第3話 「蝕」
生命の樹は皺枯れた自身の腕を抑えて泣き叫んだ。
【ブモオオオオオオオオオオオオッ!!】
崩れ落ちる大樹の巨人を眺めながら、ヴォグは冷や汗を一つこぼした。
【……その力、ヒトのものではないな。】
(生命の樹は私が長い期間持続的に生命を与え続けた特別製だ…。それをたった一瞬で枯れ木と化すとは。これが「魔術」というやつか?)
ヴォグは決して魔術に関して無知というわけではなかった。水野が投入されるより以前、数多の魔術師が討伐に動員されていた。だが、いかなる魔法もヴォグにとって、まともにとり合う必要もないものだった。
だからこそ混乱していた。
(魔術とは極めればこれほどのレベルになるのか?しかし原理が分からん。炎や水の類ではない。…探ってみるか。)
ヴォグは地面に手をかざし、樹木を呼び起こす。
樹木はヴォグの意思で自由に変形が可能だ。一度バラバラな糸状の「繊維」に枝分かれし、寄り集まる。
より細く、しかしより強靭に、より鋭利に。
組みあがった槍に聖浄たる生命を付与すれば誕生する。
『―
【行け】
長槍は一斉に男に向かい空を切り裂いた。
(見定めてやる。奴の能力を)
「はぁ……」
大剣を右腕で力なく構え槍を振り払う動作を見せる。
(片腕……!?)
4本の長槍は前後二本ずつ、あえて時間差をつけてヒットするよう陣形を組んだ。
ガイのパワーならば横一閃で薙ぎ払われるだろうという計算があったからだ。
そしてその予測は正しかった。ガイは正面の二本を容易く薙ぎ払った。そして、後続の二本を待ち、体制を整えようとする。
ここだ。
【
長槍に込められた生命の開放。繊維を束ねた槍だったものは形状を変え、本来の植物の姿を取り戻す。
——だが、その花の栄養源は地面からの養分ではなく、生物の血肉であった。
『—
巨大な食人花はヴォグの植物兵器の中でも有数の火力を誇る。殺傷能力を引き上げるために体内に施された仕掛けは3つ。
一つ、口内に搭載された無数のカギ歯。逃走する標的を決して逃がさない「返し」の働きを持つ。
一つ、クジラの皮膚すら数分で溶かしきる規格外の消化液。あまりの強力さに『喰悔花』本体も耐えられないため、誕生から一時間ほどで死んでしまう。
そして何より特筆すべきなのは——
※
アメリカンフットボールのスタープレイヤー・ジョンは己のプレイに限界を感じていた。
ジョンは、QB(司令塔)のポジションにありながら、自分には最も重要な状況判断能力が欠けていることに気づいていた。
努力はした。しかし、どうしてもほかのプレイヤーとの差は埋まらない。そのうち、彼に最も足りないのは根幹である「反応スピード」であることがわかる。
ジョンは知り合いのスポーツ生理学者に掛け合い、「この世で最も素早い反応速度をもつ男に合わせてほしい」と懇願した。
翌月、学者はジョンをある研究所の一室に招待した。
フェンシング?バドミントン?サッカー?どの分野の選手が来るかと心待ちにした。
「お待たせしました、ジョン。こちらが世界最速の反応スピードを持つ男です。」
————そこには、しわがれた老人が立っていた。
「!?」
(この男が世界最速の反射神経を!?いやそんな馬鹿な!何かの間違いだ…ん?)
老人のほうを見やると透明なプラスチックケースを持っていた。
老人はおもむろにケースのふたを開け、ジョンに見せる。
「これは、ハエトリソウといってのう。文字通り、虫を食う草ですな。もし、あなたこの楊枝で口の触覚に2回、触れてみてくだされ。」
ジョンは何をやらされているんだと疑問に思いながらも、老人の言った通り、2回触覚に触れる。
すると、ジョンの持っていた楊枝は瞬く間にハエトリソウの大きな口に挟まれた。
「速ッ……!?」
「フォフォ、そりゃあ、植物の神経は動物と違ってむき出しじゃからのう。その分信号が伝わる速度も速い……平たく言うとこの地球上で反応速度において食虫植物にかなう生物はいないっちゅうことじゃ。」
アメリカンフットボールの超高速の攻防で鍛えられたジョンですら反応できなかったという事実。実体験はどんな理屈よりも圧倒的な説得力を持つ。
(まるで反応ができなかった。これが、世界最速ッ……!?いや、それよりも)
「ところで、『世界最速の反応速度を持つ男』というのは…」
スポーツ学者はニヤけて返答する。
「だから連れてきたろ?『世界最速の反応スピード』の草を『持つ』男をよ、はは」
「二度と草も生やせなくなる顔面にしてやろうか」
※
花が口を大きく開いてから閉じるまで、実に0.02秒。人間の反応の限界・0.10秒を優に上回る。
当然ガイの大剣は……間に合わない。
たちまち全身を無数のカギ歯で拘束され、身動き一つとれない体制に陥る。
「ゲララララララ」
喰悔花は消化液でうがいでもするかのようにガイの肉体をもてあそぶ。
【いかに強靭な肉体であっても所詮はたんぱく質の塊。5分もあれば墓代はいらなくなろう。】
(さあ、使え、あの力を。)
幾ばくの咀嚼を経て、花に異変があらわれる。驚異的なスピードでしわがれていくのだ。
(ここだッ!!)
ヴォグは地面に手をかざし、花に養分と生命を分け与える。
(おそらく奴の能力は『対象から養分や生命力を奪い取る』というもの。ならば、私がこうして生命を与え続ければ『喰悔花』は活動が可能なはずッ…!)
しわがれた花はみるみる明るい緑を取り戻していく。
ヴォグの試みは功を奏したのだ。
【勝ったッ……!正面から奴の力に打ち勝ったぞ!】
勝利を確信したヴォグの足元にガイの血液が流れてくる。
……血液?喰悔花の体内にいるはずの男の?
「余韻に浸ってるとこ悪いが、式場の予約を済ませたほうがいいぜ。かわいいペットの葬式のな。」
勝ったのはガイだ。
【馬鹿なッ!?喰悔花はッ!?】
巨大な食人花は死んではいない。むしろ、有り余るほど元気だった。ただし、巨大な口がもう一つできたかのような大きな穴が開いて。
【……いったいどうやって】
「答える義理はねえな。」
ガイの力の正体、名を『—蝕—』。
生命を、物質を、「崩壊」させる無常の力。
故に花の細胞は崩壊し、生命を与えられても崩壊した部分以外が修復され、奇妙な形で治されたのだ。
魔術が自然を利用して超常の力を得るのなら、ガイの力はその真逆。
物質をただ、壊す。
何故こんな力を持って生まれたのか、ガイ本人にすらわからない。
幼少からこの力に悩まされ、いつしか友や大人たちはガイに近寄らなくなった。
※
—10年前—
「これは……」
貧民街の酒場で、あるボヤ騒ぎが起こっていた。木造りの長テーブルが文字通り跡形もなく崩壊していたのだ。
ウトキテ平民警・ドルイアはこの珍事件に召集されていた。
(木片は…炭になって…?いや、これは木のままだ。木片が粉状に崩れ去っている。)
「…店主、これをやった犯人は?」
「そこの、店の影にうずくまってるガキだよ。早くどこへなりとも連れて行っちまえ!」
ボロ布を身にまとったやたらと目つきの悪い子供がそこにはいた。幼少期のガイである。
ドルイアは戦慄した。
「夢だ…これは私が長年思い描いた夢…(ボソッ」
一瞬、我を忘れたドルイアであったが、すぐさま冷静さを取り戻した。
ドルイアはガイのもとへ歩み寄った。
———しかし、ガイはドルイアとは反対に跳び退いた。
「来るんじゃねぇ…!俺の力はどんなものでもめちゃくちゃにしちまう。あんたの身体だって、友達や親や、みんなとの繋がりでさえ…!」
「……怖いんすか。自分の力が。」
「何?」
ガンッ
ドルイアはガイの手首を取ってガイの身体ごと壁に押し付けた。
「カハッ……」
幼い少年の150cmの身体がバタバタと抵抗する。同時に、ガイの力が発動する。
『—蝕—』
表面張力ぎりぎりで保っていた水が途端にあふれだすように、抑え込んでいた力のタガが一気に外れた。
「おあああああああああああああああああああああ」
力の奔流は、一般人にも視認が可能だった。
その力は魔術というにはあまりにどす黒く、生物の力とするにはあまりに非自然的であった。
貧民街は、一転して地獄と化す。
崩壊する家屋、天を
水にたらされた一滴の墨汁のように、蝕の奔流は瞬く間に広がっていった。
「……スゥーッ」
『—
瞬間、奔流は消え去る。ドルイアの構えた杖の先、ガイの額にそれが押し当てられた直後のコトだった。
ドルイアはガイに再度歩み寄る。顔を触れてしまいそうなほどに近づける。
「君の力など大したことはない。ただの警官のワタシにさえ止められてしまうほどに。ワタシにとって、君には何も恐れることなどない。世界の広さに比べれば、君という存在は実に取るに足らない。ワタシの傭兵団はそういうところっス。さあ、もう恐れるものは何も無いっスよね?」
男が手を差し伸べると、少年は間もなく応じた。新たな絆を紡ぐために。すべてを壊してきたその小さな手で。
「あっ、そうそう。ワタシ表向きは平民警ってことになってるんで傭兵団のことは内密でお願いしますよ?」
「おっさんにも色々苦労があるんだな」と子供なりに理解したガイであった。
ラスボスラッシュ ー超常の生物が出現するとき、人類の最終兵器「ガイ」は動き出す。ー HiDe @hide4410
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