流れ星、見つけよう

水瀬 由良

流れ星、見つけよう

 午前1時過ぎ。

 今からが一番よく見える時間だろう。

 8月12日の深夜。もう日付変更線をまたいで、8月13日になっている。毎年、この時期にペルセウス座流星群はやってくる。


 神社があるおかげで、町中なのに開発されずに木々が残っている山を登っていく。毎年、登っているので、どこに何があるのかは覚えているけれど、念のために懐中電灯は持っている。


 ここの木の階段を左に行って、右にくぼみがある。そこからしばらくまっすぐ行ってから、今度は右斜めに行く。そしたら、小さな道があって、生け垣のような高さになっている雑草の間を抜ければ……

 視界が開け、頭上には満点の星空が広がる。ここは少し丘になっていて、ちょうど一番高いところ。少し下りればが原っぱみたいになっている。寝転がれば、星を見るのにちょうどいい場所。

 ちょっと普通のコースから外れているから誰もいない。俺だけの場所だ。

 リュックからシートを出して、その上に寝転がる。流れ星がなくても、この空だけでも十分にきれいだ。


 おっ、今、流れたか。


 ここに来るのは何年目かな。

 小さな頃、ニュースで流星群の話題を見た俺は、どうしても流れ星が見たくて、この山に登った。

 もちろん、そんな時間に外に出ることなんて親が許してくれるはずもなく、深夜に黙って家を出て、山に入り、迷いに迷って、ここに出た。


 その時の感動は今でも忘れることができない。

 帰るころにはすっかり夜が明けてしまい、こっぴどく怒られた。


 全く後悔はしなかった。むしろ、今度はどうやって登ろうかと思ったぐらいだった。それから毎年登った。怒られたのは最初の年を入れて3年間だけ、1年目はさっきの通り、ひどく怒られ、2年目は普通に怒られたが、3年目で呆れられ、4年目にいたっては携帯電話ぐらい持っていろと言われた。

 星を見に行くようになってからの方が成績が良くなっていったのも関係しているんだろう。


「あら?先客?」

 ふいに頭の上から声がした。

 誰だ?ここは俺しか知らないはずなのに。

「私しかここは知らないと思ってたんだけどな」

 相手も同じことを思ったようだ。

 振り返ると、女の子が立っていた。


「……」

 思わず、見つめてしまった。流れるような黒い髪に、透き通るような白い肌。真夏とはいえ、深夜の山だ。それなりに冷えるはずだ。

 それなのに、女の子は手ぶらで何も持っておらず、服はノースリーブの白いワンピースだった。あまりにも神秘的でこの星から妖精が下りてきたかのようなたたずまいだった。


「まぁいいや。いいの持ってるね。私にも使わせて」

 彼女はそう言って俺の右に座った。

 ほとんど触れそうな距離。

「……これは俺のだぞ」

 そう言うのがやっとだった。

 言葉とは裏腹に俺は自分の体を左に避けていた。

「やっぱり、夏の空はいいね。ペルセウス流星群の極大期はなおさらね」

 こちらの都合などお構いなしで話しかけてくる。

 それでも、なんだろう、どこか神秘的な、儚げな様子には変わりなかった。


「……確かにそれはそう思う」

 彼女の言うことに同調する。

「そうだよね。あれがデネブ、アルタイル、ベガ……で、夏の大三角形」

「そんなの小学生でも知ってる」

「そうだけど、やっぱりきれいなものはきれいだと思うんだ。だから、君はここにいるんでしょ?」

「……あんたはどうなんだよ」

 星に魅せられて、それでここにいる。図星だった。

 だから、そのまま返した。 

 

「今から星を数えてみようかな?」

 返されたのはそんな答えだった。


「そんな無茶な」

「でも、星って何個ぐらいあるんだろうって思ったことない?」

「どこまで数える気だ?」

「さぁ? ぱっと見るだけでも相当あるから、時間がかかるね」

 そう言って、後ろに手をついて、空を見上げる。左手は俺の腰のすぐ横にある。右手はシートからはみ出て、地面に手がついている。

「……あんたの右手さ、さっきから草を触ってるよな」

「ええ。そうね」

「この山に生えてる草の数を数えきれると思うか?」

「……そういうことね」

「ああ、そういうことだ」

 触れられるものですら、数えきれないのに、あんなに遠くにある星なんて数えきれるわけがない。

「じゃあさ、流れ星だけでも数えてみない?」

「それだって、無理さ。見逃すかもしれないし」

「そう? 目に見えた流れ星だけでも数えることができたら、きっと素敵だわ」

「……俺にはさ、目に見えたもの1つでいいと思えるんだ。2つ目はきっと2つ目じゃなくて、やっぱり別の1つ目なんだと思う」

 それ以上の意味はあまりない。


「……そっかぁ。そういう考えもありかな。でも、不思議だよね。手も届かない星なのに、名前だけは知ってたりね」

 確かに彼女の言う通り、さっき出てたデネブ、アルタイル、ベガ……どれも誰もが名前だけは知っている。

「逆にさ、この右手に触れている草なんて触れられるのに、名前も知らなかったりするよね」 

「そうだな」

 相づちを打つ。

「例えばさ、名前だけで手が届いたらなぁって思わない」

「……名前を知っていたら星に手が届く、か」

「そうね。そうだったらなぁってちょっと思ったり」

 彼女が右手を空に伸ばす。絶対に届かないのに、届いたらなぁと思う。その気持ちはよくわかる。

 俺も真似をしたくなる。ただ、同じ右手を伸ばすのはなんだかしゃくだったので、左手を伸ばした。

「……意外とのってくれるのね」

 彼女がクスッと笑う。

 うるさい。いいだろ。

「こうしたら、流れ星が手に入るかもしれないなって思ったんだ」

「そうか、そうかもね。じゃあ、一緒に流れ星、見つけよう」

 

 流れ星が指の間をスゥと抜けていく。

 俺と彼女はしばらくそうしていた。


「私がここに来たのはね、私の原点を確認したかったからなんだ。それで、君に会えて、本当に……よかった」


 ふいに彼女が立ち上がって、丘を登る。

 あっ、そうだ。

「あのさっ……!」

 気づいたことがあって、呼び止める。

 彼女が振り向く。

「どうしたの?」

「えっと……」

 この期に及んで、あんたの、はおかしいだろ、君の、じゃない、あなたの、かたいな、どうした? どう聞けばいいんだ?

「?」

 不思議そうにこっちを見る。

「な、名前っ!名前を教えてっ!」

 ようやく絞り出した声がこれか。情けないにもほどがある。

 彼女はきょとんとして、少し微笑んで

「そうね、私の名前、あててみてー!」

なんて返してきた。

「そんなの無理だよ。そっちも俺の名前知らないだろ」

「知ってるよー。天野一希、君。それから日崎高校の三年生だよねー、進学校だよねー、受験生がこんなことしてていいのかなー?」

「! 何で知ってるんだよ!!」

「その懐中電灯とリュックに書いてるよー」

 げっ。そういや小学生のころから山に登るときに使っていたから、懐中電灯には名前を書いているし、リュックは夏の学校行事の時に持って行ったものをそのまま持ってきてしまっていた。

「ふふっ、私の名前ねー。また会えたら教えてあげるー。じゃあねー」

 そう言って、彼女は暗闇に消えた。


 ……翌日、俺はまた、山に登っていた。

 ペルセウス座流星群はまだ見ることができる。もしかしたら、また会えるかもしれない。そう思っていたが、彼女の姿はなかった。

 当然か、そう思って、昨日と同じところにシートを広げて寝転がる。


「痛っ」


 背中に何かがあたった。シートをどけて見る。学生証だ。昨日はなかった。中身を見ると、彼女だ。幾分か幼い感じがする。

 月影高校三年生、星野流花ほしのるか。それが彼女の名前。有効期限を見ると去年の3月になっている。だから、俺よりも2つ年上だ。学生証は返さなくてもいい高校だったのかな。

 なんだよ。先に来て、これを落として帰ったのか。もう少しいたらいいのに。名前、また会うこともなく教えてくれてるし。結構、ドジなのかな。幸いにして、学生証には住所が書いてある。隣町だ。明日、届けに行こう。


 ――――

 翌日、俺はかなり古いアパートの前にいた。

 あの儚げな姿からはおよそ想像できない場所だ。本当に彼女はここにいるのか?

 意を決してアパートの103号室のインターホンを鳴らす。

 ……出ない。もう一度押す。留守かな? 

 アパートの裏に回ると103号室にはカーテンもかかっていなくて、中は真っ暗だった。もう一度、表に回って玄関先でどうしようかと思っていると、気配を感じたのかアパートの隣の人がひょっこりと顔を出した。


「隣の姉ちゃんなら、引っ越したぞ」


「え?」

 どういうことだ?

「あのきれいな姉ちゃんな、母子家庭だったんだけどな、ちょうど高校卒業と同時になお母さんが死んじゃって。それで、すぐに引っ越したんよ。せっかくいい大学に合格したって言ってたのにな、かわいそうにな」

 彼女がここにいない?

 嘘だろ?

 ここにきて、俺はようやく思い知った。

 学生証はおいて行ったんだ。

 

 おそらくは俺に会う前に何かあったんだろう。原点を確認するときになんてそういう時ぐらいだ。

 何かを決めて、原点を確認する必要がなくなったんだろう。きっと彼女はこれからとてつもなく忙しくなるか、もしくは遠くへ行くのだろう。

 もう会えないからと、会うことはないからと、せめて次に会えた時に教えることにしていた名前を教える気になったのだろう。


 でも、おれにとっては会えなくちゃ意味がない。 


 ヒントは名前と私の原点という言葉。そして、いい大学。

 こんなことで星の数ほどいる人の中で見つけるなんて、それこそ、夜空から小さな星を見つけるのと同じだ。


 ……星の数なんて数えきれない。……無理だ。


 と、あきらめることが出来たら、どんなに楽か。

 それでも、なんてことだ、たった一回だけしかあってないのに、俺は彼女、星野流花にどうしようもなく会いたかった。

 あの時の星空と同じだ。

 俺は一瞬で彼女に魅せられてしまっていたのだ。


「例えばさ、名前だけで手が届いたらなぁって思わない」


 彼女の言葉を繰り返す。

 今、切実にそう思う。


 ――――

 そして、俺は有名大学の理学部に進んだ。

 俺が進学校に進んだのは、もともと宇宙のことがもっと知りたかったからだ。宇宙のことを専門的にやっていて、最先端のことができる大学なんてさほど多くはない。

 そのためには学力が必要だった。だから、進学校に進んだのだ。

 最先端のことを学ぶということは業界内でもどこでも顔を出せるということに他ならない。


 きっと、彼女は俺と同じなはずだ。

 そうじゃないと困る。

 私の原点であの場所に来る人だ。きっと俺と同じなんだ。

 でも、なにか迷うときもある。それはきっと、誰にでもあって、しかたないけれど、あれを見れば思い出すはずだ。

 

 星が好きでたまらない。

 

 星空に魅せられてしまった人種の行きつく先なんて結局のところ、星しかない。


 彼女がに進んだのはそういう理由だろう。

 星を見ている限り、絶対に会える。そこに行けば、この道を歩んでいれば、彼女と会える時が来るはずだ。

 その確信が俺にはあった。


 彼女と会ってからちょうど2年。

 また、ペルセウス座流星群の季節がやってきた。俺はあの時出会った彼女と同じ年齢になっていた。俺はある研究室の観測に特例で入れてもらうことになった。

 俺は知っていた。

 ……この研究室に彼女がいると。

 理学部に入ってから、あらゆる大学のあらゆる研究室の名前が出てくるたびに確認した。もう一度、一緒に星が見たいんだ。


 観測の初日、彼女は驚いていた。

「天野一希君……どうしてここに?」

 あの時の流れ星に魅せられた。それだけで、ここにいる理由は十分だった。

 

 なんかいろいろ会ったら言おうと思っていたことがあったが、全部吹き飛んでしまった。

「えっとさ、また、一緒に『流れ星、見つけよう』って思ってさ」

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