どこにでもあるような失恋のお話

キジノメ

どこにでもあるような失恋のお話

 校則で化粧は禁止されているけれど、リップを色付きにするだとか、日焼け止めクリームをちょっと色付きのものにするだとか、そうやって着飾るのは女子にとってお手の物だった。

 大事な日にしか使わないリップクリーム。500円以上はする、高校生にとっては高価なそれは、ほんのり桜色を唇に乗せることのできる、保湿上等のリップクリームだった。

 ――今使わないで、いつ使うっていうのよ。

 そう自分に言い聞かせて、鏡の前で手を震わせながら塗ったのが、3時間前。

 名前を呼ばれて立ちあがった先輩を目に焼き付けたのが2時間前。

 卒業証書を受け取る先輩をこれでもかと見つめたのが1時間30分前。

 そうして、

「ずっとずっと、好きでした。卒業しても、私と付き合ってくれませんか」

先輩を見つめて、そう告げたのは、たった30分前。



「ひぐっ、ぐす、……ひっ」

「ほら泣きやめよ。今日は俺が奢ってあげるからさ」

「……じゃあジャンボパフェ食べる」

「奢るって言った傍からそれか、お前」

呆れた三塚の声に、いつもなら拳を振り上げるけれど、今日は怒鳴る気力もなかった。それどころか目も開けられない。さっきまでハンカチで顔を抑えていたけれど、それでも涙が止まらなくて、もう手で直接目元を拭っていた。


 先輩に振られた。たったそれだけ。どこにでも転がっているような、失恋の話。


 ドラマとか、漫画とか、あらゆるもので失恋するシーンを見たことはあったけれど、自分がしたのは初めてで、こんなにも心がつぶれそうなほど辛いのかって驚いた。涙が止まらない。何度も何度も先輩の言葉が脳裏によみがえる。


『ごめんね。付き合うことは出来ない』

『僕は、他県の大学へ行ってしまうから』

『篠田さんには僕じゃない、もっと良い人が見つかるよ』

『ずっとずっと、お元気で』


 凛とした先輩の後ろ姿に、すがりついて、泣き叫んで、そして思いっきり殴りたかった。遠距離でもよかった! 誰よりもあなたが好きだった! そんな、最後のお別れみたいな言葉を聞きたかったんじゃない!

 でも先輩は、行ってしまった。最後までその背筋は曲がることがなくて、凛としたものだった。そういうところが大好きだったんだし、そして大好きだった先輩に私は振られたんだと思うと、涙が止まらなかった。

 好きでした、好きでした、好きでした! そうやって叫んであの背中を追いかけたら、結果は変わったのだろうか。けれど軽蔑の表情なんて浮かべられたらそれこそ立ち直れない気がした。好きなのに、けれど、あの背中を追うことは出来なかった。

 先輩は私のこと、どうでもよかったのかな。部活で一緒にいた時間とか、私みたいに楽しくなかったのかな。私だけわくわくしていたのかな。どんどん辛くなってくる。私は、あなたといたあの部屋、あの時間、帰り道、全部楽しくてきらきらした思い出なのに。

 思えば思うほど涙が止まらない。ちょうど届いたパフェに、親の仇のようにスプーンを突き立てた。

「その勢いで皿を割るなよ」

きっと三塚を睨む。あんたなんかに、こんな気持ち分かるはずがないんだから。いつもすっとした顔してひょうひょうと過ごして、人間の喜怒哀楽……とまでは言わないけれど、恋愛とか進路の悩みとか、学生らしい悩みを全部置いてきたようなあんたなんかに分かるわけない。

 三塚は届いたコーヒーに、砂糖を入れている。角砂糖1つ、角砂糖2つ……何個いれるつもり? 泣くことも忘れて呆然と見つめていると、三塚は6つもの角砂糖をコーヒーにぽちゃぽちゃと入れて飲み始めた。

「……甘くないの? あんた、甘党だっけ」

「ちょうどいいよ」

すました顔をしてコーヒーを飲んでいる。それを見ながら、私は先輩とカフェに行った時のことを思い出した。

 私がケーキを食べている向かいで、先輩はコーヒーを飲んでいた。それも今の三塚みたいに角砂糖をごろごろといれて飲んでいた。大人っぽい先輩が実は甘党なんだと知って、驚いた。そういえば、甘党だと知っていつか先輩にケーキを作ろうと思っていたのに。それも叶わないままに先輩は私の手が届かない場所へ行ってしまった。

 先輩の行った大学は超有名私立大学で、私の学力じゃ、行けるはずがないのだ。

「……先輩みたいに飲まないでよ」

「あの人、甘党なんだ」

「そうよ」

この無神経、デリカシー無し男! なに砂糖使ってんのよ。その顔に似合うブラックを飲んでなさいよ!

 目をそらしてパフェをほおばる。いつものようにパフェは甘い。甘くて、先輩のことをたくさん思い出してしまう。もっと一緒に出掛けたかった。食事をしたかった。遊園地も行ってみたかった、水族館でもいい。先輩の好きなところを先輩の話を聞きながら行きたかった。

 色々としたいことを考えていたのにもう振られたから終わりなんだ、と唐突に再認識してしまった。

「うっ、ひっ、うわぁぁぁぁ」

「おま、篠田、泣くな泣くな、ここ外だから」

「先輩ぃぃぃ」

「落ち着けって」

三塚の手が頭に伸びているが分かる。それを払って、私は立ち上がった。

「ごめん、やっぱダメだ。これ、っ、食べて。お金今度払う」

「金はいいけど、お前ひとりで帰れんのかよ」

「ここから1分よっ、ば、ばかにして」

走るようにしてカフェを出る。もう家に帰って、泣こう。泣いて泣いて泣いて悲しもう。もう知らない。先輩、先輩に振られてしまったんだ!

 カフェから出た途端、最後まで押し留めていた何かが流れていって、口から自分のとは思えないくらいの号泣があふれた。周りの人はぎょっとしてると思う。けれどそんなのどうでもよくて、私は声を上げて泣きながら家に向かった。



 パフェを一口食べ、やはり甘いと顔をしかめた。

「すみません、コーヒーください」

砂糖の溶け切ったコーヒーを脇にやり、もう一杯頼む。届いたそれをブラックのまま飲めば、ようやく口の中のべとべと感が消えて落ち着いた。

「食べきれるか、バカ」

パフェを机の中心に追いやって、ごん、と額をテーブルにぶつける。

「目の前で振られたって泣いて、俺のこと一切見ないで、どっちがデリカシーないんだよ」

シュガーポットを苦々し気に睨む。

「俺のことは一切眼中にないのかよ」



 これは、どこにでもある失恋のお話。

 同時にぱりっと恋が割れてしまった、そんなお話。

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