第29話 彼の『相剋』

 館の前に停まった馬車にヘクトルは乗る。

 行き先は王都。王位に興味はないとは言え、今後の情勢を計るためにも召集議会には毎回顔を出していた。


 議会は明日の夜だが『アルビオン』からの情報を受け取る事も考えて早期に入都する事にしたのだ。

 運転手のレナードはヘクトルに続いてミレディも乗ったのを確認し、一礼しつつ扉を閉めた。


 見送りに屋敷のメイドと庭師、そして少し遅れてマリーが走ってくる。


「レナード君、出してくれ」


 マリーには特に気にかけず、ヘクトルは発進を促し、馬車は走り出した。






「ヘクトル様、今回の召集者はセトナック領のセグル様です」

「あの方か」


 ミレディは今回の王都召集の主催者の名を上げた。

 セトナック領の領主セグル・セトナックは、ヘクトルの親世代から領主を続けてい古株である。世継ぎも居るのだが、典型的な権力や利益を直接眼で見る事を性分としているヒトである故に今も現役で領主に就いていた。


「彼は議会の度に自身が王になった際の有益を説いていたね」

「はい。しかし、それは貴族に対する益でしかありませんでした」


 王が崩御したときからセグルは何かと王位に対して執着している。そして、一番の近道を他の貴族の懐柔であると考えた様だった。


「領地の形態は三角形だ。故に上を抑えれば下も従うと言った理念は正しい」


 各領主と貴族を取り込めれば、その下の民の票は全て自身に集まる。面倒な内政を行うよりも時間も手間も掛からないと踏んだのだろう。


「セトナック家は古来よりの豪商です。金銭に関しては糸目をつけないでしょう」

「フハハ! 彼は国を一つの商会とでも思っていそうだな!」


 王となればリンクスの率いる王都騎士と魔法学園と言う二つのカードが手に入るのだ。加えて処置の浮いている勇者領地の技術も全て手に入る。


「まぁ、彼の思想も悪くはない。別に血と暴力を持って他国へ攻め入る様な考えは無いからね」


 ヘクトルには他の領地に住む『アルビオン』から様々な情報が入ってくる。

 中でもセトナック領は他の領地全てと隣接している内陸部。通行料は取られるものの、金さえ払えばどの領地にも気軽に交通手形を発行してくれる事から、国内の物資の流れは自然と把握されているだろう。


「セグル様にとってヴァルター領は最も警戒されていると思われます」

「フハハ! 当然だな! 我々はセトナック領は殆んど使わんし、あきないのやり取りは基本的に『地下帝国』か隣国と言う事もある」


 国の内陸と外陸に領地がある事にはメリットとデメリットは多々ある。

 ヴァルター領は外陸部にあるが、隣国とは上手く折り合いをつけ、『地下帝国』にも気軽にアクセス出来る場所も近い。

 その関係から国外からの来客も多い関係上、多くの技術や人材がどの領地よりも先に流れてくる。


 それをヘクトルの指示で取りまとめて編成。領地の質は知らず内に国を弾く程までに成長していた。

 同時に他国からの間者を多く招き入れており、隣国と戦争になった際には真っ先に攻撃されるリスクがある。

 しかし、そこはヘクトルの手腕が光っていると言えるだろう。


「セグル殿はローリスクハイリターンを常に考える。我々に手を出す事がいかにハイリスクか理解しているハズだ」


 セグルは多少、自分よがりな所がある。自分の琴線にふれれば有益な取引でも一方的に打ち切る事も多々あった。

 セトナック領は国内の交通領地。利用しなければ余計な手間や危険が増える事から、他の領主はセグルの若干のワガママには目を瞑る形を取っている。


 しかし、彼が王となればセトナック領は自然と息子が引き継ぐ事になり領の管理から遠ざける事ができるだろう。

 それらの観点からも彼を王へ推す動きは多いと予想できる。


「まぁ、次の王は彼で決まりだろう」


 ヘクトルとしては誰が王になろうとも今とは大差ない。


「今回の召集はソレの再確認と他の貴族へ自身の考えを知らしめるモノだと思います」

「選挙などあってないようなモノだな」


 『サトリの眼』を警戒し王都に潜伏していたナルコ様ではそこまで読み取れなかったか。

 ヘクトルは彼女にも見通せない事があると、少しだけ親近感が湧いた。


「では次の報告です。『地下帝国』より、新たな商会がヴァルター領に参入したいと――」






「……」

「どうした? ジン」

「いえ……やっぱり、いつ見てもカムイさんの魔道具は凄いと思いまして」


 ジンは店に戻り、地下室の作業場にて魔道具整備の続きを行っていた。

 そして、魔道具に存在する魔石の中に紫の雷が明滅している様はいつ見ても感動を覚えたのだ。


「確か、長年同じ魔道具を使い続けると、装備者の魔力が魔石に宿るんですよね?」

「ああ。カムイは他の隊員に比べて物持ちが良いからな。中でもソレはワシが初めて彼女と会った時から持っていた物だ」


 カムイは元は王都の伝令兵だった。

 その特質した体質から嵐の日でも飛ぶことが可能であり、伝令のみならず敵を即日殲滅なども行う程の活躍を見せていたと言う。

 彼女を隊長とした部隊も創られた程である。


「『紫電』のカムイと言えば他国でも警戒される存在だ。特に彼女の居る戦場では嵐の日が最も危険な時であり、耐雷装備は欠かせないとまで言われていた」


 カムイの実力は当時に頭角を表し始めた現総司令のリンクスと遜色はなかったとまで言われている。

 ジンは改めてカムイの魔道具を見る。

 装飾は使い込まれているが、核となる魔石は丁寧に磨き上げられていた。


「……その人の人生を見ている様です」


 ジンは細工師となってから腕前が上がって行くにつれて、魔道具から当人がどの様に歩んでいるのかを読み取れる様になって行った。


「魔道具には装備者の性格も出るからな。それに戦いに身を置く者なら戦闘で壊れる事も多い」


 フォルドの元に来る整備の依頼は大半が戦闘用魔道具の修繕である。

 “刻針”を使い、魔法陣を刻み直したり、時には使える様に別の魔法陣を繋ぎ直したりと様々だ。中には一から作り直す事もある。


「特にヴォルフの奴は本気になると“喰う”からな」

「……噂通りの御仁と言う事ですか」


 『黒狼遊撃隊』隊長のヴォルフ。国境の防衛戦においても凄まじい遊撃戦果を出したと広場の看板には記載されていた。


「まぁ、カムイも女だ。大切にしたい光り物はの一つや二つはあるのだろう」


 今、手元にあるカムイの魔道具は、戦術的な要素は殆んど無い。せいぜい、信号の為に光らせる程度の代物だが、とても大切な物だとは理解できる。


「責任重大ですね」

「あまり気を背負うな。その僅かな乱れが針先を狂わせる」

「はい」


 すると、地下室の壁にかけられた呼び鈴が鳴る。上での接客の最中にジンかフォルドが必要になった時にレンが魔力を使って鳴らすモノだった。






「おっと」


 地下室から上がるとお茶を持ったレンと鉢合わせて、ぶつかりそうになったジンは動きを止める。


「偉い客か?」


 呼び鈴とお茶。丁寧な対応が必要な客が来たのか? とレンに問う。


「そんなとこかな」

「それなら師匠に対応してもらうか」

「いや、兄さんで大丈夫だよ」


 そう言うレンの後にジンは続く。


「お待たせしましたー」

「レン、別に飲み物は必要ないんだがな」


 店内に居たのはカムイだった。

 隊服ではなく、ラフな服装でカウンターに寄りかかって魔道具のカタログを捲っている。

 彼女は『鳥翼族』であるが普段は翼を隠しているので、知らない人が見れば『人族』と見間違うだろう。


「いえいえ。特製ブレンドのレモン水ですよー。カムイさんは酸っぱいの好きでしょ?」

「誰から聞いたんだ?」

「バルドさん」

「まったく……」


 そう言いつつもカムイは目の前に置かれたレモン水をチラチラ見る。解りやすい興味だった。


「飲んでどうぞー」

「……お前の作る物は正直言って避けたい」

「お気に召しません?」


 気落ちするレンにカムイは慌てて訂正する。


「いや、そうじゃない。質が高過ぎてな。他ので物足りなくなる」

「あらあら。まぁ! 上手!」


 ふふふーん。と次には嬉しそうに口元に手を当てるレン。


「じゃあ、名残惜しいですけど、これは兄さんに」

「オレが飲んで良いのか?」


 その場にいたジンの目の前に、バーの店員がカクテルを横に滑らせるが如く、ゴー、とレモン水が流れてくる。


「レンちゃん印ドリンクの第一号です! 上手く行ったら近くの集会場に置いて貰う予定!」

「お前……影でそんな事やってるのか……」

「第一歩なのだよ、兄さん。店が潰れてもこのレンちゃんが何とかしてあげるからね!」

「縁起でも無いことを……」


 店番しながら、自分の腕前を売り出す妹に、何かと行動を起こす父の血には抗えないみたいだな……とジンは好きにさせる事にした。


「でも、残念だなぁ。冷水と蜂蜜とレモン。この絶妙ブレンドは研究に研究を重ねて開発し、実験でこそっと領兵の人にも飲ませて微調整を繰り返して完成したのになぁ」

「……」

「オレはあんまり疲れて無いけどな。それに蜂蜜入ってるんだろ?」

「甘いのも苦手な兄さんもレモンの酸味でそこまで嫌悪感は無いハズ! 特に抜けない疲労感を持つ人には効果絶大! 染み渡るよ~」

「……」

「じゃあ折角だから――」

「ま……」


 ジンが飲もうとした所、反射的に反応したカムイにレンの視線が行く。

 カムイはしまった! と目を反らす。


「素直が一番ですよ~。ね? 兄さん」

「カムイさん」


 流石に気の毒なのでジンはレンの頭を押さえ込みつつ、カムイへ告げる。


「やっぱり、オレは甘いの苦手なのでカムイさんが飲んでくれませんか?」

「ホント――あ、いや……うーん……しかし、一度断った手前なぁ……」


 一度口から放った言葉に責任を持つカムイの美徳がジンの提案を邪魔している様だ。


「オレはいつでもレンが作ってくれますし、折角なので」

「そ、そうか……そこまで言うなら。貰おう」


 カムイはコップを取ると少し口をつける。次には一気に飲み干し、コト……と空になったコップをカウンターに置く。


「……はぁ」

「おっと。その、はぁ、は?」


 ジンに押し込まれたレンはカウンターから顔半分を浮かび上がらせてカムイに問う。


「やっぱり、飲むべきじゃなかった……」

「と言うと?」

「もう一杯くれ!」


 好奇心に敗けてしまった自分に恥じつつ、カムイはそう叫んだ。

 商品化決定。レンは集会場に提案する飲み物の一つとしてレシピをまとめる事にした。






「進捗はこんな感じです」


 カムイは預けていた魔道具の様子を見に細工店を訪れたのだった。

 予定よりもだいぶ早い来訪だったが、魔道具の整備は殆んど済んでいる。


「後は磨いて光沢を持たせれば――」

「いや、これでいい」


 と、カムイは目の前の魔道具を大切そうに手に取る。


「これは価値のあるように見せる物じゃない。職業柄、光り物はあまり良くないものでな」

「……やっぱり難しいですね」


 そんなカムイの様子にジンはまだまだ修行が足りないと嘆息を吐く。


「悩みか?」

「魔道具は整備すれば良いだけだと思っていましたが、装備者の事を考えれば常に最良がベストでは無いと……カムイさんのお陰で痛感しました」


 ジンの言葉にカムイは驚いた様子だった。そして、フッ、と微笑する。


「ジン、君は少し考え過ぎだ。まだ老獪な年齢でも無いだろう?」

「最近、少しずつ解るようになったんです。魔道具を整備する度に、それらがここまで来る生い立ちと言うものを」


 時折見える“記録”……いや魔道具の“記憶”の様なモノなのかもしれない。これは経験や才能によるモノなのか……それとも自分の『相剋』が関係しているのだろうか。


「……ジン。お前のその感覚は魔術師に見られるモノだ」


 カムイはジンに特殊な才能が眠っていると直感した。


「そうですかね……自覚は無いんですが……」

「それなら尚更だ。一度、専門の人間に診てもらうと良い。知らず内に力が膨れ上がり、暴走するなんて事もある」

「友達が王都の学園に通っているので相談に乗ってもらいます」

「もし、酷くなるようなら連絡をしてくれ。バルドを寄越そう」

「ありがとうございます」


 そう言うとカムイは立ち上がる。


「カムイさん。代金は少し返しますよ」

「いや、予定よりも早く仕上げてくれたから、そのまま受け取ってくれて構わない。次も君に頼みたい」

「ありがとうございます」

「あ、カムイさん。もう行っちゃうんですか?」


 と、二杯目のレモン水を持ってレンが奥から現れる。


「これから仕事でな」

「隊服じゃないのに?」

「収穫祭の警護の下見だ。他の領地や隣国からも多くのヒトが来るからな」


 領兵も警護には着くが、四年に一度のお祭りだ。誰もがいつも着ている鎧を脱ぎたい3日間である。

 同時に人の出入りも普段の3倍近くになる。外壁の周りにまで出店が作られる程で、当然トラブルも増える。


「私服の方が祭りの雰囲気を壊さないし、変に他を萎縮させる事もない」

「でも、カムイさん達は楽しめないじゃないですかー」

「酒を飲む以外なら取りあえずは自由行動としている。まぁ、事前準備は私の癖みたいな者だ。隊にズボラな者が多いからな」

「ミレーヌさんとか?」


 ミレーヌの名前を出されてジンは身震いする。


「心配するなジン。アイツは来ないよ」

「……そうですか」


“へー、ジン君って言うんだー。君さ、将来かっこよくなるよねー。お姉さん、君みたいな小さい子も沢山世話したことあるからさぁ、よく解るの”


 初対面でミレーヌを顔を合わせた時、向けられた眼に狙われていると感じたジン。

 明らかに獲物を見る眼に本能的に苦手意識が生まれていた。後にフォルドは、ミレーヌを店に寄越すな、とヴォルフに直談判していた。


「私たちが陰から見ているから、お前達も収穫祭を楽しむと良い。朝からヒトが凄いぞ」


 そう言ってカムイはレモン水を飲み干すと、レンにコップを返す。


「カムイさん。これを」


 レンはレモン水の調合レシピをカムイに渡す。


「良いのか?」

「店で出ても気軽に飲める仕事じゃないって解ってますから。隊の皆さんにも飲ませてあげてください」

「レン……」


 カムイは、ぎゅっ、とレンを抱きしめると、頭を撫でる。


「何かあったら私に相談するんだぞ? いつでも駆けつけるからな」

「はーい」

「ジンも」

「ありがとうございます」


 そう言ってカムイはレンから離れると店を出て行った。


「ヤッタネ、兄さん。凄いヒトのカードを手に入れちゃった!」

「……お前ってヤツは……本当に逞しいな」


 自分にはない妹の社交性にジンは嬉しさ半分、呆れ半分だった。






 勇者領地。

 調査兵団キャンプの会議用の大幕の中は詰まる様な威圧が詰め込まれていた。


「また王都で議会か。何度も何度も何を話す必要があるのか、俺には理解できねぇよ」


 席の一つに着くのは『黒狼遊撃隊』隊長――『獣族』『狼』のヴォルフだった。

 生まれつき、“深度”が深かった彼の外見は『狼』そのもの。その実力は知る人ぞ知る、最高峰のモノを所持している。


「国の行く末を決める重要な話し合いだ。私としてはまだまだ足りないくらいだな」


 その正面に座る王都騎士団総司令のリンクスは、実力も含めてヴォルフと正面から向き合える数少ない人物である。


「今回は何の用だ? 急にランロットを寄越しやがって。不干渉が互いにとって有益だろう?」

「お前の部下が暴れてる件だ」

「あ? 言いがかりはよせ」


 勇者領地の技術調査の為に、バルド、カーライル、ミレーヌ、サハリを連れたヴォルフは、調査の途中で騎士側に呼び出されたのだ。


「言いがかりではない。『淫魔』の女の件だ」

「ミレーヌか? アイツは常に部隊に居るが何かやらかしたか?」

「夜な夜な部下が喰われている。前に『淫魔』女が資料テントに入っているのも見た」


 ヴォルフは誤魔化す様に腕を組んだまま、天井を仰ぐ。


「あー、そりゃ悪かったな」

「別に情報を隠すつもりはないが……些か、こちらの規律に乱れが生じている。前に私の夢にも出てきた」

「マジか……」

「即時、首を跳ねたがな」


 『淫魔』が侵入した夢の支配権は『淫魔』にあるのだが、ソレを跳ね退けるリンクスも並みの精神力ではない。

 そうか……もうすぐ新月か。ミレーヌのヤツ、隠してやがったな。


「『淫魔』は月が丸くなればなるほど力を増すんだ。それに比例して“欲”も大きくなる」


 ミレーヌは過去に隊を救うために“月と接続”し、膨大な魔力を中継した。その後遺症として、月の満ち欠けに比例して“欲”も増す様になってしまったのである。


「『睡欲』か『食欲』か『性欲』のどれかなんだが……今回は“性欲”か」

「そちらで何とかならないのか?」

「抑える魔道具は着けてるが……封印式の更新が必要みたいだな」


 仕方ない。


「『黒狼遊撃隊』は任務を切り上げて退却する。それで良いか?」

「その必要はないぞ」


 するとそんな言葉と共に、バサッ、と天幕の入り口が開いて一人の『狐』が入ってきた。


「来たか」

「げっ」


 魔法学園の校長――鳴狐真なるこしんの登場にリンクスは当然と言った形で彼女を見るが、ヴォルフは息が詰まった様な声を上げる。


「おやおや。珍しい顔が居る」


 ナルコは持ってきた扇子を取り出すと、バッと広げてヴォルフへ視線を向けた。


「じゃ、じゃあな、リンクス。言った通りだ。俺の部隊は退却する」

「まぁ、待て。わっぱ


 そそくさと立ち去ろうとしたヴォルフに対してナルコは尻尾を掴んで制した。

 ヴォルフの尻尾を触る。ソレは彼の逆鱗に触れる行為の一つでありその場で引き裂かれても文句は言えない。

 リンクスもナルコの行動にヒヤッとしたが、ヴォルフは逆に焦っているようだった。


「何かとすれ違っておったが、意図的じゃろう? のう? わっぱ

「……逃げないから、尻尾を離してくれ」

「ほっほっほ。ようやく観念したか」


 ナルコが尻尾を離すとヴォルフは向き直り唾悪そうに椅子に戻った。


「……すまん、二人の関係を聞いても良いか?」


 戦場では類比なき戦闘力を誇るヴォルフが、萎縮する様は明らかな上下関係が出来ていると察せる。


「こやつは昔、妾を襲った事があってのう。ボコボコにしてやったのじゃ」

「あれは悪夢だった……」


 当時を思い出し、扇子で口元を隠して楽しそうに笑うナルコ。対してヴォルフは人生で最大の汚点と言わんばかりに顔を覆う。


“金目の物置いていけや!”

“ほっほっほ”

“なに笑ってやがる!”

“嬉しくならんか?”

“何がだ!”

“自分が強いと思っているチンピラに喧嘩を売られるとのう♪”

“ふざけやがっ――”


 彼は山賊時代の頃に貴族だと思った旅帰りのナルコの旅団を襲い、返り討ちにあった事があったのである。


「いつの間にかヘクトルの配下になりおって。首輪は嫌いでは無かったのか?」

「こっちにも色々と事情があるんだよ。それよりもバァさんは一体なんの用だ?」

「元は勇領地の技術の選定に来たのじゃ。リンクスからの依頼でのぅ」

「ここの技術を放置しておくわけにはいかん」


 勇者領地の技術は未知数であると同時に常識を越えたモノも多い。

 王都騎士が代わり代わりに哨戒しているものの、処遇を決める為にリンクスは動き出したのである。


「他国の間者に持ち出されると面倒だからな。それに次の王が決まる前には全てを処理しておきたい」

「『勇者』は厄介なモノを残して消えたのぅ」

「全くだ」

「バァさんの居る事情はわかった。俺の部隊は退却するから勝手にやってくれ」

「まぁ、座れ」


 と、立ち上がろうとしたヴォルフは脚に力が入らなかった。まるで魂を抜かれた様に動かない。


「……何をした?」

「ほっほっほ。人の話を聞かんからじゃ。さっきも言ったじゃろう? お主の部下を助けてやろうと思ってな」


 今度は妖艶に笑うナルコ。すると、ヴォルフは脚に力が戻り、改めてナルコは敵に回すべきではないと悟る。


「……アイツは“月の民”の血を引いてるらしい。聞いたことあるか?」

「うむ。かつて“師”と共に『陵墓』へ赴いた時に見たことのある言葉じゃ」


 世界のあらゆる賢人にその話題を出しても誰も答えられなかったが、ナルコは事情を知っているようだった。


「事は単純じゃ。抑えきれぬ“欲”を晴らしてやれば良い」

「性欲の方だぞ?」

「問題はない」


 ヴォルフとしてはナルコに借りは作りたく無いが、このまま退却した所でミレーヌの事情は先延ばしにしかならない。


「わかったよ……よろしく頼むわ」

「ほっほっほ。素直が一番じゃ。リンクス、一つテントを貸してくれぬか?」

「ああ。構わん」

「ヴォルフよ、音を遮断する魔法をテントの回りに頼む」

「死ぬなよ、バァさん。前にミレーヌの“性欲”が炸裂したときは国境の緊張状態だったんだが、ミレーヌ一人で隣国の関所を陥落した」


 その時は関所に待機していた一個中隊が一夜にして機能を失い、次の日の朝には誰も足腰立たなかったらしい。(尚、ミレーヌはツヤツヤして元の寝床で寝ていた)


「ほほう。それはそれは楽しみじゃのう」


 余裕の表情で笑うナルコにヴォルフは、山賊時代の俺は命知らずだったなぁ、と井の中の蛙だったと反省する。






「ジン。少し良いかしら?」


 大樹の下で五人で生活していた頃、ジンが“刻針”の練習をしていた所にナタリアが話しかけてくる。

 先生モードではないので丁寧な口調ではない。


「どうしたんだ?」

「ジンの『相剋』について少し話を聞いておきたいの」

「オレにも……よくわかんないんだ」


 ジンは作業の手を止めて隣に座るナタリアに言う。


「世界から色が消えて白黒になった」

「他には?」

「うーん……なんか、よくわかんない白い光みたいなモノが色んな物に見えた。宿ってる感じだった」

「そうですか……ふむ」


 ナタリアは少し考える様に腕を組む。彼女を悩ませる程の『相剋』。ジンはどの様な答えを出してくれるのか興味が出た。


「ジン、貴方の『相剋』は『霊界権能』ですね」

「『霊界権能』?」


 ナタリアは二枚の葉を近くから拾う。


「この世界は大まかにこの二枚によって構築されているの」


 ナタリアは二枚の葉を重ねる。

 本来なら人が干渉する事が出来るのは一枚のみで、もう一つには干渉どころか視認さえも出来ないと言う。


「一つは私たちの生きる世界。もう一つは死んだ後の世界。この二つは限りなく近く……触れようとすれば、とてつもなく遠い」

「矛盾?」

「ふふ。そうね。けど、希にソレに触れる者が現れるの。いや……触れてしまう、と言った方が正しいかしら」


 意識を保ったまま二つの世界に存在を定着させる事は不可能だった。


「私たちがこうして話している世界が“現世うつしよ”。そして、ヒトが死に至り、通る世界が“霊界れいかい”」

「その霊界にオレの『相剋』が干渉出来るのか?」

「ええ。きっと、発現の瞬間にジンは相手の消失を強く望んだのね。だから、相手の魂を現世から切り離してしまった」

「…………」


 ジンは、それが取り返しのつかない事だと理解している。そして、二度と使うまいと心に決めていた。


「もう、絶対に使わない」

「ええ。そう言ってくれるなら私も安心」


 優しく撫でるナタリアにジンは恥ずかしそうに目を伏せた。


「……そうだ。ナタリア。オレの『相剋』で死んだヒトと話が出来るかな?」


 ジンは己の『相剋』はヒトの魂に干渉するモノだとすぐに理解した。

 これを使えば父と母に自分達は無事だと伝えられるかもしれない。


「……ジン。それは決して叶わない事です」

「なんで?」

「ヒトは死したその瞬間に膨大な記録の海に呑み込まれてしまうから」


 肉体と言う枠から飛び出た魂は、現世に留まる事は出来ずに、記録へと還る。


「記録の海?」

「それは、過去、未来、輪廻、運命を全て観測できる世界の記憶。私は『アカシックレコード』と呼んでいます」

「『アカシックレコード』……」

「ヒトが亡くなったら、魂はそこへ還るの」


 ナタリアは少しだけ真剣にその危険性を問う。


「『アカシックレコード』は決して触れるべきではありません。決められた輪廻を外から触って乱してしまえば、予想できない崩壊を招くのです」


 その予兆は既に起こっている。


「強烈な特異点……他の世界からの割り込みや、本来は居るべきでない者が起こす事変。世界にとっては本当に小さな歪みですが……その積み重ねが、歪みを大きくし、世界が修正する前に崩壊させてしまう」


 ジンはまるで見てきた様なナタリアの雰囲気に軽率な発言だったと反省する。


「貴方を咎めているのではないの。でもね、ジン。己の存在を現世に置きつつ『霊界』へ接続出来る貴方の『相剋』はとても危険なモノ。それを理解し、抑止する事は何よりも大事なの」

「なんだか怖いなぁ……」


 そんなモノが自分に宿っていると思うとジンは怖くなった。


「でも大丈夫。前にも言ったでしょう?」


 するとレンが、ご飯ですよー! と食器を鳴らして皆を呼ぶ。


 ナタリアは立ち上がると服を軽く払った。


「貴方は一人じゃないわ。レンもジェシカもロイも居る」

「ナタリアも?」

「――ええ。私も」


 そう言いながら、ナタリアは手を差し伸べる。その手はとても暖かくて、ジンにとっては世界で一番安心できるモノだった。


「……きっと」


 もう誰も失わない。いや……失わせはしない――

 もしも、この中で誰が死ぬ必要があるなら……それは……オレでいい。


 それは、ナタリアにも話すことをしなかった。ジンの確固たる決意だった。

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