第28話 王の居ない国

 【魔王】による『王都』襲撃より、空位となった王座の情報は周辺諸国の侵攻の決起となるには十分だった。


 彼らの狙いは【勇者】の遺した技術。特に“転移陣”や“覚醒者を生み出す方法”は喉から手が出るほどに欲しがっていた。


 しかし王都騎士総司令リンクス・ベイルによる指揮と、『黒狼遊撃隊』による奇襲によって他国の侵攻軍は大打撃を受け、一兵たりとも国境を越える事は出来なかった。


 そして、鳴狐真による謀略(アルビオン)により、周辺諸国は互いに疑心暗鬼となり、侵攻の手を止める事となる。


「なに。少しばかり、あやつらの状態を教えてやっただけじゃ。まだこちらは覚醒者を出しておらんし、削られた戦力を他国に把握されると妾達よりも先に滅ぶとな♪」


 実際に防衛戦においては、自国の被害はほぼゼロに等しく、侵攻軍は多大な被害を受けていた。


「いくらでも来い! 我らが……滅ぶだけだと思っているのならお門違いだ! 国力全てをぶつけなければ一兵たりとも討つ事は出来んぞ!」


 リンクスの気迫と越えられぬ国境。加えて――


「あんまり敵兵は殺すな! 狙いは兵糧と敵兵の無力だ! 拓けた場所の戦闘は王都騎士がやる!」

「カムイ。奪うのが面倒なら火をつけろ。後、『砲撃』に巻き込むから俺の射線と被るなってサハリにも伝えとけ」

「ハッ!」


 『黒狼遊撃隊』隊長ヴォルフは敵の拠点となるベースキャンプを幾度と奇襲。その際に死者は殆んど作らずに負傷者を増やす形に止める。

 昔から得意とする、敵に消耗を強いる戦い。動けずとも生きている負傷者を軍は無視する事は出来ず、多くの事をそちらに割かなければならない。


 リンクス・ベイルの指揮。

 まだ控えているであろう覚醒者達(ナルコが流した嘘)。

 そして、『黒狼遊撃隊』の存在は、あのヘクトル・ヴァルターも動いてると認識した周辺諸国は彼と親しいと噂にある隣国が援軍に来るのでは? と推測する。


 それらの要素から侵攻軍は退却を開始。しかし、リンクスはソレを追撃し、更に被害を与えて徹底的に痛め付けた。

 その猛威から、リンクスの国を護る意思は全く衰えていないと認識し、諸国は剣を納める事となる。


 これは後に『王の居ない国境戦線』と呼ばれる戦いとして記録される事となった。






 外からの事案が落ち着き、その後は少しずつ国の土台の建て直しが行われていく。

 敵国の侵攻を見事に抑え込んだリンクス率いる王都騎士団は国に希望をもたらし、王都の民に安心感と笑顔が戻り始める。

 同時期に鳴狐真より、周辺領地へ王都招集の通達が届く。


 内容は次期王を決める為に話し合おうと言うモノで、各領主は指定された日時に全員が王都へ駆けつけた。

 その時、初めて彼らは自分以外も呼ばれた事を知り、鳴狐真へと説明を求める。彼女はどこから眼鏡を出し、教員棒を持って告げた。


「通達から察しておると思うが、次期王をこの中から決める。じゃがそれは……国内の多くの民の支持を集めた者じゃ」


 貴族間の話し合いでは時間がかかり過ぎると言う建前、国全体を上げての選挙と言う形で新たに王を選出する。

 鳴狐真によって“選挙”なる選定方法の詳しい説明を行われるものの中には抗議する領主も現れた。


「民が決めたのであれば、忠義を尽くすに値する王である! 我々の剣はその者以外に捧げる事はない!」


 その場に同席していたリンクスは剣を地面に突き立て場を制する。

 その後は、半日程の話し合いの末、全ての領主はこれに承諾。

 全員が誓約書を交わし、王都や領地の内政に取り組み始め、物資の行き交いも王都や各領地では頻繁に行われる事となった。


 そんな中、ヘクトルは真っ先に王都への支援を打ち切る事を面々に告げる。理由は、


「我が領地はひとまず失礼する! 防衛戦での支援物資は中々に堪えたのでな! 空いた枠は貴殿らで決められよ!」


 と、支持を集める上で一歩リードしていたヘクトルは王位には全く興味のない発言と傍観を決め込む様子にナルコも、やれやれ、と特に言うことはなかった。


「我が領地の票は我が領民に決めさせる。演説をする際には特別な交通手形を配るので、勝手に来て迷惑な事はしないように!」


 その様な手紙と通達を各領地へと出し、自領地での迷惑行為は公平に裁くと公言した。

 全く読めないヘクトルの様子に各領主は、触らなければ害はない、と判断し民の支持を集める内政に注視する。


 そして、アルバルス歴696年、秋。

 【魔王】による王都崩壊より約1年後。

 何度目かになる、全領主招集が再び王都で行われる事となった。






「んん~今日も気分の良い朝だー」


 早朝のヴァルター領。交易街クロスにてレン・マグナスは、住み込みで働いている細工店の外に出ると大きく伸びをした。

 彼女が朝やる事は店の前の掃除と朝食の準備。そして、


「おはよう、レンちゃん」

「おはようございます。クーガーさん」


『鳥翼族』『鷲』のクーガーが運ぶ、手紙を受け取る為でもあった。

 軽く体操をしていたレンは、羽ばたく音にその手を止めて、着地するクーガーに向き直る。


「相変わらず元気だね」

「普通ですよー? 私もクーガーさんみたいに翼があればなぁ」

「ハハ。君が思ってる以上に翼の維持は大変だよ? そう言えば携帯食料の件、君も参加してたんだって?」

「はい」

伝達組織こっちにも支給されてね。一番よかった君のに一票入れておいた」

「わぁ、ありがとうございまーす」


 これ、手紙ね。と話ながらもクーガーはまとめた包みをレンへ手渡す。


「明日から収穫祭ですから……へっへっへ。食べ放題手形ゲットする為に本気を出しました。でも……通知が来ないみたいですし、負けたかなぁ」

「はい」


 と、クーガーは一通の手紙をレンへ渡す。


「兄さん宛ですか?」

「いや、君宛。領主印入ってるだろう?」

「ま、まま、まさか!」

「そのまさか、さ。戦後処理で遅れた様だけど携帯食料コンテストは君が一番みたいだね」






「ほらほら。二人とも見てよこれ~」


 朝食を終えて、食器を片付けたレンは食後の珈琲を兄のジンとフォルドに淹れると、二人に見える位置に一枚の板を置く。

 板に鉄の装飾が施され、そこには“レン・マグナス”と言う名前が刻まれている。


「なんだこれ?」

「ほう」


 ジンは妹が変な板を出した事に怪訝な顔をし、フォルドは珍しい物を見た眼を板に向ける。


「ふっ。価値の解らない兄さんに、このレンちゃんが特別に教えてあげましょう! これは食べ放題手形! 明日から始まる収穫祭を無料で食べ回れる権利を得たのだよ! 私は!」


 いいでしょー? と自慢げに告げるレンにジンは、ふーん、と言うリアクションで珈琲を啜る。


「前の携帯食料コンテストのか?」

「そーです、フォルドさん」

「大したものだ」


 誉められて素直に嬉しがるレン。

 1ヶ月ほど前に領主より、遠征する際に持っていく携帯食料に関してのコンテストが行われていた。

 持ち運び安く、作りやすく、味も良く、何より長持ちする。

 この4点を基準に審査が行われ、最優秀者には今年の収穫祭だけで使える食べ放題手形が授与されるのだった。


「参加者は結構いたらしいけどね。その全ての頂点に立ったのが私なのだよ。これは永久保存だー!」


 自分の料理が世間的にも認められた事が何もよりも嬉しいレンにとって、その手形は何よりも価値のある物だろう。


「それよりもフォルドさん。カムイさんの魔道具で見て欲しい箇所があるんですが」

「構わんよ」

「うぉい! そこの兄者! 反応薄いなぁ!」


 捲し立てるレンの視線にフォルドもジンを見る。


「別にオレはお前が勝つと思ったし、この結果は特別な事じゃない」

「むー。何か釈然としなーい。もっと何か私が嬉しくなる言葉ちょーだい!」


 テーブルに伏せる様に不貞腐れるレンはそう言いつつも、兄なら仕方ないか、と珈琲を飲み終わって立ち上がるジンに内心諦めてもいた。

 すると、横を抜ける際に頭に手が置かれる感触。


「オレには出来すぎな妹だよ。お前は」


 思わず起き上がり、兄の背を見ると地下の工房へと歩いて行った。

 レンは兄に乗せられた頭に手を置く。


「ジンはお前よりも喜んでいるぞ」

「……ホントに正反対の事しか言わないんだからさ~」


 兄に誉められる事がレンにとっては何よりも嬉しかった。


「あ、兄さん。収穫祭、ロイとジェシカさんも来るって」

「そうか。アイツらも暇だな」






 ヘクトル・ヴァルターの住む館は豪華絢爛な建物――と言う訳ではなく、旅館でもやっていそうな外見の古い館であった。

 資産の規模を誇示する為に、貴族は煌びやか装いをし、住まいや生活もそれに準じた光を鈍く放つ。


 しかし、ヘクトルは少しだけ違っていた。


 国での地位に興味は無く、常に領地の安定と質の向上を図っている。

 その為に不必要とされる物は自分の身辺でも可能な限り削り、貴族らしからぬ慎ましい様が垣間見える。

 貧相と言う訳ではない。ただ、誇示する事に意味を見出だせないと言う考えからだった。


「己の光とは自身で磨く程、嘘光となり得る。真の輝きとは他から見た時の光だ」


 街中を変装して歩くヘクトルとジンも度々遭遇した。当人は完璧に変装しているつもりだが、回りから見ればそのオーラで何となく察されてしまう。

 ジンも最初は馬車業者の馬にブラッシングをかけているヘクトルの姿を見て、なにやってんだろ? と首を傾げた。


 そんなヘクトルだからこそ、領民の誰もが今は笑って過ごしている。






 フォルドとジンは領主の館に呼ばれて、昼は食べてくるとの事なので、レンはスラムの配給に顔を出していた。


「レンちゃん」

「何です?」


 場の管理を一身に引き受けている、『角有族』のマリシーユはスープの味を確認するレンに話しかけた。

 今日はレンが来た様子を見て、誰しもが我先にと彼女が手を加えた料理を貰いに並んでいた。

 しかも、収穫祭の前日と言う事もあり、普段よりも材料が多く確保できている。


「ほら、そこ! 割り込むな! アンダーヘルに行きたいのか!? レヴが送ってやるぞ!」


 空腹を預けられたスラム民は暴動が起きそうな様であるが、バトルメイドのレヴナントが眼を光らせているため、大人しく並んでいる。


「ジン君は……収穫祭は行くのかしら?」

「兄さんは興味ないと思いますよ。だから私が料理を持っていってやろうかと」


 細工師になってから兄はその世界にドはまりしていた。最近では、あの『黒狼遊撃隊』の隊員の魔道具も一部の整備を任される程になっている。


「最近、こくろーゆーげきたい? って部隊の人の魔道具にも触れてるみたいで」

「そうなの? 凄いわ」

「そうなんですか?」

「ええ。『黒狼遊撃隊』は領兵の中でもかなり特殊な部隊で父の直属よ。魔道具の整備は特に信頼を置ける人に任せてるの」

「へー」

「腕が立ち、彼らの信頼を得ているのはフォルドさんくらいだったわ」


 マリシーユは『黒狼遊撃隊』の面子とは家族のように過ごした事もあり、内情は事細かに知ってる。


「全然凄さが解らない」

「ふふ。それじゃ、ジン君は収穫祭には来ないのね」

「うーん。多分興味は無いと思われますなぁ。細工作業が楽しくてしょうがない様子だし」


 収穫祭は4年に1度しかないお祭りだ。そこで並ぶ料理は全てが普段の半額以下で提供される事もあって、領地中から人が来るらしい。


「そう……仕方ないか」

「……いや、兄さんは来ると思います」

「え?」


 レンは残念そうにするマリーへ力強く告げる。


「だって4年に1度ですよ! こんな時にまで針で石削ってる場合じゃないですって!」


 今の兄に必要なのは外の空気! 仕事以外に外を歩いてる兄は見たことがない。その内頭に苔でも生えるのでは無いかと思う程だ。


「マリーさんが誘ったって言って良いですか? 多分私じゃあのむっつりの尻は持ち上がらないので!」

「え、ええ。お願いしていい?」

「おーまかせ!」






「選挙の筆を作れと?」


 フォルドはヘクトルの館にてミレディから持ち寄られた王都からの依頼内容を聞いていた。


「はい。条件は三つ。一つ、書いた文字は決して消えない事。二つ、一度手を離せばその者は二度と書く事は出来ない事。三つ、書いた者が誰だか判る様にする事」

「相当な無茶であると、お前さんは理解しての提示であろうな?」

「私も条件を聞いた時は不可能と返しました。しかし、鳴狐真様はこう仰られてます」


“『神針』と呼ばれるフォルドの小僧であれば可能じゃ。あやつは条件が難しい程に燃える性分。報酬は言い値で構わん。経費で落とす”


「まったく……あの方は」


 彼女に関わるといつも手の平の上に乗せられている感覚を覚える。しかも、いつも無理難題。最後の依頼は『戦闘武者』を仕上げる為に呼ばれたきりだ。

 だが……想像だにしない事を要求してくる分、インスピレーションが増えるのも事実だった。


「可能ですか?」

「やってみよう。期限は?」

「なるべく早く、だそうです」

「やれやれ……それも相変わらずか」


 フォルドは貴族間の選挙に関してはヘクトルより聞いている。いつ始めるかは未だに貴族間で話し合われている最中だが。


「まったく……一番心の読めないヒトだ」

「同意見です」


 最近の彼女は良く姿を見せるようになったと聞く。その分だけ振り回される事も増えると思いつつもフォルドは困った様に笑った。






 ジンは最近調子が悪いと言われる設営型の魔道具の整備にフォルドと館を訪れ、その修繕にあたっていた。

 傷のある色の違う片眼と言う特徴からもジンは顔を覚えて貰いやすく、既に街では顔見知りも多い。


「お湯が出てるなら問題ありませんね」

「ありがとうね。ジン君」


 浴室の給水口から流れる湯を確認したジンはメイド長である中年の女性にお礼を言われた。


「次は……厨房の魔法陣か」


 最近、レンが使っている火力調整の魔法陣が館の厨房でも一部使われるようになった。

 しかし不具合も多く、度々その調整に呼ばれている。やはり、環境や使うヒトが変わればその分噛み合わない事があるか。


 不具合を想定しつつショートカットに中庭を横切る。庭師の男に挨拶をしながら通っていると外廊下に佇む一人の男がいた。

 彼は壁に飾られた一つの“花の絵”を見ていた。


「ん? やぁジン君! 今日も仕事かね!」

「いつもお世話になっています」


 ジンはその場に止まり、ペコリと頭を下げる。

 大柄な身体に頭に生える二本の角。蓄える顎髭に強い意思を感じさせる鋭い瞳は不思議と威圧を感じない。

 ヴァルター領、領主。ヘクトル・ヴァルターは、剛健切実な風格を宿す『角有族』でありこの国の貴族だった。


「フハハ! 便利に成り過ぎるのも考えものだな! 修復や改良に君たちの手を借りざるえない!」

「いえ……こちらは気にしていませんので」

「そう言うわけにも行くまい! 勤労とは働く者が均一に行うべきだ。しかし……細工師という、稀少な者たちは中々に確保が難しくてね。君たちを働き詰めにさせてしまっている」

「お気になさらずに。知らない世界をどんどん歩いてる気がして充実しています」

「フッ。君は若いな! 良いエネルギーを貰ったよ! そう言うことなら、現在の設備を一新してみるかな!」

「それは、仕事が詰まってるので後ろの方になりますけど」

「しっかりとしている様で結構!」


 フォルドは受ける依頼を贔屓したりはしない。基本的には受けた順にこなしていくのが心得であり、ジンもその考えには納得して賛同している。

 しかし、フォルドが興味を持った依頼に関しては優先順位を繰り上げる事があった。


「フォルド殿には街中の案件だけに注視して貰っているが、今までは一人で全てをこなしていた。しかし、君が弟子になってくれた事で彼の負担も減って私も一安心だよ」


 ヘクトルは前々からフォルドに負担を寄せ過ぎていたと感じてはいたものの、優先順位を決める事で負担を減らしていた。

 しかし、ジンが来てくれた事で即座に取り掛かれない不具合も迅速に動いてくれるようになったのだ。


「師匠よりは長生き出来ないかもしれないですけど……きちんと爪痕は残して行きますよ」

「――フッ、期待している!」


 ヘクトルはジンから今は亡き友の面影を感じ、笑った。


 自分が友へ会った時にする土産話が増えたと思いつつヘクトルは再び目の前の絵に視線を戻す。

 ジンもそんなヘクトルに一礼をして、厨房へ向かった。


「ジン君! マリシーユから眼を離さないで居てくれたまえよ!」


 そんな声にジンは思わず止まって振り向くと、ヘクトルは背を向けて歩いて行く所だった。






 あれからオレは自身の『相剋』が出てくる事はなかった。

 師匠の下で過ごし、働き、細工師としての技術を身に付けて、仕事の一部を任されるまでになれた。

 レンも楽しそうに過ごしているし、王都へ行ったロイとジェシカも各々の場所で自分の道を歩みを始めている。

 王都崩壊や『霧の都』に国境の防衛戦もあったので心配していたが、とりあえず二人が元気にやっている様で良かった。


 派手な称号や功績なんて要らない。


 この国の行く末はまだ暗いままだけれど、ヘクトル様は勿論、王都のリンクス司令、学園の校長である鳴狐真様の存在は師匠も問題ないと言う程の英傑達だ。

 この国も新たな王を迎えるには時間はかからないだろう。


「ナタリア。元気かな」


 “刻針”を使っていると、この道を示してくれた彼女の事を思い出す。

 オレ達を導いてくれたあの人は、今どこで何をしているのか。こちらから連絡を取る術はない。

 会えなくはないが……それは本当に必要な時以外には使わないと四人で決めていた。

 ナタリアにとって自分達が頼りになる存在になれば自然と会いに来てくれる。その時まで使うのは止めよう、と。


 オレは厨房の魔法陣も調整し終えると、本日の館での案件はひとまず完了。フォルドさんに報告して次の指示を仰ごう。

 そして、外廊下を歩いていると、一つの絵が目に止まった。それは――


“ナタリア。なんの絵を描いてるんだ?”

“私の妹が好きだった花。けれど、もう50年は姿を見ないの。きっと、絶滅してしまったのね”

“オレも探してみるよ。花の名前は?”


「『呼び水の花』」


 そうタイトルの書かれた青い花の絵が外廊下に飾られていた。






 マリーはスラムでの配給を終えると館へ戻ってきていた。

 父は明後日にある王都の貴族集会の為に昼には立ってしまう。その見送りをする為に片付けは、レンやメイド達にお願いして一足先に帰ってきたのだ。


「レナードさんは門の前に居たから……お父様はまだ書斎かしら?」


 中庭を通ってヘクトルの書斎へ向かう。その道中、廊下に飾り直した絵を見るジンの姿があった。


「!」


 マリーは思わず柱の影に隠れる。

 そう言えば……今日、フォルドさんが調子の悪くなった魔法陣を見に来ると言ってたっけ。


「……」


 横のガラスに映る自分を見直して簡単に身なりを整える。

 寝癖もない。汚れもない。少し服は煤けているけど、払ったので問題なし。一回、後ろを見て、特に変な所はない。……目つきは仕方ない。

 父譲りの鋭い目付きで彼を最初に驚かしてしまったが、今は気にせず接してくれている。よし、行こう。


「おほん」


 マリーはわざとらしく咳払いすると、絵の鑑賞に集中していたジンは彼女に気がつく。


「マリー様」


 ジンはマリーが領主の娘と知った時から他の目がありそうな時は敬称をつけて呼んでいた。


「様はいらないわ。回りに誰も居ないし」

「でも、領主の館ですし……先ほどヘクトル様の姿もお見えになりましたし」

「いいの。私が他に意見はさせないから。だから、敬語は無しでいいわ」

「……解った」


 少し照れながらもジンはマリーの提案を受け入れる。

 館へ出入りする事もあり、歳も距離も近い、ジンは貴族でもあるマリーとは友達のような関係であった。


「この絵を見ていたの?」

「ああ。前までは無かったから」


 ジンは月に何度かフォルドと共に館へやってくる。その際に外廊下に飾られている絵は殆んど変わらなかったと記憶していた。


「これは、前まで父の書斎にあった絵ね。母が描き遺した物なの」

「マリーのお母さんが?」

「ええ」


 その絵は今は亡き、マリーの母親の遺した数少ない品の一つだった。

 ヘクトルは、傷む事を懸念して自分の書斎から決して動かす事をしなかったらしい。


「御父様は御母様が好きだった。けど、御母様は私を産んだ事で亡くなってしまったから……」


 マリーは自分に感心を寄せない父は母の事で、避けているのだと感じていた。


「そんな事は……」

「皆はそう言ってくれる。けど、人の心は本人にしかわからないわ。……ごめんなさい。不快にさせたわね」

「そんな事は……」


 ジンはなんと言えば良いのかすぐには解らない。

 しかし、何かするにしてもマリーの回りには決して危険が及ばない様に配慮されているのは良くわかる。


「レヴを小さい頃から付き人にしてくれているのは最低限の事なのだと思うわ」


 マリーも父が護ってくれている事を察している。しかし、それだけだった。親子らしい会話は殆んどなく、共に出掛けた事などもない。

 食事の時に、その日あった事を話しても、適度に相づちを打つだけで食べ終わるとヘクトルは早々に席を立つのである。


「御父様にとって私は御母様の仇の様なモノなのかもね」

「それは絶対に違う!」


 ジンはそれだけは間違いであるとマリーの肩を掴んで否定する。


「オレにはヘクトル様とマリーの間にある溝はどれくらいの深さかわからないけど。ヘクトル様は君をそんな風には思っていない」


 二人は考え方が似ているし、見えない溝を越えられずいるのかもしれない。


「ジン君。距離が近いわ」

「! あ、ごめん……」


 思わず詰め寄って居たジンはマリーの肩から手を離すと少し顔を赤くして、誤魔化す様に視線を絵に戻る。

 マリーも次の言葉を考えるように顔を赤くして俯いた。


「……ジン君。ありがとう。貴方にそう言って貰えると勇気が湧くわ」

「別に大した事は言ってないから。大袈裟だよ」


 再びの沈黙。互いに照れ臭さからのソレは悪い空気による沈黙ではなかった。

 そして、マリーは意を決して――


「ジン君、収穫祭を一緒に――」

「ジン」


 そこへ、ミレディとの打ち合わせを終えたフォルドがジンを捜して現れた。

 ジンは慌てて対応する。


「修繕は終わったか?」

「はい。正常動作も確認しました」

「そうか。次に不具合が起きた時までの期間を記録し、頻繁に起こる様なら新しい魔石を仕立てるぞ」

「はい」


 すると、フォルドはマリーの姿を見て訪ねる。


「取り込み中だったか?」

「い、いえ。少し話をしていただけです……」

「ふむ。ジン、帰るぞ」

「はい。マリー、またな」

「え、ええ……またね……」


 帰宅へと歩き出すフォルドの後をジンは追う様に続く。

 マリーはその背を力なく手を振って見送るしかなかった。






「……おのれ針ジジィ! お嬢とジン坊のラブリーを邪魔するとは! おのれっ!」


 二人の様子を柱の影からこっそり見ていたレヴナントは一人悪態をついた。






「……」


 街の西門の外壁にあるスラム街で隻眼の男は無気力に座って居た。

 その眼はどこか虚空を見ているかのように、ぼーっとしていて、時折前を横切るモノに反応する程度である。


「よう、あんちゃん。こいつを食べな。今日のは上手いぜ? レンの嬢ちゃんが作ってくれたからな」

「……」


 隻眼の男はスラム街では顔のような役割を果たしている中年の男に配給を渡された。


「片眼じゃ不便かもしれねぇけどよ。頑張れば市民になれるんだ。ここがどん底なら後は這い上がるだけだぜ」

「片眼……わ、私の……眼が……私の……サトリの眼ぇぇ……」


 男はカタカタと震えると見えない眼を確かめる様に手の平で覆う。

 すると、中年の男は唐突に隻眼の男の首を掴んだ。


「カハ……」


 隻眼の男は残った眼で中年の男を見る。


「やれやれ……困ったモノダヨ。君は『シーカー』になれると思ったんだけどネ」

「あ……貴方様は!」


 隻眼の男――レイスは四つの眼を持つ顔に変化させた中年の男――シーカーを見て驚愕する。

 シーカーは手を離すと顔を中年の男に戻した。


「ワタシの見込み違いだったヨ。君はワタシの“眼”を失ったばかりか、こんな所で呆けているなんてネ」


 シーカーは『サトリの眼』の状況を見て、回収をしようと思っていたが、既に失われている様子に踵を返す。


「ま、待ってください!」


 レイスは呼び止めるがシーカーは興味を失った様に歩いていく。


「せめて……私をここまで貶めた者達の事を報告させてください!」

「報告?」


 シーカーは足を戻すとレイスを見下ろす。その顔に持つ四つの魔眼は各々が簡単に人の心を壊せる代物だった。


「は、はい!」

「君はワタシが謀られると思っているのかイ?」

「そ、そんな事はありません! ですが、知っていても決して無駄にはなりません!」

「……フム」


 すると、シーカーはレイスの潰れた眼に手をかざす。そして、手を退けるとレイスの眼は両方とも見えてるようになっていた。


「! こ、これは……」

「再生させタ。しかし本来の“サトリの眼”よりも効果は弱イ。だが……使い様によっては、同じ効果を及ぼす事も可能ダ」


 “サトリの眼”の情報を相手が知ったなら、ソレを使って裏をかくことも出来る。


「君からの情報はいらないヨ。ただ結果だけを持ってくればイイ」


 そして、シーカーは次の言葉を言い残して去る。


「“サトリの眼”を知る者全てを始末出来たなラ、君を【魔王】様に会わせよウ」

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