第31話 収穫祭

 禁足地。

 “三災害”とは異なり世界に存在する“ヒトの調査が不完全な危険地帯”を意味する。

 いかにして“禁足地”として成り得るのか。その定義は様々であるが、多くの場合はその地に存在する『太古の魔物』か、過酷な環境が要因の大半とされている。


 広く知れ渡る禁足地は、『ゴート』の生息域である【地下の庭園】や『ローレライ』の護る【陵墓】が上げられる。

 その他に、灼熱山脈【ボルケーノ】、極北大陸【フリージア】、【霊剣座】の三つは環境に阻まられて踏破が成されていない“禁足地”であった。

 しかし、それらの代表的な“禁足地”の中で『太古の魔物』『過酷な環境』の二つを満たす場所が一つだけ存在する。


 灼熱山脈【ボルケーノ】。

 最も温度の高い火口付近での水分は即座に蒸発し、鋼鉄は1分も形を保てず溶解し、遠目からの景色は酷く歪む。

 大陸を大きく二分するこの山脈は常に表層をマグマが流動しており、この真下に位置する『地下帝国』はそのエネルギーを利用して機能している。

 地上は常に灼熱の温度となっており、並みの装備では瞬く間に燃え上がる程の獄炎地帯であった。


 この環境下で活動出来るのは古くからこの地に住まう『鬼族』のみ。

 彼らは種族として生まれながらに屈強な身体と耐熱性を持ち、自身を身体強化する事で更なる耐熱耐性を獲得できる。そこに耐熱装備を着る事でようやく、外を自由に歩き回る事を可能としているのだった。


「一つだけ思うんどけどよ、ギレオ」

「なんだい? テンさん」


 【ボルケーノ】の外部地域を管理する『オーガ連合』総長――天鬼てんきは仁王立ちに佇み、隣に座る黒鎧の騎士――ギレオに問いかける。


「お前らってどうなってんだ? 俺たちは相当に苦労してこの環境に立ってるんだが、お前らは装備も無しに平然としてやがる」

「僕は一人じゃ何も出来ない。だから、“先人の力”を借りてるんだ」


 隣に座る騎士が、この灼熱の環境に燃えずに形を維持できる理由を説明するが、天鬼は面倒なので追求を止めた。

 恐らく、経験者から何かしらの魔道具でも借りているのだろう。しかし――


「お前のツレ。あれはどういう原理だ?」

「さぁ」


 天鬼の視線の先には、ギレオよりも軽装で魔道具の類いを一切持たない一人の女性が火口へ歩いていく様子が映っている。

 その様子はまるで知人に会いに行くかの如く。間熱等が吹き出る火口付近は『鬼族』でさえ近づかない。


「彼女にとって環境こんなものは意味がない。事を成す為に何が必要で、何が不必要なのか。それを適切に理解しているからね」

「説明になってねぇよ」

「要するに“条件”の足し算と引き算なんだ」


 ギレオの視線は【ボルケーノ】で最も熱を発する山の火口へ歩いていく女性へと向けられる。

 火口までの距離は彼らの場所から500メートル先にはあるが、それ以上は近かない理由は環境の他にもう一つある。

 遮蔽物が殆んど無い地形故に、その一部始終を遠目から見届けるつもりだった。


「最近の異常な熱量の原因は解ってる。だが、本当に可能だと思ってんのか?」

「何が?」

「『太古の魔物』――ドラゴンと会話をするなんてよ」

「消し炭だろうね」

「おい」

「彼女以外なら」


 そして、女性は火口へと辿り着いた。






『こんにちは』

“……”

『聞こえていらっしゃるハズです』

“……”

いにしえより、星の血を護りし偉大な守護者。私を覚えておいでですか?』

“――”


 その時、火口より長い首が持ち上がる様にソレは姿を現した。

 強靭な牙と熱を吐くアギト。

 向けられた者が死を悟る眼光。

 マグマを水のように身体に滴らせ、火口付近の温度が即座に倍近くに引き上がる。

 周囲の岩が炭化し、隣の火口からマグマが噴出する。


 【獄炎龍】プロミネンス。


 【ボルケーノ】の絶対的な支配者にして『太古の魔物』。世界に3体しか確認されていないドラゴンの1体である。


“言葉……久しいな……”


 プロミネンスは言葉を理解する知恵を十分に持つが、声を発する器官を持たない。故に近くの物質を振動させて意思を伝え、ソレを読み取れるなら会話は可能なのだ。


『お久しぶりです』

“………………メメントか?”


 プロミネンスは数少ない対話の記憶から目の前の女性の事を思い出す。


『はい』

“……その姿を見るに時はあまり経っていないと見える”

『貴方様より見れば、僅かな時でしょう。しかし、私共からすれは幾度と世界の栄えと滅亡を繰り返す年月が流れております』

“そうか……あまりにも短絡的な時だ”

『貴方様もお変わりなく』


 ふふ、と笑う女性に、それも相変わらずであるな、とプロミネンスは告げる。


“前に言葉を交わしたのは、街を作る算段であったな”

『はい』

“して、上手く行ったか?”


 彼女は過去に地下を掘り進める際に『プロミネンス』へ礼節に出向いた事があった。


『世界を繋ぐ国となりました。貴方様も一時的に恩恵があったハズです』

“『スフィア』と言う小道具だったか。確かに【血】の流れば良くなったが、それも一時だ。最近は昔よりも淀みが酷くなっている”

『本来ならば表裏にて世界を安定させる予定でした。しかし……お恥ずかしながら“表”は消滅してしまったのです』

“裏はまだ機能していると?”

『はい。『地下帝国』と世界には知れております』


 王も秩序もない地下の国。しかし、それは世界を繋ぐ流通の道として確かに存在している。


“そうか。して、此度の言葉合わせはどういう了見か”

『『終末の時代』を止めて頂きたくさんしました』


 それは過去に1度だけ起こった終幕。世界の殆んどが終わった惨状であった。


“終末? 我がこれから行うのは淀んだ【血】の放出だ”

『それは、私たちの言葉に置き換えますと、世界全域の山々における一斉噴火なのです』


 プロミネンスは数億年単位で星の内部に溜まった古い“血”を地上へと放出させる。

 過去にソレが行われた際には全ての火口が一斉に噴火。

 舞い上がる粉塵は数百年の間、空を覆い、吹き出すマグマは周囲の文明を焼き付くした。

 更にそれだけに止まらず、引き起こる地震によって小さな島と大陸の一部は沈み、多くの文明は滅んでしまった。


 今回は『地下帝国』があるとはいえ、起こってしまえばヒトは滅ぶだろう。


“我も前よりは周期が早いと思っている。しかし、この近年において世界は幾度と歪んだ。その都度、我は血を巡り、整え、淀みを吐き出させたが、小出しでは限界を迎えている”

『今しばらく、それをお待ち頂きませぬか?』

“何故だ?”

『私たちにそれを解消する術があるのです』


 プロミネンスは無言になり考える。本来ならば待つ必要はない。


“…………10だ”


 プロミネンスは女性へ告げる。


“四季のめぐりが10回。それ以上は待てぬ”

『ありがとうございます』

“我にとって瞬きに等しいときで何か出来るとは思えぬがな”


 そう言うとプロミネンスは会話を止め、火口の奥へ戻って行った。出来る限りの淀みを正しに行ったのだろう。


「残り……10年」


 彼女は火口へ背を向けるとそう呟いた。






 『収穫祭』

 それは、古くからヴァルター領地で行われる、4年に1度ある3日間のお祭りだった。

 森林の多いヴァルター領は自然に存在する実りは多々存在するが、意外にもそれを主食とするには不都合な土地である。

 何故なら、森には魔物による生態系が確立されており、その実りを彼らは取り合っていからだ。


 獣型の魔物から、それを狙う樹の魔物にソレに寄生する昆虫型の魔物など、ヒトがそれらを潜り抜けて森の実りを得るには相当な労力を要した。

 中にはヒトをも平然と喰らう魔物も多数生息している事からも森での自給自足は更に困難を極める。

 結論として、ヒトは街や村を開拓し、そこに畑を設けて自分達の糧食を確保すると言う結論に至る。

 無論、食物連鎖をモノともしない強者は平然と自然の中で暮らしてもいたが(主に鳴狐真)。


 その様な事情を抱えつつ、何とか発展を遂げて現在に至るヴァルター領。他の領地よりも糧食を得難い苦労を労う為に行われるのが『収穫祭』であった。


 領主は普段の相場の1.5倍の値で食料の買い取りを行い、領内各地で格安で振る舞うと言うのが『収穫祭』の全容だ。

 更に露店の設営や、交通税の一時的な無料化を行い、普段よりも多くの者達が“得”をするのがこの祭りの主旨である。


 4年に一度と言う歳月を狙って、他領地のみならず、他国からも来訪する者で溢れ、一時的なヒトの出入りは国内でも最大となるのだった。






「よーし。よしよし。ふっふーん♪」


 ギュッとバンダナを締め直し、朝食を用意して本日から始まる収穫祭へ心が向いているレンは、上機嫌にジンとフォルドを待っていた。


「おはよう」

「おっはよう! 兄さんやい!」

「テンション高いな……」


 ジンは自分の席に座る。そして、自分に向けられる妹の視線に気づいた。


「……なんだ?」

「絶好だね!」

「……」

「絶好の日和だね!」

「…………一応、言っておく。お前はついて来るなよ」


 昨晩、レヴナントに連行されて一人で戻ったジンにレンはフラれたか、と思ったが兄の無表情ながらも嬉しそうな雰囲気で全てを察した。

 そして、察された事をジンも気がつく。妹には隠し事が出来る程に、彼は指先以外は器用ではない。


「そりゃ当然! 是非是非、二人きりでどうぞ! どうぞ!」


 言うだけ言ってみたがレンの、にやにや、から完全に無意味だとジンは悟る。

 絶対に隠れてついて来る気だな、コイツ。

 

「おはよう」

「おはようございます」

「おはよー、フォルドさん」


 フォルドは少し疲れた様子で食事所に現れた。


「どうしたのフォルドさん。収穫祭が楽しみで眠れなかった?」


 ちなみにレンはぐっすり睡眠を取っている。


「いや、そうではない」

「王都の依頼の件ですか?」


 ジンはフォルドの様子から、例の件に夜通し時間を割いたのだと察した。


「そんな所だ」

「手伝える事はありますか?」

「いや、今の所はいい。まだ形にもなっていないのでな」

「ちょ! 兄さんはダメでしょ! 今日は一大イベントがあるんだから!」

「ん? 『収穫祭』のイベントに何か出るのか?」

「さぁ。コイツが勝手に言ってるだけです」

「むぉぉぉ!? ふ、ふーん。そう来る。そう来ますか! このレンちゃんを怒らせるとどうなるか――」

「いただきます」

「いただくよ」

「あ! うう……もー! いただきます!」


 食事の時は余計な会話をしない。ナタリアの教えである。






「食器はここに置いておくぞ」

「ありがと」


 朝食を終えて、皿洗いをしているレンの横にジンは運んだ食器を置く。ついでにテーブルも拭いて、椅子も整えて食事所を小綺麗にしてから、地下の作業場へ――


「ちょ! ちょっちょっちょっ! ちょい待てぇ! 兄者!」

「……今度は何だ?」


 洗い物の途中でレンは慌ててジンを引き留める。明らかに仕事をしようとしていた。


「これからマリーさんとデートでしょ!? 『収穫祭』の三日間はフォルドさんも店を閉めるって言ってたし! 何で仕事をするのさ!」

「そりゃ、やることが溜まってるからだ」

「優先順位! あるでしょ!」


 ビシっと濡れた指先をレンは突きつける。ジンは、やれやれ、と嘆息を吐いた。


「マリーとその辺りは話し合ってる。余計なヤツらが後をつけて来ると落ち着かないから、一緒に回る時の合図はきちんと決めたんだ」


 何かと回りが騒がしい(主にレンやレヴナント)と認識してるジンとマリーは、合流す場所は決め、時間はある合図の後としていた。


「お前はついて来ないんだろ?」

「う……そ、そうですよ~。別に影から、にやにや、しながら追跡しようとも思ってませんよ~」

「ならいい。師匠は仮眠を取るらしいから起こさなくて良いぞ」


 じゃあな。とジンは地下の作業場へ降りて行った。


「くっ……先手を取られたか! だが……まだだよ! 兄さん!」


 兄の一大イベントを見逃す訳には行かない! 自分も家の中に居れば兄が出かける時は解るハズだ!


「甘い……甘いよ~。レンちゃん特製ケーキよりも甘いねぇ。兄さん!」






 勇者領跡地。

 王都騎士団ベースキャンプ地。


「今頃『収穫祭』か」


 朝食に携帯食料を食らう『獣族ビーストレイダー』『狼』のヴォルフは今日より始まるヴァルター領でのお祭りが頭を過る。


「4年に1度ですからなぁ。隊からはカムイと広域索敵が出来る以下3名を派遣しておりますし、問題はないかと」


 『樹族』のバルドはヴォルフの正面に座り、調査の結果をまとめながら応えた。


「旨い飯が格安で出るんだ。お前らも損をさせたみたいで悪かったな」


 その場の朝食に集合している『黒狼遊撃隊』の面子にヴォルフは告げた。


「隊長。私は何も不満は有りませぬ! この身は大地を駆け! あらゆる敵を粉破する為のモノ! 例え【霧の都】であろうとも突破して見せましょう!!」

「カーライル。朝からデカイ声を出すな」

「承知!」


 常在戦場な心構えである『人馬族』の武人カーライルは専用の装備を常に纏っている。


「勇者領地ってのもそんなに広く無いっすからね」

「お前は、ここから帰還したんだったな。サハリ」

「正確には【霧の都】っすよ!」


 『獅子』のサハリはヴォルフから話題を振られて上機嫌に返した。


「ヤバかったっすよ! 何せ『死体喰らい』を――」


 と、そこまで言って思い出したのは自分が救えなかった市民と仲間だったジガンとノエルだった。

 誇る事……とは思えない。多くの命を目の前で救えなかった。


「……倒しましたからね」

「サハリよ。その戦いを決して忘れてはならぬぞ」

「……っす」


 サハリは“深度”を深めた事で、より獣に近い姿になった自分の腕を見る。あれから自分は強くなったのだろうか? と。


「そんで隊長。一つ聞いてもいいっすか?」

「ん? なんだ?」

「あのテント……やたら厳重に魔法陣で固められてますけど。何を封印してるっすか?」


 少し離れた所に立てたテント。王都騎士の紋章が入っている為、自分達の持ち込みではない。

 サハリとカーライルは調査と魔物の討伐に赴いて居たために何が起こっているのか知らなかった。


「お前は知らなくていい」

「かっかっか」

「その言い方は気になりますって!」


 ヴォルフの詰まった言葉と笑うバルドの様子にサハリは一層気になる。

 魔法陣の効果は“消臭”と“閉音”。今も発動中で維持する魔力はヴォルフとバルドが供給していた。


「巻き込まれると死ぬぞ。近づくなよ」


 少しだけ本気が混ざるヴォルフの言葉にサハリは、隊長にそこまで言わせるとは……と、生唾を飲み込む。


「そ、そう言えばミレーヌさん見ませんね!」

「あー、ミレーヌの奴は――」


 その時、テントの入り口から逃げる様な白い手がぷるぷると震えて出てきた。


「ひ、ヒト!?」

「バルド。音だけ解除しろ」


 ヴォルフはそう言うと立ち上がり、テントへ向かい、語りかける。


「終ったか?」

「…………」

「おい、バァさん」


 すると、テントの入り口がバサッと開いて、そこからナルコが姿を現した。

 服ははだけて、殆んど全裸に近い。火照った表情や汗を掻きつつも、表情はまだまだ余裕な様である。テントから逃げるように手を出したミレーヌの方は全裸で息荒く、俯せにぐったりとしていた。


「月の娘よ。この程度で終りかのぅ? まだまだ知らぬ快楽を教えてやろうぞ」


 ナルコが俯せのミレーヌの耳元で艶のある声で囁く。

 その言葉に電池が入った様にミレーヌは起き上がるとヴォルフの後ろに逃げるように隠れた。


「い、いい! もういい! 何度もイったから! これ以上は……戻れなくなるぅ!!」

「おやおや。ならば、妾の火照ったコレはどうしてくれる?」


 妖艶な眼でナルコはヴォルフの影に隠れた獲物ミレーヌを見る。

 ひぇっ! とミレーヌは更にヴォルフの影に隠れた。どうやら正気に戻った様だ。


 バルドは彼女に、着なさい、とローブを渡し、カーライルはパカラッとその場から逃げ出す。サハリは、うわぁエッロー、と若干興奮していた。


 ヴォルフは部下サハリの教育に悪いと見て視線を遮る様に前に出る。


「バァさん……ワザと言ってるだろ?」

「ほっほっほ。実に残念じゃ。娘よ、次は更なる高次元の快楽を教えてやろうぞ」


 ナルコはそう言うと、自らを正常な状態へ戻し、衣服も元へ戻した。


「相変わらず、練度が化物じみてやがる」


 ナルコの得意とする『変身魔法』は体格や見た目まで変える事が可能な程に練度は極まっている。

 それは、骨や筋繊維に臓器に至るまで、己の細胞の一つ一つまで意のままに出来ると言う事。

 その応用で、ナルコは感覚を含める身体の反応を完璧にコントロール出来るのだ。

 バルドが知る限り、それほどに“自分”と言う存在を理解した魔術師は見たことがなかった。


「ナルコ殿は、さぞ高名な師をお持ちなのでしょうな」

「さぁて、どうじゃろうな」


 口元に手を当ててナルコは笑う。ミレーヌは予備の隊服を着替えに『黒狼遊撃隊』のテントへ入って行った。


「それで、こっちは何を支払えばいい?」

「ん?」


 ヴォルフは部下を助けてもらった手前、見返りをナルコへ尋ねる。彼女は、ふむ、と腕を組んで考える素振りをした。


「情報じゃ」

「なんの?」

「小僧らも『勇者領地』の調査を進めるのであろう? そちらの情報を包み隠さず妾に報告して欲しい」

「別に良いが……」


 後に『アルビオン』経由で今回の調査の報告は届く。二度手間になるのでは? と、ヴォルフは考える。


「妾のもう一つの眼と耳は別の事に割いておるのでな。負担はなるべく減らす方が良かろう?」


 考えを読まれて、ぽりぽりと後頭部を掻く。ダメだ。このバァさんの前で考え事は止めよう。


「妾はリンクスの元へ戻る。また後にな」


 一晩中、暴走したミレーヌを相手にしたと言うのに何事も無かったかのように歩いていくナルコ。その背にヴォルフは改めて思う。


 やっぱり、このバァさんとはあんまり関わらない方がいいな。






 掃除と洗濯を終えたレンは、コソ……と地下作業場を覗く。ジンはこちらに背を向けて仕事をしていた。


「なんだ?」


 しかし、レンの視線に気づいたジンは作業の手を止めずに声を出す。


「別にー。たまには作業場を覗いとこうかなーって」

「……収穫祭に行ってこい」


 ジンはレンの狙いはわかっていた。それ以上の問答は必要ないと作業に戻る。


「むー」

「それと、エリックスさんに聞いたんだが。収穫祭にジパングの商人も来るらしいぞ。出店商品のリストを事前に見せてもらったが、食品も持ってくるらしい。味噌もあったぞ」

「え……?」


 味噌は知るヒトからすれば万能の調味料であり、レンが犯した唯一汚点でもある。

 過去に料理大会においてレンが提供した料理が、魚の味噌漬けであり、これまでに類を見ない味と、同時に用意した白米との相性から優勝。

 『コック・ザ・マスク(レンの変装)』は伝説の存在となった。

 以降、ヴァルター領での料理界隈では味噌や白米を使った料理の研究がされているものの、地下帝国を経由して極東のジパングから取り寄せる必要がある事から、品薄で割高かであり研究は遅々として進んでいない。


 それが、収穫祭において、割安で提供されるのだ。料理人たちはこぞってこのチャンスを見逃さないだろう。

 無論、レンもジパング特有の食材は食費の割に合わないと思っており、格安ならば喉から手が出るほど欲しい。


「……え? それ! 早く言ってよ!」


 兄のむっつり恋愛録なんて観測してる場合じゃない! 味噌を手に入れなければ!


 料理人としての教示が花より団子を選ぶ。

 レンは食費の財布と『食べ放題手形』を待って店を出た。






「ば、馬鹿な……」


 広場の出店案内の看板を見て位置を確認。人混みで賑わう通りを抜けて、例の店へたどり着いた。しかし、販売員は店じまいの看板を立てている所だった。

 収穫祭が始まってお昼にもなっていないと言うのに……


「おや? お嬢ちゃんも買いに来てくれたのかい? 悪いが、もう品物は全部売り切れでね」

「……お米の一粒も残ってない」

「はっはっは。ありがたい話だよ。極東の食べ物はあまり注目されなくてね。しかし、ここで流行ってるってのは本当だったんだな」


 くっ! これが……私の罪……か!

 見たところ、相当な品々があった様だが、その全てが売り切れている。


「明日にまた入荷するよ。その時に来てくれよ」

「ふぁい……」


 もっと調べておけば良かった……。『食べ放題手形』に浮かれて見落としてしまうとは……レン・マグナス、一生の不覚!


「はぁ……ん?」


 帰路に着こうとした時、聞き覚えのある羽音と魔力を感じる。


「ビー!」


 それは、ジェシカの“使い魔”であるスズメバチ。レンに位置を知らせる為にあえて羽音を出したのだ。


「ちょっと! 羽音を鳴らしたら危ないよ! 知らないヒトが見たら叩かれちゃうって!」


 レンが手の平に隠す様に慌ててビーを包む。

 ビーは羽音を消し、他の認識から外れる事を可能としている。しかし、ヒトの目が多い所だと限界もあり、外見からはスズメバチという事もあって、知らぬ者は駆除に動くだろう。


「でも、ビーが居るって事は――」


 ビーは一年ぶりに出会った兄以外の『家族』。そして、


「お、いたいた」

「全く……ビー、勝手に飛んで行ったらダメでしょ」

「ロイ! ジェシカさん!」


 人混みの中から、よう、と手を上げるロイと、久しぶり、と笑みと手を振るジェシカ。

 ビーの覆いを解くと、そのままジェシカの肩へ移動した。


「おかえりー、二人とも」


 レンは二人に対して笑顔で歓迎する。

 実に一年ぶりの再会であるが、二人と直接話せる事は何よりも嬉しかった。



 



「なるほど……確かに以前よりも力は弱い……」


 レイスは『シーカー』より再生された『サトリの眼』の試運転を終え、その能力を詳細に把握していた。

 催眠の対象に出来るのは一人までで、命令を行使させるのは一回きり。

 催眠を植え付けるには、前と同じで眼を合わせるだけで良い。しかし、植え付けた“命令”を終えるまでは次の催眠をかける事は出来ない。


「だが……これは逆に考えれば究極なまでに察知されないモノだ」


 命令を植え付けても即座に発動する必要はない。一度催眠をかければ対象の中に“命令”は残り、条件を満たした時に行使される。

 つまり、催眠かける瞬間さえ悟られなければ――


「『収穫祭』……おあつらえ向きだ……」


 恐らく、マリシーユ・ヴァルターも外に出てくるハズ。普段はレヴナントが近くに居るために、近づく事さえも出来ないが収穫祭と言う祭りの中ならば接触できる可能性は高い。


「ヘクトル・ヴァルター……まずはお前からだ。自らの家族に殺されるが良い」


 レイスはマリーへ催眠をかける事で、ヘクトルと暗殺を目論んでいた。

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