第46話 エルーラVSワーウルフ

 リンクスへエルーラ死亡の報が届く、数十分前――






「嫌な感じで騒がしくなってきましたね……」

「ジェシカと総司令の懸念が当たってしまったようね」


 エルーラはリンクスの命令により、市民の確認と捜索部隊、補給線の総指揮を執っていた。

 突如としての市民の大移動。全てが円滑に進むハズはなく、失踪者を訴える者も多々声を上げ、その対応にも人員は割かれている。


「聞きなさい。魔物が意図しない所から現れる可能性が高いわ。常に二人一組で行動し、扉を開ける時は絶対に正面に立たないことを厳守しなさい」

“はっ!”

「私達の役割は何も変わらない。全員が任務を完遂すれば誰も欠ける事なく事態を終えられる。小隊の動きは大隊全体の動きを変える事を自覚し、簡素な任務だと侮るのはダメよ」

“了解です!”


 的確な指示を出すエルーラに捜索部隊は区画を丁寧に確認しながら次へ移動する。

 エルーラは展開する部隊の中央を常に位置取り、何かあれば即座に駆けつけられる距離を維持していた。その的確な指示と彼女が存在する安心感は緊張感との程よい比率を生み、場の雰囲気は自然と引き締まる。


 しかし、その恩恵を受けるのは部下だけ。エルーラ当人は常に不気味な様を肌で感じ続けている。


「嫌な感覚ね」

「このざわざわする感じ……『霧の都』を思い出します」


 エルーラの眼の届く範囲に居るロイは、かつて経験した『霧の都』での感覚を思い出す。

 濃霧から襲いかかる『太古の魔物』。あれ程の絶望感を塗り替えるモノは未だ経験したことがないが、今の王都はソレに近いモノを感じる。


「『霧の都』とは違うわ」


 ロイの不安な気持ちを汲み取ったエルーラは安心させる様に宣言した。


「ここは王都。『霧の都』じゃない。それに今回は私達もいる」


 そう、今の王都には国内でも十分過ぎる程の戦力が揃っているのだ。

 『霧の都』とは違って十分に対応出来る戦力は揃っている。


「……はい」


 『霧の都』で救えなかった市民たちを思い出しつつも、今回はあの様な事にはならないとロイは前を向いた。


「エルーラ隊長、数人の民間人を発見しました」


 どうやら、家の中に立て籠り、事が過ぎるまでやり過ごそうとする市民が居た様だ。


「彼らを避難所まで連れて行きなさい。アーチゲート付近は気を付けるのよ。可能な限り、他の部隊と合流し、引き継がせて任務に戻るように」

「ハッ!」


 時折、報告にくる騎士に的確な指示を出しつつ探索の人員が減らない様に考慮する。

 そして、ロイとエルーラは街中の食料庫へやってきた。


「ここは市民が隠れてる可能性が高いわね」

「普段は関係者以外は閉じてる場所ですね」


 目の前の巨大な建物は王都にある六つの食料庫の一つ。常日頃は商会が管理しているが、有事の際には無償で食料を使える事を条件に賃貸費用は激安と言う契約で使われている。


「避難した市民たちへの糧食はこの食料庫を使うわ。中の安全を確保しつつ、補給線を確保するわよ」


 リンクスからの命令は捜索だけではない。避難民が不安にならないように常に食事を用意する事も言い渡されていた。


「隊長、扉が開いています!」


 扉を確認した部下が、開ける前にエルーラへ報告する。


「二人一組で倉庫の周りを調べなさい」

「ハッ!」


 食料庫の安全は最優先。大扉の開放は必須条件だ。

 数人の部下が食料庫の周りを捜索し、何もない旨をエルーラへ報告。どうやら正面の扉だけが侵入経路のようだ。


「私が先行するわ。貴方達は外で少し待ちなさい」


 『迷宮』との接続も考えてこの場で一番の実力者であるエルーラは慎重に扉に手を掛けた。






 食料庫の正面扉は多くの物資を搬入できる様に見上げる程大きく作られているが、小物を出し入れする為の小さな扉も設置されている。

 鍵が開いているのは、その小さい扉であり、エルーラはゆっくりと扉を押した。


「…………」


 中は麦やサトウキビに芋などの、素置きでも鮮度が長持ちする食物が入った木箱が並べられて道を作っている。干し肉などもあり、少しだけひんやりしていた。

 エルーラは扉が正常であるのか確認するように中にナイフを放り問題なく倉庫内に落ちた様を確認した。


「『迷宮』とは繋がってないわ。何人かで大扉を開けて。残りは内部を捜索しなさい」

「ハッ!」


 部下達はテキパキと指示をこなす。『迷宮』への接続は確認できた。次は内部の安全の確保に移る。

 食料庫は特に抑えて置きたい要所の一つ。確実に現場を保全しなければならない。エルーラは先行して庫内に入ると奥の見えない闇を見据えた。


「暗いですね……」

「足下に気を付けなさい」


 保存性を考えて、倉庫には換気用の窓しかない。昼間なら大扉を解放して外の光を中に入れるが、夜は壁にかかった『発光灯』を持って中を歩く。


「王都騎士団です! 誰か居ますか?!」


 声を出しながら『発光灯』を掲げて捜索を開始。大扉は数人で近くのギアを回してゆっくりと開かせて行く。


「返事はありませんね……」

「隠れてるのかもね。探すわよ」


 『発光灯』には限りがあるため、捜索人数は二人以上で固まって当たる。


「王都騎士団です! 侵入した経緯に関しては咎めません! 避難をお願いします!」


 声を上げながら木箱の陰や、隠れられそうな場所を遮る布などを捲って内部に居るであろう市民を捜索していく。


「――ん?」


 その時、ロイは動く影を視界の端を過った気がした。エルーラはゆっくり開き始めた大扉から射し込む月明かりへ意識が向く。


「――――」


 ロイは自然とその影を追った。そして、若干雑に組まれた木箱の隙間に血の跡を見つけ、それを辿る。と――


「――どうしたんだ?」


 隙間の奥に木箱を背に腹部から血を流して座り込む男に寄り添う小さな少年が居た。


「居ました! 生存者です! 怪我をしています!」


 ロイは声を出してエルーラ達へ知らせる。そして、男の様子を確認すると脇腹の出血により意識が混濁している様だ。


「お父さん……死んじゃうの?」

「いや、もう大丈夫だよ」


 二人は親子だったらしい。ロイは少年を安心させる様にそう応える。


「すぐ近くに俺達が居ただろ? 何故声を出さなかった?」

「…………お父さんに声を出すなって……」


 ロイは少年の父親の出血を止める様に布を傷口に当てながら質問を返す。


「声を? なんで?」

「怪物が……いるから……」


 その時、ロイは上からの視線と唸り声に気づいた。


 『ワーウルフ』。

 積み上がった木箱の隙間に潜み、騎士団で孤立する者を待っていた隻眼の個体は、ロイに狙いを定めていた。

 その個体は父を殺した――


「――」


 ロイは交戦に入ろうとしたが、少年が『ワーウルフ』に脅えて袖を強く握る感覚に“騎士”に引き戻される。


 彼らを護らないと……。くっ! 剣は間に合わない……せめて――


 ロイの意が自分から反れた事を隙と見た『ワーウルフ』が飛び下りる様に襲いかかる。

 ロイは少年と父親を『ワーウルフ』から護るように彼らに覆い被さった。


「ロイ、懲罰よ」


 その時、横から木箱が勢い良く流れてくると『ワーウルフ』にぶつかり、その巨体を他の木箱に巻き込むように吹き飛ばした。


「私から離れるな。そう、言ったでしょう?」


 エルーラは木箱を押し退けながら起き上がる『ワーウルフ』とロイ達の間に入って告げる。


「単独行動は控えろよ、ロイ」


 医療の心得があるホーキンスが、隊長の懲罰はキツイぜ? とロイの元へ駆け寄り、市民を護るように他の騎士も側に集まってくる。

 集まった部下に背を向けたままエルーラは問う。


「ホーキンス、動かせそう?」

「少し時間を貰います。誰か担架を作ってくれ!」


 すると『ワーウルフ』が唸り声を上げて突撃してきた。自分の獲物を奪い返すと言わんばかりの勢いだ。


「バカね」


 ソレを阻止する様にエルーラが剣を抜く。しかし、『ワーウルフ』の突進は止まらない。

 その勢いは正面から馬車をひっくり返す程の膂力を生んでいた。


 エルーラは数歩前に出ると『ワーウルフ』の顔を狙って剣を振るう。しかし、肘を盾に刃を受け止めた『ワーウルフ』は毛皮と筋肉で深傷にさえもならない。そのまま、勢いのままエルーラに牙を――


「貰うわよ」


 美しながらも、氷のように冷めたエルーラの瞳に腕ごと身体と命を断たれる殺気を感じた『ワーウルフ』は急ブレーキをかけて後ろへ跳び下がった。


「なるほど。その危機察知能力が今まで貴方を生かしてきたのね」


 コツ、とブーツの音を響かせて後退した『ワーウルフ』へ一歩踏み出す。


「けど、それもおしまい」


 切り傷から血を滴らせる『ワーウルフ』へエルーラは告げる。


「貴方は民を傷つけ、私の部下に二度も手を出そうとした。それはとても許しがたい行為よ」


 もう、自分の目の前で部下を死なせない。

 それがエルーラが己に課せた、生涯を賭して護らねばならぬ事だった。






 それはとても単純シンプルだった。

 『ワーウルフ』は持ち前の体躯と身体能力て己の戦爪をエルーラへ振るう。

 間合いは爪の届く『ワーウルフ』の至近距離。逆に剣の間合いでは十分な威力と速度が生まれず、エルーラは武器を振るうことが出来ない。


「…………」


 攻勢は『ワーウルフ』しかし、状況はエルーラが優勢だった。


「グルル……」


 戦爪は当たらない。本能のままに乱雑に振り回す戦爪は鉄を引き裂き、小動物ならば骨ごと切り裂く。

 武器を振るう事とはワケが違う。己が最も使いなれた指先は僅かな距離感でさえ見誤らない――ハズだった。


「――――」


 爪先はエルーラの当たる数ミリ手前で空を切る。

 それは、『ワーウルフ』が距離を見誤っているワケではない。そもそも、その前提が間違っているのだ。


「新兵の方が貴方よりもセンスが良いわ」 


 エルーラは汗一つ掻かずに『ワーウルフ』の戦爪を紙一枚の距離で避け続け、剣の間合いを測る――




 かつて、リンクスが率いた王都騎士第二師団では大まかに“小隊”と“中隊”に区分されていた。

 そんな第二師団では“小隊”に関しては“隊長”は居なかった。これは咄嗟に隊を成した時にどの形でも戦力差が起こらない小隊と成す為に、リンクスが指揮能力のノウハウを部下達へ徹底的に叩き込んだからである。

 故に元第二師団の面子は誰もが隊長・・であり、王都に残らずに地方に散った第二師団の面々は、各地でリーダーと遺憾なく能力を発揮していた。


 しかし、そんな第二師団でも“中隊”が存在した。

 これは大規模な戦闘行為を行う際に小隊を取りまとめる選りすぐりの騎士が任命される。

 その中隊長に求められるモノは『統率力』『戦術予想』『戦局制御』『大局観』『俯瞰視点』、そして――『戦闘力』である。


 他の国では『英雄』を呼ばれても遜色のない戦士達。ソレがリンクスの任命する“中隊長”の最低ラインだった。

 師団全体の動きを常に把握し、リンクスの動きや戦場の流れをいち早く察知し、最適な動きにて状況を制圧する。

 故に“中隊長”となれば、もはや生物が違う・・・・・のだ。




「グルルル……」


 エルーラは目の前に居るのに煙に触れるが如く、戦爪は空を切る。

 強靭な肉体に岩にも跡を残す戦爪は、幾度と獲物を屠り餌としてきた。踏み込み、牙と爪を突き立て、対象を捕食する。

 ソレが変わった事は無かった。今までは・・・・


「所詮は獣ね」


 そう状況は至って単純シンプル

 『ワーウルフ』よりもエルーラの方が数段格上・・・・なだけだった。


「グルル……」


 エルーラに攻撃は当たらず、その剣は危険だと『ワーウルフ』は判断した。まだ、自分は機動力が勝っている。後ろの大扉が開けばそこから場を逃亡すれば良い。

 これまで生き延びた経験から強すぎる相手との戦いをどう対象をするのか理解する『ワーウルフ』は逃亡を視野に入れたその時、


「ゆっくり乗せてくれ!」


 担架を寄せて己が負傷させた市民獲物を運び出そうとしている騎士が視界の端に映った。

 そいつは……俺の獲物だぞ!

 と、意識を向けた時――


「――――!!」


 とす……と剣の切っ先が心臓を目指して胸から刺さった所で咄嗟に跳び退くと、エルーラから大きく距離を取った。


「私から眼を離さない方が良いわ」


 剣先に着いたワーウルフの血を軽く払ってエルーラは告げる。


「よそ見を許すほど、私は甘くない」


 その眼は冷ややかに『ワーウルフ』を見据える。

 侮りも傲慢も無い。実力差は圧倒的だが、エルーラには油断は欠片も無かった。故に、『ワーウルフ』は何も得られないし、何も与えられない。


「…………」


 ソレを瞬時に理解した『ワーウルフ』は即座に逃走を選択。開き始めた大扉から外へ逃げ出す。

 大扉の開放に取りかかっていた騎士団がその『ワーウルフ』に対して阻止する様に身構えた。その時、


「――――グルルル……」


 横から飛来する剣に逃走の足を邪魔された。咄嗟に動きを停止し、剣を躱す様に前方を通過させる。が――


「逃げられると思う?」


 エルーラの言葉に剣が意思を持つ様に戻ってくると再度、『ワーウルフ』へ剣先を向け飛翔。予想しない状況に『ワーウルフ』は飛来する剣を弾いて再度、エルーラへ向き直った。


「あらゆる生物は己の見たことの無いモノを見ると二つの選択肢を取る」


 コツ、コツ、とエルーラは『ワーウルフ』へ歩み寄る。

 彼女の周囲には、主に付き従う様に己の剣とナイフが舞う。


「“知ろうと立ち向かう”か、“全てを賭して逃げる”か」


 次に木箱が意思を持つ様に移動するとエルーラと『ワーウルフ』を隔離する様に壁を作った。


「けど残念ね。私と正面から敵対したモノに、その二択は選べない」


 元第二師団、『遊撃中隊長』【装甲騎士】エルーラ・ファンダルの『磁界制御』は魔術師でさえ比肩する者が居ない程に洗練されたモノだった。






「木箱が……」

「なんだ、ロイ。エルーラ隊長の『磁界制御』を見たのは初めてか?」


 市民の手当てを終えたホーキンスは担架を持ち上げるように指示を出し、庫内から出るまで護衛を行う。


「はい。昔、他の者が使っていた所は見たことがありますけど」


 『霧の都』でジガンが使っていた事を思い出す。あの時は他の面子のサポートをしていた。


「言っておくがな、エルーラ隊長の『磁界制御』は格が違う。参考に出来ない程にな」


 ホーキンスは王都騎士であるが『国境防衛戦』において、遊撃隊に含まれた時にエルーラの強さを目の当たりにした。


「隊長の前じゃ、僅かな金属でさえも支配下におかれる。故に、武器を持つ奴は隊長からすれば丸裸も同然さ」


 木箱の節々を固定する金具。ソレを『磁界制御』で操る事で木箱を移動。『ワーウルフ』と自分を隔離する様に場を作ったのだ。


「どれくらいの間、持続出来るんですか? 援護は――」

「エルーラ隊長が『磁界制御』を息切れさせた所は見た事ない。それに援護は要らん」


 負傷者を乗せた担架と護衛の騎士達は安全を確保された木箱の壁の外側を移動する。






 ずっと考えていた。

 自分には何がある? 何が出来る?

 ギレオと別れてから今まで通りに“ファンダル”の身分に委ねていても、彼と再会する事は叶わないと感じた。

 だから己の事は己で決めるための武器が欲しかった。

 与えられたモノではなく、生まれつき持つ家督でもない。選択は幾つかあったが――


「……コレね」


 己の魔法で『磁界制御』が可能だと気づいた日から、研鑽を始めた。

 最初は鎖のひと欠片でさえも動かすには相当な魔力を使った。

 しかし、反復を続けるにつれて鎖の一欠片から、鎖の束を動かせる様になり、次に鉄枷、矢尻、砲弾、剣、槍――


「……少しは貴方に近づけたかしら? ギレオ」


 ひと欠片の鎖を動かし始めた時から、自身の金属へ『磁界制御』を作用して宙に浮かぶ事が可能になる程の精度を会得した事を機に、私は“ファンダル”を出た。

 そして――


「カリス! 待ちなさい!」


 第二師団で“中隊長”になった時、あの悲劇に己の力不足を恨んだ。

 何が劣っていたのか。何がカリスを止められなかったのか。

 私は……どう立場が変わっても人を死なせる“ファンダル”でしかないのかと、退団も考えた時、私の前任者であるダンケル副長が隣に座った。


「カリスの死を悔やむのなら、今の立場を捨てる様な真似は止めなさい。それは何の贖罪にもならない」


 ダンケル副長は、己の血を悔やむのなら“証明”すれば良いと口にした。

 かつて、私の命を救った従者達、止められなかったカリスの命。ソレらが色褪せるモノではないと、己の信じる道を進み“証明”せよ、と――

 だから、相対する敵、大軍を見てこう思うのだ。


「貴方には無理よ」


 命を背負う意志の無い『ワーウルフ貴方』には私を越えられない。






 木箱による隔離。エルーラの周りに浮かぶ剣とナイフ。

 ソレらは『ワーウルフ』にとってはあまりにも異質な光景だった。


「経験が無いのなら現状の不可解は理解出来ない。逆にあるのなら――」


 エルーラは自分の周囲を回る剣を取り、状況判断に硬直する『ワーウルフ』へ踏み込んだ。


「もう“詰み”だと解るハズよ」


 木箱に囲まれるも、絶妙な隙間から差し込む月明かりが、エルーラと『ワーウルフ』のフィールドを僅かに照し、夜目に慣れた目は互いに視認できた。


「……グルル」


 『磁界制御』によって、エルーラは己の貴金属を周囲の金属と引き合いさせることで、瞬間的な高速移動を可能とする。

 剣を横に寝かせる様に接近し、凪払う。剣速はそれ程速くなく、眼で追えて躱せる。

 『ワーウルフ』は後ろに身を引く形でエルーラの剣を避けた。が、


「――!?」

「避けられないわよ」


 身を退けなかった。いつの間にか後方にあった木箱が真後ろまで来ており、エルーラの剣を受ける選択しか選べない。


 刃が毛皮をなぞり、その下にある筋肉まで傷つける。

 ダメージ。しかし――致命傷ではない。


 『ワーウルフ』は剣を振り抜いたエルーラの隙を突き、戦爪を振り上げる。

 しかし、横から飛来するナイフが的確に腕に突き刺さると、その軌道を変えた。


「グガァ!?」

「馬鹿ね」


 そして、袈裟懸けの一閃が『ワーウルフ』へ刻まれる。


「“詰み”と言ったハズよ」


 切り傷から出血し、『ワーウルフ』の巨躯がエルーラに頭を垂れる様に膝を着く。


 間を置かずにヒュッ、とエルーラは剣を振ると『ワーウルフ』の首を飛ばす横に凪いだ。


「……」


 しかし、『ワーウルフ』は横へ転がる様に不様に避ける。その際に片耳を切り落とされるが、そのなりふり構わない回避は命を拾う。


「グルル……ガァァ!!」


 身体と耳から流れる血と傷の痛みを怒りに変え、エルーラへ吼える。

 闇の中でも爛々とするその眼は最早、逃げる事など考えていなかった。


「その方がずっとやり易いわ」


 小動物ならば脅えて動けなくなる程の『ワーウルフ』の咆哮にエルーラは平然と剣を構える。

 切っ先は下に、半身で『ワーウルフ』を見て、その攻め気を察知。スレ違いに斬る――


「グルル……」


 『ワーウルフ』は一度、その場に身体をたわめると横へ弾ける様に疾走した。


 逃げた? いや……違うわね。これは――


 木箱が破壊される音。それがエルーラを中心にあらゆる角度から聞こえてくる。


 走り回ってる。いや……速度を上げて跳ね回ってると言う方がしっくりくるわね。こちらを撹乱するためかしら? けど――


「場の支配権は私にあるわ」


 木箱を『ワーウルフ』の動きを阻害する様にエルーラが操作。それは、自分へ一直線に向かってくる様に誘導する。


「ガァ!」

「終わりよ」


 案の定、『ワーウルフ』は一つの木箱を大きく蹴って正面からエルーラへ突貫せざる得ない。

 エルーラは剣を寝かせ、両手で持つと呼吸を大きく吸い――


「――――」


 だが、視線を『ワーウルフ』から離さざる得なかった。

 それは最後に『ワーウルフ』が蹴った木箱が崩れ、外側を進んでいた市民を運ぶ部下達へ倒れて――


「くっ!」


 『磁界制御』でソレを阻止しなければならなかった。遠隔で落ちる木箱を停止させ、ソレに気づいた部下が真下を抜けると同時に――


「――――」


 鎧を容易く貫通する戦爪が彼女の胸部を深く切り裂いた。






 エルーラ隊長の戦いはどうなっているのか解らないが、『ワーウルフ』の唸り声から優勢であると解った。

 俺はホーキンスさん達と市民を連れて倉庫を出る。エルーラ隊長は市民を考慮してまだ能力を制限しているのだ。

 その負担を取り除けば憂いなく奴を屠る事が出来るだろう。


「大扉は完全に開いたな」


 先頭を行くホーキンスさんの言葉に開ききった大扉へ俺たちは急ぐ。その時だった。


「回避――」


 積み上がった木箱が崩れる様に倒れて来た。止まれない……落下に直撃する――


「――隊長」


 すると、不自然に木箱の崩れが止まった。その様子に俺たちはとにかく庫内を抜け、市民を運ぶ担架は外へ出た。

 そして、止まった崩れが動きだし元居た位置へ激しく落下する。


「隊長! 市民は無事で――」


 俺は崩れた木箱の隙間から中で戦う隊長へ告げるために覗いた。きっとあっちも終わって――


「――――」


 そこには、胸を切り裂かれて血の池を作りながら伏せる隊長の姿があった。


 重なる――

 父さんが――

 お前が――

 殺し――


 もう、消えたハズの炎が再び燃え上がった。


「何してんだぁ! テメェ!!」


 俺は剣を抜いて木箱に囲まれた場へ飛び込んだ。

 『身体強化』と『攻撃超過』を駆使して、エルーラ隊長を見下ろす『ワーウルフ』へ斬りかかる。


「グルル……」


 『ワーウルフ』は避けるも、隊長から負ったダメージが深いのかボタボタと血を垂らす。反撃に転じる余力がない様子で俺の入ってきた木箱の隙間から決死に逃げ出そうと通過し、その姿が――『迷宮』へ消えた。


「! 逃がすか!」


 俺は怒りのままに追いかけた。絶対に……お前を逃さねぇ!!






 やられた……致命傷……深手……息が出来ない……肺が……やられてる……


「かは……」


 未熟だと、不運だと、考えるつもりはない。

 私が状況に及ばなかった……ただそれだけの事なのだ。

 けど……『ワーウルフ』は激しく動き回った故に、傷口が大きく開いている。私じゃ無くても他の部下達でも十分に対応出来るだろう。


「何してんだぁ! テメェ!!」


 消えそうになった意識がその声で呼び戻された。誰かが来た……


「グルル……」


 『ワーウルフ』は乱入者を避ける様に入れ違うと、逃げ出そうとして『迷宮』へその姿が消える。


「! 逃がすか!」


 間を置かずに、その『ワーウルフ』を追いかける者の背中が――


「……駄目よ……カリス……行っては駄目――」


 かつて、失った部下を止める様に手を伸ばす事しか出来ずに私は意識を失った……






 ジンはソレに気がついた。

 【霊界権能】にて王都を俯瞰しつつ、『迷宮』の動きを見ていた所、ロイが食料倉庫で救助活動を行っている様子に気づいた時には――


『――――』


 ロイの姿が消えた。何かを追うように移動し、『迷宮』へ入ってしまった。

 ジンは即座に後を追いかけようとしたが課された“責務”がその行動を止める。

 今自分が動く事で維持できている現状が大きく崩れるのではないか? そうなれば更なる被害が生まれるかもしれない……


『ジン坊よ、行け』


 ソレを察したナルコが背中を押す。


『……ロイは……大丈夫です。騎士団が見つけてくれますから……』


 しかし、ジンは歯を食い縛ってそう応える。本当は今すぐロイが通った入り口から彼を追いたい。だが……


『『迷宮』の把握は……オレにしか出来ま――』

『これ』


 ポン、と畳んだ扇子でジンは軽く頭を叩かれた。


わっぱが難しい事を考えるでない。師の妾が言うておるのじゃ。こちらは気にするな』


 ジンはナルコへ振り替えると彼女は微笑みつつ告げる。


『ただし、必ず帰るのじゃ。よいな?』

『――はい』




 

 

『ジェシカ、ロイが『迷宮』に入った。オレも後を追う』


 エルーラ、負傷の報が飛んできた時、ジンは【霊界権能】で空中を走りながらジェシカへ告げた。


「ジン? 追う? ロイを?」

『必ず連れ戻す』

「ちょっと待って。内部は未知よ! 行き当たりばったりじゃ――」

『【霊界権能】でロイの足跡を追う。少なくとも他よりは見つけられる可能性は高いハズだ』

「帰りはどうするのよ!」

『ジェシカがオレ達を見つけてくれ』


 ジンは食料庫の真上まで来ると、内部へ透過し、エルーラの遺体を運ぼうとする騎士達に一度眼を向ける。

 そして、そのままロイの後を追って『迷宮』へ入り込んだ。






「…………」

「ギレオ、手が止まっていますよ」

「ああ、ごめん」

「どうしたのですか?」

「一つ肩代わり・・・・したみたいだ」

「その宝石の持ち主ですか?」

「多分ね。彼女は苛烈な運命を辿る国にいる。そして、彼女自身も命を片手に持つ所へ身を投じてるから、どこかでこうなるとは思ってた」

「いずれは、どこもそうなってしまいます」

「そうだね。些細な事さ」


 そう些細な事なんだ。エルーラ、まだ君は死なない。しかし彼らは――


「死ぬかもしれないね」


 “アルフレッド”に出会えなければ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る