Ⅴ 魔女は人間を憎悪してはならない



    一 魔女の弁明


 猊座げいざに御座す御神みかみに愛されし皆さんよ、恥もなく虚言する彼らが然々の事情として私を告発されたわけであるが、彼らがひとつとて真相を語るに至らなかったことは私には明知なことだと思われます。論議の肯綮とはすなわち、私の善なる意志に従った思考を人々に伝えんとした言葉が、瀆神とくしんであるか否かでしょう。

 斯かる論はさておき、まず私は貴方たちに宣誓しておかなければならぬことがあります。というのも、私たち人間は動物と異なり理性を持つものであると同時に、神より賜る慈悲深き情を持つものであり、審判を取り熟さんと欲す者はとかく己れの真を歪曲し泣き落としては情に訴えるものです。私はそのように生きるのであれば、死を望む。故に私は、努めて理性的に自己弁護に励み銘々の所持する理性に恃み、真実を語ることにしましょう。斯様なる貧しき私は、言を俟たず大勢の面前に登壇し物事を論じるようなことは初めてでありますが、パルラの皆さんには言論の巧拙、すなわち私の弁論方法――雄弁家の用いるレトリケーといった技術――よりも偏に弁論内容のみを聴取されるように注意されたい。審判員における徳性とは、真偽の判定のみに存するものですから。

 吃驚を禁じ得ないことですが、彼らの言うところでは私は魔術・話術により人々を誑かす悪魔崇拝者ということにされております。しかし、私の語りへ耳を傾けてくれた方々には、キルケーのごとき魔術の才がないことは子供でも直証とできることでしょう。神話を習う子供は自らと成人の差異よりも、自らには神々のごとき神力しんりきも魔術も為しえないことをまず知るのです、私もそうして悲しみを抱いたものでしたが、今はそう思いません。かるが故に私は人間が魔術を扱うのではなく、人間が神々に魔術をかけられるのだと断言しましょう。我々はそれを享受し、善く生きる外ない。然りとて、善き生と幸福は同一ではなく隣人でありますから、後者にはホメーロスも用いるような比喩として「魔術」が必要なのです――私は神より魔術をかけていただき、ひとつの預言を授かったのであります。

 ――人は己れの無知なることを識ろうと熟思し、知を欲さなければならぬ。我ら神は天上ではなく常に人々の裡に遍在する。世界の外部へ向けた探求とは世界の内部、己れ自身を探究することに他ならない。知を愛す者ソピアよ、お前はこの言葉をすべての人間に告げ知らせねばならぬ。人間に賦与されし思考の意義とは、遍く「未知」から「既知」への因果的明証にあるのだから。

 つまり、この神託の詳言こそが当審判の問題であり、彼ら曰く瀆神行為だというわけです。ですが、神言かみごとに耳を貸さぬ者の為すところこそが瀆神であると、私には思えてならぬのです。

「口を慎むことを知らぬ下場したばめ、皆よ、ご覧のとおりである。この女は男に仕えもせず賢者の真似事に勤しんで私たちの信仰を否定、言い換えれば我らの信ずる神を否定したのだ。これは、瀆神と形容する以外に仕様がないのではないだろうか。本来ならばすぐにでも死の運命を以て償うべき悪徳であるが、審判の掟は須く守られねばならないため、私はソピアに問おう。苟もお前が自らの過ちを認め虚勢による強言こわごとを撤回して、禁錮・追放を提議するのならば皆は大いなる慈悲でお前を赦すと思われる。本当に、ソピアは無罪の旗幟きしを鮮明にするのだな?」

 無論です。私が罪有ると断じられてしまえば、罪を被るのは他ならぬ貴方たちでございますから、皆さんのためにも私は求刑などできぬのです。さて、掟に従えば善悪の判定は三度行われる、私が無罪を得るには集いし二百の内の百五十の投票が必要、これで合っていますね、よろしい。まずは皆さんの考えを明らかとしましょう。


     是:百八十二 

     非:十八




    二 生と死の意義


「見てのとおり、皆はお前の死を望んでいる。生あるものなら死を怖れないことがあるだろうか、いや、そんなことはないだろう。かるが故に、自らの死を望むとすればそいつは狂人に他ならぬ。彼の英雄『アイアス』とて絶望に抗えず狂気に身を窶(やつ)したことは、パルラスなら誰でも知っている」

 では、私は努めてアピリストス君の疑問に答えるとしましょう。勘違いされては困りますが、私は絶望によって死を選択するつもりなどはなく、むしろ誇りのためにこそ、換言すれば生きるためにこそ死は希望として残されると考えます。君は今アイアスを論拠としたので、今度は私が神にも似たアキレウスを論拠に反駁を試みますが――自陣に引き籠もるアキレウスが親友パトロクロスの死を知ったとき、彼は確かに深き哀傷に囚われたことはご存知のとおりです。はて、彼はそこで狂気に陥ることがあったでしょうか、ねえアピリストス君。

「いや、駿足のアキレウスは決してそのような為体ていたらくは晒さなかった……それがどうしたのだ」

 であれば、貴方の指摘は不条理に他ならない。よいですか、アキレウスはヘクトルへの炎々たる復讎ふくしゅう心を胸に出陣を果たす際、逃れ得ぬ死の定めを母なる女神テティスより予言されたのです。彼は死を怖れることもなく、むしろ友の仇を取ることもなく生に執着した惨めな在り方を怖れたのであり、その怖ろしさに比すれば死などは決して問題にはならぬのです。皆さんはそんなアキレウスを愚か、ないしは気狂いというのでしょうか。誰よりも友情に厚い彼が? アピリストス君、貴方が述べたのはまさにそういうことなのですよ、難しいことは何も話していないでしょう。これで私が虚勢ではなく、真に己れに誠実にあろうと無罪を述べたことは理解していただけると信じております。

「――(アピリストスの緘黙)――」

 パルラの皆々よ、詮ずるところ確然な事実は次のようなことです。何をおいても自分の最善と思しき使命が一度賦与され見出されたのなら、我々は仮に死の危険を冒すことになろうと、死んでもそれを為そうと欲さなければならぬのです。斯様な希求は死の希求ではなく、我ら人間の誇りある生の希求ために伴う付随的死でしかなく、死してなおも悔恨を抱き得ぬ生こそが何より大切であることが、偉大なる神々と先祖が我らに伝えたことなのであります。

 では、続けて私の行為及び瀆神の定義についての私見を述べておくとしましょう。




    三 瀆神賛美


 幸いなことに、私には私を師として慕ってくれる愛しい弟子たちがおります。勿論、私は人の師表となる優れた人格を有するとは自認していませんが、彼らは自らの意志で私に師事してくれました。ですから、私は彼らを含めた多くの人々に神の欲するところを語りました。そして、多くの人々に嫌悪・憎悪の念を抱かれた結果が、この審判なのであります。

 有り体に申し上げれば、自らの蓄える知を過信し全知の如く振る舞うことは瀆神に他なりません。この世に全知なるものがあるならば、それは神のみでありましょうからな。また、これは皆さんにも注意して聴いてほしいのですが、神々を我々と隔てられた天上に住まうものとして考えることも瀆神に他ならないのです。これは、理性的な方々でさえあるならば誰でも得心の行く話ですが、そも世界を創造された神が、どうして我が子たる我々のみならぬ世界そのものと隔絶され得るのでしょうか。むしろ私たちは、常に神と共に在ると考える方が蓋然的ではないですか。

「待ちたまえ、ソピス。貴方はつまり、ホメーロスの記したる神話そのものを否定するのか? 我々の信ずる神そのものを? それこそ瀆神ではないか!」

 落ち着きたまえ、態々非理性的な姿を晒すこともあるまい。そしてホメーロスの言葉を思考するのだ、彼は神を人間と隔たるものとしては決して描きはしなかったでしょう。神はいつでも人と共に在り、この世界に確かに存在していた。つまり、ホメーロスは我々と同じく神々を知覚できないが故に、神の住処を〝天上〟と綴ったのです。詩人たる彼は斯様な暗喩の読解を我々に期待したのであり、神は私にそれを教示してくれたのです。

 苟も神々が我々の干渉し得ない天上に居るのなら、それは神が我々を見放したことを意味する。これ以上の失礼、瀆神があり得ましょうか?

 私たちは自ずから神に触れることを望み、その姿を知を愛すことによって欲し思索しなければならない。ホメーロスはそれを詩人として実施したのであり、彼の描出が世界の真実であるわけではないのです。私たちは銘々の神を持つことを許されています、世界そのものは神そのものですから私たちは大いなる神の一部なのです。と、いった具合に、我々には自由な思考が許されていることを、皆さんに伝えたかったのです。そうでなければ、全治全能たる神は私たちに思考と理性を決して与えはしなかったことは、果たして理性的な方なら既にお気づきでしょう。ねえ、ズィロティピア君。

「――(ズィロティピアの緘黙)――」

 では改めて、私の考える瀆神について語らせていただきたい。旧套に照らせば「神聖」とは、神々に属す事物にのみ与えられし価値でありますが、他方「瀆聖」とは神聖とされたものを穢す行為、すなわち、神聖なる事物を我々人間が用いたり、神に捧げられし供物に手を出すこととされてきました。

 私たちの手にあったはずの事物は、視覚的変化もなく儀式として神聖にされ、私たちの手から離れるわけです。それ故、「神に捧げる」行為は本質的に、「事物を人の手から神の手へ渡すことで、人と神が触れ合い通じ合う」ための儀式に他ならぬのです。さらにここから「瀆聖」の本質が見えるのですが、瀆聖すなわち「神聖を穢す」行為は、神へ渡され人間世界から離れた不自由事物を、再び人間世界へ還し、我々にとっての自由事物とすることに他なりません。そこには本来穢れなどはなく、むしろここで言われる「瀆神」は、先ほど私が述べた〈神の探究〉において必要不可欠な行為と言えましょう。

 我々は今一度、人間の紡いできた世界体系と思考体系を疑い真実を考え直さねばならぬのです。舟人が壊れた舟の修理を幾度繰り返し舟に乗り続けても、いつかは壊れてしまうように、始まりから違えたものはいつか大きな誤りを導くものです。かるが故に、人間は何をおいても思考のための疑念を持たねばいけないと、神は私に告げられたのです。要するに、現在に至るまでに私たちが瀆神と認識してきた行為は理性的に思考すればむしろ神を愛すが故に為しうることであり、他方盲信による思考の放棄は、神より賜った総てを蔑ろにすることに等しいことが帰結されます。この後者こそが本当の意味での「瀆神」に他ならぬことに、我々は気づかねばなりません。


     二度目の投票


     是:七十七

     非:百二十三




    四 神の内外


「真に幻怪げんかいな事態である、よもやソピアに眩惑され与する愚者がこれほど居ようとは。皆よ、冷静になることだ。確かにソピアは神を尊ぶが故に我々と先祖の曲解を指摘したようにも聞こえるが、だとすれば我々の疑念はいずれ神自身にも向けられることは必定ではないか? 何より、ソピアを無罪とすることは、今日まで死刑に処された者たちが実は死刑ではなく、無罪にすべき者であったと言うようなものであり、既に我々と貴方方は人を殺めし罪人だということになる。そんなことを、本気で認める気なのか、勿論そうなった場合には罪有ると思しき者に仕事を務める資格などはないから、相応の処罰も有ることを忘れるなよ」

 君も困った御方ですな、放縦な言葉で人々の賢慮を歪曲しようとは恥知らずもよいところだ。皆さん安心してください、神はすべてを知る御方でありますから、最後に勝利するのは何があろうと私たち理性的人間です。人間の尊厳さえ失した動物的人間になることは、努々なきように。彼が斯様な言葉で貴方たちを脅すということは、私の言葉の正しいが故に論駁し得ないことの証跡なのです。また、私の聲を聴聞してくださった方々、私の言葉を思考して受け入れてくれた方々、本当にありがとうございます。

「いや、そもソピアが追放を提議していたのなら、人々はここまで惑うことはなかった。お前が本当に人々のことを考えるなら、我らの静穏のために大人しく追放されるべきではないのか。ソピア、お前は神の言葉を騙ることで身勝手に生きようと欲するなのではないかね」

 成るほど、苦し紛れの提言にしては悪くない反論かもしれません。しかし既述のとおり、私は神託を下された身でありますから違背することはできぬのです。私には生か死のみが有ればよい。私が逃げ出すようなことがあれば、それは神と私を信じてくれた皆への裏切りに他ならない。私のためにも御神のためにも愛する祖国の民のためにも、私は命を懸けて戦わねばならぬのです。勿論、私の言葉を信じるか否かは銘々に委ねられるので、本当に心の底から私の言を是認できないなら歓んで否認を受け容れましょう。しかし、どうか自分自身を裏切ることだけはしないでください。

 それは、何ものにも比し難い醜悪なのです。どうか皆さんが人としての誇りを見失わぬよう、私は茲許に祈りを捧げましょう。生に意味を見出すこの祈りを――。

 もはや私に多くの語りは必要有りません。如何にして私が無罪であるのかは、既に十分述べたのですから。よって私は、世界の在り方に関する考察を最期に伝えておきたいと思います、そして覚えていてほしいと、そう思います。では聡明なるプロドシアよ、君の考える真なる世界の在り方をどうか私たちに語ってくれまいか。すなわち、現にて信じられている世界の在り方について、君の口から聴かせてほしいのだ。

「何を企んでいるのか知りませんが、好いでしょう。神代かみよと異にして、現今の世界が神の存しない悪に満ちた世界であることは論を俟ちません。前提として、世界は物体と霊魂の二世にせに分かたれている。私たちの世界と天上の神々の世界は、善き生ののちに来訪する死によって肉体を離れ霊魂へ至るまで決して連繋し得ないのです。また、この世界――宇宙――は〈善悪〉の悪を担うものです。今、貴方のような偽り者もいるようにこの世は悪徳と狂気に満ちている、故に神の世界は絶対的な善であります。神が創りし始原の宇宙こそが〈真〉なる世界であり、その否定たる我々の宇宙は〈偽〉なる世界に他ならない。よもやソピアともあろう御方が、この世には悪徳も狂気も存し得ないとは言わぬでしょうな。また、神々といえども総てが真――善――の神とは言えまい。彼のトロイア戦争を誘発した不和の女神エリス、その娘たる不法の女神デュスノミアー、狂気の女神であるアーテー。何より、地上を支配する偽の神アルコーンの如く、世界に悪の内在せしことは、叙事詩をためしにしても歴史を例にしても現在を見渡しても明らかでしょう。要するに、世界は二元的であり我々の信仰する既存の神・神々を真・善とするのは誤謬と言えましょう。悪なる現世は物質で構成されるため、物質そのものもまた悪であることが導かれ、善なるものは物質ではない霊魂として存することも同様に導かれる。ここで言われる「真」かつ「善」かつ「神」かつ「真理」かつ「アイオーン」と呼ばれるものこそが、私の師――ソピアの定義した『イデア』なのです」

――ソピアの微笑、大衆の響めき――

「皆さんお静かに。然るが故に、世界の真理ないし神の探求のための探究が必要であることは私も同意しましょう。告発者であるといっても、私もまた知を愛す者として己れをはかりごつことはできませんからね。とは言うものの、貴方は先ほどこう述べましたね。神は世界であり神は我々の裡に存する、そして神の探究とは自己の探究であると。より敷衍ふえんすれば、貴方の言説は貴方自身がかつて定義した理論と甚だ乖離していることを、私は指摘したい。世界は二元的ではなく一元的に構成され、物質と霊魂はひとつの世界にて同一視……いや、そも霊魂の存在さえ否定しているのでしょうが、その思想は我々の世界認識を根底から覆す危険なものです。皆さんも、ただの言葉と思って聴いてはなりません、彼は今日という時機に種を蒔いたのです。我々の観念を揺り動かす革命の言葉、その嚆矢となる思考の種を。告発者としての私は、彼の言葉を否定せねばならぬでしょう。斯様な新奇の予言は、畢竟理性的かつ理に適っているとも言えるが、確実な論拠に欠けると。だが、〈愛知者〉としての私は決して彼女の言説を否定できないのです。逆説的に、ソピアの理論が誤りである確実な論拠もまた、私たちには見出し得ないことが明示されるのですから。残された真偽判定は、偏に銘々がどちらの在り様を望むかに掛かっている。私が詳述した世界体系もまた、同様に確実な論拠など存し得ませんから。

 我々が信じてきた旧套の世界、現行にて新たに示される世界、外在する神々、内在する神々、分かたれた命、一となる命、皆さんには自由に思考し選択する権利があるのです。私はソピアに決して賛同はしません、しかし彼女が〈愛知者〉たり得ることは〈愛知者〉たる私には断言できますし、皆に思考の自由が善なる神によって与えられたことは、私とて同意せざるを得ないことです。ですから、私は最後にこれだけを皆さんに伝えたいと思います。己れを偽ることなく、真すなわち善を欲してください。私の言う「善」とは、己れの思想でなく己れの欲するところに従うことです。恒常の恬静てんせいを欲望するか、革命の流転を希うか。さあ皆さん、今此処に決めようではありませんか!」

 君はいつも本質を捉える能力に長けていたが、変わりないようで安心したよ。私が言い残すべきことは、もう何もないでしょう。私と彼は結句相容れることなどありえなかったが、認めないこともまたありえなかった、それだけで私の生は最上の幸甚と断言できる。


     三度目の投票


     是:八十三

     非:百十七


[ソピアの「死刑」が確定し、審判員の幾十人かが退出し始める]




    五 魔女の辞世


[綴りたる物語りの総ては、敬愛する我が師ソピアの言の葉を弟子である私が、見果てた姿をもとにし記したものである。本来ならば、審判はここで終わりなのだから物語りを閉幕すべきなのだろう。それは師より言い付けられたが故、重々承知しているが、私の独断で師の最期の想いを綴り残すことをどうか許してほしい。大きな変転の水端、言葉の渡し舟を智慧海から世界へ齎した、歴史に名さえ残らぬであろうこの偉大な〈人間〉の存在が、いつか我らより遙か遠い子らに伝えられるよう祈りを込めて、私は『知を愛する者』として思考のすべてを物語とす。

――思い惑い、幾人かが冷静を欠いた中、ソピアは物語る。]


 残された僅かな時間、私に時間をくださることを感謝します。また、未だ私の言葉を聴取してくれる方々にも、感謝致します。

 先述のとおり、私はこの結末を歎くことはありません、況してや憎悪に捉われることもありえないでしょう。私に死が迫ることは、弟子に私のすべてを伝えた時点で感じておりましたから。さあ、皆さん、どうか悲しむようなこともなさらないでください、慈しみ深き貴方たちは確かに素晴らしい、ですが私の死を不幸だとは曲解しないでほしいのです。

 皆さんは私が有罪と判じられたのは、私がそれを逃れる手段を持ちながら為さなかったことに起因するとお考えかもしれませんが、そうではありません。私には初めから、皆さんを説得しうる言説などなかったのです。換言すれば、私の有罪を望む人々が求めるような恥知らずの偽り言など、私には持ちえなかったのです。有るのは、私の真実のみ。

 私は神ではないから予言などしませんよ、安心してください。私の死によって皆さんに災禍が訪れるようなことを、神は為さらない。それでも仮に災禍が有るのなら、それはただ定められた現象でしかなく神罰でも私の呪いでも何でもないのです。世界は今も昔も、在るがままに在るだけでしょう。

 最後まで私の無罪を主張してくれた方々、ありがとうございます。そして、私を有罪としたとしても、我が言葉を真心にて享受し理性的思考を持ってくれた総ての方々も、ありがとうございます。貴方方が己れを謀つか否かは、貴方方の自由なる精神が決定したことですから私は歓んで受け容れましょう。どうか憶えていてください、何ひとつ悲哀なく、何ひとつ悔恨を抱かず、誰と比すことさえできぬほどに私、『ソピア』の生が素晴らしきものであったことを。そうして私がこの世界の、――神、弟子たち、貴方たち、知――存在するすべてを愛していたことを、我が墓碑と銘々の心に刻んでくださるならば、ソピアは微笑みを以て幸甚の極致を示しましょう。

 名残惜しい気持ちがないわけでもありませんが、もう去る時間です。私は死すべくして死に、貴方方は生きるべくして生きるのだから、その生は他人に明け渡してはなりません。己れの生は己れのみのものなのですから、どうぞ大切にすることです。

 さて、私は先に幸福の彼方へ往きます。いやまったく! 幸福な生と死が如何様なものか、今から識るのが楽しみだ。お前たちに出逢えてよかった。では、さようなら。


[日常の別離の如き楽観的微笑を湛えながら、他者と比較し得ない境地に存する唯一の自己の生を謳歌する不可思議な生き様。人々を魅了した彼女の形相けいそうの形相、愛知者が未だ見果てぬ其に焦がれる最中、爾くソピアの生は終幕した。爾後はただに神のみぞ知るであろう。]

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