深淵を覗くとき……云々


 私がトラックに轢き殺された後、実際に何があったのかを正確には理解していない。推測をしても余程突拍子もない考えしか出てこない。ただわかっているのは気付けば私が真っ白で何もない空間に突っ立っていたことだけだった。



 ◆ ◇ ◆



「おめでとう! キミは異世界に転生する権利を得た! やったね!」

 それから少し経って、私はどこかからやってきた女性にそんなことを言われた。

 今時の詐欺師もめったに使わないような手法を利用して何がしたいのだ。といってやりたかったのだが、なぜだか強く頷きぼそぼそと何かをしゃべっている彼女の姿に、口から出かかっていた言葉は喉の奥底にまで引っ込んでしまった。

 たぶん、気狂いの類なのだろう。


「いやぁ、本当におめでたいね! だって異世界に転生できる人なんて数千年に一度くらいしかないんだよ?」

 果たしておめでたいのは私の境遇なのか、それとも彼女の頭なのか。私は激しく後者であることを願う。第一異世界転生なんていう物は空想の産物だろうし、現実にあってはたまらない。


「あぁ、でもね、転生するにはある程度精神状態を知っておかないといけないんだよ」

 ……やはり詐欺師の手技ではないか。

 そう思ったとたん、私の視界は揺らめいた。


「ちょっとテストを受けてもらうね」

 そうして気付けば、今度は奇々怪々の踏切の眼前に突っ立っていたのである。



 ◆ ◇ ◆



 深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのだ。という言葉がすごく有名だが、しかし私は深淵というものがこれほどまでに奇々怪々で、理解不能で、狂気の業に染まったものだとは思いもしなかった。

 狂気の一片も理解できなかった挙句、今はその狂気に満ちた世界のど真ん中にいる。飲み込まれた、という表現が正しいのだろう。

 けれど、もし、これが彼女の語る「テスト」とやらであるのならば一体何を測るテストなのだろうか。精神異常の度合いを調べようとしているのか、どれほど狂気に染まっているのか、もしくはただ単純に順応力を確かめようとしているのか。

 一番納得のいく推論が一番最後の物なのであるが、そんなものはわざわざ狂気の踏切世界に降り立たなくとも彼女と数時間会話すれば理解できるものだろう。……見ず知らずの女性に「異世界に――」などといわれて会話を数時間続ければ、よほど順応力のある人間である。


「……ん? じゃあ私はこの中から一人を選ばなければいけないのか?」

 しかしその時気付いてしまったのだ。この空間におけるトリックスター的存在は私であり、その私が介入できるものは、おじいさんと、女子高生と、おっさんくらいしかいないのだ。

 つまり、これは三人の中から一人を救済する問題なのかもしれない。第一踏切は警鐘をけたたましく鳴らしているが一向に電車が訪れる気配がない。これはきっと、一昔前に流行った、一人を選ぶとほかの人が死んでしまうと言う奴なのだろう。


 ……つまり、おじいさんを選べば女子高生が死んでしまい、女子高生を選べばおじいさんが死ぬ。ということである。


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