第40話逃走迷走
走る!
《ヘキサシールド、ヘキサシールド、シールド、ルド、ドッ!》
ヘキサシールドを展開する。
心に念じる声がおかしいのは、また小難しい事をやっているからだ。
アーネスが見たらまた変態扱いされる事間違いなし。そう、ヘキサシールドを展開しているのは正面では無く、足下なのだ。
通路の床と並行に展開し、飛び石を跳ぶように、まるで宙を駆けるように走る!
何故こんな面倒な事をしているかと言うと、無論この巨大ナメクジの体液に塗れた通路に足を付けて歩きたくないからだ。
ヘキサシールドは展開された空間に固定されている。術者の練度にもよるが、離れ過ぎると消えてしまう。だが、少しくらいの範囲なら動いても問題ない。功の場合は3mくらいが限度だ。
なら、落とし穴に落ちる前に足下に展開していればこんな面倒な事にならなかったのだが、あの時は咄嗟の事で思いつかなかったのだ。
通路には、自分でやった事とは言え、盛大にナメクジの肉片や体液を撒き散らかしており、文字通り足の踏み場がない。
功は釣りもやるので、ゴカイなどのワーム類も割と平気だが、この大きさとグロテスクさはさすがに許容出来ない。
このドロドロした汚濁に、例えブーツを履いているとは言え足を着けたくない。ブーツだって汚したくない!とにかく気持ち悪い!!
でも時間も無い。
その時功に神が降りてきたのだ。
《シールド張ったら渡れんじゃね?》
善は急げと実行に移したが、これは言う程簡単な作業では無かった。
現在功が展開出来るヘキサシールドの枚数は、直径60cm程の物が1枚のみ。
それを空中で走りながら、出したり消したりして交互に展開させているのだ。更には周囲警戒も同時に行わなければならない。
おまけにこのシールドは良く滑る!
ブーツのグリップが殆ど効かない。
とにかく神経を使う。集中しないとシールドの効果が切れそうになるし、連続で出せるのも5、6回が限度だろう。魔力はともかく神経がもたない。それより何より息がもうそろそろ限界だ。
やっとの思いでドロドロの通路を走り抜け、突き当たりにある守衛室のような狭いガラス張りの空間に辿り着いた。
扉は施錠されておらず半開きになっており、更にはガラスのような透明な素材で出来ているので中の様子は良く判る。
ナメクジが這った痕跡は有るが、本体は何処にも居ない。その向こうに続く扉も見える。
功は半身になり部屋に飛び込んだ。
蹴るようにして透明な扉を閉め、そっと息を吐き出し、そして慎重に吸う。
どうやらここの空気はまだ大丈夫なようだ。だが、どんよりと湿ったような、何とも言えない生臭い匂いが鼻につく。新鮮な空気とはお世辞にも言えない。
長居は出来そうにはないだろう。
首に巻いていたストールで顔の下半分を覆い、気休めのマスクをする。
急いでホーネットとオルトロスをリロードし、改めてオルトロスを装備する。左手を添えるフォアグリップは、あいも変わらずくたびれた革紐が巻いてあるだけだ。
この機能最優先で、デザイン性も無い武骨さが今は非常に頼もしい。
まさか自分の人生で銃器を頼もしいと思う瞬間が来るとは、夢にも考えたことは無かった。人生とは判らないものである。
まあ、それを言うなら異世界に来ることすら想像もしていなかったのだが。
リロードも済み、万全の態勢を取ったところでスマホが震えた。
相手は見るまでも無い。功に連絡を入れてくるのは今の所ドク達しか居ない。
正直さっさと移動したいが、アーネスとはぐれた事を報告しておいた方が良いだろう。
アーネスと連絡をとっていたワイアレスのイヤフォンマイクに無線で二股接続し、電話に出る。
『やっと出やがった!どうなってんだ功!山ん登ったと思ったら全然降りて来もしねぇ!連絡もよこさねぇ!説明してくれんだろうな!』
ドクが怒るのも無理もない。
「いや、俺だって早いとここっから出たいわ。でもさっきアーネスとはぐれちまってさ・・・」
『何だとテメェ!お嬢は無事なんだろうな!』
「アーネスは無事だと思う。俺の方がヤバい」
喋りつつも、反対の出口からそっと外の様子を伺う功。
『とにかく何があったか説明してくれ』
功は周囲を探りながらも手短にあった事を話した。
『てこたぁ何か?お嬢を止められねぇでズルズル付いてっちまったてぇのか?』
ドクのこの物言いに功は言い返さずにはいられない。
「ほう?てことはさ、ドクだったらアーネスを止められたって言うんだな?」
『う、い、いやそれはそのう・・・』
「俺が何言っても聞いてくれないし、俺が山降りてもアイツは一人でも登るぞ。それでも良かったと?」
『悪かったって!確かにお前さんの言う通りだ』
通話しながらも通路を探っていた功は、空気の流れと音の反響でこの先が十字に分かれていそうだと感じ、うんざりとした。おまけにこっちの通路にも何か居そうだ。
さっきとは違う、獣臭い空気が漂っている。
「とにかく俺もさっさとここを出てアーネスと合流したい。また何か変わった事が有れば連絡する」
『頼む。俺たちもなるべくそっちに向かう。あとパーティストレージに役に立ちそうなもん入れとくから適当に使ってくれ』
「了解。ブリの奴らが多いから気を付けろよ。無茶だけはすんな」
『ああ、こっちも何かあったら連絡する』
通話を切り、少しの間天井を見上げて気持ちを整える。
慎重にハイディングするにしろ、勢いに任せて突っ切るにしろ、いずれにしても進まねばならない。
早くアーネスと合流しないと心配だし、何より自分も心細い。改めて自分を囲む状況の異常さに恐怖も感じる。
しかし、功はアーネスという人物と知り合って、この恐怖を何とかする術を身に付けつつあった。
恐怖を怒りに変えるのだ。
《俺を怖がらせやがってコンチクショー!》
という訳である。
これがアーネスなら、
『そんなもんで私が怖がるとでも思ってんの?舐めてんの!?』
と、別の怒りが沸くのだろうが、功はまだその境地には達していない。
だが、そうやって悪戯にテンションを上げて罠に嵌るのも本末転倒だ。
身の丈に合った行動を取るしかない。
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