3章1話 講義室で、君の名を――



 ロイがグーテランド七星団学院に入学して1週間がすぎた。


 最初の頃は教室でも廊下でも、そして休み時間でも放課後でも、ロイは基本的にはいつも、大勢の女の子に囲まれ続けた。

 だが、今でも同じような状況になることも多々あるが、日常生活に支障が出ない程度には改善されている。


 たとえば、この日の講義でも、ロイの周りには彼の席を一周するように女の子たちが座っていた。

 しかし、他の学部生も受けられる講義では、ロイの隣はいつも同じ女の子で、他の子たちはなかなかその空間に突撃できなかったのである。


「ハァ……、ロイも大変ね」

「なにが?」


「こんなに女の子にチヤホヤされるなんて……。モテすぎるのも考えモノだわ」

「う~ん、正直、嬉しいか否かで言えば、すごく嬉しいんだけどね」


「ふ~~ん」

「あっ、えっと! 軽薄な意味で言ったんじゃないからね? 人に認められて、性別に関係なく温かい感情を抱かれると嬉しい、って意味だよ?」


「わかっているわよ、そのぐらい」


 ロイの隣の席に座っているのはアリスだ。

 入学式直後のあの一件以来、たびたびアリスはロイが女の子に囲まれている場面に遭遇すると助けてくれた。


 初対面の時から感じていたが、すごく生真面目な女の子なのだろう。

 で、そういうことを1週間(正確には講義がある平日の5日間だけで10回以上)繰り返していれば、自然と顔見知りになるものである。


 現に、今では互いに呼び捨てで言い合うような仲だ。

 次は魔術構造概論の講義で、必修科目ではあるものの、これは騎士よりも魔術師向けの講義である。ロイの方が他学部だったのだが、アリスが先にいたので隣に座らせてもらったのだ。


「ボクとしては、アリスみたいな女の子が好きなんだけどね」

「ふぇ!? わ、わわ、私!?」


 エルフ特有の透き通るように白い肌、頬を、乙女色に染めるアリス。尖った耳の先端まで赤くなりそうな勢いである。

 あまりにも急にそう言われて、彼女は両手の人差し指をモジモジさせて、蒼い瞳を潤ませて、上目遣いでロイのことを窺った。


 アリスは本当の本当に、今はまだロイのことを友達として認識していて、恋心を抱いていたわけではない。

 だが、それにしたって、友達とはいえ異性に「好き」と言われれば、流石にあわあわ動揺してしまうのは自然であった。


「もちろん、すごく光栄なことなんだと思う。でも、努力して手に入れたわけじゃない肩書きで、ボクに大きな期待を寄せてくれる人より、ボクと対等に接してくれる友達の方が、好き、かな?」


「まったく、紛らわしいじゃない!」

「ゴメンゴメン」


 アリスは拗ねた子どものように、言葉ではなく、机の下でロイの足を軽く蹴ることで感情を表現する。

 無論、ケンカしているわけではなく、友達同士でコミュニケーションしているだけだ。傍から見たら、仲睦まじい男女がじゃれ合っているだけに見えるかもしれないが……。


「それで、どう? ロイって中等教育の上位からこっちにきて、下位は故郷で済ませたんでしょう? 講義には付いてこれてる?」

「うん、大丈夫。少し難しいけど、そのぐらいの方が予習と復習のしがいがあるし」


 そもそも、ロイには〈世界樹に響く車輪幻想曲ユグドラシル・ファンタジア〉というゴスペルがある。

 本来なら少々面倒に思える講義の予習復習でも、ロイにとっては楽しみの1つだ。彼の前世の願望デザイアを基に、それに適したゴスペルを与えられたので、自明ではあるが。


「ロイは勤勉ね。私、そういう男の子、好きよ?」

「さっきの仕返し?」

「あっ、バレた?」


 アリスは手で口元を隠してクスクス笑う。

 しかしその瞬間、学院の女の子の憧れの的であるロイに対して、冗談でも「好き」と言ってしまい、アリスは周りの席の女の子から嫉妬の視線を一斉に向けられてしまった。


「あぁ~、まぁ、そうね……。一番大変なのはロイでしょうけど、本当にただの友達なのにこういう視線を向けられると、私までお腹が痛くなってくるわね」


「うっ、申し訳ないです……」

「ううんっ、ロイが悪いなんて一言も言っていない! ただ、風紀委員として、もっとモラルや常識を守ってほしいのよ」


「風紀委員会ってこの学院にもあったんだ……」

「そうよ。特に、相手の都合も考えずに突撃しちゃう女の子は、しっかりしてほしい対象よね」


 アリスが、キッ、と周りを睨むと、ロイのファンである女の子たちは、さっ、と視線を逸らした。まるでコントのようなやり取りである。


「でも、あれね。ロイのお姉さんは真面目って評判をよく聞くけど、イヴちゃんはけっこう、いい言い方をすると、元気よね」

「イヴ、もうそんなふうに言われているのか……。まだ入学して1週間しか経っていないのに……」


「入学して3日目の時点でクラスメイトと決闘。学院史上、入学後最速の決闘って言われているわ」

「うん、知っている」


「で、決闘の理由が、クラスメイトにお兄ちゃんを紹介してって言われたよ! お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんだからダメ、って断ったらブラコン扱いされた! だから決闘したよ! っていう、ね」

「ま、まぁ、イヴもやりすぎたところはあるけれど、入学早々、クラスメイトに男を紹介して! はちょっぴりダメかもね」


「ちょっぴりじゃないわよ! イヴちゃんはお兄ちゃん大好きの元気っ娘ですむけれど、初対面のクラスメイトにそういうお願いって……。イヴちゃん本人と仲良くなってからならまだしも……」


 イヴが話題に挙がったが、当然のことながら彼女は1学年次生なので、ロイとアリスとは別の講義を受けている。

 そしてイヴと同じく、マリアは学年どころか教育課程が違うので、やはり2人とは別の講義を受けていた。


「そういえば、ロイにはガールフレンドっているの? すごいモテモテだけど」

「いないよ? っていうか、今まで誰ともお付き合いしたこともないよ」


 ガタッ、と、2人の周辺に座っていた女の子たちが、思わず音を立てて椅子から立ちそうになってしまう。


 ロイは前世で中学生の頃、不登校だった。ゆえに自然な流れとして、思春期にそういう出会いが少なかったことにもなる。

 そしてこの世界に転生することになったが、またも自然な流れとして、前世の記憶がある分、ロイは同年代の人よりも精神年齢が高い。


 結果、精神年齢が年上の自分が同年代の子どもをたぶらかすのはよろしくない。

 そして、前世では思春期に恋人を作ったことがないから、現世ではその時期に誰かと付き合ってみたい。


 この世界では15歳ぐらいになったら恋愛をしてみよう、それよりも前は恋愛を禁止しよう。

 上記の2つの事実を擦り合わせて、このように心に決めていたのである。


「もしかしてロイって、女性不信?」

「いや、別にそんなことはないよ。ただ、誰かと付き合うのは15歳ぐらいになってから、なんて決めていただけで」


「私も風紀にはうるさい自覚はあるけど、そこまで貞操観念が強固なのも珍しいわね……」

「気のせい気のせい」


「でも、よかったわ。もしも女性不信なら、私と友達でいることも苦しく感じているのかなって、少し思ったから」

「そんなことないよ。アリスはここにきて初めての友人だしね」


「改めて言われると照れくさいけれど……ロイの美徳よね。そういう本来、照れくさくて誤魔化してしまうようなことを言えるのは」


 と、ここで魔術構造概論の講師がドアを開けてやってきた。30代後半ぐらいの男性である。

 講師は教壇に立つと、持参した出欠簿を開く。そして生徒番号の順で生徒の名前を読んでいくが、途中で、1回だけ止まってしまった。


「シーリーン・エンゲルハルトは……今日も休みか」


 ふと、ロイはおかしなことに気付く。

 まだ入学してから1週間しか経っていない。


 中等教育下位から在籍していた可能性が濃厚だが、それでもこの魔術構造概論という講義は今日が初回だ。

 それなのに、今日『も』休み、というのはどういうことだろうか?


「ねぇ、アリス、シーリーンさんって――」

「1学年次と2学年次の時にクラスが一緒だったのだけれど、イジメにあって不登校になったのよ」


 ロイが小声で訊くと、アリスは少し悔しそうにだが、答えてくれた。


(この世界にもイジメはあるんだね……)

「私の力が及ぶ範囲、イジメの現場を目撃した時は彼女のことを守ったのだけれど、それ以外のところでも、イジメられていて……」


「……そっか」

「イジメなんて最低よ。他人ひとの痛みもわからない人たちなんて、私は大嫌い。私は、なるべくイジメられている人の味方になりたかった。でも――」


「でも?」

「私が守ってあげるから登校しよう。なんて誘ったこともあるのだけれど、シーリーンさんにとって、それはかなりの重圧だったのよね」


「――そう、だね。誘われて登校するようなら、きっと誰も苦労しない」

「私の価値観では、強くなれば相手を返り討ちにできる、そんな考えしかなかった。だから当時は、たとえプレッシャーになるとわかっていても、そう誘うぐらいしか、なにか自分でも起こせる行動が、思い付かなかったのよね……」


 確かに、アリスのそれはこの世界の不登校に対する一般的なリアクションなのかもしれない。

 いや、むしろアリスの反応は類を見ないぐらい、かなり優しいものなのだろう。


 だがロイには少々、別の考え方があった。


 ロイとアリス。

 両者同じように、シーリーンに限らずイジメなんて暴力から解放してあげたいと願う。

 だがそれでも、2人は違う価値観の持ち主なのだから、同じ結果を目指していても違う方法を選ぶこともあるはずだ。


(まだ会ったこともないけど、元不登校児としては、シーリーンさんに登校してほしい)


 ただのエゴだが、それで損する人は誰もいない。

 そう考え、ロイはもしもシーリーンと接点が持てた時のために、コミュニケーションの方針を多少は決めておく。


(けど、その期待がプレッシャーになるのもわかる。だったらボクは、アリスとは違う方法で――)


 そう心の中で呟き、ロイは何気なく自分の前世を思い出した。

 別に勉強が好きだったわけではない。ただそれでも、なにかが違うだけでイジメられて、1人がやると、周りがイジメているからイジメられる状態になる。


 あの状態の苦しさはロイも知らないわけではない。

 だからせめて同級生ぐらいは、誰もできないなら自分がどうにかしよう。と、彼は誰も損をしないはずのワガママを、内心で確認した。


「あっ、最後に1つ」

「ん? なに?」


「シーリーンさんって、金髪の美少女なのよ。ロイなら心配いらないと思うけど、風紀的に考えて、あまりデレデレしちゃダメよ?」


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