いて、シーリーンの恋人を半ば奪って、イヴとマリアをモヤモヤさせて――ロイに迷惑も心配もかけ続けている。

 こんなに自分に都合がいいのだ。そういう振る舞いを続けたのは結局自分で、本当の気持ちを察してくれなかったからといって不貞腐れるのは筋違いだし、自業自得だろう。


「ゴメン、アリス、今まで気付いてあげられなくて」


 でも、ロイだけは気付いてくれた。

 瞬間、アリスの胸は確かにトクンと高鳴る。


 切なくて、切なくて、息苦しくてもどかしいのに、もっと切なくなることを求めてしまうこの感じ。

 アリスは今、ずっとこの感じに溺れていたかった。このまま時が止まればいいとさえ思った。


 アリスを真剣に見つめるロイ。

 ロイに手を握られるアリス。


 誰にも邪魔できない世界の2人のことを、茜色の夕日と銀色の月だけが眺めていた。


「私……私っ」

「うん、ゆっくりでいいよ?」


 優しい声で、ロイが慰めてくれる。

 自分のペースでいいのだ、と。


「本当は……っ、結婚なんてしたくない! 今まで裕福な暮らしをしてきたけど……っ、頭ではわかっているけど……ッッ、イヤよ! なんで貴族の娘だからって、自分の2倍以上生きている人のお嫁さんになって、実の父親に夜の営みを急かされなくちゃいけないのよ!」


 もうダメだ。我慢できない。

 切なげに、喉を傷めるんじゃないかというほど痛ましげに、アリスは叫んだ。


 この瞬間再び、先ほど拭ったのにアリスの目から、涙が溢れ始める。

 一度決壊した心のダムがすぐに直るわけもなく、彼女はせきを切ったように泣きじゃくって想いを吐き出し続けた。


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