第39話分断

いきなりの事だった。


充分注意はしていた筈なのに、所詮は功も素人と言う事だろう。入念に仕込まれた罠を見破る事は出来なかった。

銃で打ち破り、意気込んで入った4m四方の小部屋全体が罠だったのだ。


床に不自然な継ぎ目がある訳でも無く、天井や壁に細工の跡がある訳でも無い。


だから油断した。


足の裏から突き抜けて来る凍りつくような重力の喪失感。


床の半分がいつの間にか消えていた。まるで、床材が誰かのスマホに収納されたかのように、綺麗に消え失せている。


物理的に有り得ない消え方だ。だがしかし、今はそんな事を考えている場合では無い。


咄嗟に左の袖口に隠してあったチタンペグを手首のスナップのみで前方の壁に投げる。

同時に足を振って反動をつけ、ペネトレートで壁に突き立てたペグに向かってアーネスを右手で突き飛ばす。


コンマ数秒の刹那の行動は考えて出来る事では無い。脊髄反射のようなものだ。


落下が始まった功の視界には、辛うじてペグに右手を掛け、こちらに必死に左手を伸ばすアーネスがスローモションのように遠ざかる。


遠ざかる悲痛な表情のアーネス。


唐突に音も無く視界が遮られた。一旦落とし穴の蓋として何処かに格納された床が、再び閉じたのだろう。


恐ろしく精巧に出来ている割に、原理自体は原始的な罠だ。


閉じられた床は全く光を通さず、真の暗闇は流石にウルズセンシズをもってしても見通す事は出来ない。


だが、自分の体勢は判る。アーネスを突き飛ばしたせいで今は背中から落ちている。


半ば無駄と諦めつつ、それでも空中で器用に足を下に向け、猫のようにしなやかに下半身を衝撃に備える。


耳元で鳴る風で、周囲の様子は判らない。


ついにその時が来た。


軽くたわめた足先が硬い物に触れる。

瞬時に衝撃に備えるため、全身に力を込める。


襲いかかる重力と慣性。


膝と腰だけでは衝撃を吸収しきる事は出来ない。右手に握ったままのオルトロスを放り出し、両手を床に着け、同時に身体を前方に押し出す。


前受け身の要領で慣性の方向を変え、衝撃を流す。


『功っ!』


旧式の短距離通信機からアーネスの焦った声が聞こえる。


「カッ!カハッ!ゲホッ!だ、大丈夫っ!!大丈夫?大丈夫なのか俺?・・・大丈夫みたいだ。そっちは?」


体感では気が遠くなるように感じた落下時間だったが、実際にはほんの1、2秒だろう。落差も10m有るか無いかのようだ。


どうやら致命的な罠ではなかったらしい。

打ち付けた膝や背中も鎧の様な、と言うよりも鎧そのもののプロテクターがその仕事を果たしており、殆ど痛みも無い。

足はジンジンと痺れるが、逆を言うと痺れるだけで、歩けない程では無い。放って置いても直ぐに治るだろう。


『びっくりさせないで!』


「悪い、罠に気付けなかった」


『そっちじゃないからっ!また無茶して!怪我してないわよね?!』


「あぁ、ちょっと痺れたけど問題無い。お前はどうだ?出られそうか?」


『こっちは問題無いわ。・・・あら?また床踏んでも開かないわね』


頭上からドンドンとアーネスが床を踏み鳴らす音が聞こえる。音から察するに結構硬くて厚そうだ。


この音と自分の話し声のお陰で落とされた部屋の形状もほぼ把握出来た。魔物の気配や、喫緊の危険は今の所無いように感じる。


しかし、視界が閉ざされるのは不安しかない。胸ポケットにしまってあるEDC《エブリデイキャリー》からヘッドライトを取り出し、ヘルメットを脱いで頭に装着する。


色々とSFじみたギミックのあるヘルメットだが、肝心のライトが付いていないのは盲点だった。


代わりにヘルメット をスマホに収納し、放り出したオルトロスを拾った。

ワイヤレスイヤホンを装着して会話を続ける。


「2人分位の重さぐらいがないと作動しないのかもな」


『かもね。どお?登って来れそう?』


功は改めて周りを詳細に見回す。


周囲は地上の小部屋そのものの広さだが、上と違い、出入り口らしき物は一つしかない。


天井へはハーケンを打てば登れるかもしれないが、落とし穴の蓋部分をこじ開けて脱出するのは難しそうだ。


「ちょっと厳しいかも・・・ん?」


シュー・・・


『どうしたの?』


「なんかまずい雰囲気だ。とにかくここは離れる。後で合流しよう!」


天井付近からガスが漏れる剣呑な音が聞こえる。このままだと確実にまずい事になりそうだ。


咄嗟に息を止める。


『合流って何処でよ⁉︎』


アーネスの疑問ももっともだ。


だが、功にはゆっくり考えている時間は無い。


「何処ってそりゃ・・・」


功の焦りを感じたのか、アーネスが手早く指示を出す。


『判った、とにかくアンタは地下から上がって来なさい。その上で表門前、それが無理ならこの建物群の中で1番高所で落ち合いましょ!』


さすがはアーネスだ。結論の是非はともかく決断だけは早い。


アーネスに返事代わりに短く唸って応える。喋ると吐き出す酸素が勿体ないのだ。


天井近くに流入口が有ると言う事は、今漏れ出ているガスは空気より重いという事だ。


流入口から1番遠い場所で、なるべく背伸びをして慎重に息を吸う。


無色無臭だが、舌先にピリリとした苦味を感じたので息を止め、苦い唾を吐き出した。


やはり何らかの有毒ガスのようだ。僅かなガスの漏れ出る音に気が付かなければこの第二の罠に陥っていただろう。ウルズセンシズ様々だ。


感心してばかりもいられない。息の続く間に脱出しなくてはならない。


そんな時はやっぱりこれだ。さっき覚えた?マスターキー。


手早く唯一の出口を観察する。


予想通りやはり施錠されているようだ。コンコンと扉の縁を叩いて鍵の場所を確認すると、一箇所他と違う音がする。


《ペネトレート、ヘキサシールド》


上の扉と比べてやや薄い、今回はペネトレートだけで開きそうだ。念の為ヘキサシールドも展開して身を守る。


使う弾は大型魔物用のサボットスラグの方だ。やはりバックショットとは単純な破壊力が違う。


相変わらず発射音は抑えられているが、破壊音は仕方がない。

歪んでガタつく扉を少し開けて飛び出し、すぐ閉める。少しでもガスが漏れるのを防ぐ為だ。

そして眼前の光景に慌てて足を止めた。


飛び出した通路は、天井も高く人が5人ほど並んで歩ける程度の幅は有ったが、それを所々塞いでいる何かが居る。


「うっ!」


思わず声が漏れる。グロテスクな光景だ。


ジットリと湿った通路を塞ぐように、体長50cm程の巨大なナメクジのような物体達。天井や壁にも張り付き、数える気も起きないくらいに密集している。


茶褐色のヌメヌメとテカる背中から、時折りドロリとした粘液を染み出させた姿は嫌悪感しか湧かない。


《前門のナメクジ、後門の毒ガスかよっ!》


こうしている間にも後ろの扉の隙間からガスが漏れている。つまりまだ息を止めていないと駄目だ。


《クソッ!時間がねぇ!》


オルトロスを両手で構える。


《ペネトレート、ヘキサシールド》


ズバンッ!


手近な巨大ナメクジに向けてバックショットを発砲すると、水分を多量に含んだ身体はまるで破裂するように弾けた。


《ヘキサシールド展開してて良かったぁ!》


破裂した破片や体液が盛大に飛び散り、3mを隔てた功にまで降り注ぎそうになる。


仮に体液が無害であったとしても触りたくもないし、ましてや浴びるなど想像もしたくない。


しかしこれでは全部倒すのに時間がかかり過ぎるだろう。息も苦しくなってきている。時間が無い。


さらには音か振動でも感じたのか、巨大ナメクジ達は一斉に功に向けて近寄りはじめた。


幸いその動きは遅く充分対処出来るが、たまに背中から粘液を飛ばして来るので油断がならない。


功はオルトロスを背中に収め、代わりに両手に一丁づつホーネットを抜いた。


しゃがんで姿勢を低くし、なるべく重なるように射線を合わせる。

巨大ナメクジの柔らかさなら、複数貫通してまとめて排除出来ると思ったからだ。


《ペネトレート、エクステンション、ヘキサシールド》


頭の中で3種類のスキルの歯車を合わせ、左右の手で発砲するのをひたすら繰り返す。


唸り飛ぶマグナム弾は巨大ナメクジ4、5体を同時に吹き飛ばし、たちまち通路を粘液と体液の海と化せしめた。


《駄目だ、吐きそう》


幸か不幸か息を止めているので匂いは感じないが、そのビジュアルだけで発狂しそうだ。

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