第15話 追跡者

「君と話していると、私も若返るようだ」

「ご謙遜を。閣下は十分にお若いではないですか」


 ヴァルター領の領主――ヘクトル・ヴァルターは隣国の王の元へ赴き、非公式に会談を行っていた。

 場所は王宮内にある庭園。精鋭となる3人の守護官が王を見守っている。


 高齢の王は花が好きで庭園の管理は己が行っていた。

 色取り取りの花は常に最高品質で保たれており、王の持つ知識が政治以外にも優れていることを裏付ける。


「ここの庭園はいつ見ても壮観ですな。世界中の花々が咲き乱れる場はここを置いて他には無いでしょう」


 ヘクトルも亡き妻の影響もあり花の持つ特徴をある程度は理解していた。


「冬に咲く花と春に咲く花を同時に維持するには地面の温度を変えることで可能であるのだ」

「勉強になります」

「それを可能にしておるのは『細工師』フォルドによって作られた魔道具による」


 当時、その魔道具を多くの細工師に依頼したが作り上げたのはフォルドだけだった。


「彼が君の所に居るのは驚いたぞ」

「運が良かったのです。時期が違えば閣下の御身に居たかもしれません」

「ならば、彼を手放す気は?」

「残念ながらありませぬな。今のところ、彼と釣り合う対価を目にしておりませぬ故」

「ふむ。根気強く君と論争しなければならないな」

「望むところです。閣下」


 穏やかに笑い会う二人。端から見れば親子の様にも見えるだろう。

 その後、庭園に用意された席に座り二人はお茶会を始める。


「世の中の変化は恐ろしくも早い。花が枯れて新しく咲き誇る様に」

「実感しております」

「既に聞いている」


 その言葉にヘクトルは無言で紅茶を啜った。


「レガル王の死去。勇者の消失。世継ぎの断絶。10年前の『魔獣パラサザク』の討伐といい、君の国は怒涛の連続であるな」

「どの国でもいずれは起こる事です。今回はたまたま、我が国だった。ただそれだけの事です」

「ヘクトルよ、単刀直入に言う。我が国に来ぬか?」


 それは王が一人で決断できる範疇を越えた提案である。

 ヘクトルもその発言の重みは承知で、王も解っていた。その上でヘクトルの亡命を勧めてきたのだ。


「君の国は既に沈み始めている。周辺諸国はいずれも国落としの準備を始めておる」

「やはりそうでしたか」

「だが、我が国は手を出さない。得に君の領地へは」

「御心遣い、痛み入ります」


 ヴァルター領は他国でも表立って争うことは有益としていなかった。

 ヘクトルの政治的手腕はさることながら、保有する領地戦力も決して侮れない。


「他の国も真っ先に君の領地は狙うまい。先に他を落とし孤立した所を狙うだろう」


 『ノーフェイス』を領地内から一掃した事実からヴァルター領の内側の強固さも他国へは知らしめている。

 工作や間者と言った搦め手はまず入り込む事は出来なかった。


「問題ありませぬ。例え国と相手をしたとしても、それを返すだけの地盤は整えてありますゆえ」


 ヘクトルは10年前の魔災で理解していた。国に寄り添い続ければいつかは共に倒れてしまうだろうと。


「王が倒れ、世継ぎも無く、希望も失われた。なれど国とは人の集まりであり、王都は今も立ち上がろうとしています」


 国が転覆し、自らの領民へ害が及ぶなら迷わず切り捨てるつもりだった。しかし、人々は王を失っても下を向いてはいなかった。


「勇者シラノが居なくとも人々は立ち上がれる。無数の“想い”が不格好にも前に進もうとする様を私はもう少し見届けようと思いまして」


 問題は限られたチャンスを見極めて掴むことの出来る人材が王都に残っているかだ。

 それを確かめる為にもレヴナントを派遣し『レコード』を要求した。

 そうすれば、王都に居る彼女へこちらの意図が伝わると思ったからだ。


「そうか」


 ヘクトルの“他の価値を的確に見極める眼”を見てきた隣国の王は、沈み始めた国、と見るには早計だったと考えを改める。


「それでは、一つ私の個人的な頼みを聞いてくれないか? 報酬は金銭になるが、望みの額を出そう」

「何を言いますか。私と閣下の間でその様な他人行儀は不要ですぞ」


 こうして場を用意してくれただけで十分です、とヘクトルは無償で王の依頼を聞く。


「実は一つだけ手に入らない花があってな。調べた結果、君の領地ならまだある可能性があった」

「花の名をうかがっても?」


 王はコンコン、テーブルを鳴らすと守護官が例の花が写った古い絵を持ってくる。

 雨の中に咲き誇る金色の花びらが印象的な花だった。


「『呼び水の花』と言う。100年ほど前に絶滅したと言われていたらしいが……このスケッチを王都の古い雑貨店で偶然見つけてね」


 ヘクトルはその花に見覚えがあった。





 隣国よりの帰りの馬車。

 馬車に揺られながらヘクトルは王との会談で妻との時間を思い出していた。


 “ヘクトル。貴方は花は好き?”


「なんの因果か」


 『呼び水の花』。実際に見たことはなかったが、それを描いた妻の絵で形は知っていた。

 隣国の王が見せてくれた絵とも一致するその花は今後にどのような意味をもたらすのか。


「実に……縁とは不思議なモノであるな」


 妻は母が探している花だと言っていた。もし、母が会いに来たときに『呼び水の花』がここにあると、周辺諸国の老舗店にスケッチを置いて貰ったと言っていた。


「ふむ、それにしても」


 ヘクトルはあまり馬車が揺れない事に気がついた。隣国への道はあまり整備されていないので、馬車の揺れだけが億劫だったのだが――


「業者よ」

「は、はい?」


 馬車の中から、ヘクトルに呼ばれて馬車を操る業者は慌てて返事をする。


「フハハ! 良い腕前だな! お陰で快適だ!」

「ありがとうございます」

「次も君に頼もう。名前を聞いても?」

「レナードです。……ヘクトル様は覚えていらっしゃらないと思いますが、私はヴァルター領の難民でした」


 レナードは10年前の魔災で全てを失った被害者の一人だった。


「絶望の中、ヘクトル様の街に流れ着き、浮き上がるチャンスを貰ったのです」

「そうか。すまんが覚えてはいないな!」

「良いのです。私はその他大勢の一人で、遠くから貴方を数回見た程度でしたから」


 当時のレナードは街のゴミを拾い、毎日のように馬車業者の所で無償で下働きを続けた。

 そして三年後。手伝いをさせて貰っていた馬車業者から認めて貰い、正式に領民となったのだ。


「今ではヴァルター領と隣国を経由する馬車を勤めさせて貰っております。これも、私の身元を保証してくれたヘクトル様の制度のお陰です」


 ヴァルター領の仕事人は誠実だと、知らず内から他国でも評価は高かったのだ。


「それは違うぞ、レナード君」


 しかし、ヘクトルの考えは違う。


「今の君が在るのは間違いなく君が努力した結果だ。私はチャンスを与えたに過ぎない」


 路傍の石も磨き続ければいずれは光沢を帯びて美しく光を反射する。

 しかし、その輝きを手にするには生半可な努力では無し得ないだろう。


「今後もよろしく頼むよ。何かあったら私を頼ると良い」

「! 良いのですか?!」

「こうして私と関わりを持つのも君の持つ輝きの結果だ! 誇ると良い!」

「は、はい!」


 その時、馬車が爆発し、二人は炎に包まれた。






 少しだけ残る焦げ臭さは、まだ火が燻ってる建物がいくつもあるからだった。

 王都を歩くジェシカは、負傷者の手当てに手が足りない様子を嫌でも目にしつつも“使い魔”で見つけた本屋へ向かっていた。


「……嫌な事を思い出しそうだわ」


 10年前の魔災で一人でも多く魔物から逃げ延びる為に、両親は村に火を放った。

 トラウマ程ではないが、その時の焦げ臭さは帰る場所を全て失ったと思い起こされるのだ。


「何が目的だったのかしら……」


 【魔王】と【勇者】の激突。【勇者】は王都から【魔王】を引き離す事は出来なかったのか? 只では済まないと解ったハズだろうに。


「本人に直接会った訳じゃないけど……敬意は無いわね」


 ジェシカは【勇者】否定派である。ジン程ではないが、戦う事で起こる被害を考えない様には共感出来そうにない。


「力のリスクを考えない者にその力を持つ資格はない……か」


 ナタリアは魔術師が常人とは一線を画する知識や技術を持つ事を自覚する事が必要でもあると心得ていた。

 故に魔術師とは、誰よりも力を内に秘めるものだと弟子のジェシカにも強く説いている。


 “他に知れ渡たる形で、知らず内に有名になるのは仕方ないですが”


 冗談交じりにそう告げる師匠の笑みを思い出した。


「師匠……元気だといいな」


 旅に戻った師匠にこちらから会うことは不可能に近いだろう。

 だから、次に師匠と会うのは自分が人の間で囁かれる程の魔術師になった際に会いに来てくれた時だ。


「今は精進よ、ジェシカ」


 未来の事ばかり想定しても意味はない。学園は駄目だったが自分が歩む道を新たに見つけるのだ。


 歩は重くない。“使い魔”に導かれ目的の本屋へたどり着いた。


「ありがとね」


 “使い魔”に礼をすると、その足でジェシカは本屋に入る。






「……ああ、くそ。俺って本当に一歩踏み出せねぇな」


 本屋に入ったジェシカを気づかれない距離で尾行していたニコラは悪態をつく。


「本当にこの仕事って割に合わねぇよな……全くよ」


 声をかけて貰った時は適任だと心踊ったが、今思えばその時の自分に言ってやりたい。


「お前は身の丈に合わない苦労をするぞ、ニコラ・バンナ」


 母に合わせる顔があれば良いが……






「あまり……良い印象は無い様ですね」


 レガリアは学園に在籍している者としては校長との付き合いは一番長い。

 その為、晩酌に付き合わされる事があった。


「なるほど……学園と言う響きに勇者殿は惹かれていると?」


 校長は王宮のパーティーで勇者に学園へ入学したいと言われたらしい。無論、王からの推薦でもあった為に無下に断る事も出来ず形だけの入学試験をさせたのと事。


「結果は?」


 校長は呆れた様にため息を吐き、零点、と口にする。

 学園は魔術師達の探求の場である。それを幼少者へ技術を教える場であると勘違いしていた様だった。


「では、その場では零点と?」


 それでも王の推薦と言うこともあり、検討すると告げてその場は納めたと言う。


「全ての魔法適正を持ち、オリジナルの魔法――『転移魔法』を独自に開発。それら全てを扱っても余りある魔力を内蔵する……それは魔術師ではなく戦士ですな」


 そうだろう? とレガリアの同意に校長は少しだけ機嫌が治った様に酒で喉を潤す。


「国にとっては有益でも……我ら魔術師にとっては環境を壊しかねない“異物”と見ても良いかと」


 社会の常識も欠けたわっぱを懐に入れたくはない、と校長は愚痴を続けた。


 そこまで焦る校長はとても珍しい。余程参ったのだろう。

 レガリアはそんな感情を吐き出す相手に自分を選んでくれた事に嬉しさを感じた。


「『転移魔法』は魅力的ですが、理論や技術の根源が他に理解できる範疇ではない限りは危険として見ておきます」


 否定的な考えもあるだろうが、今夜の対談を得て校長は確信していた。

 遠くない未来……『勇者シラノ』は間違いなく取り返しのつかない事を起こすだろうと――


「レガリア、それに備えよ」


 最後はいつもの調子で放たれた言葉にレガリアは肯定すると杯を鳴らした。


 そして、起こったのは【勇者】と【魔王】の激突。

 『相剋』がぶつかり、王都の理は大きくねじ曲がった。

 レガリアは己の全能力を使い、校舎にいた生徒達を護った。しかし、【勇者】の援護に出向いた教職員の大半は帰らなかった。


 お前のせいではない。


 戻った校長はそう言い、死した者達へ黙祷を捧げた。

 そして、生きている者を護らなければ――


「……混沌は魔術師の敵です。ナルコ先生」


 故にこれ以上、王都が荒れるのなら国を去らなければならないだろう。






「普通はね、本屋に魔導書なんか置いてないのさ」

「……そうなんですか?」


 棚から落ちた本を確認している本屋へ入ったジェシカは、老いた店主に流されるままに片付けを手伝わされていた。


「魔導書ってのは、魔術師が書いたモノを差す。それこそ、代を重ねて引き継ぐモノでね。他で売ってる魔導書なんてニセモノしかないんだよ」

「え……でも――」


 思わず大樹の根本にある『世界の本棚』の事を口に出しそうになりつぐむ。


「何か心当たりがあるのか?」

「いえ……多分あたしの勘違いです」

「とにかく、他に流れてる魔導書は素人の書いた偽物か、盗まれたかの二択だ。特に盗まれた魔導書なんて他には何の価値もない」


 当人以外で他の魔導書を理解するには途方もない時間が必要になるだろう。

 そして、内容を把握できたとしてもそれが自分に益をもたらす可能性は極端に低い。


「……そうなら――」


 自分たちが世話になった『世界の本棚』から出てきた本はどれも簡単に読み解けた。

 しかし、それは世間と比べれば異常とも言えるほどの存在であったようだ。


「噂だがね、世界には己の望む本を出す『世界の本棚』と呼ばれるモノがあると言う」


 店主のその言葉を聞いてジェシカは思わず持っていた本を落とす。


「すみません! すみません!」


 ジェシカは慌てて本を拾うと、その手が他の人と被った。


「あら、ごめんなさい」


 それは片眼鏡モノクルを着けた一人の白髪の女性。

 パーカーにロングスカート。獣と人の眼をそれぞれ持つ彼女は常人に比べて異端であった。


「はい」


 女性はジェシカの落とした本を手に取るとそのまま手渡した。


「ありがとうございます」

「店長、新しい子を雇ったんですか?」


 女性の目が店長と合う。


「――いや、手を貸して貰っただけだ。彼女は外の人だよ」

「――魔術師……ですよね?」


 ジェシカは女性の装いと小綺麗な様、そして片眼鏡が魔道具であることを見抜く。


「正解。貴女も魔術師?」

「はい。ジェシカと言います」

「よろしくね、ジェシカさん。私はレイン。旅の魔術師よ」


 旅の魔術師。そのフレーズはナタリアと同様のものであった。

 すると、レインは散らばっている本を拾い始める。


「店長は人使いが荒いから、私も手伝うわ」

「人手が増えるのは助かるが、救護活動は良いのか?」

「こんな王都の様子だと恩赦も期待できないし、それなら知り合いを助けようかと思ってね」

「レインさんは店長と知り合いなんですね」


 見知らぬ存在に少しだけ警戒していたジェシカだったが店長との関わりから問題ないと安堵する。


「ええ。言っても一ヶ月くらい前から店に通いつめる店員と客の関係だけど」


 レインは再び店長を見ると、少し間を置いてから店長も肯定した。


「一ヶ月……って事は数日前の王都崩壊の夜に何があったのか見ていたんですか?」

「……そうね。あの夜の話は長くなるわ」






 ジェシカとレインが邂逅した様子をニコラは離れた所から見ていた。


「マズイな……これは非常にマズイ」


 よりにもよって彼女と直接会ってしまうとは……いや……彼女から接触したのだろう。

 つまり、我々を警戒しているのだ。


「頭の中困惑してきた。どうする……どう――」


 と、そこに見知った魔力を感じとる。それは『ノーフェイス』にとっての死神――


「レヴナント……冗談だろ、あの女。俺の苦労を全部無駄にする気かよ……」


 胃に穴が空きそうだ。

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