1章9話 夕焼け空の下で、王都からの使者と――(2)



 王立グーテランド七星団学院。

 王都にある唯一王立の教育機関であり、いわゆるこの国、グーテランドの最高学府だ。


 剣術と魔術だけではなく、語学、数学、法学、物理学など様々な分野で一流の教育を受けることができ、過去にキングダムセイバーやロイヤルガード、オーバーメイジやカーディナルを数多く輩出している。


 お城のような敷地、構内と、質の高い講義内容。

 そして剣の道を極めようとする者にとっても、魔術の道を究めようとする者にとっても最上級の環境。

 王立機関ということで、それらが十全に揃っており、入りたくても簡単に入れるような学院ではない。


「……ッ、申し訳ございませんが、お断りさせてください」


 だが、ロイはそれを断ろうとした。

 憧れなかったわけではないが、理由があったのだ。


「無論構わない。これはお願いであって、国からの命令ではないからな。しかし、理由を聞かせてくれないだろうか?」


 一拍置くと、ロイは恐る恐る口を開く。


「……理由は、……2つあります」


「1つは?」

「この村は、決して裕福ではありません。その日その日の食べる物にさえ困っているというレベルではありませんが、豊かか貧しいかで言えば、恐らく後者でしょう」


 ふと、一瞬だけ、エルヴィスは村の住民たちに視線をやった。

 以前、ロイが考察したとおり、この国の科学的な水準は彼の前世の18~19世紀相当だ。


 魔術があるから科学的な技術は実用化されておらず、理論のみが先行している。

 エルヴィスにそのような理論と技術のギャップを知る由はない。ただそれでも、蒸気機関車がすでに完成している王都と比較すれば、確かにかなり、この村は貧しそうだった。


「それで?」

「この村でゴスペルホルダーはボクだけです。ボクが村からいなくなってしまえば、国からの援助金が出なくなってしまいます」


「もう1つは?」

「家族が、特に妹が悲しむと思います……」


「そうか、よくわかった」


 大きく、そして力強く頷くエルヴィス。

 そして彼は、少しも迷う素振りを見せず、片膝を付いて、しかし頭を下げず、身長が低いロイの目線に、自らの目線を合わせた。


「よく言ってくれた」

「へ?」


「オレはこれでも【獅子】と呼ばれている聖剣使い。オレを目の前にして、言いたいことをまともに言えなくなるヤツをオレ自身、山ほど見てきた。正直、寂しいと思うことさえあったほどだ」


「は、はい……」

「人間は自分よりも強い者と相対して、共存を決めた時、敬うか怖れるかの二択しか選べない生き物だ。だから、まぁ、委縮して喋れなくなるヤツらがダメというわけではないだろう」


「――――」

「だが、少年はオレに言った。村が貧しいと。妹が寂しがると」


 エルヴィスはロイの双肩に自身の手をガシっと乗っける。

 ゴツゴツしていて逞しい、そして恰好いいが、決して軽くはないその両手。


 軽いわけがなく、多少の怖れも抱いている。

 だがそれでも、エルヴィスの人格者としての温かみと、優しさが伝わってきた。


「その性分、気に入った。オレの今年の年収の半分、いや、2/3をこの村に捧げさせてほしい。それだけあれば向こう20年や30年は、かなりいい暮らしができるはずだ」

「!? エルヴィス様、しかし……っ」


「そして少年の妹はどこだ?」

「わ、わたし……です……」


「少女に問う。兄と離れ離れになるのは寂しいか?」

「は、はい……っ!」


「ならば、オレが少年と一緒に、少女のことも王都の学院に入れさせると約束すれば、お前はついてくるか?」

「う、うんっ!」


「最後、2人の母と父に問う」

「は、はは、はい!」「な、何なりと……っ!」


「少年が王都に行きたくない理由や、村の貧困、家庭としての金銭の事情。そういうのは、どうでもいい」

「それは、どういう意味で……」


「人の親も人の子なのだから、感情があるはずだ。どうも、オレはかなりワガママな人間らしくてな。少年を気に入った。だからそれに見合う投資をする。ではそれを踏まえ、己のうちから湧き上がる想いは、息子に王都に行ってほしいか、行ってほしくないか、どちらと叫んでいる? 貧困なんぞ、気にするな」


「ロイには、以前も王都に行かないかって提案しました……。その時と、私の気持ちは、建前はどうであれ変わっておりません」

「オレ、ゴホン、私も妻と同じ気持ちです」


「だ、そうだ、少年」

「ですが……」


「一応言っておくが、改めて断っても、投資をやめることはない。そんなことをすれば、器の狭さが露呈するからな。そこだけは安心してほしい」


「エルヴィス様……」

「お前もこの両親と同じだ。自分がなににも縛られない完璧な自由を得た時、王都に憧れるとか、大都会で暮らしてみたいとか、そういう衝動を覚えるか否かが大事なのだ」


 嗚呼、そうか――。

 エルヴィスの言っていることは唐突すぎるし、強引だし、地位も高いから反論なんて基本的にできるわけがない。

 出会ってまだ10分ぐらいしか経っていないが、確かに、言動が自己中心的なようにも感じられる。


 しかし彼の言うとおり、村の事情とか、家庭の金銭の問題とかは、ロイがどのように考えるかには関係あっても、どのように思うのかには関係ない。

 要は感情論に感情以外は必要ないのだ。


「確かに……ボクも王都には憧れています。けど、流石に財産をもらうとか、妹まで融通を利かせてもらうとか――ッ」

「少年、子どもは大人に迷惑をかけていいんだ」

「…………っっ」


 ふと、ロイは前世のことを思い出す。

 家族にも、幼馴染にも、迷惑をかけまくっていたからこそ、これ以上迷惑をかけてはいけないと悩んでいた。


 自分が何もしなくてもデフォルトで迷惑をかけてしまう生活だった。

 だからこそ、ロイは親の言うことにずっと従って、なにかをしてみたいとワガママを言うことはなく、顔色を窺って、たとえ自分が一番つらくて苦しくても、愛想笑いを浮かべるような子どもだった。


 翻って現世では、誰にも迷惑をかけていないはずだから、逆に物分かりがいい子として振る舞っていたし、今も振る舞っている。

 期待されているからこそ、なにかワガママを言って期待を裏切れなかった。それほどまでに、現世でロイが感じているプレッシャーは重い。


 ゆえにロイはエルヴィスの言葉を聞いて、応える。


「ボクは、王都に行きたいです」

「――かなり強引だったが、頼みを聞いてくれて感謝する」


 その時、やたら厳かな顔立ちだったエルヴィスが、村に来て初めて笑った。

 快活にして豪快にして優しい、そんな朗らかな笑顔である。


「まぁ、流石に少年の妹まで王都に連れていくことになると、大臣とかから小言を言われるだろうが――そのようなことは些末な問題だ。この由緒正しい伝統と歴史ある王国のお偉いさん方に、子どもの無茶を受け入れる器がなくてどうするという話だ」

「ありがとうございます!」


「しかし、本当に申し訳ないが、少年の妹を王都に連れていくための、お偉いさん方を少しでも納得させられる建前がない」

「――と、言いますと?」


「確か資料によると、少年と妹は4歳差だったな。ならこうしよう。少年は中等教育の下位過程を修めるまで、つまり15歳までこの村にいる。その時、妹の方は11歳で、初等教育を卒業するはずだから、この村の初等教育で構わない。学年首席になれ」


「――――」

「その時初めて、オレは改めて2人を王都に招待する」


「わたしも、王都に……」

「今すぐ王都に連れて行かないのかよ、という指摘もあるだろうが、そこらへんは我慢してくれ。少年は自分だけ先に王都に行くことを許せないのだろう?」


「は、はい!」

「最終的にはきてもらうが、今はまだその時ではない。このことはオレの方から多方面に説明しておく。だから少年は残り4年と半年、この村で悔いのない生活を送るといい。以上だ」


 それだけ言い残すと、エルヴィスはきびすを返して、待たせてあった馬車の方へ歩き始める。


 こうして全ては順調に進み続け――

 ――この出会いを以って、ロイの物語のプロローグがついに終わった。


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