第47話 彼の旅

 肉体が世界と世界を隔てる壁を通り抜ける。

 心臓が絞られる様な感覚は本来ならば嫌悪するモノであるがロイはその様な事が気にならない程の感情に支配されていた。

 コンテナの隙間を通り抜けると世界が切り替わったかの様に全く知らない場所を眼に映す。


 ザリッと砂の地面を踏みしめる触覚。

 薄暗く、淡い不気味な光がフワフワと浮く。

 空間に存在する壁や階段が果てまで伸びて入り交じり、壁や階段に配置された数多の扉が視界のどこかには必ず映る。

 明滅を繰り返す空間の魔力は魔法の使用を不確かにし、生物の気配は何一つ感知出来ない。

 その異質な様を肌で覚えた瞬間から、自分が二度と戻れない事を本能が認識する場所……


 それが“三災害”の一つ――『迷宮ラビリンス』の内部だった。






「逃がすかよ!」


 ロイは自分がどうなろうと構わなかった。

 怒りと憎悪。そのどちらが彼を動かしているのか解らない程にワーウルフだけは許せる存在じゃ無かったのだ。その追走に躊躇いは無かった。


「ゴガガァ!!」


 『ワーウルフ』は『迷宮』にまで追ってきたロイへ吼える。数多の獲物は怯んで動けなくなる程の本気の咆哮。しかし、感情に支配されたロイには全く効かず、更に迫ってくる。


「吼えてろ! これがテメェの最後だ!!」


 『ワーウルフ』は動く度に身体から血が滴る。エルーラの入れた傷が『ワーウルフ』の命を少しずつ削っていた。このまま距離を置いて動きを誘発する様に立ち回ればリスク無く確実に倒せるだろう。


「お前は……お前だけは!!」


 『ワーウルフ』も解っていた。

 今の己は戦える状態に無い。それ程にエルーラに勝利したのは奇跡に近い事柄だったのだ。


「グルル……」


 身体からボタボタと血が止まらず、傷口は更に開いた様子だった。迫るロイ。『ワーウルフ』は近くの扉に寄りかかる様に腕で押すと、外開きだった扉は不意に開き、その中へ倒れる様に消える。


「! クソッ!」


 ロイは同じ様に追おうとするも、扉は閉じてしまった。間髪入れずに扉を突き飛ばす勢いで開く。『ワーウルフ』を追ってその先へ――






「――――」


 扉の先が繋がっていたのは『オルヴィス』の鐘塔の屋上扉だった。

 そこは王都騎士団が警鐘を鳴らすために持ち回りで一人は常に配備される場所。ロイも何度か当番になった事があるため『オルヴィス』の王都を俯瞰できると知っている。

 周囲に『ワーウルフ』の姿はない。探しつつも周囲の異様な様子に気がついた。


「……なんだ……空が赤い……?」


 ロイは扉を開いたまま、そのまま鐘塔の手摺まで出るとそこから見える景色に驚愕する。


 太陽は黒くなり、赤い空に浮かんでいた。更に妙な息苦しさを感じ、その光景に驚いていると焦げた臭いを感じて、そのまま見下ろす。


「王都が……」


 見下ろす王都は破壊され尽くした様にボロボロだった。唯一建物としての造形を残しているのは鐘塔と王城と魔法学園のみ。市街地は戦争でもあったかの様に無事な様子は一切無い。


「なん……だ? あれ……」


 そして……その遥か彼方に『光の巨人』が項垂れる様に立っていた。膝下に山が見える程に巨大なソレは、雲よりも高い位置に顔がある。

 その淡い光の身体は……赤い世界を安堵させる様な存在でなく全ての“終わり”を体現したかの様な絶望を感じさせた。


「――――」


 その『光の巨人』は項垂れていた顔を上げる。黒い丸を塗りつぶしたかの様な二つの眼と、三日月を横に寝かせた様な笑う口だけが顔のパーツだった。


 ソレがこちらを認識したと理解したロイの感情を急速に冷えていく。

 そして『光の巨人』はゆっくりと腕を持ち上げ、指先をこちらへ向け――






「っ!」


 向けきる前にロイは扉へ戻り急いで閉めた。本能がそうしなければ死ぬと思わせたのだ。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 今度は異常な程に混乱していた。先ほどまで怒りに身を任せていたと言うのに、今度は悪寒が止まらない。

 アレが何なのか……考えてはなならない。

 二転三転する感情に気が狂いそうになるも、一度大きく息を吸い、吐く事で何とか正気を保つ。


「……『迷宮』……クソ」


 ロイは悪態を突くが『迷宮』に入った事を悔やんでいるワケではない。父とエルーラの仇である『ワーウルフ』をこの手で討てなかったばかりか、見失った事に憤慨しているのだ。


「……逃がさねぇぞ」


 ロイは混乱する感情に憤りを再燃させると剣を鞘に納めて壁に手をつけて立ち上がる。

 どれだけの時間が掛かろうとも、ここを永久に彷徨おうとも必ずお前を見つけ出す……


 ロイは復讐者として『ワーウルフ』を捜してヨロヨロと歩き出した。






「侵入障害無し!」

「装備、身体的支障は今のところありません!」

「周辺警戒! 扉との接続を観測し続けろ!」


 リンクス率いる救出部隊も中央広場のアーチゲートから『迷宮』へ侵入していた。部隊員の状況と扉を抜けた事による不調具合を再確認する。


「司令、魔力濃度が滅茶苦茶です。質の悪い沼の中にいるみたいでさぁ」

「元より下手に魔法は使わん。己の身体強化だけをアテにしろ」

「了解」

「総員! 簡易拠点設営! ウェイン、ここの指揮を取れ! カムイ、先に周囲を調べる。協力して欲しい」

「解りました」


 同行しているカムイの所属は『黒狼遊撃隊』。直属の部下でない以上、ここでは協力者と言う形だ。

 バラバラに捜索しては二重遭難の危険がある為、ある程度の法則は掴んでおきたい。


「カムイ、アルフレッドと言う人物と出会うアテはあったりするのか?」

「基本的には彼がこちらを見つけると言う形です。私の雷魔法を飛ばし、『迷宮』に居ることを知らせてはみますが、あまりアテにし過ぎるのは良くありません」

「可能な事はやってみてくれ。少しでも生存率を上げたい」

「わかりました」


 リンクスも周囲の環境を魔法で索敵するが、ノイズが多すぎてまともに意味を成さない。


 やはり、足で確かめるしかないか……

 リンクスは一秒でも惜しい故に即座に行動に移る――


「――そこで止まれ!」


 その時、薄暗い通路の向こうから人影が歩いてくる様子を感じた。場に留まり剣に手を置いて声を上げる。

 その警告は、目の前の人影に向けられていた。拠点設営をしていた騎士達も手を止めて、リンクスと同様に目の前の人影に備える。

 ザッ、ザッ、と砂を踏みしめる人影の足が止まる。薄暗い空間に慣れた眼により、その姿が見え始めた。


 ソレはフードコートを着て、肩口より金髪の三つ編みを垂らす女性だった。仮面を着けており素顔は確認できない。その装いがリンクスの警戒を強める。


「カムイ……」

「違います。アルフレッドは男です」


 不確定要素。いきなり遭遇したと、リンクスは一層警戒する。だが、足を止めた所を見るに言葉は通じる様だ。


「貴女方の事情は把握しています」


 女性が声を出す。その様子はとても落ち着いていて、まるで自分達がここに来る事を知っていたかのようである。


「……お前は何者だ? 何故、我々の事を知っている?」

「それにはお答え出来ません。答える事で運命が大きく狂ってしまうかもしれない」


 すると女性の後ろから更に人の気配がする。それは、一人や二人ではなく十数人の声が共に向かってくる気配。

 リンクス達は自然と警戒した。


「あ! 魔女様の言った通りだ!」

「王都騎士団! 本当に……来てくれた!」

「よかった……よかった……助かった」


 現れたのは行方不明になっていた王都市民だった。リンクス達の姿を見ると女性を追い抜き、安堵する様に駆け寄ってくる。


「総員保護! 行方不明者リストを確認し、確認が取れた者からゲートを通せ! 一人の漏れも見逃すな!」


 リンクスの命令に部下達は戦意を納めて市民達へ対応する。


「全員いるハズですよ」

「…………お前の目的は何だ?」


 喜びと安堵に溢れる後方とは裏腹にリンクスは剣を抜いたまま距離を置いて警戒を解かずに女性に問う。

 しかし、女性はそれには答えず踵を返した。


「貴女方の目的は達成されました。早く戻る事をお薦めします。『迷宮』は誰も予測が出来ない」

「……名前を教えてくれないか?」


 リンクスは剣を納めて女性に問う。


「『迷宮』を一人で歩く貴女は、どこぞの有名な魔術師なのだろう? 後に剣を向けた謝罪と市民を救ってくれたお礼に伺いたい」

「必要ありません。それに私も貴女方のおかげで目的を達成したので」

「どういう事だ?」

「……この“瞬間”をずっと探していたんです」


 そう言うと、女性は薄暗い闇の中へ消えて行った。






「……あり得ない」


 ロイの後を追ってジンは『迷宮』に入ったものの、【霊界権能】で見た内部本質はあまりにも見れるモノではなかった。

 捻り、絡み合う様な通路や階段は絶えず変貌し、少し歩くだけで全く違う道を常に作り続けている。その所々にある無限と思わせる扉。それらは目的をもって作られたモノではなく、繋ぐ為だけに発生・・しているのだ。

 何より『霊界』から見ていると言うのにそれらの壁や扉を透過出来ない。


「これが……『迷宮』か」


 三災害は常識を逸脱している。解っていた事だが、ここまで理解が及ばないモノだったとは。本質を見るより肉眼の方がまだ動きやすいと判断。

 【霊界権能】を解除し実体に戻る。寒気が襲うが、ナルコとの修練のおかげか、昔ほど重いモノでは無くなっていた。


「……同じ“扉”から入ったが……やはり、ジェシカの懸念通り時間の概念が異なるか」


 ロイが消えてから十数分程でジンも同じ“扉”から『迷宮』へ入った。しかし、ロイの姿は無く、痕跡も存在しない。

 一瞬の間でどれ程の時間がこちらで流れているのか不明だ。


「…………ふー」


 一度、呼吸をして落ち着き【霊界権能】を発動しロイの痕跡の記憶を見ようとしたその時、


「うわわっ!?」

「!」


 近くの扉が開いた。

 咄嗟にそちらを見ると、こちら側に倒れ込む様に金髪の少女が『迷宮』に入ってくる。

 

「痛たた……え? な、何!? ここ!」


 状況を理解できない様子で見回す少女はジンと同い年くらいで、慌てている間に扉がゆっくりと閉じた。


「あっ! ちょっと! 待って!」


 少女が閉じた扉を慌てて開くと、その先へ飛び出す。しかし、その先は道の無い崖先に通じていた。


「わぁ!?」

「っ!!」


 少女は予想外の光景に足を止める事が出来ず、足を踏み外し落下。咄嗟にジンは走ると飛び付く様に彼女の手を掴む。


「わっ!? だ、誰ぇ!? い、いやぁ! は、離さないでぇぇ!!」

「あ……ばれるな……引き上げられない……」


 何とか少女にも掴める所を掴んでもらい、こちら側に引き上げた。


「はぁ……はぁ……」

「ゼェ……ゼェ……」


 全力をかけた二人は息を整えていると、扉はパタンと閉じる。


「だ、大丈夫か……ゼェ……」

「うん……何とか……ありがと」






「…………」


 慌てた息を整えるまで二人は無言だった。それは互いに状況を考えている様に沈黙が続く。

 ジンは何気なく少女を見る。その面影は――


「ふー、よし! 状況整理完了! ありがとね、少年! 助けてくれて」


 少女は立ち上がるとジンを起こす様に手を差し伸べた。ハッキリ見るとその姿は――


「レヴナントか?」


 バトルメイド(自称)のレヴナントと瓜二つだった。


「レヴナント? 私はナナリーだよ。ナナリー・メメント」

「!」


“私には妹が居たのです。名前はナナリー”


「まさか……ナタリアの妹か?」

「! 御姉様を知ってるの!?」


 良かったぁ! とナナリーは希望に満ち溢れた表情でジンの手を取った。すると、次には少し真面目な表情になる。


「でも、呼び捨ては良くないよ! 御姉様を呼び捨てにしていい家族以外の異性はアルフレッド様だけ! 御姉様はメメント領の令嬢なんだからさ! 気にしないと思うけど……私は気にするから、そこは訂正して!」


 と、今度はビシッとジンの物言いを正す様に指を指す。


「…………あ、ああ。すまん」

「わかれば宜しい! その代わりに私の事は呼び捨てで良いよ。君は何歳?」

「19だ」


 ジンの返答にナナリーは凍りつく様に停止する。


「…………名前は何て言うの?」

「ジンだ。ジン・マグナス」

「ほ、ほほぅ……19か……誕生日はまだだけど……うん、私も今年で19だし!」

「……オレは今年で20だが……」

「……君さ、童顔って言われない?」

「さぁな、そもそも年齢は意識した事がない」

「ドライだなぁ~。ジン君はさー」


 バシバシ背中を叩くナナリーにジンは、性格はレンが近いな……と分析を終えた。


「それにしても……凄く薄暗いなぁ。ここはどこか解る?」

「『迷宮ラビリンス』だ」

「『迷宮』……あー、アレかな? アルフレッド様が言ってたヤツだ!」


 ほえー、と物珍しそうにナナリーは『迷宮』を見回す。まるで危機感の無い様子にジンは少しばかり呆れた。


「ここは一度入れば同じ場所には出られない。その事は理解しているのか?」

「そうなの?」

「ああ。オレも迷ってる」


 ロイと合流し『迷宮』を脱出する。しかし、肝心のロイを見つける事が困難だった。

 これからの事を考えて難しい顔を作るジンの両頬をナナリーは掴むと、びよーん、と引き伸ばす。


「……何をする?」

「そう言うのはダメだよ。只でさえ暗い雰囲気なのにもっと暗くなるからさ! とにかく進んで明るい事を考えて行こう! っと、よく見るとジンって両眼の色、違うじゃん! うわ傷も……何かあったの?」


 そのナナリーの表情はナタリアと初めて出会った時と重なった。


「昔、ちょっと事故に巻き込まれてな。もう離してくれ」


 ジンは振り払う様にナナリーの頬拘束を解く。


「よしよし、暗い心は少し晴れた様で結構。そんじゃ出口を探そうぜい!」


 にへっ、と笑うナナリーは意気揚々と歩き出す。

 状況を深く理解しない様は、能天気か……それとも大物なのか。

 ソレを計りかねつつも、その背にナタリアと同じ、頼もしさが重なった気がした。そしてナナリーの言ったある単語が気にかかる。


「ナナリー、一つ聞いてもいいか?」

「どーぞ。体重以外なら答えるよん。あ、ウエストサイズもダメね」

「君はアルフレッドと言う人物が何者か知ってるのか?」


 『迷宮』の歪さが本来ならばあり得ない出会いを生み出した。

 ソレは必然か偶然か。その接触が世界に何をもたらすのかは、この時点で誰にも解らなかった。






 偶然か必然か。

 あらゆる物事においての結末の原因はその二択が主になるだろう。だが、比率で言えば圧倒的に“必然”が勝る。

 その理由としてヒトは己の未来をある程度、形にする能力を保有しており、ソレが優れていれば居るほどに精度の高い“必然”を持ってくる事が出来る。

 だが……『迷宮』ではその比率は反転する。

 己の持つ全ての能力を駆使したとしても、『迷宮』内部ではあらゆる物事が“偶然”と言う形でしか帰結しない。

 しかし――


「――いた」


 老いた隻眼の『ワーウルフ』が階段の下を歩いて居る様を見つけた事は本当に偶然――なのだろうか?






 隻眼と胸を通る大きな傷痕……間違いなくヤツだった。

 見失ってから体感的には、一時間ほど『迷宮』を彷徨ったが、そんなモノはどうでも良い。


 『ワーウルフ』の傷は治っているが逃がした時よりも筋肉量は落ちている様に見える。体格も先ほどより一回り小柄に見え、更に毛色の殆んどが色落ちしている事から、かなりの高齢だ。

 ヤツの中では逃げ延びてからかなりの時間が流れているらしい。


 俺は剣を抜いて階段から駆けおりる様に『ワーウルフ』へ突撃した。もう逃がさねぇ! ここで……確実に仕留める!!


「ガルル……」


 次の瞬間、スン、と『ワーウルフ』の鼻が動き視線がこちらを向くと、風のように階段を駆け上がり、瞬きの間に俺の首を掴んだ。


「かはっ……」


 詰まる息に思考が一瞬止まる。

 そして、次の行動に移る前にワーウルフの戦爪が、鎧をものともせず俺の胴体を深く切り裂いた。


「――」


 無駄な様が一切無い……“格上”による“格下”を一方的に下す戦い。不思議と血は流れず、痛みは無かった。ただ、傷だけが深く身体を通る。


 ……俺は……お前を……


 そう思っていても言葉が出ない。

 全身が自分のモノで無くなったかのように力は入らず、失われた握力は手から剣を放棄する。

 音を立てて剣は階段を落ちて行った。

 『ワーウルフ』は意識が朦朧とする俺の首筋に向かって牙を開くと喰ら――


「――――」


 その時『ワーウルフ』は捕食を止めた。そして、“何か”を見ている様だった。

 俺はドサっと落とされ階段に力無く伏す。『ワーウルフ』は階段下に視線を向けており、その先の薄闇から“何か”が、ザッザッ、と砂を踏みしめて近づいてくる。


「君も随分と迷い続けてるね、ヴェッダ」






 旅をしている。

 とても……とても長い旅だ。

 彼女はどこへ行ったのか……

 僕は……何故彼女を救えなかったのか……

 その答えを知る為に旅をしている。


「終わりは無いよ」


 未来が見えると言う噂の占い師からそう言われた。


「それ程の力を持ちながら……何故ですか!?」


 『ゴート』を退けた僕に姫がそう言った。


「……ワシのせいなのだ……すまない……すまない……」


 死に際に父はそう言った。


「貴方様の旅は無限に続くのですか?」


 セバスにそう問われて僕は“こう”答える。


「必要ならそうするよ」


 旅を続ける。

 剣が必要なら剣を。

 伝説が必要なら伝説を。

 彼女を救う者の名前で世界に紡いでいく。

 そして――


「……何故……私を追ったのですか……何故……貴方は……」


 『迷宮』の中を彷徨い、“偶然”を“必然”に出来る様になる程の永久が経った時、世界に彼女を見つけた。


「この剣が君に必要だと気づいたんだ。だから、今度は受け取ってくれるかい?」


 僕は剣を彼女に捧げた。

 そして、彼女を救う最後の戦いの前に――


「……これは“必然”なのだろうね」


 『ワーウルフ』に殺されかけているロイ・レイヴァンスと出会う。






 身体は致命傷を受けたのに、痛みも血も流れない。ただ、動かないだけだった。


「君も随分と迷い続けてるね、ヴェッダ」

「…………」


 現れた男はフードを取って『ワーウルフ』を見る。

 『ワーウルフ』は俺に背を向けて階段を降りていく。俺は……俺には……トドメを指す程のモノじゃないって……事かよ……


「“本能”で『迷宮』を理解しようとしている存在は君が初めてかもね」


 その時、タンッ! と『ワーウルフ』が加速。持ち前の瞬発力と膂力によってヒトなど簡単に引き裂ける戦爪が男へ襲いかかる。


「――“アンサー”」

「!」


 男の呟く様なその言葉に、ビタッ、と『ワーウルフ』は戦爪を寸前で止めた。


「なるほど。無意味に『迷宮』を彷徨ったワケじゃない……か」


 戦爪を停止した『ワーウルフ』の横を男は歩いて抜け、あまつさえ背を向けるが、『ワーウルフ』は見送るだけで攻撃をしない。

 男は俺の落とした剣を拾い上げると、何かに気づいた様に刃を見た。


「なるほど。彼女も……これも運命か」

「――グルゥ」


 『ワーウルフ』が駆ける。だが、それは本能による荒々しいモノではなく、長年の経験により培った熟練者の如く洗練されたモノ。

 フォン、と空気の間を抜ける様な音と共に『ワーウルフ』は男に接近――


「――――」


 接近を止めた。いや……唐突に男が向けた剣の切っ先を見て即座に停止したのだ。


「“アンサー”」

「!」


 『ワーウルフ』はその場から大きく跳び下がる。異常な程に開ける間合いは、そこまで離れてようやく安全圏であると認識している様だった。


「さて、どうする? まだ、続けるかい?」

「…………ガルル」


 刹那、『ワーウルフ』が動く。

 高速。戦爪が男へ襲いかかり、男はソレを避け、横薙ぎに剣を振るい、『ワーウルフ』は剣筋の方向へ身体を動かして避け、男の側面に周り、下から戦爪を振り上げ、男はソレに合わせて剣の刃を切り返して置く・・と、戦爪ごと『ワーウルフ』の片腕を縦に割り――


「――――え……?」


 『ワーウルフ』と男は動いていなかった。

 先ほどの攻防が無かったかのように距離を維持したまま向かい合っている。


「ヴェッダ。まだ、君の“解答アンサー”は続いている。僕に届くかい?」

「……グルル」


 『ワーウルフ』は部が悪いと悟ったのか、後退する様に、ゆっくりと薄闇へと消えた。






「酷い怪我だ」


 『ワーウルフ』を退けた男はロイへ歩み寄ると階段下に座らせて傷の具合を見る。ロイはまだ身体が思うように動かなかった。


「あ……あんたは……?」

「僕の名前はアルフレッド。君は?」

「ロイ……レイヴァンス……」


 ロイは最低限の情報のやり取りはするものの、安堵からか意識が朦朧とし始める。


「受けた傷が深すぎる。『迷宮』内部で良かったね。外の世界なら間違いなく即死だったよ」

「俺は……どうなって……るんですか?」

「『迷宮ここ』では生物の個が保有する時間が緩やかになる。内部で負った怪我は特にね。君は致命傷を受けてるけど、その効果が発揮する時間が極端に遅くなっているんだ。今は肉体が受けた損傷による身体機能の低下が効果を発揮している状況なんだ」

「…………」

「簡単に言えば『迷宮』でも腕が切断されたら痛みは無くても即座に動かなくなるって事さ。まぁ、魔術師じゃないと理解できないからね。気にしなくて良いよ」


 ロイへ最低限の説明をすると、アルフレッドはゆっくりと階段の横に寝かせる。


「……俺は……アイツを……」

「今は何も考えずに眠った方が良い。代謝を抑えれば、次に眼を覚ました頃には治ってるハズだ。君が起きるまで見張っててあげるよ」


 アルフレッドの口調はナタリアが寄り添ってくれた時の様な安心感を感じられる口調だった。それに、


 何だが……ずっと昔から知ってる気がする……


 ロイは考える事さえも放棄して抵抗無く眼を閉じる。そして、『迷宮』に来てから初めて――


「……俺は……」


 元の世界に居る家族ナタリア達を思いゆっくりと意識を手放す。

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