第3話 センシティブ

 22世紀初頭、人類の宇宙進出は加速していた。まだ地球圏に限られるが、宇宙空間での恒常的な経済活動が成立するまでになっていた。各国・各国際機関、多くの民間企業が活動し、月面や軌道上に数多くの人工構造物が構築され、それらの間の往還が日常化していた。

 20世紀半ばのスプートニク打ち上げ以降約150年、人類はここまで来たのだ。

 それは更なる飛躍の前兆になる。人類の目は火星、金星、小惑星帯に木星――広く太陽系全体へ向けられていた。次なる時代が開幕しようとしていたのだ。だがその未来は、決して順風満帆と言えるものではない。

 デブリの存在だ。凡そ1世紀半にも及ぶ宇宙進出は、無数と言える宇宙ゴミ・デブリを宇宙空間に生み出していた。この時代までに数多のロケット、ブースター、分離射出された各種衛星、探査機などが軌道上に投入され、使用限界を越えたものも残されている。残骸となったものも含め無数のものが軌道上を飛び交っているのが現状だ。その数は数千、数万――微小な残骸なども含めれば計測不可能なほどの数に上る。それがデブリ、或いはスペースデブリと総称されるものだ。

 デブリ群は例外なく高速で飛翔している。地球衛星軌道速度は秒速8キロ以上に及び、もしそんなものが衝突でもしたら大惨事を招きかねない。この問題は20世紀末には語られていたが、22世紀を迎えた“現代”でも絶対的に有効な対策はできてない。日常的に無数の宇宙機が地球圏を往還するこの時代、デブリ対策は必至と言える。各国、国際機関、民間企業は協力してデブリ除去に乗り出しているが焼け石に水、完全な除去など夢のまた夢の状況であり、個々の飛行に際しての対処療法が関の山だった。地球圏の往還は常に危険と隣り合わせという状態が続いていた。




 ――あんな“少女”がデブリハンターなのか?


 サルマはほっそりとした体躯をした10代前半の外見をした東アジア系の少女の姿を思い出していた。


 ――今回のミッションに際して契約した民間軌道環境保全会社から派遣されてきた宇宙飛行士アストロノーツが彼女だった。まさかあんな子供だとは……


 大丈夫なのだろうか? 一緒に派遣されてきた上司の男(少女は彼を“博士”と呼んでいた。どうも精神科学分野の学位があるらしいが、そんな資格の持ち主がデブリ除去の会社の社員というのがサルマには妙に思えた)は太鼓判を押してくれたが、サルマにはやはり不安が拭えなかったのだ。


 太陽風観測衛星イーカロスを襲った事故は予想外の状況を生み出していた。高速の隕石群の軌道と交差し、複数の隕石による衝突を受けて大きく破損してしまった。その際、電力源となる3つの超伝導コイルが飛び出しのだが、これが大きな問題となったのだ。まるで計算したみたいだと観測スタッフは言った。コアブロックを包み込むように三点に位置したのだ。コイルは生きているらしく、互いの磁力が上手い具合干渉し合い、コアブロックを中心として相対位置が固定、球状の磁気圏を形成してしまった。

 まるで三体問題のようなもの。それぞれが影響し合い、結果として位置を安定させてしまったのだ。もちろん実際は三体問題とは程遠いのだが、形成された磁気圏はかなり強固で一方磁気環境は不安定だった。その内部では絶えず変動する磁力の影響で嵐のような状態になっていて、破壊された衛星のデブリ群が高速で飛び交う状態になった。その運動は成立したカオス系のため軌道が常にランダムに変化していて、予測が困難となっている。但し、中心のコアブロック附近だけは一転して無風の安定状態になっている。まるで台風の目のようなもの。よってコアブロックは破壊されていない。最も、この状態がいつまで維持されるのかは不明だ。

 衛星には貴重な観測データが大量に記録されており、破損はしていない可能性が高い。転送されずに残されているものが多い。よってなるべく放置はしたくないとのことから幾つかの研究機関から回収要請が管制センターに寄せられた。そして計画が始動したのだが、やはりカオス系が大きな障害として立ちはだかった。

 当初は超伝導コイルの除去を目指した。磁気発生源を取り払えば問題なし。コイルは磁気乱流圏の最外郭に位置しているので、乱流圏の外側からの接近がある程度は可能なので何とか近づいて捕獲、牽引すればいいとの判断だったのだが……

 サルマは思い出す、計画立案時に噴出した種々の問題を――――


〈室長、この3つのコイルが放射する磁力は極めて強力であり、最先端の耐磁シールドを施した軍用宇宙機でも影響を免れ得ないとの計算結果が出ています。1キロ圏内に接近しただけで、恐らく機能不全を引き起こすものと思われます〉


 シャトナーが主導したシミュレーションの結果だった。コイルの至近では磁力が強大を極めており、接近は不可能、結局コイルの回収は断念された。

 次の案はミサイル攻撃か、高出力レーザー照射などで破壊する案だ。外部から撃ち込めばいいので簡単な話なのだが――――


〈破壊は論外です。新たなデブリを生み出すだけで、国際軌道環境保全条約違反になります。それにコイルの破壊は磁気乱流圏を形成する球殻を一気に消失させるので、これはかなり危険な事態を引き起こす可能性があります。コイルを操作して徐々に磁力を下げる方法を採るのなら危険は回避できますが、接近が不可能であり、遠隔操作も受け付けないとのことで何ともなりません〉


 現在、乱流圏内部では高速でデブリが飛び交っている状態になっている。中には地球衛星速度にも匹敵するものもある。これは圏の外郭が磁気障壁となって外部に飛び出すことはない。だが、その障壁が無くなったとしたら? 1つでもコイルの磁気が消失すれば、確実に乱流圏も消失する。この時、内部のベクトルが維持されたままデブリ群が外に飛び出して来ることになる。しかもどの方向へ、どんな具合に飛び出すのか、カオス系運動が続いた後なだけに予測ができない。


〈定期航路や各コロニー、衛星、場合によつては月面都市や更に地球にまで飛来する可能性もあります〉


 秒速8キロにも及ぶデブリの飛来は小さなものでも看過できない。そんな事態は確率が如何に低かろうと懸念すべきものだ。可能性がゼロでないのなら、乱流圏の消失は今は起こせない。成る程、コイルの破壊はできてもやるべきではない。


〈人命の危機など急迫不正の侵害が目の前に迫るような事情でもない限り――いや、あったとしても――今回は認められないでしょう〉


 確かにその通りだ。しかしそんな危険なものはいつまでも放置はできないので、いずれ何とかして磁気乱流圏自体も処理しなければならないだろう。


〈乱流圏の現在位置はラグランジュ3の“外側”、即ち外惑星軌道方向に向かって約1万キロほどのところです。ここは現在定期航路は存在せず、宇宙機の往還の障害になることはありません。現状ですが〉


 地球から見て月の裏側の更に先ということだ。人類の経済活動はその方面となると激減し、乱流圏が生じたポイントは皆無となっている。

 つまり――――


〈遠く離れた空間なのだ、無理して今すぐ急いで除去する必要はない――運輸・環境委員会からの通達です〉


 磁気乱流圏への対処は未来の技術革新を待ってからになるようだ。だが、それでもコアブロックの回収は喫緊の課題だ。

 となると、取り得る手立ては――――


〈選択肢は2つ。磁気乱流圏内部に侵入してコアブロックを回収するか、回収は諦めるか――となります〉


 観測データの重要性は十分理解できる。サルマも科学分野に生きる者の1人なので、是非とも回収したいという気持ちは痛いほど分かったのだ。だから諦めたくはなかった。

 結局、侵入しての回収計画がスタートしたのである。だが、問題は山積だった。やはりカオス系の問題は甚だしい壁だったのだ。それでも様々な検討が重ねられた。その過程で、その“少女”の名が出てきたのである。

 サルマは思い出していた。“少女”の採用を決定する直前にシャトナーと交わした会話を――――



「シャトナー、あなたたち知性化体シンギュラリアンでも計算できないのね?」


 サルマは信じられなかった。カオス系の予測計算が不可能なのは知っているが、量子演算によって計算・思考を行う最先端の人工知能である知性化体シンギュラリアンでも不可能だとは……無限桁の計算をも成し遂げると言われる量子AIなら或いは可能かと期待していたのだが……


〈いえ、我々知性化体シンギュラリアンが行う計算は無限桁と言っても様々な条件が課された限定的・疑似的なもので本物ではありません。カオス系の予測には本物の無限桁計算が必要であり、現状の知性化体シンギュラリアンでは不可能なのです〉


 シャトナー――地球―月軌道運輸・通信管制センターを含む国連航空宇宙局が有する量子AI、シンギュラリティと言われる進化の飛躍を成し遂げた人工知能、一般には知性化体シンギュラリアンと呼ばれるものの1機だ。人類の技術的予測を越えると言われる彼らでもカオス系は手に余るらしい。

 ならば――――


「なおさら人間なんかにできることじゃないのでは? しかもあんな子供に?」


 “少女”はシャトナーによる推薦だった。“彼”は自身のネットを通してグローバル検索を行い、最適な人材を見つけ出したと言ったのだ。それが“少女”――リィファ・スゥエンという名のセンシティブだった。

 センシティブは量子感応と呼ばれる能力を持つ者だという。リィファ・スゥエンは特に空間認知能力に長け、電脳ネットワークとの接続適正も高いされる。それ故に宇宙機の操縦や各種作業機の遠隔オペレート技能などに優れており、宇宙空間での作業で多くの成果を残してきているという。サルマには「あんな子供なのに」という思いがどうしても拭えないのだが、これは事実として記録されていて、彼女も確認している。しかし事はそれだけに留まらない。

 センシティブの意味だ。


〈センシティブはかつてはESP(超感覚的知覚能力)と呼ばれた能力を有する存在です。この能力は現在では量子力学と結びつけられ、一部ですが科学的解明が成されています。それは一部であって大半は不明なものですが、決してファンタジーありません〉


 そういうものが実在するという話は聞いたことはある。でも一度として見たことはなかった。だからか、どうしても信じられない。これは偏見とも言え、曲がりなりにも科学分野の一員である自分がそんなものに囚われるのはダメだという自覚はあるが、それでもサルマの意識からは消えなかった。

 サルマはシャトナーに訊いた。


「リィファ・スゥエンがセンシティブだとして、その能力も本物だとして……それは今回の状況に対処できるものなの?」


 知性化体シンギュラリアンすら手に余るカオス系に対処できるのか――こう問うたのだ。


〈彼女には未来視、遠隔視などの能力があり、現実に確認されています〉


 いよいよ信じられない。だがこれもまた偏見なのか? 尚もサルマの問いは続いた。


「それが事実だとしても、それでもカオス系が成立した磁気乱流に対処できるとは思えない。あなたですら成せないのよ、シャトナー?」


 サルマの目の前にある緑色のカメラレンズが細かく明滅した。まるでかぶりを振るようだと彼女は感じた。


〈私にも信じがたいことなのですが、彼女は――彼女たちセンシティブは真の無限桁の計算ができるのかもしれません〉


 サルマは何も応えなかった。応えられなかったというのが正確だ。無限桁の計算ができる? ただの人間が? 量子AIですらできないことが?


〈膨大な情報量を有する人間という知性体の無意識領域――特に集合無意識に対し、センシティブは意識的なチャネルが行えると聞いたことがあります。ここからは多分に空想的な話になりますが、彼らセンシティブはこの集合無意識領域より無限の情報を入手し、瞬時に選別、必要な情報を認識することができるのではないでしょうか? それは時に時空をも超えるものなのかもしれません〉


 時空を超える認識……それが未来視だというのか?


〈量子力学は多世界の可能性を語ります。それは通常観測不能なものなのですが、センシティブは時空の壁を越えてそれを視ることができるのかもしれません。それが未来を視るということ。ある種の確定映像が時空を越えて脳内に送られてくるのかもしれませんね。事実リィファ・スゥエンの行動記録の中には未来視を行ったとしか言えないものが多々見られます。能力の詳細は分かりませんが、私はこの記録を事実と判断し、今回のミッションに推薦したのです〉


 もしそんなことができるなら……カオス系が成立した環境でも予測ができるのかもしれない。シャトナーは事実と判断している……ならばセンシティブは知性化体シンギュラリアンをも超える超人類エクストラヒューマンと言えないか?

 サルマは頭を振った。やはり理解できない。これが科学とはどうしても思えないかったのだ。同時に彼女は微かな笑みを浮かべた。


「私も古い人間になったということなのかしらね。柔軟に思考できなくなっているのかしらね、どうしても信じられないのよ」

〈あなたはまだ若いじゃありませんか、サルマ室長〉


 ふっ――サルマの笑みは自虐的な色を帯び始めた。


「若いったってね、宇宙環境に対する耐性を強化(特に対放射線耐性強化)するための細胞賦活措置を受けたオマケとしてのアンチエイジング効果なのよ。外見が若いだけで中身は50を越える初老なのよ。やはり歳はとったみたい、意識も古くなっているみたいね」


 いえ、十分柔軟ですよ――シャトナーはそう言ったのだが、サルマには慰めにしか思えなかった。




「そして私は決定を下した。これは事実。今は彼女を信じるしかないわね」


 意識は現在に戻っている。

 サルマは目前の立体映像ホログラムスクリーンに目を向けた。そこは今、細かく走るフィラメントのようなものが数多く映る光景が映し出されていた。ホーネッツグループは既に磁気乱流圏に突入している。フィラメントのようなものの映像はデブリの中の細かな粒子が一部電離し、放電を繰り返している様子だ。これはホーネッツ親機が捉えたものになる。中にはかなり鋭く雷光と呼べる姿を見せるものもある。時折映像が揺れることがあるが、撮影しているホーネッツ親機が放電を受けた衝撃と思われる。リィファはある程度の落雷は許容しているらしい。特に避けようとする動きは見せていないのだ。

 画面の中央に照準を合わせるようにレイティクルが重なるのが見えた。その中にコアブロックが確認できる。間もなく彼女は捕獲作業に入るはずだ。このまま何事もなく進めばいいのだが……画面の揺れは収まらず激しさを増しつつあるのが、サルマには気に障った。


 ――無事に終わってほしい……


 切なる願いだった。

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