第36話 色の無い世界

 彼女から世界に関して学んでいく中で、複雑に絡み合う糸の様なモノがあるとオレは感じた。

 それは『霊界権能』を得た事による影響なのか、それとも初めて人を殺めた事による心境の変化なのかはわからない。


 糸は1本の細い線だ。強く引っ張れば簡単に切れて、繋がりは無くなってしまう。けど、その糸が数多の糸と複雑に絡み合っていたらどうだろうか?

 どこから始まって、どこで終わるのか。1本の糸の観測が難しくなる程に無数に絡み合うソレは何十、何百、何千、何万、何億と集まり、遠目では最早、糸であるかどうかわからなくなる程に“一つ”となる。


 今思えば……あの時、マリーを捜す際にオレは『霊界権能』を使い、その複雑に絡み合う“一つ世界”の中で一つの“繋がり”を観測していたのだろう。

 初めて『霊界権能』が発現した時は考えもしなかった。けど、冷静に向き合った今だからこそわかる。

 その“繋がり”を断つと言う事は……この“一つ世界”において、死ではなく二度と輪廻へは戻れぬ消滅・・であるのだと――

 オレはファングとレイスを殺したワケじゃない。それよりもずっとずっと重い……人が裁く事の出来ない世界を否定する行為なのだ。

 一生許されない事を三度も犯したオレの罪は死後に精算されるだろう。


※世界復興歴13年。神刻の細工師『ジン・マグナス』の日記より。






 『アルビオン』。それは、このヴァルター領地の領主――ヘクトル・ヴァルターが結成した諜報組織である。

 一般はおろか、王都騎士団にも秘匿とされている組織。無論、発端でもあるこのヴァルター領にも工作員が居り、多くの情報を管理しているハズだ。


「ここね」


 ジェシカは街に構える領主の館へ辿り着くと、丁度、水を蒔きに屋敷から出てきたメイドへ声をかけた。


「すみません」

「外の方ですね」


 そのメイドは水桶などを置くと、スッと姿勢を正す。


「私はこの屋敷にてメイド長を勤めさせて頂いております、メルティと申します」

「ジェシカ・レストレードです」


 メルティさん口調や表情は柔らかいが、しっかりとした心構えを持ち合わせる雰囲気を僅かな立ち振舞いから感じ取れる。


「レストレード様、お館様に御用件でしたら、現在はお留守です。申し訳ありませんが後日改めていただく必要があります。言付けなどがありましたら承りましょう」


 まだまだ子供であるジェシカの事をメルティは領主への客として対応する。


「いえ……用があるのはヘクトル様ではありません」


 ジェシカは一度だけ呼吸を整えて、ナルコから教えてもらった合言葉を告げる。


「油揚げ」

「…………」


 メルティは微笑みのまま停止。時が止まったかの様に身動き一つしない。

 まさか……間違えたか? 意図を知らない人間からすれば変質者でしかない。


「尻尾は?」

「! コンコンです」

「ここではなんですので、屋敷の中へ」


 行けた……。ちょっと半信半疑だったが、本当に全ての工作員が共通事項にしているのか……“油揚げ”“尻尾”“コンコン”を……

 やっぱり変だよなぁ、この合言葉。


「それではお話しください」


 屋敷の門の中へ入り、建物に入る前にメルティが振り向く。工作員からの報告だと思っている様だ。


「……私はナルコ先生の問題の延長で来ました」

「『レイス』の件でしょうか?」

「! そうです!」

「ジェシカ様。その件はナルコ様に報告した通りです」

「本当に……彼は処刑されたのですか?」

「どうやらナルコ様へ伝えた情報とジェシカ様の知る情報には差違があるようですね」

「どういう事です?」

「『レイス』は処刑しておりません」


 メルティは、レイスが『奴隷組織ノーフェイス』の幹部であり、生かして置くことで組織の他の者を釣り上げる事を狙っていたと語る。


「『レイス』は片眼を潰され、更にお館様を見て精神崩壊を起こしました。故に大した情報は引き出せず、仕方なく餌として利用する事にしたのです」


 幹部である彼が生きていると知れば『奴隷組織』から何らかの接触があるとヘクトルは考えたのだ。


「その提案はナルコ様へも伝え、了承して貰っております」

「……わかりました。それなら、現在の『レイス』の居場所はわかりますか?」


 ジェシカは『アルビオン』じゃない。故に『サトリの眼』が終わった時点でそれに関する情報は止められたと考える。


「スラムに居ります。浮浪者の中に我々の手の者が居ますので、逐一報告を受けていますが」

「一番最新の報告は何時ですか?」

「緊急事態以外の定期報告は半日ごとです。そろそろ来る時間です」


 最後が半日前……かなり時間が経っている。


「メイドリーダー! 薪を全て四分割したぞ! レヴはやりきった! レヴとストロンガーの友情は今や最高峰だぞ!」


 すると、斧を肩に担ぎながら少し汚れたメイド服のレヴナントがやってきた。昨日の夜からぶっ通しで全ての薪に振り下ろした斧――ストロンガーは盟友となっている。


「ご苦労様、レヴナント。休憩してても良いわよ。ココアとドーナッツを用意してあるわ」

「ストロンガーにも最高の研ぎを頼む! だが……レヴは駄目だ! ドーナッツとココアは実に魅力的……しかし! レヴはお嬢とジン坊のラブリーを見届ける使命がある! 屋敷にお嬢の気配はない! 二人はどこでラブリーしてる!?」


 すぐには追い払えない様子だったので、メルティはジェシカへ一言告げる。


「ジェシカ様、少し彼女と話をよろしいでしょうか? 別の仕事を与えてこの場から離しますので」

「いえ……レヴナントさんと話をさせてもらっても良いですか?」


 レヴナントは、むむ!? どっかで見た赤いヤツ! とジェシカを見てストロンガーを担いだまま考えると、ピコン、と思い出す。


「ババァの所の赤い生徒か! 元気そうでなによりだな! ババァの遣いか? 悪いがレヴは今忙しい! クズどもをアンダーヘルに送るよりも期間限定のラブリーを観測しなければならない! 許せ!」


 レヴナントは『サトリの眼』の事件を知っている。話を濁す必要はないだろう。


「レヴナントさん。今すぐ、マリーさんと合流する手段は何かありますか?」

「あるぞ! レヴはお嬢をいつでもどこでも見つけられる様にしている!」

「それなら――」


 その時、バサバサと伝承鳩が飛んで来る。西門の衛兵からの定期連絡だ。

 メルティはその足につけてある包みから報告を取り出す。そして、それを読むと――


「……レヴナント、今すぐお嬢様と合流しなさい」


 メルティは即座にレヴナントへ告げる。


「了解だ! 今行くぞ! ラブリー!!」

「あたしにも接触方法を教え――」


 ジェシカの疑問を遮る様にレヴナントは一回の跳躍で塀の上に着地し、二回目の跳躍で、近くの建物の屋根に着地すると、街中へ跳んで行った。


「レストレード様。レヴナントの見つけると言う言葉は、彼女の身体能力によるゴリ押しです。とにかく街中を走り回ってお嬢様を見つけるレヴナント式捜索術なので、聞いても意味はありませんよ。ついて行けるのはヴォルフ隊長くらいです」

「……」


 そう言えば、『サトリの眼』の時も雷より速く動いて、素手でナルコ先生の“白雷”を打ち落としてたなぁ。


「『レイス』が消えました。レストレード様。お嬢様の身に何か起こったのですか?」


 メルティはジェシカに詳しい説明を求める。

 マリーとジンの事はレヴナントに任せ、ジェシカは事の経緯を説明する――






「おーい、レン」

「あ、ロイ」


 一人席で待機していたレンは思ったより早く戻ってきたロイに声をかけられる。


「早かったね。何か収穫あった?」

「いや、ジンが『相剋』使ったろ? だから戻ってきた」

「え? それってわかるものなの?」

「ふっふっふ。俺も昔のままじゃないぜ? お前達と同じ様に研鑽を積んでる」


 もともとロイは四人の中でも第六感に優れていた。彼の何かを察する感覚は『霧の都』を越えて以降、鋭くなり、今もそれを磨き続けている。


「アイツさ、一緒に住んでた頃、無意識にちょくちょく発動してたんだ。リア姉に相談して何かあった時の為にその感覚を覚えておいたんだよ」


 近くに居る時限定だが、ジンが『相剋』を使っていると背筋が冷える様な感覚をロイは感じ取る。


「それ……私聞いてないよ?」

「ジンからお前には言うなって口止めされててな。心配かけたくなかったんだ。仲間外れにしたワケじゃねぇぞ?」

「もー! それはわかってるけどさ! でも……そう言うのって何か嫌……」

「文句は兄貴に直接言おうぜ。そんで、ジンはどこだ?」


 ロイの言葉にレンは、はっと主旨を思い出す。


「ロイ! 兄さんがマリーさんを追っかけてる!」

「それ、どうやったんだよ? 『霊界権能』にそんな能力があるのか?」

「道中に説明するから!」


 レンは兄から渡された魔石の魔力に集中する。


「……こっち!」


 倉庫街の方面にその魔力を感じ取り、ロイと共に走って向かう。






「ふむ」


 屋敷へ行ったカムイはメルティから、マリーは屋敷へ戻ってない事を聞き、軽く捜しているとだけ説明すると再び街の上空を舞う。


「人が多すぎる。非効率だな」


 特定の存在を追跡するならまだしも、ヒトの来訪が多い『収穫祭』では上空からの捜索は効率が悪い。

 下に降りて情報を集めながら捜す方がまだ、効果はあるだろう。


「――ん?」


 と、屋根づたいに走るレヴナントとターニャを発見する。






「レヴじゃん。おーい!」


 うぉぉ! ラブリーはどこだー!! と屋根を走っていたレヴナントは、呼ばれた声に急ブレーキをかけてそちらを見る。


「むむむ! なんだ、豹柄か」

「ちょっと! ヒトを毛皮しか価値がないみたいに呼ぶの止めてよ!」

「そうか! すまんかった! 次からはニャンと呼ぶ!」

「鳴き声みたいな略し方も止めて!」


 『人族』で強化魔法を使わずに『獣族ビーストレイダー』を遥かに超える身体能力を持つレヴナントは目的を決めたら物理的に最短距離で突っ走る事で有名だった。


「相変わらず派手に走り回ってるねぇ。て言うか、その肩の斧は何?」

「む? コイツか? コイツの名前はストロンガー! 15時間の薪割り耐久をレヴと乗り越えた盟友だぞ!」


 そして、極度の変人である事でも知られていた。彼女が命令を聞くのはヘクトル、マリー、メルティの三人だけだ。


「まぁ、ややこしくなりそうだからまた後で紹介して。何で屋根の上を走ってたのさ?」

「あぁ! そうだった! お嬢を見てないか!? ラブリー!!」


 相変わらず変なテンションに振り切れてるなぁ。

 最低限の会話が通じるのはまだ良い方だ。その時、


「二人とも」

「むむ! 黒羽!」

「副長」


 上空からカムイが飛来し、速度を落としつつ二人の側に着地する。


「レヴナント、マリーお嬢様を捜しているのか?」

「良くわかったな!」

「私らもそうなんだよねー」

「なん……だと……? お前達もラブリーを観測したいと言うのか!? ぐふふ、いやらしいですな! お前ら!」

「いや、私達は純粋な捜索だ。ジンと一緒にいたお嬢様が消息を断った。単なる入れ違いの可能性もあるが……姿を確認しておきたくてな」

「なにぃ!? ジン坊のヤツ……抜け駆けしやがって……やるじゃん!」

「今は情報を共有しよう。天魔も街中を捜索している。もう少ししたら広場の中央に集まる予定だ。そこで情報交換を――」


“――ヴ……”


 その時、レヴナントはカムイの会話を他所に視線を別の方へ向ける。


「レヴナント?」

「どうしたの?」

「お嬢に呼ばれた。レヴは先に行くぞ!」


 レヴナントは、まさに電光石火の如く、一歩で二人を置き去りにして倉庫街の方面へと跳んで行った。

 確信のある雰囲気に、彼女しかわからない何かを感じ取ったのだろう。


「ターニャ、天魔と合流して倉庫街へ来い! 私は先に向かう!」

「了解!」


 ターニャは屋根から降りて、カムイは再度翼を開くとレヴナントを追うように助走をつける。そして、風魔法で補佐して飛行した。


「相変わらず突発的なヤツだ」






 レイスは唐突に現れたジンに突き飛ばされる様に共に倒れ込んだ。その拍子に後頭部を打ち、意識が揺らぐ。手からナイフが離れ、床を滑っていく。


「くっ……一体なんだ?」


 ジンはレイスから離れつつナイフを確保しようと眼を向けると、その刃に着いた血からマリーを見る。

 彼女は片足を刺されていた。そこから血が流れている。


「……お前がやったのか?」


 ジンは再度、レイスへ視線を向ける。その眼は憤怒と殺意が混ざり、『霊界権能』を使い殺――


「ジン君……」


 感情に任せてその一線を再び超えようとした時、マリーが背に身を寄せてくる。


「いいの……後は……レヴや皆に任せて……」


 マリーは震えていた。その様子で我に返ったジンは『霊界権能』の発動を止めた。


「帰りたい……こんな所に居たくない……」


 痛みで立ち上がる事さえも辛いマリーは、それ以上にジンがレイスを殺そうとする姿を見たくはなかったのだ。


「ごめん、マリー。そうだね……帰ろう」


 その言葉に安心したマリーは、足の痛みからその場に崩れそうになるも、ジンが支えた。


「……くっ……逃がす……逃がすものか!」


 意識を取り戻しつつレイスは起き上がる。

 ジンはマリーを抱えながら背を向けつつレイスに告げた。


「お前はオレ達を追えない。絶対に」

「ハッ! ここは二階だ! 下にも見張りは二人いる! 運良く侵入し、ここまで来れた様だが……怪我をした女を抱えて逃げられると思う――」


 レイスはジンとマリーを見つつどのみち詰んでいる事を告げた。しかし、次の瞬間、二人の姿は忽然と目の前から消え去った。


「――は?」


 そんな声がレイスの口から漏れる。なんだ? 急に消えた……? 扉は開いてない……窓も……


 レイスは落ちたナイフを拾い、魔法で姿を見えなくしただけだと考えて動き回りながらナイフを振るう。しかし、何も存在しないかのようにナイフは空を切った。


「ふ……ふっふっ……ふざけるな……こんな……こんな事があって良いモノか!!」


 転移魔法の類いでもない。そもそも魔法を発動した痕跡さえも感じ取れなかった。






「眼を閉じててくれ」


 ジンのその言葉にマリーは眼を閉じた。

 次の瞬間、身体が浮遊する感覚。制限なく空へ浮かび上がりそうな不安を感じるが、ジンか側で支えてくれる事もあって、眼は決して開けなかった。


「――――もういいよ」


 浮遊感が収まり、足の痛みが戻った時にジンに言われて眼を開ける。気がつくと建物の近くの路地に立っていた。


「……ジン君。一体、何をしたの?」

「……ふぅ……ふぅ……くっ……」


 壁に寄りかかる力も無いジンは、ずるずると壁に背を預けて座り込む。


「! ジン君!」


 マリーは足の痛みも忘れてジンに寄り、様子を診る。

 怪我をしてる様子はない。衰弱に近い症状……これでは治癒系の魔法は意味を成さない。まるで氷のように彼の身体がとても冷たく、更に冷たくなっていく――


「マリー……路地を通って……街中へ……助けを求めに行くんだ」

「駄目よ。ジン君を一人には出来ないわ」


 マリーは上着を脱いで彼に抱き着くと、せめて自分の体温でジンの体温を維持する行為に移る。

 専門的な知識の無い自分に出来る事はこれしかない。これ以上、彼の体温が下がり続けるとそのまま死んでしまうと思ったのだ。


「アイツらの……狙いは……君だ……だから……」

「それ以上、喋ると怒るわ」


 デフォルトの鋭い目付きを更に鋭くしてマリーはジンの言葉を遮ると前から抱き着く様に体勢を変える。足の痛みは自然と感じなかった。


「…………」

「…………」


 抱き合う二人はしばらく無言で互いの心音に意識を集中していた。

 マリーは父親以外に、こんなに異性と密着した事はなかったので自然と心臓が速くなり体温が上がる。

 そして、冷えたジンの身体も次第に体温を取り戻し初めて、気がついたら二人とも離れるタイミングを失っていた。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………マリー、もう喋っても良いか?」


 ジンの言葉にマリーは顔を上げると、彼は生気を取り戻していた。少し恥ずかしそうに眼を背けている。


「え、ええ。だ、大丈夫?」

「あ、ああ……身体は動かせそうだ」

「そ、そう……」


 と、言いつつも二人は路地裏で抱き合ったまま、次の動きに移れずにいた。


「マリー」

「な、なに?」

「その……君の足の事もある。オレも大丈夫そうだし……そろそろ……移動しよう」

「そ、そうね!」


 マリーはジンから離れると、足の痛みで火照った感情が少しだけ霧散した。ジンは止血の為にマリーの足の傷に布を結ぶ。


「すまん。治癒魔法は覚えてないんだ」

「仕方ないわ。あの魔法は専門の知識が必要だもの」


 ジンもマリーも治癒魔法は覚えてない。満足に動けないマリーを支えながらヒトの多い街中へ戻らねば。


「…………」


 ジンは路地から逃げ出した建物の様子を見る。すると、一階に居た二人とレイスが飛び出して来た。


「マリー、もう少しここに隠れて居よう。アイツらが行ったら――」


“マリーシーユ・ヴァルター! 戻ってこい!”


 その時、レイスが大声で叫ぶ。ジンは何を言っているのかと、その奇行を路地から眺めていると――


「……え?」


 マリーはジンの前を通り、足が自然と路地から出ようと歩き出した様子に、自身でも困惑した。


「マリー?」

「ジ……ジン君……身体が勝手に……歩いて……嫌……」

「マリー!」


 ジンは咄嗟に彼女を止めようと手を取るが、ソレを拒否する様にマリーは振り払う。

 その様子をレイスと二人が見つけた。


「そこに居たか!」


 レイスはマリーに、もしもの時の為に名を呼ばれたらこっちへ来る様に暗示をかけていたのだ。






 レイスは路地から出てきたマリーと、彼女を止めようとその手を取るジンの姿を見つけた。


 子供の浅知恵で本気の本気で『サトリの眼』から逃げられると思っていたのか?


「ガキどもが!」


 レイスと二人は改めてマリーの確保に動く。外で騒ぎになり続けるのは非常にマズイ。捕まえたらすぐに拠点を移動しなくては――


「――――」


 すると、ジンはマリーを抱えて走り出した。子供の身体と体力では大人三人からは逃げきれないが、ヒトの眼がある祭り会場まで走り込む事は出来る距離だ。


「逃がす……か!!」


 駆け出したジンの背にレイスはナイフを投げる。飛翔する刃はその背に深々と突き刺さり、ジンはもつれる様に倒れ込んだ。


「! ジン君! 嫌ぁぁ!!」


 マリーは倒れたジンに寄り添う。

 馬鹿が……一人で逃げれば全て終わっていたものの。やはりガキだな。

 レイスはマリーの腕を取り、ジンから引き離す様に引っ張る。


「来い!」

「嫌! 離して! ジン君が!」

「黙れ!」


 レイスはマリーを平手で殴ると黙らせた。他の二人は倒れたジンを人目の無い路地裏へ捨てようと片手を取って引きずって行く。






 泣いてる……

 泣き声が聞こえる……

 なのに……身体が動かない……

 動かそうとすれば……痛みが縛り付ける……


 ジン君!


 聞こ……え……る……あぁ……そうだ……オレは決めたんだ――

 あの……雨の……ファングを……こ……した時に……


 お兄ちゃん! お兄ちゃん!


 大丈夫だ……だからもう泣くな……レン……オレが……家族を……お前を泣かすヤツを……全部……全部――


 世界から殺し尽くしてやる――






 空が少しずつ曇り始めた。

 夕立が来ると察し、レイスは逃亡には好都合だと考える。

 ジンを路地裏へ捨てた二人組はマリーを確保したレイスと共に移動を開始。と――


「…………」


 殺意を覚え、後ろを振り向く。そこには今にも倒れそうな程に弱々しいジンが項垂れる様に立っていた。


 背中に刺さったナイフは、今も出血を促し、彼の足下を血で染めている。


「……」


 二人組の一人が、確実に始末しようと剣を抜いてジンへ踵を返す。


「ダメ! ジン君! 逃げて!」

「黙れ!」


 マリーは再度叩かれて、口の端から血を流すと気を失った。その際に、レヴ……と小さく呟くが誰にも聞こえなかっただろう。力を失ったマリーをレイスが捕まえる様に抱える。


「――」


 その光景はジンにとっては、過去と重なるモノだった。


「離せ……」


 殺意が膨れ上がる。剣を持って近づいていた男はビリビリと本能が冷たくなる感覚を覚えた。


「オレの……家族を……レンを離せ――」


 世界の色が落ちる。

 『相剋』【霊界権能】――――






「まったく、勇者の遺品とやらは意味のわからないモノばかりじゃな」


 ナルコは、これはゴミ、これもゴミ、と大して調べずにポイポイと廃棄する枠へ投げて行く。

 彼女を補佐する為に寄せられた王都騎士は、こんなに適当に捨てても良いのだろうか? と疑問になったが、リンクスはこの件を全面的にナルコへ任せているため、適当な取捨選択を見届けるしかなかった。


「これもゴ――」


 と、金属の板を捨てようとした所で動きを止めた。騎士は、お? 使える物か? と期待する。

 しかし、ナルコが手を止めたのは別の理由だった。


「――あり得ん」


 世界のどこかが裏返った。しかも……自分の『霊御殿』の様に、ナニかを形作っての使用ではない。世界に直接干渉した。


「……」


 ナルコは手に取った金属の板をポイっと廃棄の枠に捨てる。


 世界の一部とは言え……『霊界』そのモノに干渉し、『現世つうしよ』と裏返すとは……


「一体何者じゃ?」






「…………」

「気づいたかい?」


 別の大陸にて街を歩いていたナタリアは歩を止めた。そして、傍らを歩くギレオもソレを感じ取る。


「『イフ』だ。気まぐれに現れたのか、誰かがこじ開けたのか……どっちにせよ、10年も時間は無かった」

「……違います、ギレオ。これは――『相剋』です」


 その場に駆けつけられないナタリアは晴天の空を見上げて信じる事しか出来なかった。


 ジン……貴方は『イフ』じゃない。だから、自分を見失わないで――

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