第7話 帰還

 空一面を奔る赤熱の暗雲、赤黒いそれは大蛇がのたうつように蠢き、駆け抜けていく。追随して奔り抜ける暴風は酷熱を伴い、肌を焼き焦がさんばかりだ。そして、ウァァァァァン――と獣か何かの咆哮を思わせる風音を残し、消え去っていく。

 そんな光景が拡がる世界――――

 渇き果てたかのような赤銅の大地にただ一人、その少女は佇んでいた。歳の頃は7、8歳くらいか。彼女は酷熱の暴風をまともに受けて尚、何一つ揺らぐことなく立ち尽くしている。その目に光などなく、その口元に動きなく、その顔に表情と呼べるものなど一切現れることなく立っている。それはとても人間のものとは言えない有り様、魂なき傀儡、人形の姿だった。

 彼女は何なのだろうか? いつから、何故、このような場にいるのか?

 何故、何故――――



 ――ああ、そうだ……そうなんだ……

 “これ”は“私”の故郷のようなもの。この赤熱の空が拡がる渇きの大地こそが、私の原点だ。この“世界”で“私”は目覚めた……



 雷光なのか? いや違う、空間を裂くような鋭さはその光にはない。しかし明らかに空の様相とは一線を画す輝きは黄金の彩りを現していた。頭上高く、真っ直ぐに少女に降り注いで来た。すると少女に変化が現れた。彼女の目が動き、頭を動かしたのだ。ゆっくりと頭上の光を仰ぎ見た。

 その視線の先に糸のような、紐のようなものが降りてきているのが見えた。光を纏うそれは酷熱の暴風に決して吹き飛ばされることなく真っ直ぐに少女に向かって来ている。そして――――

 先端が少女の頬に触れた、微かに、だが確かに、真っ白な肌に触れた。その瞬間だった、如何なる動きも見せなかった少女の顔に表情と呼べるものが現れたのだ。彼女は目を大きく見開き、口も明けて、驚きのような、或いは歓びなのか――幾種類もの感情がない交ぜになったような顔になった。

 彼女は手を上げ、糸―或いは紐に触れようとする。口を盛んに動かすのだが、何かを言おうとしているかのようだった。明らかに強い意識の働きを伺わせる動きを見せた。

 すると“声”が響いてきた。


〈リィファ、ようやく私を見てくれましたね〉


 少女は動きを止め、キョトンとする。


〈初めまして。私はニモイ、ニモイQAI10001――光量子演算処理装置。あなたをケアするために派遣されて来ました〉


 少女の口角が大きく上がった。目は細められ、光が漏れる――涙が溢れてきたのだ。そして初めて声が発せられた。


「あ、ああ……ああぁぁぁーっ!」


 声は叫びとなる。するとどうだ、空と大地の様相が一変したではないか。

 まるでコマ落としのよう、暗雲は見る間に遠ざかり地平の彼方に消え去っていく。後に拡がるは抜けるような青空。同時に赤銅の大地は瞬時に緑黄の草原へと変貌していた。それは潤いに満ちた豊穣の大地のよう。



 ――ああ、そうだ……そうなんだ……

 “これ”が目覚め、私がようやく“私”としての歩みを始める切っ掛けとなった景色の変化だ。



「ニモイ……」


 そして、それが彼女が生まれて初めて発した言葉だった――――





 最初に目に飛び込んできたのは太陽光を思わせる光だった。どことなく黄金こがね色にも見えるそれは“あの”光の糸を思い起こさせた――彼女はそう思ったのだ。


「う……ここは?」


 すぐさま彼女の視界の中央に接続申請サインが表示、彼女は2度まばたきをするとサインは変化、陰陽鏡を思わせるグラフィックが視界中央に現れた。グラフィックは直ぐに縮小し、端に移動し、消滅した。――と同時に彼女の意識に声が流れてきた。


〈接続申請許可有り難うございます、リィファ・スゥエン。神経接続は何の問題もなく再開されました〉


 男とも女とも区別のつかない、些か電子的でありながらも温かな響きを持つを声を聞き、彼女――リィファは口を開いた。


「ああ、ニモイ……そうか、私は〈高精研〉の医療センターにいるのね」


 リィファは周りを見回す。全面ほぼ白一色に塗り込められた室内が視界に入ってきた。調度品のようなものは何もなく、室内には彼女が横になっている可動式ベッドと医療用モニタリング機器が幾つかだけだった。


「フッ、相変わらず味気のない……、実用一辺倒ね」


 そうは言うが然程不満を感じている風には見えない。口元に浮かぶ笑みは皮肉などではなく、穏やかなものに見えたからだ。


〈懐かしいですか? あなたの古巣ですね〉

「そうね、ニモイ。あなたと初めて会ったのもここの研究所だったしね」


 リィファは視線を動かすと再び陰陽鏡を思わせるサインが現れた。


〈そうですね、〈高度精神科学研究所〉――かつてストロガツスキー博士が在籍し、あなたを治療した施設。今のあなたを築き上げた最初の場所になります〉


 ニモイの説明はそこまで。彼は話題を変えた。


〈さてリィファ、既に情報は私のネットから直接あなたの意識に伝わっているはずですが、あなたの現状はステージ2の神経症状です。動くことは可能ですが、身体操作に些か障害が出る状態です。担当医の判断は絶対安静とのこと、ストロガツスキー博士も同意見です。分かりましたね?〉


 言葉の最後は言い聞かせるみたいだった。


「フッ、何だか親に窘められているみたい」


 苦笑している。


〈フルコネクト状態下で推進剤の爆発を間近に受けたのです。しかもあなたはシャットダウンしなかったでしょう? 逆流現象インバージョンをまともに受けて一時意識不明の重体にまで陥ったのですよ?〉


 リィファは肩を竦めてペロリと舌を出した、但しぎこちなく。成る程身体操作は難しい状態のようだ。


〈冗談めかすのはやめて下さい。ホント心配したのですよ? まさかとは思いましたが、なかなか意識が回復しないのでこのままじゃないかと気が気でなくなりましたよ〉


 まるで人間のような言いようだとリィファは思った。彼女は感慨した。


「まぁいいじゃないの。予知した未来の中ではだいたい最良の結果になったんだし、私の選択は概ね成功ってわけよ」


 ふぅ――溜息のような声が聞こえてきた。ニモイの発したものだ。そんな反応も見せるのか、またしてもリィファは感慨をするのだった。


〈未来視は絶対じゃないのでしょう? あまりこんなギャンブルみたいなことはしてほしくありませんよ〉

「しょうがないじゃない。“あんな”閉じ込められた状態じゃ、力技に頼るしかなかったと思うけどな」

〈せめてフルコネクトは爆発直前に切ってほしかったです。まさか私がシャットダウンした後もあなたが接続状態を続けてホーネッツグループを制御していたとは……再起動後、ログを見たら蒼褪めましたよ〉


 蒼褪める? 人工知能が? 知性化体シンギュラリアンとなるとそれくらいの反応はあるということかな? ちょっと人間的すぎない? ――などとリィファは思ったが口にはせず、接続状態のニモイにも伝わらないように閉鎖思考の中で呟くに留めた。代わりに行動理由の説明を行う。


「爆発の圧力で一気に加速できたけど、それで一瞬で磁気乱流圏から脱出できるわけじゃないのは分かっていたの。ごく短時間だったけど、シールド磁場の制御管理はリアルタイムで継続する必要があった。カオス系運動が続くデブリ群と、何よりも乱流圏の磁場そのものに対応しないとね。オートじゃ無理だと分かっていたから」


 だから意識を保ち、マニュアル制御を継続する必要があったのだ――とリィファは主張した。


〈私が起動を続け、制御を担うという選択もありましたが……〉


 だがニモイにはカオス系運動に対処し切るのは困難だっただろう。それにニモイも打撃を受けたのは確実だった。そう、リィファは完全に逆流現象インバージョンを受けたのだ。その衝撃にニモイは耐えられなかった可能性が高い。それを思うと、彼は驚きを感じる。


〈しかし驚きましたよ。逆流現象インバージョンを起こしながらも気絶することなく制御し続けたとは。身体症状も出ていたでしょうに、よく耐え抜きましたね〉


 どこか照れ臭そうな顔をするリィファ。


「エヘッ、打たれ強いのかな?」

〈エヘッ――じゃないですよ。もうこんなことナシにして下さいね〉


 リィファはニンマリとした笑みを浮かべた。


〈何です、それ?〉

「うん、あなたはやっぱりあなたなのね」

〈うん? 何ですか、それ?〉


 ニモイの応えには戸惑いが見られた。


「昔からさ……初めて会った頃から変わってないな、と思ってね」


 ああ……、とニモイは応えかけるだけで言葉を続けることはなかった。


「まぁいいや。ミッションは完遂したみたいだし、ここからは全部あなたの言う通りにする。少しだけだけどね!」

〈少しだけじゃダメです。ずっとです、一生です、永遠にです!〉

「永遠――て? 幾ら何でもそれは無理! 私にだって寿命はあるんだから」


 四の五の言わないの――以前のリィファの口調を真似て説教みたいなものを始めるニモイだった。





 地球―月経済圏運輸・通信管制センター、主任室。


『そう、今しがた意識を取り戻しました。身体に痺れは残っているが、重篤な障害は見られません。数日じゅうには全回復するでしょう』


 立体映像ホログラムスクリーンに映っているのはストロガツスキー。穏やかな笑みを浮かべる姿は報告内容の反映だろう。


「良かったです。あのまま意識不明のままなんてことになったら、謝罪してもし切れませんでした。この一週間、気が気でありませんでしたよ」


 スクリーンの前のサルマは憔悴しているが、安堵した顔になっている。ようやく胸のつかえが取れたみたいだ。


『いや、あなたが罪の意識を持つことではありませんよ。あれはリィファと私の決断であり行動なのですから、責任は我々のものです』

「いえ、依頼者としてはそうはいきません」

『うむ、本当にあなたは責任感の強いお方だ。組織の長を務めるに相応しい在り方ですね』

「いえ、そんな……それよりスゥエンさんは大丈夫なんですね? 後遺症などは残ったりしませんね?」

『問題はないでしょう。精密検査を何度か繰り返す必要はあるが、大丈夫だと思います』


 そうですか、では近々お見舞いに伺いますので――などと会話を交わして通信は終了した。


「ふぅっ」


 サルマは椅子の背もたれに深々と身を預け、天井を仰ぎ見た。


「全く……驚いたわよ。あんな大爆発の中を、生還してしまうなんて……」


 するとサルマの執務用制御卓コンソール上に筒状のものが伸び出てきた。その先端に緑色の光が灯る。


〈そうですね、コアブロック、ホーネッツ親機のみならず子機の全ても無事に帰還したのですから〉


 声はシャトナーのもの、筒状のものは彼の対話端末になる。その端末から別の光が発せられ、サルマの眼前に立体映像ホログラムスクリーンが形成された。そこには踊り狂うような軌道を描いて飛行するホーネッツグループとそれらに守られるようにして移動するコアブロックが映し出されている。各機の周りには頻繁に蒼白の光輝が瞬き、火花すら散らしている。


「これって微小デブリの衝突なのね。――というか、結構大きめのものも衝突しているわね」

〈はい、デブリの襲来は予知できても回避不能なくらい密集していたので、あるレベルまでは容認せざるを得なかったみたいです。シールド磁場で防御できるレベルまでは。火花は衝突の瞬間を表しています〉


 この時点で既に逆流現象インバージョンは始まっていたのだろう。火花が散る度にリィファの意識には衝撃が伝わっていたに違いない。


〈しかし彼女の制御には何の乱れも現れなかったようです。見てください、磁気乱流圏の磁場に対応してシールド磁場も頻繁に強度と形状を変化させています。カオス系運動の変化を読み切り、リアルタイムで最適なシールドを形成させ続けています〉


 そしてホワイトアウト、メインブースター後方直近に引き寄せた衛星の推進剤に噴射炎を浴びせた結果だ。大爆発を起こし、その衝撃波は当然ホーネッツグループを襲った。


〈この瞬間、グループのシールド磁場強度は最大マキシマムに上げられています。瞬間的ながら、太陽のトライダル磁場にも似た形状と強度を誇っていました〉


 渦巻くような磁気の過流がホーネッツグループを覆い、衝撃から守ったのだ。


〈衝撃波は全体の加速度を上げ、そして一気に磁気乱流圏を突破、脱出成功というわけです〉


 以後、ホーネッツグループは進路を月へと転身、慣性飛行へと移行し7時間後に月の衛星軌道にある管制センターのドッグサテライトに到着したのである。この間にリィファは意識不明に陥った。逆流現象インバージョンの影響はやはり大きく、ここまで耐えていたのだが、遂に限界を迎えたのだ。サテライト到着後、直ぐにメディックが出動し緊急治療に入り、後に高度精神科学研究所の医療センターに送られたのである。


「スゥエンさんは逆流現象インバージョンにも耐え抜いてホーネッツグループを制御し切ったのよね」

〈そうです、センシティブの精神の強さを垣間見た気がしますね。本来は敏感とか繊細を意味する言葉でしたが、彼女の場合はタフネスという意味も付け加えたくなります〉

「そうね……精神力なんて言葉は嫌いなんだけど、ホントそう言うしかないかしらね」


 スクリーンには静かに進む6つの蜂型機械の姿が映し出されている。帰還途中の姿を管制センターから捉えたものだ。


「しかしこれだけの才能、何故今まで注目されなかったのかしら?」

〈そうですね、確かに話題にはなっていなかったみたいです〉

「でも記録はあって、グローバルネットの会社のサイトで公開もされていたのよね? だからあなたは彼女の存在を知って今回のミッションに推薦したのよね」

〈はい、ですが、業績はかなり抑制的に表現されていました。能力の項目などは注意しないと見逃すような表現になっていましたし、どうもあまり注目されないようにされていましたね〉

「何それ? アピールする気がなかったってこと?」

〈それでも知るべき人には知らせるような表現でしたね〉


 それが今回の採用に繋がったというわけだ。


「うぅむ……大っぴらにはしたくないけど、能力は活かしたいからささやかにアピールしていたってトコなのかしらね?」

〈本音は不明です。どうもストロガツスキー博士による業績記録の掲載らしいですが、色々と配慮していたみたいです〉

「配慮……やはり能力の高さ?」

〈はい、リィファ・スゥエンの能力は完全な未来視プレコグニションです。これは例えば軍事には極めて有効ですから。リィファ・スゥエン以外でも、以前からセンシティブをスカウトする動きは各国で見られていました〉

「う~ん、敵の攻撃の予兆を知る。或いは防衛網の隙を突く……電子的、人的手段を経ずに遠隔の透視ができるのなら、それは鬼に金棒になるか」

〈しかし博士は軍事利用を良しとしなかったみたいですね〉

「それは……何か分かるかも」


 サルマは思い出していた、リィファと会話する時のストロガツスキーの様子を。それはまるで我が子を労わる父親のようなものだった。彼は軍事という分野に娘のように思う少女を進ませたくなかったのかもしれない。


「でもそれなら、能力を完全に隠蔽する方が良かったように思うけど……」


 サルマは言葉を切った。隠蔽を実現するということは……


〈リィファ・スゥエンを世間から隔離するということになりますね〉


 シャトナーが言葉を繋いだ。それはまさしくサルマの言おうとすることだった。

 それは檻で囲うようなものになりかねず、人間に対して行うべきものではない。


 ――となると、何とか普通に生きていけるようにするには……軍事や他の良からぬものに対抗できる環境を築く必要がある。その上で能力を活かして生きていけるようにする……その行動の選択がデブリハントになるのだろうか?


 サルマは頭を振る。これ以上考えても仕方がないと自覚したからだ。これは自分の関知できることではないと……いや?


「1つあるわね」

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