第5話 フルコネクト

〈リィファ、まさかそれは―〉


 ニモイの言葉はそこで途切れた。続けるのをはばかる響きが現れていた。そのまま沈黙に入るが、続きを繋げるようにリィファが口を開いた。


「そう、フェイズ3で実行する」


 間が開いた。客観的には一瞬の間でしかない沈黙が、ニモイには酷く長いものにも感じられた。光速で思考する人工知能には有り得ない遅延だと彼は理解する。だが、それでも長いと――或いは永いと評すべきものと――彼は感じたのだ。リィファの言葉は、それ程に人工知能の思考を乱したのだ。


〈待って……下さ……〉


 言葉一つを紡ぐことが何と難しいのか――こんな風に感じるのは初めてだ――ニモイはストレスというものを、思考を開始して以来初めて感じた。


〈リィファ……それ……〉

『リィファ、危険性は分かっているのだろうな?』


 その時だった、突如別の声が聞こえてきた。ニモイの言葉に被せるよう現れたそれは外部から届いたものだった。


「博士? ああ、通信環境が改善されたのですね」


 声の主はストロガツスキー、EMPの影響がほぼ消え、通信波が届くようになっていたようだ。彼女らの会話も自動的にオペレーションルームに届くようになっていて、ストロガツスキーも聞いていたのだ。


『リィファ、お前は本気で言っているのか? フェイズ3のフュージョナリーシンクロ状態でフルコネクトを行うことの意味は分かっているな?』


 リィファは眼前の立体ホログラムスクリーンを見る。そこには通信波形が現れるのみでストロガツスキーの姿は映っていない。波形は音声信号によるもの、つまり映像信号は届いていないことを意味する。磁気乱流圏内はEMPがなくとも通信波は通りにくい。標的ターゲットを絞った超強指向性波だけがようやく届く。それも制御信号や音声通信くらいで、容量を喰う映像信号は、不可能ではないが、安定しないので使用に適さない。よってこの時はサウンドオンリーで通話している。


「もちろん理解しています」


 リィファは簡潔に応えた。余分な言葉は付け加えない。


『分かった。ならば思うままに実行するといい』


 そしてストロガツスキーも同じ。いともあっさりと許可してしまったのだ。すると背景からか、酷く騒がしい声が聞こえてきた。女の声――管制センター主任のサルマのものだとリィファは理解した。


『博士、ちょっと待って下さい! フルコネクトというのは、確か神経接続時の制限機構ブレーカーを完全に停止カットさせるものなのですね?』

『その通りです。よって制御端末からのフィードバックが100%になります』

『聞いたことがあります。それはフィードバック過負荷を引き起こす可能性があると――』

『うむ、〈逆流現象インバージョン〉と呼ばれるものです。通常は制限機構ブレーカーが信号伝達の制限をかけて過負荷を防いでいるのだが、停止カット時はその保護がなくなります』

『それでは端末がダメージを受けた時、その刺激がモロに接続制御者コネクターに伝わるのでしょう? 時に肉体にまで影響が及ぶと聞いています』

『いかにも。逆流現象インバージョンは催眠暗示にも似たところがあってね、直接肉体に刺激を与えられていなくても、脳に伝わった信号が身体症状を引き起こしてしまうものです。時に重篤な障害を引き起こすこともあり、神経接続技術の草創期にはこの事故が頻発したものです。それが制限機構ブレーカーの装備が義務づけられるようになった理由になります』

『それを破るようなことを許可するなんて……端末が完全に破壊されるようなことがあったら――』

「すみません」


 2人の会話は延々と続くかに思われたが、ここでリィファが割り込んだ。


「時間の猶予はありません。デブリ群がかなり迫ってきています。今すぐ動き出す必要があります。でないと回収作業が頓挫してしまいます」


 息を呑む気配が伝わった、サルマのものだろうと認識する。通信端末越しで、しかも音声のみだが、リィファにはそれをありありと感じとることができた。


『スゥエンさん、しかしあなた自身の安全のためなんですよ?』

「ご心配はごもっとも、配慮には感謝します。しかし如何せん時間がなさすぎるのです。そして機体の状態から鑑みて、私自身の接続深度を上げるしか対処のしようがないと判断されるのです」

『無理しなくてもいいですよ。ここは一度撤退――』


 声の主が変わった、ストロガツスキーが割り込んできた。


『いや主任、ホーネッツグループは磁気乱流圏の中心附近、コアブロックの近くに位置しています。撤退するにしても状況が厳しい……』


 デブリの飛来は全周からのものだった。一分の隈なく飛んでくるさまは飽和攻撃のようなものであり、その完全回避は極めて困難に見える。


「そうです、今さら手遅れとも言えます」

『そんな……ならば、それこそ回収どころじゃぁ……』


 あっさりと言うリィファに対し、サルマは絶句してしまった。僅かな間沈黙が流れた。だが、それは直ぐに破られる。


「それを何とかするためのフルコネクト。ミッションを完遂コンプリートするための最大限の努力です」


 サルマは何も応えなかった。だが激しく動く情緒の流れは手に取るように伝わった。


『念を押すようですまないが、リィファ……』


 代わりにストロガツスキーが口を開いた。


『本当にフェイズ3の接続深度で決行するつもりなのだな? フェイズ2ではダメだとの判断なのだな?』

「はい、この状況では能力の全開放が必要と判断されます」

『全開放か……分かった。リィファ、お前の決意の程は十分に理解した』


 リィファは一度目を閉じ、頷く。そして再び開くや――――


「博士、必ずやミッションを達成し、生還してみせます!」


 力強く応えるのだった。


『うむ……』


 対するストロガツスキーの応答は静かなものだった。そして再び沈黙。ここで通話が終わるかと思われたが、直ぐにストロガツスキーの言葉が続いた。


『ニモイ――』

〈はい?〉

『リィファのサポート、頼むぞ』

〈了解です〉


 通信終了のサインが表示。後に残るのは恐ろしいほどの静寂。聞こえるのはモニター類やデバイス群からの僅かな電子音、気流の流れが生み出す微かな響き――空調設備が生み出すそれを、リィファは正確に感知していた。彼女は微動だにせず、ただ周囲の環境に意識を向け、その全てを感じ取っていた。それだけではなく、“外”からの刺激も伝わっている。感覚はホーネッツのセンサーを通し宇宙空間にも開かれているのだ。意識に直接伝わる様々な電磁情報は自身の体感そのものと化していた。だがセンサー系の機能低下により、その精度が落ちているのが分かる。

 これを、上げる必要がある。


「来る――」


 現状の精度は落ちているが、知覚はできた。もう目の前だと分かる。全周から迫りくるデブリ群を目の当たりにして、彼女は思う。


 ――まるで全世界が敵になったみたい。


〈リィファ……〉


 ニモイが話しかけてきた。その言葉には労わるかのような響きが伴われていた。リィファは応える。


「うん、始めるよ」

〈了解です〉


 リィファの全身が光を放ち始めた。正確にはスーツ表面に描かれた格子上のラインと胸部の円形部。その全てが同時に、そして力強く輝き始めたのだ。ライン上の輝きは脈動するかのようなリズムを刻む。それらは例外なく胸部に流れた。流れは重なり、より強い輝きを生んでいく。

 リィファは大きく目を見開いた。眉間に皺を寄せ、激昂するかのような貌を顕す。


「フュージョナリーシンクロ、フェイズ3! 量子感応領域との接続浸透!」


 胸部の輝きは飛躍的に上昇。コクピットルーム全体を覆わんばかりに拡がる。


〈信号確認、リィファ・スゥエンの量子感応波動をキャッチ。ニモイネットワークとのダイレクトリンクを構築!〉


 胸部から蒼白の光輝がリィファ前面に浮遊する立体ホログラムスクリーンへと延びる。橋が渡されたようなものだ。


制限機構ブレーカー全停止カットオフ! 全感接続フルコネクト、オーバードライヴ!」


 そして爆発、光の爆発がリィファとニモイの意識を包み込んだ。




「リィファは……幼い頃、その能力で死にかけたことがありましてね……」


 地球―月経済圏運輸・通信管制センター、オペレーションルーム。薄暮のような場で、立体映像ホログラムスクリーンの放つ光だけはよく見える。その光が彼らの顔を浮かび上がらせる。


「死にかけた……?」


 サルマのそれは憔悴の色を見せている。


「膨大な多世界の量子情報が無制限に意識に流れ続けていました。能力は常時発動を続け、幼い少女にその遮断と制御を行う力はなかったのですよ」


 ストロガツスキーのそれは穏やかなものに見えた。


「それを救ったのがニモイ。彼との接続によって量子情報を電子情報へと変換し、そのネットワークに散らし、負荷を和らげることに成功した……」


 眼差しは遠いものを見るようなものになっていた。


「それは博士の仕事だったのですね?」


 ふっ――と、静かな笑い。ストロガツスキーは言葉を続けた。


「多世界との常時直結を防ぐことによりリィファはようやく自我の安定を得たのだが、それを再び繋げるなどと……今までの能力発動は一時多世界を垣間見るだけのもの。だがこれから彼女のやろうとしていることは、その完全な接続――それがフェイズ3……多世界との一体化と言えるほどのもの。どれ程の負荷となるのか計り知れないのに……」


 僅かだが懊悩の色が垣間見えた。だが彼は首を振る。


「いや、これは成長だ。彼女自身が遂に自身の能力に向き合う時が来たのだ」


 サルマは怪訝な顔を見せた。ストロガツスキーの言うことが今一つ分からないからだ。


「センシティブの――量子感応者の真実が遂に示されるのかもしれない、これは……これこそ――」


 立体映像ホログラムスクリーンを凝視する。その中に雷光を纏う過流が現れていた。


「これこそが次代の――真のシンギュラリティなのかもしれない!」


 そして閃光、スクリーンはホワイアウトした。

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