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「自分の作品に」
返答はこうだった。
そして続けて、友人の妻はこう話した。
「正直に言うのであれば。これは主人と同じ作家である先生だからこそ話すのですが、私は妻として主人が自分の世界に「吸い込まれた」こと、実はちょっぴり誇りに思っているんです。だって、私も主人も、主人の書いた物語を心から愛しているから。私は心から愛している物語にが現実になる、なんて素敵なことだと思いませんか? 恐らく私も、主人と同じ本に「吸い込まれる」でしょう。でも、どうかお悔やみなさらないで、死んだと思わないで。それでは、さよなら。旦那に三十年分の説教をしてきます」
この電話があった次の日、友人の妻も別の世界に旅立っていった。
この時、自分は友人の妻に深く共感した。なるほど。それは光栄なことだろう。彼女の説明があって、初めて「吸い込まれる」ことに前向きになれた。
そして彼女の「さよなら」という言葉に、不思議なことに幸せな気持ちになれた。まるで、それこそ、無垢な少女が吸い込まれた「不思議の国のアリス」のような。
少なくとも、自分の周りの作家や表現者たちは、自分の世界に願いと、夢と、浪漫を詰めて創作をしていた。無論、自分もそのうちの一人だ。その願い、夢、浪漫を詰めた物語に「吸い込まれる」のは、作家にとっては永遠に消えない誇りを帯びた傷となる。
自分も、どうせ「吸い込まれる」のであれば己の手で生み出した物語が良い。
この「吸い込まれる」現象は、国をあげて調査された。本も数多く回収され、「吸い込まれ」が確認されていない本は廃棄処分されていった。無論、自分の本も数多く焚かれていった。
文学を生み出す者も、愛する者も、文学そのものでさえ居場所を失った。そしたら彼らの愛の行き先はどこだろうか? 最期に残る居場所はどこか?
そう言われたら一つしか残らない。
そう。それこそが、物語の中なのだろうと自分は考える。
実際に現在は行われていないこの処分が始まった当時、自ら「吸い込まれる」人が格段に増えたというのだ。当たり前だ。自分だってそうしようか迷った。この世から文学と物語が消えるくらいであれば、自分がこの世から消えたほうが全然マシだ。
君もそう思わないか?
実際作家を始めとする物語に没頭する人や、この世界や同じ人間に対して信頼できない人も多いというのだから、作品や物語の力は偉大なのだ。「吸い込まれる」前から、作品や作品にを彩る登場人物たちは「吸い込む」力を持っているものだと思う。
それが、実際にその力が目に見えるか、見えないか。おそらく違いはそこだけなのだろう。
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