第4話 電磁パルス

「第5象限、右舷後方上角52°方向よりデブリ接近。相対速度秒速7.52キロ!」


 リィファの叫び、同時にホーネッツ親機の右舷スラスターが一斉噴射、速やかに軌道変更が成された。激しい横Gがかかったが、リィファは特に苦痛を受けた様子はない。保護シートが瞬間変形して彼女の身体を保護したからだ。このシートは一種の形状記憶合金で製造されていて、環境変化(Gや電磁輻射など)に対応して乗員を保護する機能がある。それは万全に働いて緩衝処置が成功、瞬間的に発生した高Gからリィファを守ったのである。


「次、来る! 第3象限!」


 デブリの飛来は一時たりとも収まらない。前後左右――宇宙空間に於けるその概念は、自身を中心とした任意のものになる――360°、ありとあらゆる方向から到来する。まるで飽和攻撃のようなものだとニモイは感じた。一寸の隙もなく連続するそれは、狙われているのではないかと疑いたくもなるほどのものだった。その驟雨とでも呼びたくなるようなデブリの襲来をホーネッツグループは悉く回避している。親機だけではない、5つの子機全て――それぞれに避け切っていた。


 ――見事だ。カオス系が成立した擾乱環境の中、どこからいつ飛来するか探知の難しいデブリ群を全て回避してしまうとは……それも親機だけじゃない、子機の全ても同時に制御して回避を成功させている。


 ニモイは明らかに驚嘆していた。人間的とも言える情緒反応に類するものが自身の内に現れているのを自覚した。

 ホーネッツグループの回避運動は一時も留まることなく、繰り返されている。描かれる軌道はランダムを極め、パターンがない。それはやはりランダムなカオス系の運動に対応したものだが、リィファは完全に成し遂げているのだ。


 ――これがセンシティブが示す瞬間未来視能力プレコグニションなのか……


 人類を超えたと言われる知性化体シンギュラリアンをも凌駕する新人類ポストヒューマンの姿を見て、改めて驚嘆するのだった。




 地球―月経済圏運輸・通信管制センター、オペレーションルーム――――


「まるで舞踏ね」


 サルマもまた驚嘆していた。彼女の眼前に浮遊する立体映像ホログラムスクリーンに、今まさに演じられるホーネッツグループの回避運動が映し出されている。その様子は体操競技のような、或いはサーカスのような……様々な曲芸的運動、若しくは芸術のようなものだと、彼女は感じたのだ。


〈この映像は磁気乱流圏外部に置かれたホーネッツ端末の1つから送られている映像です〉


 シャトナーが説明を始めた。ホーネッツはコアブロック回収用の作業機となる5つの子機以外にも観測用子機を3つ放出していて、乱流圏外部より三方向から観測しているのだ。その1つが捉えた可視映像がスクリーンに映し出されている。


「一度としてミスを犯さないわね。カオス系運動を完全に読み切っている……これが未来視?」


 サルマは眉を顰めている。驚嘆はストレスにもなっているのだ。


〈――と思われます。通常の軌道計算では把握できるものではありませんので。そうですよね、ストロガツスキー博士?〉


 不意にシャトナーはストロガツスキーに話しかけた。反応したのか、サルマも彼の方を見た。その視線の先にある白髪の男は特段変わった様子も見せていない。部下の成果に特に喜ぶようなところも見せず、ただ静かに立っているだけだった。だが、シャトナーの問いには応える。


「その通り、彼女の目――拡張意識の目になるが――には無数の可能性を秘めた未来の映像が映っているのだと思われる。その1つを認識し、我々が今見る結果に結びつけているのだろう」


 その言葉には解釈が難しいところがあり、よってサルマは疑問を口にした。


「可能性? 未来は1つではない……多世界解釈ですか? 1つの認識……結びつけるというのが未来視になるのですか?」

「簡単に言えばそうだが、認識というのは可能性の選択になっているらしく――」


 ストロガツスキーの応えは続かなかった。スクリーンから強烈な閃光が瞬いたからだ。彼らは一様にスクリーンに注目した。



 


「放電、来る! 120億ボルト、320万アンペア? これは弩級の落雷みたいな――」


 リィファの叫びを覆い隠すように、蛇がのたくるような閃光の筋がくうを奔った、真空中に輝線が描かれている。通常、真空中に輝線などというものは奔らない。だが現在の磁気乱流圏内の環境は衛星破壊によるデブリが散乱したものだ。それは微小な構成物質も含んでいる。中には軌道調整などに使用する推進剤も含まれている。太陽観測衛星であるイーカロスはかなり長距離の軌道変更を頻繁に繰り返す必要があった。よって元々大量の推進剤を積んでいたのだ。それが破壊によって撒き散らされているわけだ。慣性の法則によってベクトルは維持され、コアブロックを中心として同一方向の運動を継続、更に超伝導コイルが築いた磁気乱流圏が拡散を阻害、一定範囲に集中する状態を維持していた。かなりの量の推進剤が磁気乱流圏内部に集まったままになっている。それなりに大気があるようなもので、これが空間に輝線を描く理由になる。


「磁気シールド、最大出力!」


 瞬間、ホーネッツ親機は蒼白の光輝に包まれた。そして僅かに遅れて広範囲に爆発が起こった。これはかなりの閃光を伴うもので、連鎖的に磁気乱流圏外郭へと拡がっていった。その閃光をサルマたちも目撃していたのだ。




「何? 何が起きたの?」


 いきなりの事態にサルマは動転した。


〈磁気乱流圏内部に拡散していたイーカロスの推進剤に引火したようです。集中して発生した放電のせいと思われます〉

「引火って……いくら推進剤が可燃性と言っても、真空中で……」

〈磁気によって集中したみたいです〉

「集中?」

〈はい、磁気乱流圏だけでなく、ホーネッツグループもシールド用の磁場を貼っていました。両者の効果によってホーネッツグループ周囲に特に集中したと思われます。概算の記録ですが、大気圏と呼びうるほどの気圧の高まりが確認されています〉

「そんなことが……」

〈有り得ない現象ではありません。とんでもない偶然になりますが……〉


 サルマは真っ青になった。


「そんな……ホーネッツは……スゥエン接続制御師は?」


 何も分らなかった。スクリーンのホワイトアウトは既に解消されているが、磁気乱流圏内部はかなり視界が悪くなっている。今も観測困難だった。


〈可視光帯だけでなく、電波帯での観測もまだ不可能みたいです。爆発はEMP(電磁パルス)も引き起こしていたようです。回復には今しばらく時間が……いえ!〉


 シャトナーは言葉を切った。だがそのまま何も続けそうもなかったので、サルマは急かした。


「ちょっと何、何なの?」


 スクリーンの画調が変化した。描画調整が行われ、赤外帯を主体とした映像に切り替わった。すると中心附近に何かが姿を現した。


〈ホーネッツです! ビーコンも確認できます。機体は生きています!〉

「スゥエンさんは? 彼女は無事なの?」

〈確認中。データ通信が通り難いらしく、上手く伝わっていませんが……通信自体は行われているので、いずれ状況は判明するかと思います〉


 EMPは電波通信を著しく阻害するに留まらず、誘導電流を引き起こすなど電子機器に悪影響をもたらす。そのせいかとも疑われたが――――


〈この時代の宇宙機は大半は耐磁シールド処置が施されていて、デブリハントを生業とするリィファ・スゥエン接続制御技師のホーネッツグループにも処置されています。よって機体内部に誘導電流が走ったとは考え難いので、重篤な故障の可能性は低いと思われます。電波環境が改善されれば、通信は回復するはずです〉


 それでもサルマは安心できなかった。例え機械は無事でも中の人間は……? いくら能力があると言っても、それは感覚が鋭いだけのもの。肉体が特に頑強というわけではないだろう。リィファ・スゥエンも宇宙生活者スペースマンなので、細胞賦活を含めた生体強化ブーストアップ処置は受けていると思われる。それでも基本は有機生命、宇宙環境では脆弱なものなのだ。機械強化体メカニクスのような完全サイボーグなどとは違うのだ。


 ――あんな爆発の只中で、無事に済むものなの?


 肩が叩かれるのを感じてサルマは傍らを見た。視線の先に静かにほほ笑むストロガツスキーが映る。


「心配には及びませんよ。リィファはハードウェアの性能を極限にまで引き上げる。何、大して傷も負わずに生還しますよ」


 穏やかとも言える笑みには何ら気負いも見られない。さも当然と言わんばかりの言葉は自然なもので、彼がリィファを心から信頼している証拠とも言えた。何故そんなにも信じられるのだろうか? サルマは戸惑う。




 ホワイアウトは一瞬のもの。リィファは即座に情報収集を行う。そう、彼女は生きている。それだけではなく、意識も肉体も十全に働いていた。彼女は素早く仕事にかかったのだ。だが、ホーネッツのセンサー系がダメージを負っていて、観測精度が落ちているのが確認できた。脳内には各センサーから送られる各種波長帯のデータが次々と映し出されているが、その数値が推測を多く含むものであり、一次情報の精度の低下が見られたのだ。親機でもそうなので、子機のダメージは更に大きいのは明白。2機はほぼ機能不全に陥っていると確認。今の爆発はかなりの影響を及ぼしたようだ。しかしリィファは焦りはしない。冷静に事態に対処する。


「ダメージコントロール。全機は速やかに機能回復に努めよ」


 親機、そして子機のうち3機からは応諾の信号が返ってきた、生きていると確認。通信環境は大分回復しているようだ。


「うむ、やはり2機はダメか。しかし機体自体は破壊されていないようだし、飛行は可能かもしれない。バイパス回線を構築できればこっちから制御できるはず。磁気バケットの展開が可能かどうかは回線構築までは分からないか」


 そう言いつつ、リィファは作業に取り掛かった。同時に周辺の環境観測も継続する。

 ホーネッツ周辺は、今ではかなり“晴れ渡っている”。爆発は推進剤やデブリを吹き飛ばす効果があったようだ。今は静かになっていて、頻繁だったデブリの飛来が途絶えている。


「とは言え、一時的なものか。磁気乱流は相変わらずだし、吹き飛ばされたデブリは外殻に集まっているだけね。こいつら、動き始めているし、そのうち内側に飛んでくると考えた方がいいね」


 するとリィファの視界に立体ホログラム上部にあるカメラレンズが灯されるのが映った。それを見て彼女は微笑んだ。


「気づいた、ニモイ?」


 一呼吸の間を於いてニモイが応えた。


〈すみません、爆発の衝撃がセンサーからモロに走りまして、瞬間的に私のシステムがシャットダウンしたみたいです。診断プログラムによる強制停止を受けたため、再起動に些か手間取りました〉

「仕方ないよ、あなたのセンシングはホーネッツのセンサーを通して全周に開かれていたからね。突如起こった全体爆撃みたいな衝撃には流石に耐えられないね。寧ろ状況を予知しながらも対処し切れなかった私の責任と言えるね」

〈それは違います。ホーネッツグループのハードウェアでは完全な対処は無理です。軍用機じゃありませんから仕方がありません。制限的な性能でも磁気シールドをタイミングよく強化して張ってくれたお陰で、飛行機能には重篤なダメージは残っていませんし、あなたの対処は的確です〉

「それでもね、もっと上手くやれたのでは……と思うのよ」

〈いえ、このハードウェアシステムでは上限の成果だと思います。それよりも、あなた自身はダメージはないのですか?〉

「ん?」

〈フュージョナリーシンクロにより私のネットに神経接続したあなたもまたホーネッツのセンサーと直結していました。同様に爆発の衝撃を受けたはずですが?〉


 ああ、とリィファと頷いた。


「私もシャットダウンしたのよ。一瞬早く接続を切ったの、あなたよりも早かったみたいね。それで私自身は何の影響もなかったわけ。1人だけ逃げ出したみたいだけど、一緒に意識不明みたいになるのよりはいいかと思って」


 ペロリと舌を出した。悪戯っぽい仕草を見せている。


〈的確な判断です。それで再接続は速やかに済んだのですね?〉

「ええ、シンクロはあらかじめ用意されていたサブプログラムで代用できたし、今日の私の神経インパルスに完璧に応答してくれたわ」


 そして現在、リィファはニモイのネットと完全接続、ホーネッツとの一体化も復活させている。


「さて、状況は既にあなたにも伝わっていると思うけど、少しだけやり難くなっているわよ」


 2機の機能不全、それ以外にも全体的なセンサー系の機能低下だ。


〈確認しています。それでも続けますか、リィファ?〉


 リィファは微笑んだ。


「当然、ここで引くはデブリハンターの名折れってもんよ!」


 妙に威勢のいい口調で応えた。ニモイは苦笑したが、そんな自分が変に感じられた。


 ――苦笑か……これも人間的な反応ですね。


 思考はそこまで、ニモイの意識は目前の状況に集中する。


〈さてどうしますか? あなたの能力は今まで通りだとしても、ホーネッツグループの機能がそれを十分に活かせない可能性で出てきました。現状、コアブロックの回収の難易度は高まっています。それに――〉


 外殻のデブリ群が動き始めているのが確認できた。集中した群れが磁気の反発を高め、次々と内側に弾き飛ばされ始めている。リィファもその様子は確認している。


「いっそ圏外に飛んでってくれればいいのに、磁気乱流圏障壁が邪魔してくれるか」


 だから内側に飛んでいくしかない。


〈数分後には一部がホーネッツの現座標と交差しますが、軌道の詳細は相変わらず私には計算できません。直ぐに動くしかありませんが……〉


 確かに狙われているみたい――リィファはそう思ったが、思考はそこまで。ニモイの言う通り直ぐに動くしかない。だがホーネッツグループの性能は落ちている。ならば――――


「〈フルコネクト〉を行う!」


 リィファのその言葉を、ニモイは瞬間理解できなかった。

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