第35話 世界の隅を見つめる眼

「ジン。目を開けて」


 片眼の治療をしてから、初めて包帯を取る日がやって来た。

 傷は相当深かったけど、視力は問題なく色の違いもハッキリとわかる。ナタリアは暫くは視力の低下があるかもしれないと行っていたが、そんな懸念は無かった様に、オレの両目は世界を写していた。


「――」


 だが……その時に両目で見た世界は左右で違っていた。

 包帯に隠されていた時は気づかなかった。傷の残る“色の無い瞳”が見る世界は、白黒になり、物体に宿る光を明確に捉え、それ以外を透過していた。


 その景色はあの時……レンを拐おうとしたアイツを殺した時に見た世界。オレは、コレを見る時は強い“殺意”を抱いた時だけだと思っていた。


「ジン? どうしたの?」

「ナタリア――」


 オレの様子を心配して声をかけてくれたナタリアへ振り返ると景色は正常に戻っていた。

 彼女は自分の人差し指を立てる。


「何本に見える?」

「1本……」


 次に中指と薬指を立てる。


「3本」

「うん。視力は問題なさそうね。色はわかる?」

「問題ない」


 ナタリアはそう言ってオレの頬に手を添えると瞳を覗き込む様に状態を確認する。


「瞳の色が落ちて、傷が残ってしまったのは視力の回復を優先して治したからなの。ごめんね、ジン」

「何で謝るのかオレにはわからないよ」

「特徴を持つと、他のヒトから贔屓されるかもしれない。良い意味でも悪い意味でも」

「気にしないよ。それに、傷と眼が特徴で覚えて貰い易くなるのは良いことだ」


 オレの言葉にナタリアは微笑んでくれた。彼女が表情を曇らせる事は家族の誰も望まない。


「兄さん、完全復活?」

「おお。ジン、カッケーじゃん」

「距離感とかは大丈夫そう?」


 レン、ロイ、ジェシカの三人もオレの事を自分の事のように心配して声をかけてくれる。

 それから、眼は何事もなく普通の世界を写し続けてくれた。それで良い。あの世界は……オレには必要ないモノだ。


 だが……この時は、思っても見なかった。

 将来、この『相剋』で……“家族”の命を奪う事になるなんて――






 王都会議の中断休憩はセグルの号令が無いまま夕暮れを迎えていた。


「ふむ。会議の再開は食事をしながらと言うことかな?」

「確認を取って参ります」


 ミレディはヘクトルに一礼すると客間を後にする。

 王都が夕焼けに包まれ始める時間帯。ヘクトルは自分の領地の方角を窓から眺めた。


 ヴァルター領の『収穫祭』はまだまだこれからだろう。夜の催しも滞りなく手配しているし、遠くから来た者も満足してくれるハズだ。


“ヘクトル、お前の所は娘か? オレんトコは息子だったぜ。同い年とは運命感じちゃうな。娘はやらん? もう親バカ炸裂させてんのかよ! けど、オレの言った通りだったろ? お前は良い父親になるよ”


「ゼノ。私よりも君の方が必要だった」


 昔、共に冒険者としてパーティーを組んでいた時の仲間はもう一人も居ない。

 10年前の判断を今でも正しかったのかと考えている。

 もっと、上手くやれたのではないか? もっと早く、力を身に付けていれば親友は――


「備えは十分であると思いたいが……」


 未だに復興最中の王都を見る。世界には一夜で国を滅ぼす存在が居ると間近に実感した。

 そんな驚異から領民と家族を護る為には――


「ここが領主としての限界か……」


 すると、扉がノックされる。

 コン。そして、間を置いて、ココン、と二回。それは『アルビオン』が報告にやってきた際の合図だった。

 ヘクトルは角有族の探知能力にて扉の向こう側にいる人物がニコラである事を察知する。


「何事かな?」


 ヘクトルは扉越しに話しかける。


「急ぎ、耳にいれておくべき事が――」


 ニコラは扉越しに報告をする。

 それは本日、ヴァルター領の『収穫祭』で起こった、マリーの誘拐とそれに伴う死者の事だった。


「……そうか。領に戻ったら関係者には私が直接対応しよう」


 ヘクトルの言葉を聞いて、ニコラは下がって行く。


「………………」


 レイスによる娘の誘拐事件。

 マリーは無事だったが、四人の死人が出た。内一人は『人族』の少年――ジン・マグナスであるとのこと。


 ヘクトルは再び窓辺に戻り、ベランダの手摺を強く握る。『ノーフェイス』がレイスに接触すると見て見張り付きで放置したのだが考えが甘かった。


「10年前に私は何を学んだ?」


 自らに問いかけるようにその言葉を口にする。友の大切なモノを……失ってしまった。


「…………」


 そして、ある結論に至る。まだ上があるのなら――

 すると今度は正常なノックの音と共にミレディが、失礼します、と入って来た。


「ヘクトル様、会議を再開する様です。それと……先ほど、ニコラが来ていた様ですが」

「ミレディ、行こうか。皆に言わなければならない事が決まったよ」


 そう言ってヘクトルは歩き出す。その背は今までに無い気迫を纏っていた。






 誘拐事件が全て終わる数時間前――


「ジン」


 ジンはマリーと食事をしていた場に戻った。待機していたジェシカは、本を読んでいる。


「まだ、ロイは戻ってないわ。そっちは、立ち直ったみたいね」


 ジンがいつもの様子に戻ったとジェシカは微笑む。蜂蜜を飲んでいたビーも、ブブッ、と羽を鳴らした。


「ジェシカさん。私達が離れてからマリーさんの席は何か動かした?」

「椅子を戻したくらいよ」

「だってさ。兄さん、それでどうするの?」

「ジェシカ、少し席を離れてくれるか?」

「ええ」


 ジェシカはジンの座っていた席を立つ。

 そして、ジンは仕事中に感じたあの感覚を思い起こさせた。

 カムイの魔道具に触れた時、その物体に宿る持ち主の強い思いが生み出した“記憶”を見た感覚。魔道具の時はカムイの強い思い入れがあったからこそ、触れるだけで垣間見えた。

 もしも、オレの相剋……『霊界権能』が物質の記憶を見る事が出来るのなら――


 ジンの集中力は“殺意”を宿さなくとも世界を白黒に映す。


 テーブルの記憶。

 椅子の記憶。

 皿の記憶。

 フォークの記憶

 ナイフの記憶――


 道具の一つ一つが少しずつ過去の光景を構築していく。それは『霊界』に集中力すればする程に鮮明に写し出され、マリーが席に座っていた時の瞬間まで巻き戻った。


「誰だ?」


 そして、ジンの席を立ったすぐ後に誰かが自分の席に座った。しかし、姿や顔はイメージがつかないのか、靄にしかならない。

 “誰か”は、座って数秒ほどで席を立つとマリーも同じように席を立った。そして、“誰か”の後に続くように歩いていく。


 これは誰だ? 姿が明確でないのは物の持つ記憶が薄いのか? もっと……集中力を――


 その者の顔を鮮明に映そうと更に『霊界権能』に意識を集中した、その時。


「!!!?? ッハァ!!?」


 ナニかに猛烈に引っ張られる感覚に集中力が乱れ、『霊界権能』を停止させる。


「兄さん!?」

「ジン? 大丈夫?」


 レンとジェシカは、テーブルに倒れそうにもたれ掛かるジンの様子を気にかけた。


「大丈夫だ。少しだけ『霊界権能』を使った」


 その言葉に二人は蒼然とした。


「兄さん! 何でそんな危ない事を!」

「ジン、本当に? 本当に『霊界権能』を使ったの?」


 ジンの『相剋』はナタリアでさえも、無闇に発動するべきじゃないと言うほどに、危険なモノだと教わった。本人に対してどんな効果が及ぶのか、全くもって未知数だと言う事と、ジン自身が使うことを強く拒んだと言う側面もある。


「大丈夫だ……何かを奪うとか、そう言う事は起こらなかった」

「そう言う事じゃないよ! もー!」

「ジン、顔が真っ青よ」


 『霊界権能』は体力をとてつもなく消耗するのか、ジンの顔色は明らかに良くない色をしている。


「少しすれば戻る。それよりも手がかりを掴んだ」


 ジンは『霊界権能』で垣間見た、場の道具に宿った過去の記憶からマリーは誰かに連れ去られたのだと二人に話す。


「それってホント?」

「ああ。相手の顔はわからなかった。だが……ソレがイメージ出来ないって事は、オレにとっては他人も同然の存在なんだろう」


 この街で一年は過ごして、細工師としてはそれなりに知られる存在になっていたハズ。それでも姿をイメージ出来ないと言うことは……


 ジンからの新たな情報に、どう捜す? とレンは聞くが、ジェシカは別の事が頭をよぎった。


 ジンのやったことは、規模は違えどナルコ先生の『レコード』と同じ効果だ。

 その場に居なくても、物体の経験した過去を読み取り映像に見る。それを、魔法陣や知識を必要とせずにジンはやってのけたのだ。


 相剋……世界の理から外れた『具現化』……か。


「ジェシカさん? どうしたの?」

「え? ああ、ごめん。それで、なんだっけ?」


 『レコード』は関係者以外には話してはならない極秘魔法だ。理由はプライバシーの概念を著しく損なうからである。


「マリーはオレたちと関係の浅い人間と向き合い、そしてすぐに連れて行かれた」

「遠くからマリーさんの知り合いが来てたんじゃない? それなら兄さんも私も知らないでしょ?」

「なら、会話に花を咲かせるハズだ。席に着いた“誰か”は大した会話もせずにすぐマリーを連れ去った。恐らく……相手は魔術師だ」

「魔術師……」


 ジェシカがポツリと呟く。


「それに狙いはマリーじゃない」

「え? どう言うこと?」

「今、王都でヘクトル様を含める領主様達が集まって会議をしている。ここ一年で度々噂のある『王』を決める為の会議だ」

「なんか、そんな話をマリーさんから聞いたような……」

「今回の件で他の領地が大きく動いたんだろう。どこかが王位に着く為に手札を切った。その強引な口約束をヘクトル様から取る為にマリーを人質に取ったとオレは思ってる」

「え? 兄さん、それ言ってる事、全部仮説でしょ? 根拠は?」

「無い。だが……タイミングが良すぎるんだ」

「『収穫祭』だよ? 人目も沢山あるし、そんな中でマリーさんを拐うなんて考えられないでしょ」

「逆だ。人が多いからこそ、連れ去って共に歩いても違和感がない」


 ましてや、マリーは顔を隠す仮面やフードを着ていた。移動の際にそれらで隠すように言われれば誰にも見られる事なく連れ去れる。


「じゃあ、兄さんの仮説が全面的に当たってると考えて、マリーさんを連れ去ったのは別領地の魔術師ってこと?」

「恐らくな。『収穫祭』の解放に合わせて侵入したんだろう。しかし、常にマリーの近くにはオレらの誰かが居た。ずっと一人になる機会を伺っていたハズだ」

「でも、全く知らない人が目の前に座ったら流石のマリーさんも慌てる動きをするでしょ? 兄さんの見た記録ではマリーさんは全く狼狽えた様子は無かったんだよね?」

「ああ。だが、逆にそれは辻褄が合うんだ」

「なんで?」

「拐う側からすれば絶対に失敗は出来ない。だから、確実にソレが遂行可能な存在を派遣したハズだ。故に拐ったヤツは魔術師でもかなりの腕前で、催眠魔法の扱いに長けるだろうな」


 ジンの分析を聞いてジェシカは思い当たる存在が一人だけ居た。

 目を合わせるだけであらゆるヒトを操る驚異の魔眼――『サトリの眼』を持つ魔術師レイス。

 彼は一年前に捕まりヴァルター領に連行されて処刑されたハズだ。

 しかし……現状は『サトリの眼』による催眠魔法が使われた様子に類似している。もしも……何らかの要因で『サトリの眼』が復活してしまったのなら――


「二人ともごめん、ちょっと別行動を取るわ」


 ジェシカはヴァルター領に連行されてからレイスがどうなったのかをすぐに調べるべきだと感じた。

 ナルコ先生から『アルビオン』への接触方法は聞いているのでソレを使う事にしよう。


「ジェシカさん、心当たりあるの?」

「念のためよ。あまり詮索しないでくれると助かるわ」


 現状『サトリの眼』の事を知るのは自分だけだ。その存在を知ると疑心暗鬼に陥り、混乱を招くだけだと、他に話すことはナルコより固く禁じられている。


「わかった。そっちは頼む。レンはロイが戻ってくるから、今の話を全部共有してくれ」

「兄さんは?」

「オレは――」


 ジンは少し呼吸を整えて『霊界権能』で見た、マリーの去った方向へ視線を向ける。


「先にマリーを見つけに行く。ロイと合流したらこの魔力を追え」


 そう言って、ジンは腰に着けた一つの魔石をレンに投げる。


「これは片割れだ。もう片方はオレが持ってる」

「わかった。無茶したら駄目だよ!」

「ああ」


 ジンは先にマリーの足跡を追って皆と別れた。






「この世界は……本当にちっぽけな様です」

「ほゥ」


 私が『サトリの眼』を宿してから“あの方”は時折、目の前に現れた。しかし顔を合わせる度にその姿は毎回違う。

 子供だったり、老人だったり、女だったり、他種族だったり。

 まるで、己の姿を持たないと思わせる程に統一性は無かった。けど、私は逆にそれが安心できた。彼が現れる度に、今が現実であると理解出来たからだ。

 『サトリの眼』は本物で、私は選ばれたのだと。


「随分と達観してるフリをしているネ。まだまだ浅いヨ。君の見ている世界はまだ表層に過ぎなイ」

「ですが……貴方様のような方を見つけるなど……」

「支配をしなさイ。それも自らがトップに立つのではなく、その他大勢の中から組織を動かすのダ」

「支配……『サトリの眼』を使えば簡単なのでは?」

「やって見るとイイ。そうすれば、いかに自分の見ている場所が浅いかを知れるヨ」


 そして、私は『ノーフェイス』に潜り込み、裏から組織を操る事にした。

 『サトリの眼』を使い、幹部にまで上りつめ、崩壊した国にて仕事をしようとした際――私は己の浅さと愚かさを知った。


 鳴狐真なるこしん

 ヘクトル・ヴァルター。

 レヴナント。

 ジェシカ・レストレード。


 他は決して知り得ない『サトリの眼』の力。ソレを知り、排除する事を考えている者が世界にいた。

 そして、私は『サトリの眼』を破壊されると言う、予想もしていなかった事態に陥った。だが……あの方は私を見捨てなかった。

 ならば……もう、同じ事を繰り返してはならない。一人ずつ確実に始末し、そして支配してやる。

 このヴァルター領を私の意のままに――


「貴方は何でこんな事をしているの?」






 目の前の椅子に座るマリーはレイスに話しかける。彼は暇潰しがてら答えてやる事にした。


「私には容易い事だからだ」

「……なら、何故ここに固執するの? どこでも好きな所へ行けるハズでしょ?」

「知ってはならぬ事を知った者達が居る。ソレを全て消さねば私は認められない」

「……貴方は“自分”を失ったのね」


 その眼は哀れんでる様でも、蔑んでる様でも無かった。レイスを真っ直ぐ見据えて彼を“ヒト”として見ている瞳――


「今更……」


“いつの日か自分達を見つけてくれる”


 かつて失った彼女の言葉が思い起こされる。


“ヒトとして見てくれる眼がきっと向けられる時がくる”


「その眼を……」


“だって、自分達は何も悪いことをしていないのだから”


「今更その眼を私に向けるな!」


 レイスはナイフを抜き、マリーの眼前に突き立てた。

 だが、彼女は恐れも瞬きもしない。強い瞳で真っ直ぐ見つめて来る。


「……今からお前の片眼を抉る。生きてさえ居れば、何も問題は無いからな」

「私は何も知らなかった」


 ナイフに力を入れようとしたレイスは、その言葉に手が止まる。


「けど……ようやく解った気がするの」

「……」

「私は世界を表面からしか見ていなかった。もっともっと、世界の深い所では多くのヒト達が感情をぶつけ合っている」


 それは、父の後ろを追いかけるばかりでは絶対に気づけなかった事だった。


「それは……ずっとずっと昔から続いていて、その連鎖が私達にも影響を与えている」

「口だけは……達者なモノだな。父親と同じように」

「貴方はそう思ってない」

「何故、そう言いきれる?」

「だって貴方は、必ずヒトの眼を見て話すでしょう?」


 その言葉にレイスはナイフを引いて後ずさる。


「ヒトは感情を言葉で表すけど感じ取るのは別の器官なの。それをより深く理解できるのが『角有族ホーンズ』なの」


 あまり私と眼を合わせない父は何を考えているのかわからない。しかし、私が眼を背ければずっと理解できないままなのだとレイスが教えてくれた。


「ハハ……私を理解したと言うのか? そうやってヒトの上に立つ貴様らは……いつもヒトを見下す。視界の隅に踞る存在など見向きもしない」

「ヴァルター領は違ったハズよ」


 その言葉にレイスは思わずマリーの足にナイフを振り下ろす。彼女の太股に刃が滑り込み、刺痛に一瞬表情が曇る。


「っ……」

「叫ばないのは流石だ、マリシーユ・ヴァルター。だが、これが今の世界だ。理不尽な暴力に突如として傷を負う。解ったら事が済むまで口を閉じていろ」

「……なら……何故会話をしてくれたの?」


 マリーは血が滲む太股からの痛みに堪えながらもレイスとの会話を続ける。


「黙れと言ったのが聞こえなかったのか? 次に喋ったら眼を抉る」

「私は貴方から眼を反らさない」


 マリーは現状では最も無力な存在だ。傷も負わされ、恐怖心もあるだろう。現に痛みに身体は震えて、レイスに対して怯えている様子が解る。

 しかし、それでも彼女は決して眼を反らさなかった。


「今更……今更ァ! 何故! あの時に! キャス、トーマ、リノ、ジョンが死ぬ前に! 私達を見つけてくれなかったんだ!!」


 レイスはナイフを振り上げると感情のままにマリーへ振り下ろす。その時、


「マリー!」


 横から突如として現れたジンがレイスへ体当たりをして共に倒れた。






 追える。オレならマリーを見つけ出せるハズだ。


 ジンは一度息を吐くと眼を閉じて意識を集中し、世界を見る。

 それは全てが半透明と点在する光が白黒で見える世界。


 『霊界権能』。この世界を構築するもう一つの世界【霊界】は、人々が生きていてもそこに存在している。ソレにアクセスするのがジンの“相剋”だった。


「――っ……」


 足下さえも不確かに映る世界。先ほど自分達のテーブルだけを見たが、通りはヒトや物が多い分、記憶が凄まじく絡み合っている。

 目眩が襲い、身体が内側から冷えていくのを感じる。思わず壁に寄りかかりつつも、その中で――


「こっちか」


 マリーが通りを進む記憶を見つけた。『霊界権能』を止め、視界を元に戻すと一度呼吸を整えてから足跡を追う。

 フラついたのは最初だけ。『霊界権能』を止めると調子や気分は次第に元に戻って行った。


「やっぱり、便利なモノじゃないな」


 【霊界】を見続ける事が危険であると理解し、更に情報が多い場所だと特に消耗が大きいと言う事も知れた。


「この辺り――」


 ジンは通りでマリーが進む方向から大体の場所を推測してヒト気のない区画へやって来た。

 この辺りは通称、倉庫街と呼ばれており、大きな商会などが荷を保存する為に使われる借家が多い。現在では『収穫祭』にて流す物資を保管する事に使われており、ヒトの出入りはいつもよりも極端に少なくなっていた。


「オレなら……あまり奥には行かない」


 この辺りではマリーのフードに仮面は逆に目立つ。人目を嫌い、そして、いざと言うときに再びヒト混みに紛れる事を考慮すると……


「通りに近く、逃亡しにくさと見張りに適した家屋……内部階段しかない二階建てだ」


 ジンは、ふー、と呼吸を整えて『霊界権能』を発動する。物質の透過とそこに映る物質の光。それは、ヒトと物では違っているのだと既に理解している。


「――あの建物か」


 マリーが一つの建物へ入っていく様子を見つけた。そして、その建物を路地から覗くよう隠れると意識を集中し内部の様子を伺う。


 一階に二人居る……二階にも二人……内一人は……椅子に座っている。


「あれは……!!?」


 その時、足下が崩れた様な浮遊感に思わず『霊界権能』を停止する。


「ハッ……ハッ……ハッ……な、なんだ……?」


 まるで崖から足を踏み外した様な無力な浮遊感は恐怖を覚えた。横の壁に寄りかかると、足が動かない事に気がつく。見ると地面に靴の爪先が入り込んでいた。


 今のは……【霊界】との境が曖昧になったのか? 『霊界権能』を停止したら……その場所に実態が出現……した?


 目の前で起こった事実と結果からジンは『霊界権能』で出来る事を少しずつ明らかにしていく。


「…………これは殺す為のモノじゃない」


 ジンは“相剋”も己の一部だとナタリアから教わった。なら……救いたいと考えれば救う為に使えるハズだ。


「……ふー、ふー」


 しかし、連続の使用は明らかに身体に支障を来している。目眩は酷くなり、身体がとてつもなく冷たく感じる。少し休めば元には戻るが、それでもどこまで連続で使用できるのかは不明だ。


 ロイやレンを待つべきか? しかし、そんな悠長な時間があるのか……


 少し体調が落ち着いたジンは『霊界権能』を発動。家屋を透過し中の様子だけでも情報を拾う。


「――――」


 その時、二階の座る者の膝に、向かい合って立っている者が何かを振り下ろした。その瞬間、座っている者の光が少し弱くなる。


「マリー」


 ジンは直感で座っている者が誰なのか解った。そして、彼女が刺されたのだと考えると待っているべきではないと家屋へ駆け出す。


 君はきっと叫ばない。だから……オレが助けなきゃダメなんだ――


 『霊界権能』の発動最中、ジンは家屋の一階扉をすり抜ける。一階の二人の目の前を通り過ぎても気づく様子はない。

 二階の階段へ向かうと足をかけた所で、すり抜けて奈落まで落ちて行く様に足場を失う。


 ここには足場がある……世界は繋がっているハズだ!


 そう強く現状を認識し、手摺を掴み、落ち駆けた身体を元に戻す。すると階段へ足をかける事が出来た。

 そして、そのまま駆け上がると、今まさにマリーへレイスがナイフを振り下ろしているところだった――


「マリー!」


 ジンは『霊界権能』を停止すると同時にその場に現れる。その勢いのままレイスへ全身全霊で体当たりをすると共に倒れた。

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