第42話 ギレオとエルーラ

 終わりがない。

 そう言える程の空間がそこにはあった。

 入り組んだ障害物。石の階段。無数の扉。

 奥へ進めば進む程、深淵へ向かうような悪寒を感じ、その場に居る者を“元の場所へ戻れなくなる”と言う確信を与えた。

 

 そんな中、自分達の持ち込んだささやかな“光”は何処となく満たしてくれる。それは周囲の魔力によって発光する“発光石”を使った『発光灯』だった。


「…………」

「……アルフレッドさん。あんたはいつからここに居るんだ?」


 砂の地面に座り、光を囲う二人の内一人が正面に座る男に尋ねる。


「さぁね。ここは昼夜なければ環境の変化も全て停止しているんだ。僕たちの体内時間もね。あるのは“道”と“扉”だけ。どれだけの時間が流れているのかは誰にも分からない」

「…………」

「ここは【迷宮ラビリンス】。余程運が無ければ同じ所には戻れない」


 アルフレッドに話しかけた者は“後悔”と“悔しさ”に歯を噛みしめる。


 同じところには戻れない。

 その言葉は彼自身が間違った道へ歩んだと告げる様に突き刺さる。


「……答えがわからなかった……俺は……」

「ひとまず君は運が良かった。僕に会えたからね。そうじゃ無かったら君は『ワーウルフ』に殺されてたよ」

「…………」

「気が済むまで考えると良い。ここの時間は無限だ」

「アルフレッドさん」

「なんだい?」

「……アルフレッドさんがアイツを斬ろうとした、あの技……教えてくれませんか?」

「アレかい? 今の君には無理だよ。使えない」

「……“使えない”んですか?」

「うん。“アンサー”は皆持ってる。ただ、使える条件は人によって異なる」

「…………」

「僕の観点から見て君には一生“アンサー”は使えない」

「……俺は」

「覚悟が決まったら僕に言うと良い。『ワーウルフ』がどこに居るかは経験則でわかるから引き合わせる事は出来る。けど、次は助けないよ」

「……アルフレッドさん」

「行くかい?」

「俺に貴方の“剣”を教えてください」


 アルフレッドと名乗る男はロイが生涯出会った中で最も強い剣士だった。


 時はロイが『迷宮』に迷い込む前まで遡る――






「ナルコからは大した情報は得られなかったか」

「はい」


 総司令部のデスクに座るリンクスの前に立つエルーラは、本日調べた事を報告していた。

 今は人の生き死にが直接関わる程に危険な状況だ。些細な事でも騎士団全体で共有し、可能な限りの不確定要素を取り除く為にもリンクスへの報告は必然となっている。


「お前の部下……ロイ・レイヴァンスだったか? 外で剣を抜いた案件が今回に引っ掛かるとはな。私に報告は何もなかったが、新兵の舵取りは難しいか?」


 リンクスにとって5年未満の騎士は皆、新兵扱いである。


「今後とも規律は厳守させます。私の責任です」

「騎士団全体に傷を残す様なミスじゃない。責任を感じているのならナルコを動かした件と相殺にする。二度と起こらない様にしっかりな」

「ありがとうございます」


 気分屋として知られるナルコを動かすと言う事はリンクスでさえ難しい。しかし、逆に言えば、今回の件はナルコが興味を持つ程の“未知”であるとも捉えられる。


「ロイ・レイヴァンスからは目を離すな。そいつは一人で『ワーウルフ』に向かっていくぞ」

「わかっています」


 リンクスはエルーラの報告だけで、ロイが『ワーウルフ』を単独で追うつもりだと見抜いていた。士気の高い組織にありがちなのだ。

 経験の浅い兵士ほど功績を強く求めて止めどころを失い大怪我をする。


「事が落ち着くまで、寝所を共にするつもりです」

「その方が良い。どんな事情があるにせよ、新兵では『ワーウルフ』は荷が重い。ヤツの様な人間は一人にすると間違いなく死ぬ」

「…………わかっています」


 かつて、エルーラは『地下の庭園』の遠征にて『ゴート』を仇とする部下が目の前で先行して殺された事があった。

 当時、遊撃中隊長になったばかりのエルーラにその部下は反感を抱いていた事もあって、静止命令を聞かなかったのである。


「あの時よりもお前は威厳も権利もある。何より私の部隊員としての信頼も確固たるモノだ。過去を意識し過ぎるなよ?」

「はい」

「それと、クルカーンから詳細な調査結果が出た」


 リンクスは手書きで纏められた資料をエルーラの前に差し出す。


「現場に現れたとされる『ワーウルフ』は怪我をしてる。血痕が残っていた。更に目撃者の話では片眼を負傷してたらしい」

「……怪我……致命傷……興奮状態ですね。そんな中で、冷静に隠れられるとは思えません」

「ああ。明らかに第三者が関わってる。考えられるのは、カーラが『霧の都』で接触した――」

「『シーカー』」

「この予想は信頼できるヤツとだけ共有しろ。混乱すれば第三者の思うツボだ」

「わかりました」






「よぉ、ロイ」

「ウェインさん」


 司令室の前でエルーラに待たされていたロイは、廊下の向こう側からやってきた総司令直下騎士のウェインに会釈する。

 彼は褐色の肌と赤黒い眼が特徴の『ヒュドラ族』である。彼らは【霊剣座】を守護する種族であり、その戦闘力も種族単位で高水準として知られている。


「総司令に報告か?」

「はい。ナルコ様の所に行きましたので」

「あの婆さんに話をねぇ。成果は?」

「動いてくれるそうですよ」

「ほー、お前もやるねぇ」

「いや……ナルコ様を動かしたのは俺じゃなくて――」

「待たせたわね、ロイ」


 リンクスに報告を終えたエルーラは総司令室から出てくるとウェインに視線を向けた。


「私の部下に何の用かしら? ウェイン殿」

「別に。知り合いに会ったら挨拶をするのは当然の事だと思うけどな、エルーラ隊長殿」


 僅かな言葉を交わしただけで、ピリッと二人の間に険悪な雰囲気が流れる。


「あー、なんだ。アレだ、そうそう。今回は昔みたいなヘマをやらかさないでくれよ? 今回は『ゴート』とは違って『ワーウルフ』だが、誰もがお前さんみたいに冷徹に判断できるワケじゃないからな」

「……カリスは私の命令を無視したの。彼は自分で死に向かって行った」

「ハッ! 気を付けろよ~、ロイ。エルーラ隊長は部下が死にに行っても止めようとしないらしいからな」

「言いたい事はそれで全部? ヒトの失敗をいつまでもつついてくるなんて、器が知れるわよ」


 そう告げるエルーラにウェインは身を乗り出し、威嚇するように返す。


「行ってくれるぜ。俺の弟分を止める器がなかったヤツがよ」


 ウェインは冷ややかに笑っているが、次のエルーラの返答次第では剣を抜く勢いだった。

 対するエルーラも全く怯まずにウェインへ揺るがない意思を向け続ける。


「お前が居ると、隊から後何人死人が出るんだろうな? ファンダル家のご息女様」

「あの家とはとっくに縁を切ってるわ」

「ちょっと! 待ってください! お二方!」


 慌ててロイは間に入る。

 一触即発。エルーラとウェインがここまで仲が悪いと言う事は知らなかった。

 前から二人は会話をする事を避けている様な雰囲気はあったが、今にも殺し合いを始めそうな様は大事になると察して口を挟む。

 

「騎士団の間では許可の無い決闘は禁止でしょう?!」


 剣を抜くきっかけを図っていた二人はロイの言葉で若干溜飲を下げた。


「過失にしてぇんだよ。先に抜いてくれよ、エルーラ」

「バカみたいな挑発ね。まるで獣みたいよ? ウェイン」

「ちょっ!」

「お前達、部屋の前で何をギャーギャー騒いでる」


 すると、司令室からリンクスが出てきた。しかし、二人の様子を察すると咎める雰囲気はなく呆れた様子だった。


「今、王都でやるべき事はお前達の仲の悪さを他人に見せつける事ではない。これは今やるべき事なのか? 二人とも」

「……違います」

「……すみません」


 親に叱られた子供のようにエルーラとウェインは短く返事をする。


「お前達は王都騎士の中でも“模範”となる立場だ。その事を常に頭に置いた上で次の行動を考えろ。くれぐれも、部下に己らを止めさせる様な真似はさせるな。今みたいにな」


 それだけを言い残しリンクスはパタンと扉を閉めた。


「……行きましょう、ロイ」

「あ、はい。ウェインさん。それでは」

「おう」


 ウェインの横を抜けるエルーラの後にロイも続く。その二人の背を見つつウェインも、後頭部を掻きながら歩いて行った。






「情けない所を見せたわね」

「い、いえ。気にしてませんよ。それよりも、ウェインさんと……性格が合わないんですか?」


 騎士団の宿舎への道を歩きながらロイは問う。

 流石に先程の光景を見せられた以上、ある程度の事情を聞いて置かなければ次は止められないかもしれない。


「ロイはファンダル家を知ってるかしら?」

「えっと……確か、貴族の名簿で名前を見たような……けど、何かしらの意見を残した記録は無いですよね?」


 この国が『オルヴィス』となってから貴族の立場も一新された。

 新たな国に肥えるだけの存在を抱える余裕はないと言うヘクトル王の政策である。無論、貴族達の反発もあった様だが……


 我々は民に生かされている!

 彼らの運ぶ物資が! 作る料理が! 屋敷を彩る民の手が! 我々を“貴族”として成り立たせているのだ!

 ならば、我々は彼らの期待に応えねばならない! それが出来る家柄のみ、旧国の権利を主張せよ!

 民が君たちを求めるのなら! 王である私も君たちを排斥する事は叶わぬ!


 等と言う話し合いがあったとジンから聞いていた。ジンはマリーから聞いたのだろう。


「ロイは王都に来たのは崩壊後かしら?」

「丁度そのくらいですね」

「それなら、知らなくても無理はないわね。ファンダル家は旧国で“三大貴族”の一派だったの」


 エルーラは簡単に身の上を語る。

 三大貴族とは文字通り、この国で最も権力を持っていた三つの家柄だった。ファンダル家はその内の一つ。

 “三大貴族”は王に世継ぎが居ない場合は、王座の選定も行える程の権力を要していた。


「隊長が貴族出身って事は聞いてましたが……ファンダル家ってそんなに格式が高かったんですか?」

「昔はね。今となっては“ファンダル”の名前は殆んど意味がないわ」

「隊長って、当時はリンクス司令の第二師団だったんですよね?」

「ええ」

「だったら、隊長が第二師団に入った事でそれなりに援助的な事があったんじゃないですか?」


 騎士団に貴族が入ることをプラスに捉えるロイにエルーラは当時を思い出す。


“騎士団に入るだと? 何を馬鹿な事を言っている!? しかも……よりにもよってゴロツキの集まりであるリンクスの第二師団とは! お前は隣国の大使との婚約が決まっているだろう!? まさか……お前を助けたと言うギレオとか言う騎士……ソイツの入れ知恵か!? いいか、当主である私の判断に従えないと言うのなら、勘当だ! 父娘の縁を切り、二度と敷居は跨がせん!”


「ロイ、貴族が騎士になるって事はどうやっても円満にはならないのよ」

「やっぱり、汚い事は駄目だーってヤツです?」

「そんなところね」


“ファンダル家の息女が何故、私の部隊へ来た? 監視が目的か? それとも内部崩壊を狙ってるのか? なに? 出家してきた? ふっ、良いだろう。私は来る者は奴隷であっても拒まない。だが前もって言っておく。私の部隊は誰であっても贔屓しない。実力と実績が全てだ。加えてファンダル家へ恨みを持つ者はこの部隊に沢山いる。隊内での私刑は禁じているが、くれぐれも“事故”を起こされない様にな”


 入団時にリンクスから向けられた言葉通りだった。第二師団を度々遠征に送り出し、物資の供給も最低限にしているのは“ファンダル家”による口添えが筆頭だったのだ。


 そんなファンダルの血筋であるエルーラへの当たりも強くなる。

 しかし、第二師団は良くも悪くも実力主義。内と外の両方からの圧力を受けつつも、エルーラは己の生き方を貫き、少しずつ信頼を得て行った。そして幾度も死線を越えて、『遊撃中隊隊長』と言う、第二師団で確固たる立場を確立させたのである。


「ロイ、貴方も頑張りなさい。私よりも皆から期待されてるから」

「今は……隊長からの評価は落ちてそうですけど……」

「そう思うなら規律は厳守しなさい。まぁ

今のところはマイナスね」

「うっ……」


 気落ちするロイにエルーラは、ふふ、と笑う。そんな話をしている間に二人は騎士団の宿舎へたどり着いた。






 何も疑い無く、歩んでいた生き方が一つのキッカケで大きく変わる事がある。

 私がソレに遭遇したのは、彼との出会いだった。


「少し遅かったかな。生きてるヒトは――おや?」

「お、遅い! わ、私はファンダル家の令嬢! エルーラ・ファンダルよ! 一体何をやっていたの!?」


 移動中に強盗に襲われて従者は全て殺される中、馬車の中で震えていた所を寸前の所で“彼”が助けてくれた。

 全身を黒鎧に覆われた騎士。彼が剣を振るう度に賊はその実力を知り、数人を切り捨てた所で残った者は逃げ出した。


「僕は君の騎士じゃない。この場に通りかかったのも偶然だよ」

「か、関係ないわ! わ、私をこんな危険な目に合わせて……罰せられたくなかったら! 王都まで私を護衛しなさい! ちょっと! 聞いてるの!?」


 私は今に比べて幼かった。だから、そう叫ぶ私に彼が背を向けて、死んだ従者たちの遺体を丁寧に並べる事を理解出来なかった。


「そんな平民の死体なんて……生きてる私を気にかけなさいよ!」

「彼らが殺されたから君は生き延びた」

「は? 何を――」

「この瞬間、君は彼らの命を背負ってる。その事に対して自覚はあるかい?」

「ふん! 庶民は貴族を護るのが勤めよ! 命を賭けるのは当然でしょ?」

「そう、“賭ける”まではね。でも失うまでこの場に留まる理由はなかったハズだよ」


 彼は遺体を並べる際に、まだ瀕死でも生きている者が居た。


「うっ……うう……」

「……君は長くない。もうじき死ぬだろう。最後に言うことは? 僕が必ず君の大切なヒトに伝えると約束する」

「エルーラ……様……」


 瀕死の従者は手を握る彼ではなく、その後ろに立つ私を見た。


「ご無事……で……」

「――」


 それだけを口にすると事切れた。私が言い返そうとする前に従者は死んだ。


「……それが君の望みか。僕よりも遥かに勇敢な貴方の意思を僕が引き継ごう」


 そう言うと彼は祈るように遺体となった従者の手を優しく胸に置いた。


「……死んだの?」

「うん。彼は二度と喋らないし、君に語りかける事もない」

「…………」


 何て事もない庶民。彼らが私達貴族の為に命を賭ける事は当然だと思ってた。今もそう思ってる。なのに私は……涙を流していた。


「君は優しいね」

「! なっ! わ、私は……泣いてないわ! 泣いてなんて……」


 死してでも他の命を護る。

 それがどれだけの勇気が必要なのか……今の私でさえ、到底並び立つことが出来ない程の事を従者達はやってのけたのだ。


「…………」

「気が済んだら出発しよう。彼の遺言だ。君を安全な所まで送り届ける」

「……エルーラ」

「ん?」

「エルーラ……ファンダルよ」

「僕はギレオ。ただの旅する騎士だよ」


 そう告げる黒鎧の騎士ギレオとの出会いは私の“道”を大きく変えた。


 二日かけて馬車での移動は、徒歩になるとその倍。普段から歩き鳴れてない当時の私では更にその倍はかかった。


「疲れた?」

「……ええ」


 ギレオと旅を始めて初日の夜。歩き疲れて痛む足を抱える私は焚き火を見ていると、ギレオが食料を差し出した。


「食料は十分にある。でも、ドレスと靴は着替えた方が良いね。ヒールは歩きづらいと思うよ」

「…………庶民の服なんて着れない……」

「君がそれで良いなら良いさ」


 ギレオは荷物を持ち、意見するだけで私の為に何かをする事は一切なかった。


「なんで……こんな事になったのかしら……」

「良くある事だよ」

「良くある……?」


 パキッと焚き火が一度、音を立てる。


「ヒトは生きていく過程で多くの罪を背負う。その代償を支払い続けるのが人生さ。そして清算される時は緩やかだったり唐突だったりする。でも支払うべき代償は――」

「……死?」

「定義はヒトそれぞれだよ。でも、僕はそうじゃないと思ってる」


 ギレオは夜空を見上げる。それは遠い瞬間を懐かしんでいる様だった。


「貴方にとっての“代償”……って?」

「僕かい? 僕は背負った命を全て、在るべき場所に還す事……かな。そうしないと“イフ”は斬れないからね」


 彼がどんな意図を持ってその様な言葉を口にしたのかは、今でも解らない。しかし、大きな指名を背負っている事だけはわかった。


「君の事も背負った命だよ。だから、この旅を途中で投げ出したりしないから安心して」

「……」


 次の日から私はドレスを着替えて歩きやすい服を着た。荷物もギレオに全部任せるのではなく私も持てるだけ持って歩いた。

 足が痛かったら休んで、一日一日が過ぎて行き、思ったよりも更に倍の日数がかかったが、ギレオは一度も私の側を離れずに共に足並みを合わせてくれた。

 夜、寝る前にギレオと話をするのが私にとっては好きな時間になっていた。


「貴方は、ずっと旅を続けるの?」

「捜してるヒトが居るんだ」

「それは……女のヒト?」

「まぁね。僕の原罪なんだ。彼女へ僕は“剣”を届けないといけない」


 私は近くの枝に荷物を吊る為の竿になっているギレオの剣を見る。


「あの剣を捧げられるヒトはさぞ能天気なのね」

「……言っておくけど、“剣”ってのは比喩だからね。厳密には僕の力を彼女の為に使おうって事で――」

「ふふ。わかってる」


 ギレオは達観しているが、時折見せる慌てた部分にとても親しみを感じた。


 そんなギレオとの旅も終わる。

 ファンダル家としての価値が使える街に着くと、途端に私は貴族に戻った。多くの従者が慌てて出迎えて、街で最も格式の高い者が畏まって挨拶に来る。

 私が持っていた荷物を彼らが引き受け、汚れた身体を洗う為に入浴へ移動しようとした時、ギレオが背を向けて去っていく様子が見えた。

 一旦全てを振り払って彼に駆け寄って呼び止めた。


「ギレオ!」

「彼の遺言と彼らの意思は役割を終えたよ。僕たちは僕たちの道に戻ろう」


 傍にいて。そう言いたかったエルーラは、ギレオが決して自分の為に剣を捧げない事を知っていた。だから――


「これ、持って行って」


 耳に着けたピアスを渡す。亡くなったお母様が私にくれた大切なモノだった。その事はギレオとの夜の会話で伝えている。


「それは君が最初に背負った魂だろう? 僕は根なし草だし、戦ったりもする。失くすかもしれないよ?」

「贈り物じゃないの。今度はこっちから見つけるから、その時に返してもらうわ」

「……君は意地悪だね。そう言うと失くせなくなるじゃないか」

「数日の旅で私を理解できたつもりかしら?」


 また、彼には会いたい。次はもっと自分らしく・・・・・なってから。


「僕は……あげられるモノがないなぁ」

「それ、頂戴」

「ん?」

「鎧についてるバンダナ。それでいい」

「お目が高いね。いいよ。君にコレを貸しておく」

「貴方と出会うのは唐突な気がするから――こうしておくわ」


 私は頭に着けていたカチューシャの代わりにバンダナを巻く。それを見たギレオは鎧の奥で、ふふ、と笑った。


「――次に会うときまで。エルーラ」

「ええ。また、会いましょう。ギレオ」






 魔法学園にも劣らない大きさの建造物である騎士団宿舎は王都の北門と南門の近くに各々構えられている。

 部隊ごとで一つの宿舎に固まる形となっており、新兵は四人一部屋。隊長より上は個室であり、女性騎士とは棟が分かれていた。

 基本的に男は許可なく女性棟への侵入は、原則禁止である。(過去に“度胸試し”と称して侵入しようとした新兵が吊し上げを食らっていた)

 入浴施設は渡り廊下を挟んで棟の間にあり、入浴は自由だが湯の張り替えが行われる朝6時間と夜18時は一時間だけ停止する事がある。そのタイミングで混む場合が多い。


 そして、ロイは鎧を脱いだ状態で待合室に居た。腰には最低限の装備として剣を下げている。

 入浴施設を出てすぐの所に設けられた待合室には、王都で発行されてる新聞や雑誌が置かれ、騎士団内での簡単な連絡をする掲示板などもある。


「ん? ロイじゃん」

「お? サハリ。って事は……『黒狼遊撃隊』も王都に来てるのか?」


 待合室の掲示板を見ていたロイは親友のサハリと久しぶりに再会した。

 『獣族』『獅子』サハリは、ヒトよりも獣に近い風貌をしている。コレは過去に“深度”を解放しすぎた事による副作用だった。


「『霊剣座』を部隊全員で抑えに行ったんだ。まぁ、戦ったのは殆んど隊長と副隊長だけど」


 『霊剣座』は禁則地の一つ。近づかなければ無害だが、100年単位で漏れ出てくる・・・・・・事があり『黒狼遊撃隊』はソレを抑える任を終えたとの事だった。


「ヘクトル様が王座についても俺らはやること変わらん。任務を受けて国内を走り回ってるよ」

「まだ、大変な時期だからな。陛下も殆んど城には居ないし、常に国内か国外の平定に動いてる」


 国を一新した事もあり、ヘクトルは各領地は勿論、辺境ともされる村や集落にまで足を運び、私が王だ! と自らで演説を行っていた。


「苦労はどこも同じか」

「国全体でより良くしようとしてる時期だからな。苦労するのは住まう人じゃなくて俺らじゃなきゃいけねぇよ」


 鈍ってはないみたいだな? お前もな。と二人は各々の環境で昔よりは腕を上げている事を察する。


「そんで、お前は風呂か?」

「まぁな。『黒狼遊撃隊』は特例で国内の騎士の施設は使えるからな。隊長はそのまま王都を素通りしようとしたけどよ、女子隊員が猛抗議して、二日だけ滞在することになった」


 前までは一部の貴族しか毎日の入浴は出来ない程に高価なモノだったが、毎日風呂に入ろう! と言うヘクトル王の一声により、試験的に入浴施設を騎士団の宿舎に配置したのである。

 資金はヴァルター領が全て引き受けて造られた入浴施設はかなりの好評で、コレ目当てで入団する女隊員も多いとか。


「王都騎士は贅沢だぜ? 俺らなんて水浴びが出来れば良い方だからな」

「冬は死ぬな」

「お湯が出る事に驚きだよ。逃げた水はどこに行ってんだ?」

「詳しい事は俺も知らん。まぁ、温かい湯船に浸かれるんだから良いじゃん」


 技術者に丸投げで良いことは全て丸投げだ。時折、ジンが調整に来ているみたいだし専門的な事はアイツの方が詳しいだろう。


「ロイ、待たせたわ」

「隊長」


 女湯からエルーラが出てくる。元々、美形であり、鎧を脱いでもスタイルの良いエルーラは湯上がり効果もあって色っぽい。

 ロイからすれば、隊の長なのでそんな気はこれっぽっちも感じない。彼女も最低限の装備として剣を腰に下げている。


「ん? 君は?」

「あ、こっちは親友の――」

「『黒狼遊撃隊』のサハリです!」


 ロイが紹介する間もなく、ビシっとサハリは挨拶した。美人にデレデレするのは彼にとって愛嬌みたいなモノだ。

 エルーラは戦闘では兜を被る為、その姿をサハリは知らなかった。


「そう。私はエルーラ・ファンダルよ。王都騎士第4小隊の隊長を勤めてるわ」

「エルーラ……ファンダル? あの……ファンダル家の方ですか?」


 サハリの反応にエルーラも察する。


「そっか『黒狼遊撃隊』は地方に行くのね。ファンダル家に何かされた? それならご免なさい」

「い、いえ……確かにファンダル家とはちょっと摩擦が起こりましたけど……居合わせた陛下に更に咎められて、更に地位を落としたみたいなので」


 北部の『霊剣座』に近く、誰も領主をやらない小さな土地へファンダル家は移動していた。

 そこへ赴いた『黒狼遊撃隊』はファンダル家から、それなりの“歓迎”を受け、お忍びでやってきていたヘクトルにその所業が明るみになり断罪された事を説明。以降はほぼ平民と同じ扱いになったらしい。

 その事をサハリから聞いたエルーラは自らの額に手を当てる。


「まったく……国外追放にならなかっただけ温情よ、兄さん」


 自分が出家した時から何も変わらない“ファンダル家”にエルーラは呆れた。

 そんな様子の彼女をサハリはじっと見る。その視線に気づいたエルーラは、


「“ファンダル”から私に伝言でもあるのかしら?」

「あ、いえ……ファンダルの当主のヒトが、“王都騎士に中隊を率いる妹が居る! お前らなんぞ、簡単に踏み潰せるんだぞ!”って言ってて」

「兄さん……」


 『オルヴィス』の王都騎士は他国にも名を轟かせる程に価値を上げている。ソレを利用しようとしたのだろう。

 いじらしく権力にしがみつく兄の意思を察したエルーラは更に深いため息を吐く。そして、


「サハリ、ヴォルフ隊長に伝えて。エルーラ・ファンダルに“ファンダル家”の意思は無い。“ファンダル家”の関連で貴方達とは敵対するつもりは無いって」

「わ、わかりました」


 かなり横暴だったファンダル家の当主の実妹の事なので、それなりに面倒な事になると思っていたサハリは、逆に謝られて毒気を抜かれた。


「よろしくね。後、イレーヌに浴場で、出会い頭に他人の胸を挨拶みたいに揉むのは止めるようにヴォルフ隊長に進言しててちょうだい」

「え? は、はい……イレーヌさん……また暴走してるのかぁ。まぁ、久しぶりの風呂だからなぁ」


 既に隊内での苦労人としての側面が見え始めているサハリはゲンなりしていた。


「ロイ、行きましょう」

「はい。サハリ、じゃあな」

「おう」


 と、エルーラに連れられてロイは女棟へと共に歩いて行った。


「兄妹でもここまで変わるモンかねぇ」


 模範する程の人格者でもあるエルーラの立ち振舞いに感心するサハリであった。


「……って、あっちは女棟だけど。ロイは何かの罰ゲームか?」






 女棟を歩くロイは、他の女騎士の視線が刺さったものの、何とかエルーラの部屋の前までやってきた。


 鍵を開けて中へ入る。ベッドに本棚、鎧置き場まで用意されており、特にベッドは見ただけで即座に眠れそうな程にふんわりしている。


「隊長クラスの部屋っていいですね」


 騎士団にとって、一日で最も贅沢とされるのは食事と寝る事である。

 新兵の四人部屋にベッドはあるが基本的には藁を敷いてその上に布を被せただけの簡単な寝所だ。

 贅沢な環境に慣れない為の訓練の一環であるらしく、それが我慢出来なくなったら質の良い寝床を有料で使える場所が設けられている。ちなみに一晩中銀貨一枚である。


 ロイも利用した事はあるが、その有料寝所を上回る安眠を感じさせるベッドは隊長クラスに標準配備だった。


「ロイ、貴方は床よ」

「あ、はい」


 エルーラはシートを引いて剣を鞘から抜くと手入れを始めた。


「貴方も使って良いわ」

「ありがとうございます」


 エルーラの許可を得て道具を共有させてもらい、ロイも剣の手入れを始める。

 武器と鎧の手入れは騎士にとっての日課。特に武器は僅かに欠けていると戦闘で折れるかもしれない。事前に見つけておく意味でも必要な事である。


「ロイの剣は真っ直ぐね」

「そうですか?」

「ええ。剣も金属よ。折れるよりも曲がる事が多いわ。変な体重のかけ方をして日常的に剣を振ると歪んでいくの」

「隊長の剣も真っ直ぐですよ?」

「私のは古い物を鍛冶に出してるから。これは新品よ」


 話題は各々の剣に移る。


「ロイの剣は支給品?」

「いえ、持ち込んだモノです。親代わりのヒトが買ってきてくれて」

「孤児だったそうね」


 エルーラは部下全員の生い立ちやプロフィールを把握している。


「14年前の魔災に追われまして……けど、運良く騎士になれましたので」

「……そう。でも騎士としては半人前も良い所よ。貴方はまず、自分の実力を自覚しなさい」


 パチンッ、とエルーラは手入れを終えた剣を鞘に仕舞う。


「貴方の剣を見せてくれる?」

「どうぞ」


 手入れの途中だが、ロイは己の剣をエルーラに差し出した。


 ふむ。比較的に軽くて厚みも悪くない。刃の欠けも少ないし、理想的に剣が振れてる証ね。なら――


「ありがとう」


 そう言ってエルーラは剣を返す。

 それを受け取るロイはそのまま残りの手入れを終えて鞘に仕舞った。


「ロイ。貴方は何故、『ワーウルフ』に固執するの?」


 剣の質から解る。ロイは我流ではなく、きちんとした指導を受けた剣筋を持っている。更に王都でも市民に声をかけられる程の立ち振舞いはその手の教育もきちんと受けてきたと思えた。故に、何故『ワーウルフ』に固執するのか解らない。


「……なんでそう思うんですか?」

「その反応が答えよ。隊長命令を使うわ。私の質問に偽りなく答えなさい」


 エルーラは強い瞳でロイに問う。


「『ワーウルフ』は貴方の大切な誰かを奪ったの?」






 母さんとの記憶は殆んど無い。けど、親父との記憶は沢山あった。

 親父は寡黙であまり笑った所を見たことがなかった。いつも俺を村の友達の所に預けて一人で山に行く。それでも遊び終わって帰ると必ず家に居た。


「飯、出来てるぞ」


 囲炉裏を挟んで俺は今日あった事を話す。親父はいつものようにムスッと聞く。そして俺が騎士になりたいと言うと、


「そうか」


 と、短く笑った。

 親父は俺にどんな大人になって欲しかったのだろう? やっぱり狩人を継いで欲しかったのか、それとも騎士になると言う俺の言葉を一時の子供の夢だと思ったのか。

 変凡な身分の俺が、騎士になるには相当な苦労が必要だと知っていたハズなのだから。


「どんな騎士になる?」


 続く話題に俺は、ギレオみたいな騎士になる! と迷わず宣言した。親父の買ってきてくれた絵本『騎士ギレオ』の影響を受けた事は明白に伝わっただろう。親父は、


「そうか。頑張れよ」


 そう言って珍しく頭を撫でてくれた。


 寡黙で何を考えてるのかわからない。

 でも、世界で俺だけはわかるんだ。親父が……父さんが……俺の事を誰よりも理解して愛してくれた事を。だから――


「ロイ! 早く――」


 リア姉に見せてもらった親父の最期。奇襲してきた『ワーウルフ』に殺された。

 だから、誓ったのだ。

 俺の剣は……アイツを……父さんを殺した『ワーウルフ』を殺さなければ……本当の意味で騎士として歩み出す事は出来ないのだと――






「……参ったね」

「どうしました?」

「『迷宮』が繋がってる。『ローレライ』が何体か巻き込まれたかもしれない」


 壊れた門を調べるようにしゃがんでいたギレオは深刻そうに告げる。その腰の装飾品にはエルーラから受け取ったピアスが揺れていた。

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