第41話 第4小隊隊長エルーラ・ファンダル

 ワーウルフが出たと言う報告によって、即日、学園と王都騎士団による状況確認が行われた。


「馬は全滅。見事にやられたわね」


 王都騎士団でソレの対応をする事になったのは、王都騎士団第4小隊である。


 その第4小隊を率いる隊長のエルーラ・ファンダルは王都貴族出身の女騎士だった。

 ファンダル家は王都でも三本の指に入る貴族であり、強い発言力を持つ古参だ。その為、貴族主義そのものを体現した一族であり、そんなファンダル家に嫌気が差しエルーラは出奔。自らリンクスの部隊へ入った経緯がある。

 今では実力、人間性共にリンクスが信頼を置く隊員の一人だった。


「エルーラ隊長。本当にワーウルフなんて居たと思いますか?」


 学園の魔術師が灯りに照らされる馬房内部を調べる傍ら、エルーラは再度、ワーウルフが来る事を見越して自分が現場に立ち会っている。


「本当です、エルーラ隊長! 俺は本当に見たんです!」


 遭遇した騎士は別の隊の者。馬の全滅が自分の仕業にされる可能性もあり、必死に真実を告げる。

 今回被害のあった馬房は王都に点在する内の一つだが、それでも手塩かけて育てた貴重な戦場馬である。損失は軽くない。


「なら、何でここ以外に被害も目撃情報がないんだ?」

「それは……俺にはわからねぇよ。とにかく! 俺は見たんだ! エルーラ隊長、信じてください!」

「そうね」


 騎士二人の弁明と追求を見つつエルーラは己の経験に加えて、目の前の状況と証言から見えてくる真実だけを冷静に見定める。


「騎士団の皆さん。ワーウルフは間違いなく居ましたよ」


 すると、魔物関連の研究をしている魔術師――クルカーンがメガネをキラリと光らせた。彼は魔物関係を研究している魔術師であり少し変わり者だが情報は信頼できる。

 エルーラが問う。


「根拠は?」

「まずは馬の殺され方ですね。首に食いついて殺してから腹を裂いてます。一体の獲物に対して牙と爪の痕跡。この二つを残す魔物はワーウルフの可能性が高いでしょう」

「質問よ。ワーウルフは虐殺の趣味があるの?」


 食べる事が目的なら仕留めるのは一頭だけで良い。馬房の馬を全て殺す必要はなかったハズだ。


「ワーウルフは二足歩行に筋肉質な体躯をしていますが、その本質はほぼ獣と言っても良いでしょう。余計な獲物は狩らない。自然界の成り立ちに沿った生き方から外れる事はありません」

「でも、状況は例外の様ね」

「興奮状態のワーウルフはとにかく安全な空間を確保するために目につく生物を皆殺しにする習性があります。これが、魔物の中でもワーウルフが危険だと言われる由縁ですな」


 魔物の中でも、ワーウルフの狂暴性は特に危険視されていた。

 本来持ち合わせる高い戦闘力よりも、多少の傷を負っても暴れまわる獰猛な性格が特に問題なのだ。


「ワーウルフが興奮状態になる条件は?」

「他の魔物と変わりません。極度の空腹か、致命傷を負ったか、はたまたその両方か」


 クルカーンは馬房で全滅した馬達に視線を向ける。


「全て食らうつもりで殺したのでしょうな」

「すみません! エルーラ隊長、遅れました! ワーウルフが出たんですって!?」


 するとその場にロイがやってきた。少し走ったのか軽く息が上がっている。

 クルカーンは現場検証を再開した。


「ロイ、貴方はもう帰宅のハズよ。引き返して来たの?」


 第4小隊は昼番であった為、馬房の件が無ければ皆、宿舎に帰って休んでいる時間だ。


「ちょっと、馬房を件を小耳に挟みまして。人手は多い方が良いでしょう?」


 ロイ・レイヴァンス。

 彼は若手にしては相当なやり手として王都騎士の中ではちょっとした有名人だった。

 あの『霧の都』の生存者というだけでも注目されているが、その実力がハリボテではない事は『王の居ない国境戦線』でも証明されている。


「うわ……本当に全滅してる。本隊の馬が別の馬房で良かったですね」

「有事の際には誰がどの馬に乗っても良いように調整されるわ。それが減ったことが深刻なのよ」

「ってことは……どこかの国の攻撃ですかね?」

「攻撃だとしても、どうやってワーウルフを王都まで連れてきたのかが不明よ」


 新国と言う事もあり、王都への物資の搬入検査は特に厳しく行われている。立ち会いには総司令直属の騎士が必ず一人は配備される事を義務付けられる程に。

 もしも、他国の工作だとしてもあらゆる網を掻い潜って、ワーウルフを運ぶ事など不可能だった。常識内・・・では。


「……エルーラ隊長。俺の方に、もしかしたら、の心当たりがあるんですけど個人的に調査をしても良いですか?」

「理由を話なさい。ソレを聞いてから判断するわ」


 今回の件はワーウルフが関わる以上、単独での調査はかなりの危険が伴う。王都も厳戒態勢に入るだろう。

 故に何かしらの情報を持ってるのならこの場で共有する事を求めた。


「前に『魔物を操る魔眼』ってのを持ってるヤツと交戦しまして」


 ジンが巻き込まれた『サトリの眼』の件に関しては、ナルコの許可を得てジェシカより情報を教えて貰っていた。

 ただし、全容を他に伝える事は禁じられている為、それとなく仄めかしたのだ。


「初耳よ。いつ遭遇したの?」


 しかし、エルーラはロイを覗き込む様に告げる。身長は彼女の方が高い。

 非番でも剣を抜いた案件は隊の隊長への報告の義務がある。それはリンクスが特に厳守している規則の一つだ。

 その報告を怠ったロイにエルーラは咎める様に詰め寄りながら問いかける。


「ナ、ナルコ様に口止めされてたんです! 俺は報告しようとしたんですよ!」

「本当?」

「ほ、本当です!」


 じー、と真実を見定めるエルーラの眼にロイは追い詰められる。


「ロイ、単独での調査は許可しないわ。貴方は私と共に行動しなさい」

「え? それは……」


 そんなロイを尻目にエルーラ二人の騎士へへ向き直る。


「貴方達は本部に行き、状況を伝えて。明日に陛下が地域視察から戻ってくるわ。王都を離れる様に進言してもあの方は決して離れないから、王都騎士で護るの。いい? 二人一組で行動しなさい」

「「ハイ!」」


 王を護る。その言葉を隊の長が口にする時の重要性は彼らも認識している。


「ロイ。貴方は待ちなさい」


 こそぉ……と逃げようとしていたロイの気配をエルーラは言葉で制止する。


「交代の隊員が来たら。貴方の話をナルコ様に確認に行くわ」

「……明日じゃなくてですか?」

「明日じゃなくてよ。私の眼の届く範囲から外れないように気を付けなさい。首輪をつけられたく無ければね」






 王都内部にワーウルフの出現。

 その情報は即座に騎士団に共有され、総司令部より戦時警戒時と同じ命令が下される。

 王都民は現時点で全員家に帰らせることを命令され、以後は日が落ちる前に帰宅する事を強制執行させた。

 来客店は売上に関して抗議するものの、もしも誰か死んだときに遺族へその言葉を言えるのか? と言われたら渋々従う形となる。

 騎士団は二人一組で行動し、24時間の警邏態勢。僅かな痕跡があれば必ず報告する事を厳守させた。


「ワーウルフか」

「はい。魔物の中では厄介な部類ですニャ」


 王都騎士団本部にて『獣族ビーストレイダー』『猫』――キャリコから報告を受けた総司令リンクスは眼帯越しに顔をしかめる。


「遭遇したのは第2小隊所属のショーン。第6馬房の夜の担当ですニャ。現場検証を行った魔術師はクルカーン」

「アイツか」


 魔術師クルカーンは何度か遠征に同行した事もあり、リンクスの第二師団の面々は顔見知りだった。変人だがその知識は確かだ。


「立会人は第4小隊隊長ですニャ」

「エルーラか」


 エルーラは帰り支度をしている所に、ワーウルフの事を聞き、鎧と剣を着け直して現場に向かったとのこと。


「アイツも事態の最適解がわかってる」

「ですニャ」


 現状、単身でワーウルフと渡り合える者は王都でも限られる。

 エルーラはその中の一人だった。


「調査はエルーラが指揮を執って第4小隊が動いているのか?」

「そうみたいですニャ。二人一組の行動と報告の緊急性はエルーラ隊長の指示ですニャ」

「そうか」


 状況における最適解を導き出す事にかけてエルーラ程の適任者はいない。


「そのまま第4小隊には調査を続けさせろ。他の部隊は厳戒態勢の維持と、協力を求められたら臨機応変に動くように」

「了解ニャ」

「明日には陛下が帰ってくる。あの方は……こんな王都にも嬉々として帰ってくるだろうからな……」

「なまじ、腕っぷしがヤバいだけに困りますニャァ……」


 国王であるヘクトルは身体を動かすと言う名目で、良く騎士団の訓練場に遊びに来る。

 その為、彼の実力は騎士団でも周知だ。寧ろ、陛下の警護いる? と言う疑問まで騎士団員が持つ程にヘクトルのずば抜けた戦闘力に敬服する者も多い。


「私達は陛下と市民を護ることに注力する。戦争と同じだ。可能な限り先手を取って動くぞ」






「お食事中、失礼します。ナルコ様」

「ん? 何じゃ?」


 学園の食堂で『油揚げ』を満足そうに箸でつつきながら魔導書を読んでいたナルコの元へ、エルーラとロイがやってきた。


「おやおや。不躾じゃのぅ。ここは食堂じゃ。会話をするには相席せねばならぬのがマナー。ファンダル家の息女はリンクスの下で最低限の礼節を失ってしまったのかのぅ?」

「……ロイ、これで『油揚げ』を買ってきてくれる? 貴方は好きなのを選んでいいわ」

「え? あ、はい」


 エルーラは金貨を二枚ロイに渡す。


「ふむ。ヒトを喋らせる心得をわかっておるな♪」


 ロイが注文を取りに行っている間、エルーラはナルコの正面に座った。


「厳戒態勢については知っていますか?」

「ほう。外で何かあったのかのぅ?」

「ワーウルフが出ました」


 ワーウルフ。その単語にナルコはピクリと耳を動かす。


「不可解じゃな。リンクスの目と妾の耳にはワーウルフなどと言う言葉も姿も届いておらん」

「事実、遭遇した隊員が居ます。クルカーンも証言しているのでほぼ間違いは無いかと」

「そうか。して、律儀に妾へ報告に来たワケではあるまい?」

「ロイから聞きました。『魔物を操る魔眼』……ソレに関しての情報を頂けますか?」

「『魔物を操る魔眼』……ロイ坊がそう言ったのかのぅ?」

「はい」


 ふむ……とナルコは魔導書を閉じてテーブルに置いた。少し真面目にエルーラの話に応じる様だ。


「そうじゃな確かに遭遇した」

「今回の件はソレに当てはまると思いますか?」

「一ミリも思わん」


 ナルコはピースする様に人差し指と中指の二本を立てる。


「まず、一つ。その『魔物を操る魔眼』の持ち主は死亡しておる」

「確実に?」

「魂は深淵に呑み込まれておるじゃろうな」


 ナルコの言葉に冗談は感じない。


「二つ。妾やリンクスの眼を掻い潜り、ワーウルフを王都へ入れるなど不可能だからじゃ」


 リンクスの鍛えている王都騎士団は以前とは別格な程に洗練された一枚岩だ。そこに間者が割り込む隙間は無いし、絆される騎士も居ない。

 そして、ナルコは王都騎士団にさえ情報を開示していない諜報機関『アルビオン』を指揮している。市民に混ざって生活している彼らの眼を掻い潜る事は不可能。

 ワーウルフなぞ、王都に持ち込む前に察知して匿名で騎士団へ通報していただろう。


「故に『魔物を操る魔眼』は関係ない」

「そうれば結論への推測が立ちません」


 外部からの侵入不可能な王都へ、ワーウルフと言う危険な魔物が現れたのは事実。

 出来ない事が、出来てしまって・・・・・・・いる。


 既に答えは開示されているのに、それに至る過程が解らない。


「ふむ。魔術師として中々に興味をそそられる事件じゃな。しかし、問題が現在進行形で起こっておるぞ?」

「……ワーウルフの所在が解らない」


 エルーラも気づいていた。

 ショーンが見たワーウルフは目の前で消えたと言っていた。ソレもあまりに不可解だ。


「可能性として幾つか上げられる」

「聞いても?」

「無論じゃ」


 ナルコは油揚げを箸で摘まむと美味しそうに頬張り、味わった後に見解を述べる。


「一つは幻覚の類いじゃな。遭遇した騎士がワーウルフの幻覚を見た」

「現場にはワーウルフの痕跡がありました。その可能性は低いかと」


 それに騎士団の健康診断は定期的に行われている。


「二つ目は全てグルと言う線じゃ」


 ナルコは、遭遇した騎士も検証した魔術師もその様な痕跡をでっち上げたのだと語る。


「それはあり得ません」


 しかし、エルーラはソレは即時否定した。あの二人にそんな事をするメリットは何もないし、話していて嘘を言っている様には見えなかった。


「ならば他の可能性じゃな」

「それは?」

「妾にも解らん」


 ナルコはお手上げ、と言わんばかりに肩を竦める。


「何にせよ、現状では情報が少なすぎるでな。せめて、もう一度遭遇せねば先程の二つの可能性を否定する事は出来ん」

「……そうですか」


 ナルコも全知全能ではない。しかし、彼女自身はワーウルフに関する痕跡や証言は全て真実であると感じていた。


「その件は学園でも少し当たってみようぞ。この魔導書よりは解明のしがいがありそうじゃ」

「よろしくお願いします」

「隊長、油揚げです! あと、俺は別に要らないんで! これ、お釣――」

「ロイ、お釣は貴方にあげるわ。行くわよ」


 必要な事を確認にし終えたエルーラは席を立つと歩き出す。


「え? あ、ナルコ様、失礼します!」

「うむ。ジン坊によろしくのぅ♪」


 ナルコは情報料としてやってきた油揚げに箸を着ける。






「エルーラ隊長。ナルコ様の話しはどうでしたか? やっぱり、『魔物を操る魔眼』が――」

「その線は無いわ。例えソレでワーウルフを操ってたとしても騎士団の眼を掻い潜る事は不可能だもの」


 エルーラとロイは厳戒態勢で静まりつつある王都を歩く。

 問題は二つ。

 一つ、ワーウルフはどうやって王都に侵入したのか。

 二つ、ワーウルフはどこへ行ったのか。


 その二つを解明しなければ今後も同じ手口での侵入を許すだろう。今回の件は確実に解決しなければならない。


「それと、ロイ。貴方、一人で調査をしようとしていたわね?」

「え!?」


 エルーラの言葉にあからさまにロイは動揺する。


「そんな事は無いですよ~」

「私の眼を見て同じことを行ってみなさい」


 エルーラは再びロイを覗き込むと瞳を見るように告げた。


「……すみません。調査しようとしていました」

「……まったく」


 ようやく白状した様子にエルーラは嘆息を吐く。


「ロイ、貴方はこの件に関して単独行動は禁止よ」

「! 隊長それは――」

「貴方の実力ではワーウルフに襲われたら勝てないわ」


 エルーラは部下の実力を正確に把握している。中でもロイは年齢にしては強い部類だ。才能もあるし、自分がロイくらいの頃よりも遥かに強い。

 しかし……今、強いわけではない。そして、単独で動こうとした所を見るに、見張る意味でも自分とペアを組ませた方が良いだろう。


「これが私の隊のやり方よ。不満があるなら剣と紋章を置いて騎士団を去りなさい」


 どんな意図でロイが動こうとしたかは不明だ。しかし――


「ロイ、死んでからでは遅いの。今回は後手に回らざる得ない状況と言う事もあるわ。私の言いたい事は解るわね?」

「……隊長の判断に従います」


 よろしい、とエルーラは視線を外すと歩き出す。その後にロイも続く。


「エルーラ」

「ランロット副司令」


 そこへ『人馬族』のランロットが歩いてきた。彼は基本的に王都騎士団の外回りの管理と調整を行っている。


「話を聞いたぞ。ワーウルフが出たそうだな」

「目下調査中です」

「現状解っている事は?」

「ナルコ様に話を聞きました」

「詳しく聞こう」


 エルーラはナルコと話した内容をランロットへ細かに伝える。


「確かにな。侵入した経緯と潜伏先。この二つは現状、完全に我々の“死角”を突いている」

「調査を進めます」

「ナルコ様でさえ“解らない”と言ったのだろう? 何かアテはあるのか?」

「時が立てば状況は動くかもしれません。ここまで、騎士団我々を出し抜いておきながら、何もしない、と言う可能性の方が低いかと」

「やはり後手に回ざる得ないか……」

「その為に二人一組と厳戒態勢を願いました。リスクは限りなく下げられるハズです」


 リンクスに鍛えられている今の王都騎士団ならば、ワーウルフに遭遇しても生存し情報を持ち帰る事は十分に可能だ。


「流石は、元遊撃中隊隊長だ。司令も早期解決を期待している」

「ご期待にお応えします」


 エルーラのその言葉にランロットは微笑むと礼をするロイに軽く片手を上げて横を抜け、警邏へ戻って行った。

 ランロットは単独だが、その実力はリンクスに次ぐ。一人でも問題は無いだろう。


「隊長。これからどうします? 聞き込みでもしますか?」

「王都は厳戒態勢が敷かれた時点で眠る事を強制されるわ。聞き込みは明日にしましょう」


 情報が無さすぎる故に今はワーウルフの動きを待つしかない。


「わかりました。それでは、俺もこれで失礼します」

「ロイ、貴方は何を言ってるのかしら?」

「え?」


 何か失言をしただろうか? ロイは頭に?を浮かべる。


「貴方は私と二人一組ツーマンセルなのよ。事が済むまでは私の部屋で一緒に寝なさい」

「……え?」


 思わずそんな声が出た。






「厳戒態勢かぁ。何があったんだろうね?」

「リンクス司令の判断だ。従っておくことが最優だろう」


 ジンの細工店はこの時間には閉めに入るので、業務にはあまり支障はない。


「外の看板、中に入れるね」

「ああ。頼む」


 と、レンが扉に手を掛けた時、ジンはぞわりと背中に悪寒が走った。


「待てレン」

「?」


 兄の制止にレンは扉を開けずに向き直る。


「なに? 兄さん」

「――――いや、何でもない」


 へんなの。と、レンは扉を開けて外へ。開きぱっなしのまま置き看板を抱えて中へ戻る。


 今のはなんだ? 何かがおかしいと感じたが……それが解らん。


「……レン、室内の扉は全部開いておいてくれ」

「え? 何で?」

「……ワーウルフが出た時に逃げられる様にだ」

「? わかった」


 レンは兄の指示を理解しきれないが、とにかく従う事にした。

 ジンもこの指示は直感に近い判断だったが、ソレが最も有効であった事は現時点で知るよしも無かった。






「よし。後は今夜の星次第」


 学園にてモルダは自身の研究機材を調整し終えた。

 窓を開けて、夜空の星を直接観測できる様に設定する。キリキリと細かくメモリを合わせて、いざ起動。機材は光の帯を漂わせる。


「……おはようモルダ」


 すると、奥の部屋からルームメイトのジェシカが出てきた。彼女は寝間着姿で髪の毛も跳ねている。


「おはようって……今は夜ですよ、ジェシカ」


 今朝方、定期便で王都へ帰ってきたジェシカは外で集めた研究をまとめるよりも先に脳を休ませる選択を取った。そして、今起床したのである。


「フィールドワークは程々にしなければ。堕落は研究成果を遠ざける要因にしかなりません。昼夜逆転生活は推奨しませんよ?」

「後で仮眠を取って帳尻を合わせるわ」

「財政難の無い貴女は羨ましい限りです」


 基本的に学園は施設と資料の保管場所を提供するだけで、フィールドワークする際の資金は自己負担だ。

 利益の生む研究には資金を援助する者も、ついてたりするのだが、モルダの研究はその辺りが難しく、色々と切り詰めてやっている。


「モルダもやってみる? 蚕の絹生産。ラガルトさんの仕立屋で高く買い取ってくれるわよ?」

「魅力的なお誘いですが、蚕の管理にまで時間を割かれると本筋の研究が滞ってしまうので」


 モルダの魔術師として追い求める理は大まかに言えば“未来観測”である。

 字面だけを見れば壮大で、多くの利益を生みそうな研究だが、実際はモルダ以外に観測結果を理解できない事もあって、周りからは理解されずらかった。


「今は?」

「観測中です。『二重円盤』を改良したもので」

「じゃあ待ってる間、お風呂行かない? ついでに食堂で何か奢ってあげる」

「良いのですか?」

「モルダの予知が当たったから。おかげでカムイさんに会えたし」


 フィールドワークに出る際、モルダから助言をもらったジェシカは、その場面に遭遇して意図せずカムイと顔を合わせていた。


「ふむ。正当な報酬と言う事ですね?」

「そんなトコ」


 丁度お腹空いてたんですよー、と食費を切り詰めているモルダは笑みを浮かべながらジェシカの提案に乗る。

 その時――


「ん?」


 『二重円盤』が止まった。


「結果が出たの?」

「と、言うよりは……中断した感じです」


 モルダは『二重円盤』の様子を見ると一つの“観測”が表示されている。

 ジェシカは覗き込むが意味は不明だった。


「なんて結果?」

「はい。“重なる”と出ています。随分と不可解な結果です」


 モルダは『二重円盤』の状態や術式の接続に間違いがあったのかなぁ? と調べ始めた。


 ガタガタッ!


 と、そんな音と共に外へ通じる扉が不自然に揺れた。二人は驚いて視線を扉に向ける。


「……今のは」

「誰かの悪戯……じゃないわよね?」


 ノックでも扉を叩く音でもない。外開きのドアノブを向こうから何とかして開けるような行動だった。

 学園の者なら、ここがモルダとジェシカの部屋だと知っているし、訪ねる時はノックが基本だ。

 無理やり他者の部屋に入ろうとしても学園全体を管理している門番のレガリアが見張っている事もあって強行手段を取る者はいない。


 すると、ガチャンッ、と音を立ててドアノブが回り、外開きの扉がこちら側・・・・に開いた。


「……アルフレッド。全然違う所に出たぞ?」

「こっちじゃなかったみたいだね。それじゃあっちの扉かな――」


 誰かと話すカムイは、そう言いながら扉を閉めた。


「……」

「……」


 目の前で起こった事に、ジェシカとモルダは固まる。扉は何事もなく、いつもの雰囲気を漂わせ沈黙していた。


「ジェシカさん……今のは――」

「カムイさん……だったわ。でも……」


 彼女の容姿と着ていた服は『黒狼遊撃隊』の隊服ではなく、“王都騎士団の鎧”を着ていた。

 すると次は、コンコン、とノックの音がして二人は再度ビクッとする。今度は何が起こるのか。普段出入りする扉が得たいの知れないモノに映る。


『モルダ、ジェシカよ。もう眠っておるかのぅ?』


 その声はナルコのものだった。学園で最も頼もしい人物の声にモルダが扉を開ける。


「起きてます! ナルコ先生!」

「ん? 随分と元気じゃな? 徹夜でもしてハイになっておるのか?」

「さっき変なの現象に遭遇しまして……」

「ふむ。その事よりも先に妾の方から問わせて貰うぞ。二人はレガリアを見なかったかのぅ?」


 レガリアはこの学園に宿る屋敷精霊ハウスバトラーである。生徒の安否や外敵の侵入を抑制する役割を持ち、彼が認めない限り学園には入れない。

 基本的には門前に居るが、学園内ならばどこにでも現れる。


「呼んではいかがですか?」

「姿を見せぬのじゃ。他の生徒にかかりきりになっておるかと思うてな」


 ナルコはエルーラの持ち込んだ件を晩酌しながらレガリアと談議しようと思ったのだが、現れない様子に学園を歩いて探していた。


「妾にこの様な手間をかけさせるとは。あやつには罰を考えねばな」

「少々理不尽ですね……」


 レガリアが姿を表さない理由は三つ。

 一つは施設事態が破壊され力を失っている場合。

 もう一つは何らかの方法で封印されてしまった場合。

 最後は最優先で取りかかっている事がある場合。


「まぁ、その内に姿を現すであろう。丁度よい、二人とも時間はあるかのぅ?」

「これから入浴場に行くので、時間はありません」

「あたしも、今起きたばかりでして」


 ナルコはモルダとジェシカを見る。


「ならば妾が特別に背中を流してやろう。たまには生徒を労うのも校長の勤めじゃ」

「そんな勤めは無いと思いますが……」

「遠慮するでない。その代わり、晩酌に付き合うて貰うぞ♪」

「それが狙いですか……」


 しかし、モルダとジェシカも先ほどの扉を開いた時の件をナルコへ相談したい事もあり、三人で入浴場に向かった。






 まさか……こんなことが……一部重なってしまったが……何とか切り離せたか……

 ……コレを伝える余力が割けない……全力で抑え込まなくては……学園が“重なって”しまう……

 このままでは……『王都』が『迷宮ラビリンス』へ――

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